秘密
「私は……」
かすれた男の声がした。
音による伝達ではなく、精神へ直接。
「澁澤さん、ですよね?」
「私は……太陽を召喚した……」
こちらは音として返事をするほかない。
それさえ伝わっているか怪しいが。
「その太陽は……世界を照らすはずだった……。だが……完璧では……なかった……。太陽は……もとの場所へ……」
「送り返したんですか?」
「太陽は……汚染されてしまった……」
ダメだ。
会話が成立しない。
おそらく彼は、存在を維持するだけで限界なのだろう。
「私は魔法陣を描き……みずからを転送しようとし……そしてしくじった……」
「転送?」
「だが……時空の狭間に……」
失敗したのか?
点と点がつながらない。
そもそも澁澤氏は、魔法陣でどこへ行こうとした?
時空の狭間とは?
なぜここにいる?
ふと、気配が一変した。
気配というか、空気感というか……。
誰の声も聞こえない。
まさか、消滅したのか?
上でくつろいでいる妖精たちの音も聞こえない。数秒前まで、歩く音や、会話する声が、かすかに聞こえていたのに。
「僕だけの秘密だったのに……」
背後から、少年の声がした。
姿もある。
彼はいつものように青ざめた顔をしていた。
「なにをした?」
「時を止めた。僕がここに来たことを、妖精たちに知られたくなかったから。言っておくけど、君の時間も止めてある。動いてるのは精神だけ」
さらっととんでもないことをするんじゃない。
だがまあ、たしかに夢でも見ているような気分だ。
俺はつい鼻で笑った。
「それで? いったいどうするつもりだ? 秘密って言ったって、ちっともなにも聞きだせなかったぜ。会話できるような状態じゃなかったからな」
「前に君は、故郷の話をしたよね?」
「した気がするな」
「ここが僕の故郷だよ。だけど第二の故郷なんて呼びたくない。僕の、ただひとつの故郷」
「……」
根が深そうな話だな。
彼は普段あまり表情を出すタイプではなかったが、おそらく苦しさも手伝ったのだろう、露骨に眉をひそめていた。
「あらゆる世界の頂点に立つ輝かしき太陽の世界。それが僕の生まれた世界だった。だけど、僕は落ちこぼれていた。欠陥があったわけじゃない。ただ、なにをやってもみんなに勝てなかった。僕は納得できなかったよ。他の世界の誰より優れているのに、みんなの中にいたら落ちこぼれのままなんだって」
もとから境遇に不満を抱いていたわけか。
彼はすっと息を吸い込み、こう続けた。
「だから人間界に召喚されたとき、嬉しかった。この世界なら、僕が頂点に立てる。澁澤さんも僕を凄いって褒めてくれた。この世界を照らす太陽だって」
どんな人間にも取り柄はある。
きっとこの少年にだってある。
しかし社会がその取り柄を無価値と判断した場合……。哀しいことに、本人までもがそれを否定しきれず、自分自身を無価値と考えるようになる。
社会は、あくまで社会の都合でしか価値を判断しないというのに。富になるかどうか。基準はそれだけだ。それ以外は、すぐに無価値として扱ってしまう。
本当なら、社会がどう言おうが、当人の価値とは無関係なのだ。
俺は、しかし慰めの言葉をかけなかった。彼が己の無価値を疑わず、救済を望んでさえいない場合、フォローしても白々しくなるだけだ。
「で、どうなった?」
「僕の体は汚染されていった。人間界の環境に耐えられなかったんだ。それで澁澤さんは、もとの世界に帰すための魔法陣を研究し始めた」
「彼は自分を転送したようだな」
「僕を転送する前に、自分で試したみたい。そしてここへ迷い込んでしまい、二度と戻ってくることはなかった」
「ここへ? 店も一緒に?」
俺が尋ねると、彼は首を横に振った。
「まさか。あの人は、単独でここへ到達したんだ。それだって凄いことなんだよ? 普通ね、誰もここへは入ることができないんだ。だけど澁澤さんにはできた。たぶん、召喚術の天才だったんだ。自己流だったせいで、事故を起こしてしまったけど」
「じゃあ店は……」
「あとから僕が転送させた。言ったでしょ、故郷だって」
なんとも言えない気分だ。
はじめ彼は誘拐されたのだ。ところが、それは彼にとって歓迎すべき事態だった。結果、澁澤氏は彼の師となり、バーは彼の故郷となってしまった。
少年は苦しげながら、なんとか笑みを作ってこちらを見た。
「その後のことは、君も知っての通り。僕は魔法陣を完成させて故郷に帰った。だけど、太陽の一族は僕を迫害したんだ。だから戦ったよ、穢れの力を使ってね。そしたらみんな死んだ」
「ここはどこなんだ?」
「この空間は、神器の内部だよ。神器というのは、あらゆる世界へ介入できる機械のこと。ただし扱いが難しい。穢れてしまったせいで、動作が不安定になってる……」
ついに「神器」という言葉を出した。
というより、もう、なにも隠す気はないのだろう。
きっとあの短剣を見たときから、覚悟はしていたはずだ。
「僕はこの世界を完成させたいんだ。だから完璧な神になる必要がある。僕だってもう気づいてるよ。あの短剣で、君はこの世界を壊すつもりなんでしょ? けど、それだけはやめて欲しいんだ。君とはもう戦いたくない」
同情の余地はある。
だが、自分勝手なことを言っている。
俺は正義のヒーローじゃないし、世界を救うつもりもない。過去の英雄の無念を晴らすつもりもない。莫大な金も手に入ったし、あとはウマいことやれればいい。
だが、目の前で起きている問題くらいは、できる範囲でなんとかしたいと思っている。
正義がどうこういう話じゃない。
ただ、気に食わないだけだ。
感情論と言ってもいい。
「なあ、少年。あんたの事情は分かった。戦いたくないってのも同感だ。だが、そいつは最初に言って欲しかったな。俺たちの戦いは、もう後半戦に入ってる。そして俺なりにベストを尽くして、ここまで来た。こいつは、あんたから仕掛けてきたゲームだ。状況がマズくなったからって、一方的に降りるのは感心しない」
ホントのホントにただのガキなら、手加減してやってもいい。
だが、こいつは自称とはいえ上位種で、こちらは下位種ということになる。手加減する理由がない。
少年は箱の中に、自分だけの故郷を作った。
故郷――。
人に限らず、誰しも故郷につながるカントリーロードを持っている。彼の道は、ここへつながっている。
生まれた場所。親。その両方が揃っている。
幸福なことだ。
そして俺は、その幸福を破壊するつもりでいる。
覚悟もある。
俺の決意を軽く見て欲しくはない。
少年は恨みがましい目でこちらを見た。
「君の最後の式典が終わったら、妖精たちを解放すると約束しよう。それでもダメ?」
「ダメだな。いまいる七名を解放したところで、あんたは別の妖精を使役し始めるだろう。人間性を搾取するためにな」
「ほかに希望があるなら聞くよ?」
「あんたの死だ」
こちらも命をかけた。
当然、敵にも同じものをかけてもらう。
そうでなければ、ゲームは成立しない。
「人間は神を欲しているはずなのに、神の誕生を拒絶するの?」
「ふん。そいつは一理あるな。だがそういうセリフは、もっと信心深いヤツに言うべきだ。きっと何時間でも話に乗ってくれるぞ」
「愚かな選択をしてるよ。本当に愚かだ。そんなに愚かなのに、なぜ人間性を失わないんだ……」
「ま、才能だろうな。人間界じゃクソの役にも立たない才能だが。あんたのルールにだけはうまくハマった。きっといまが俺の人生のピークなんだろう」
おそらく俺は、禁欲に成功したわけじゃない。
ただ臆病だったのだ。
愚行をおかしていると思われるのが怖かった。
その恐怖心が俺を勝利へ導いた。
少年はなぜか俺以上に落ち込んでいたので、こちらから質問を投げた。
「ところであんた、いつでも俺を殺せるはずだろ? なぜ言葉で説得しようとするんだ? ずいぶん回りくどい方法をとるじゃないか」
ずっと気になっていた。
彼ほどの力があるなら、いくらでも妨害できたはずだ。いや妨害どころじゃない。いつでも俺を消せた。なのにルールを守って、お行儀よく行動している。
彼の回答はこうだ。
「僕は……僕はきっと、人間性を集め過ぎたんだろうね。だからルールをおかすことに強い抵抗をおぼえるんだ。けど、いいよね? これって神に近づいてるってことだから。僕は方針を変えるつもりはないよ」
愚かだな、じつに。
たしかに神は高潔かもしれない。同時に、愚かさとも無縁ではあるまい。というより、それら価値を超越した存在のはずだ。たぶん。
少なくとも、人間を搾り上げ、その上澄みをすするだけでは、神になることなどできないのだ。
少年の目はどこも見ていなかった。
もうこれ以上の反論は聞きたくないといった様子だ。
手加減するつもりはない。ないが……。この場で言い負かしても、式典がどうこうなるわけではない。少し元気づけてやるか。
「そんな顔するなよ。まだ勝敗は決まってないんだ」
「えっ?」
「ゲームってのは、最後までなにが起こるか分からないものだ。あんたが上位種なら、その矜持にかけて証明してみせろ」
すると少年は、ハッと顔をあげた。
「そう……そうだ。僕はあらゆる世界の上位に立つ存在なんだ……。人間なんかに負けるわけない……」
だが、どう見てもムリそうだ。
彼は最初から敗北を受け入れている。
致命的な弱点を抱えたまま戦場に立っている。
きっと勝利の機会を逃す。
(続く)




