かりそめの日常
箱の中の故郷。
その故郷は、あらゆる世界とつながることができる。
少年の理想郷。
だが、いまだ未完成。
少年との会話を終えた俺は、バーへ戻った。
ヴァニラはなにかを察したらしく、特に詮索してこなかった。
代わりに、タイガーリリーが声をかけてきた。
「お疲れさま。なにか見つかった?」
「ここのオーナーのノートがあったよ。けど、式典とは関係なさそうだ。無駄骨だったよ」
少年のことは伏せておこう。
彼にもメンツがある。
妖精を故郷から引き離しておいて、自分だけは故郷に固執しているなど、誰にも知られたくはあるまい……。
「なにか飲む?」
「なら水をお願いできるかな」
「ええ」
俺がカウンターに腰をおろすと、ウイスキーを煽っていたパキラがギロリとこちらを見た。
「さっきさ、なんか変な感じがしたんだ。違和感っていうか……。誰か、なんか力を使わなかった?」
「さあ、どうだろうな」
さすがに鋭い。
エーデルワイス、マッポーちゃん、ロベリアはバーにはいない。きっと寝室だろう。あるいはシャワーでも浴びているのか。
タイガーリリーが水をくれた。
「今日も泊まっていく? ならソファじゃなくて、上で寝たら?」
「いや、ここでいい。ここが一番落ち着くんだ」
感傷的な話だが、一秒でも長くみんなといたかった。
かといって距離が近すぎると自制が効かなくなる。
ソファで寝るのが一番いい。
*
朝が来た。
会社は休むつもりだ。
まだ誰も起きてきていないから、俺はキッチンに入って水を飲んだ。
みんなのために、なにか買ってきてやろうか。
妖精は食事を摂らなくても動ける。だが味覚はあるし、食べたら満足感も得るらしい。きっと故郷では、楽しく遊んで暮らしていたのだろう。
*
よく冴えた冬の空に、朝日がひとつ浮いていた。
肌寒いが、震えるほどではない。
時刻はまだ五時。
シャッター通りに人の姿はなかった。いや、かなり前方に一人だけいるか。出社するのだろう。足早に歩いている。
俺は駅前のコンビニに入り、ケーキなどを買い始めた。朝からこんなのを買っていては、店員にどう思われることやら。いや、客がなにを買おうと店員は気にしないかもしれない。いちいち気にしたところで疲れるだけだ。
買い物を手短に済ませ、俺は店を出た。
満月が来たら、また式典が始まる。立て続けに葬送も始まる。それらが終わったら、みんなとはお別れだ。
生き延びたとしても、死んだとしても。
*
バーに戻ると、タイガーリリーが起きてきた。
「おはよう。なにか買い物?」
「ああ。みんなで食べようと思ってな」
「ふふ」
彼女はかすかに笑っただけで、キッチンに入ってしまった。
俺は荷物をカウンターに置いてから、ソファに身をうずめた。
この戦いが終わったらなにをしよう。
金ならある。
だが、金以外にはなにもない。
金だけあっても、特にやりたいことがない。
「ね、英雄! サッカーしない?」
毛玉を抱えたエーデルワイスが現れた。
マッポーちゃんは人の姿をやめたのだろうか。
「朝から元気だな……」
「聞いてよ。この子、もう私と寝るのイヤだって」
「なにしたんだ?」
「なにも。ずっとぎゅってしてただけ。どこかの英雄がぎゅってしてくれないから」
地味なジャージ姿で毛玉を抱える妖精。
コンセプトが行方不明になっている。
「マッポーちゃんはれっきとした仲間なんだ。丁重に扱って欲しいな」
「あ、なにか買ってきたの?」
「好きなのを選んでくれ」
彼女は毛玉を放り投げ、コンビニの袋をあさりだした。
マッポーちゃんは疲れ果てたのか、無言のまま床を転がった。本当にボールみたいだ。
するとエーデルワイスは、特になにも取らず、俺の隣へ腰をおろした。
「ねー、まだ椿のこと気にしてるの?」
「なんだよ……」
「ケーキ、一個多かった」
「適当に買ったから数を間違えただけだ」
「はぁー……」
盛大な溜め息を見せつけられた。
タイガーリリーが「なにか飲む?」と聞いてきたので、俺はコーヒーをオーダーした。エーデルワイスは「オレンジジュース!」だそうだ。
「ねえ、私の英雄。あの子が死んだの、そんなにショックだった?」
「ショックだよ。誰だってそう思うだろ」
「生き返るのに?」
「そう。生き返るとしてもだ。俺はもう二度と会うことができないんだ。永遠の別れと同じだよ」
せめて、ひとつかふたつ会話をしておきたかった。
この戦いが終われば、俺は英雄でなくなる。すると彼女たちにとって、俺の価値は即座にゼロとなる。いや、あるいはマイナスかもしれない。メッセージを残しても迷惑なだけなのだ。
コミュニケーションをとるチャンスはごく限られている。
ふと、エーデルワイスが身を寄せてきた。
さっきまで布団にいたからか、だいぶあたたかい。
「ズルいなぁ……」
「えっ?」
「生きてるときより、死んでるときのほうが思ってもらえてる。私が死んだときも、同じくらい思ってくれる?」
「そんな質問はやめてくれ。俺は、もう誰も死なせるつもりはない」
だが葬送は過酷な戦いになるだろう。
そこで何名か命を落とすかもしれない。
そのことは考えないようにしているが……。
エーデルワイスはまた溜め息をついた。
「不思議な話ね。英雄がヒロインを選ぶ式典なのに、初めて勝者になるかもしれない英雄は、どのヒロインも選ばなかった、なんて……」
「少年の思惑通りに行動した連中は、みんなシステムに敗北したからな。そうならないためには、過去のヤツらと同じ行動をとるわけにはいかなかった」
もっとも、俺が機転で追い詰めたという気はしない。人間性を吸収し過ぎた少年が、自縄自縛に陥ったのだ。彼は遅かれ早かれ敗北する運命にあった。
いや「運命」はセンチメンタル過ぎるか。なら「当然の帰結」だ。
パキラが来た。
「みんな、早いじゃないか。タイガーリリー、お酒ある? 強いのを頂戴」
短い髪がハネてイヌのようになっている。
タイガーリリーは肩をすくめた。
「日の高いうちはお酒を出してないの。ごめんね」
「後ろの棚に売るほど置いてあるでしょ?」
「君には水で十分だよ」
「なにこれケーキ? 朝から甘いものはちょっとな……」
そう言いつつも、パキラはひとつとって席についた。
続いてヴァニラが現れた。
「ごきげんよう。ケーキと聞いて、つい起きてしまいましたわ」
寝起きとはいえ、あまりに薄着だ。
普段はクセのないまっすぐの髪だが、少し乱れている。こうして無防備な姿をさらせるということは、ここを実家のように思っているのだろう。
のそのそとロベリアも現れた。
「ふふ。英雄が私に贈り物とは……」
もとから髪はボサボサであったが、さらにボサボサになっている。のみならず、起きたばかりだというのに目にクマがある。繭から出たときもそうだった。あまり眠れない体質なのだろうか。
彼女は不気味に笑っている。
「私、ちょうど新作のソースを開発してたところなの……。みんなで天国に行けるやつよ……。味見してみる? ふふ。うふふ」
「……」
妖精たちが一斉に渋い顔になった。
たしかロベリアの能力は毒だったな……。
かと思うと、ロベリアは「はうあっ」と棒立ちになった。
「あ、違うの。違うから殺さないでください。いい子にしますから」
急にわたわたし始めた。
ヴァニラが幻覚を見せたのだろう。
事件は未然に防がれたというわけだ。
エーデルワイスが溜め息をついた。
「あの子、むかしからああなのよね。おかげで何度も巻き込まれたわ」
平然と言っているが、妖精でなければ大事件だ。
「それ、本人だって危険だろ……」
「なぜかロベリアだけは平気なの。体質なのかしら? いい迷惑よ。あ、でも気持ちよくなる毒もあったっけ。あれは凄かったわ」
「でも毒なんだろ?」
「うん、まあ……そのあと死んだけど」
アウトだな。
そんなロベリアだが、葬送では何度か勝利しているらしい。
敵を始末するのにはいいかもしれない。
神器の破壊に役立つかは不明だが……。
ともあれ、俺はこうしてここでみんなを眺めているのが好きだ。
誰もヒロインにならなくていい。
そもそも俺だって英雄などではないのだ。たとえそう呼ばれたからといって、本当になれるものではない。
指についたクリームをなめながら、パキラが顔を上げた。
「そういえば、ライラックどうしてるかな」
ライラック?
人名だろうか?
次に会う予定のヒロインは、グロリオサという名のはずだが。
ヴァニラがこちらへ向き直った。
「わたくしたちと一緒に召喚された妖精ですわ。あの子、禁じられた果実を口にしなかったから、帰還を許されましたの」
帰還した仲間がいたのか……。
なら、なぜ助けに来ない?
いや、来ることができないのかもしれない。
本来、ここには誰も侵入できないのだ。例外は、才能のあった澁澤氏のみ。その澁澤氏でさえ、侵入することはできたものの、脱出はかなわなかった。
エーデルワイスがあくびをした。
「なんで急に?」
「いや、みんなでケーキ食べてたら、なんか思い出しちゃって」
パキラも深い意味はなかったらしい。
たしか少年の育てていた果実を、パイにしてみんなで食べたのだったな。
どんな味だったのか、じつはずっと気になっている。
きっとうまかったのだろう。
普通、酒のつまみというと塩けのあるものが供されるが、新鮮な果物もいい。みずみずしい果実。甘いのでもいいし、酸味があってもいい。主張の強い味でなくともいい。清冽な水を存分に齧るのだ。間違いなく幸福になる。
いや、やめよう。
いまは果実に執着している場合ではないのだ。
たとえ愛欲に勝てても、食欲に負けたのでは、笑うに笑えない。
(続く)




