待ち人来たる
八度目の満月――。
いくら地球が温暖化しているとはいえ、冬になれば寒くなる。
バーの中は別だが。
入店すると、俺はまっさきにエーデルワイスの様子を確認した。今日はテニスウェアだ。室内なのにサンバイザーまでつけている。まあコスプレだからいいのか。
「今日はテニスでもするのかな?」
俺がそう声をかけると、彼女は得意げに笑みを浮かべた。
「スポーツの秋よ」
「もう冬じゃないか?」
「え、いつの間に?」
そう。
季節というものは、誰の了承もなしに勝手に過ぎ去るものだ。
俺はカウンターに置かれた銃を受け取った。
「今日もいつもの感じでいいのかな?」
「うん……」
少年の表情は冴えない。
きっとうんざりだろう。
人間性を回収するために人間を入れたのに、肝心のそいつはちっとも人間性を喪失しない。それどころかいろいろ探り回り、妖精の呪縛まで解いてしまった。
こちらが神器の破壊を計画していることまでは、まだバレていないと信じたいが。
俺は会話を切り上げ、仲間たちに「行こう」と声をかけた。
*
「ね、マッポーちゃん。リボンつけなよ。きっとかわいいよ」
「やめるマポ。マッポーちゃんはお前の着せ替え人形じゃねぇマポ」
「えーっ」
エーデルワイスは、人間形態になったマッポーちゃんを気に入っているようだった。毛玉のときは容赦なく蹴り飛ばしていたというのに。
ともあれ、また花々の咲き乱れる草原だ。
ここの花は……やけに青黒い。待ち受けているヒロインは、毒を扱うとかいうロベリアかもしれない。
血の魔物もそこらにいた。
だが、様子がおかしかった。
ふらふらしている。
ま、そんなことはおかまいナシに撃つのだが。
ヴァニラのサポートもあり、魔物がどこにいるかすべて把握できた。
後半になるにつれてアグレッシヴになるはずの血の魔物も、いまはなんらかの影響で行動を阻害されているようだった。俺たちにまで悪影響がなければいいが。
しばらく進むと、黒い繭に遭遇した。
月明りを直に受けているから、中に浮かぶシルエットもひときわハッキリ見えた。
それにしても、あまりに簡単だった。
敵を強くし過ぎると英雄が死ぬから、少年はあえてハードルをさげているのかもしれない。
死んだ人間からは人間性を搾り取れない。成功体験を与え、調子に乗らせ、万能感を与える。すると英雄は舞い上がって一線を超える。
純粋な人間ほど引っかかる。
パキラが溜め息をついた。
「英雄、ちょっとはあたしにもやらせてよ。このままじゃ、強さを証明する機会がないんだけど?」
「いまはまだ待っててくれ。そのうち暴れてもらう」
「どういう意味? もうすぐ葬送になっちゃわない? あたしをヒロインに選んでくれるの? それとも、別のヒロインを選んであたしと戦うつもり?」
「そのどちらでもない」
「なにそれ。もっとちゃんと教えてよ」
教えたいのはヤマヤマだが、この会話も神に聞かれている。
みんなで神器を破壊するなどと白状するわけにはいかない。きっと少年は、自分の肉体が狙われていると思い込んでいるはず。あの短剣も、そのための武器なのだと。
俺は銃を構え、繭に狙いを定めた。
ロベリア――。
いったいどんな妖精なのか。
タイガーリリーやパキラに次ぐ戦闘力を有しているという。イカレた性格をしている可能性がある。警戒しなくては。
いや、タイガーリリーは強いのに性格もいいから、パキラだけが異常なのかもしれない。
銃声が鳴り響き、繭に穴があいた。
パキラは「あはは」と笑っている。
「いいねぇ。女に手を出さないから、てっきりモラリストでも気取ってるのかと思ったけど。こんな乱暴に繭を破るなんて。モラルの欠片もないね。こういうの、嫌いじゃないよ」
別に楽しんでるわけじゃない。
どうやって開けるのか知らないだけだ。
繭からあふれた水が、花々を潤してゆく。
幻想的な光景だ。
だがここには蝶もない。風もない。ただ無言の花々が、水に濡れているだけ。
マッポーちゃんがその場にしゃがみ込み、くんくんと鼻をならした。
「これ飲めるマポ?」
「やめなよ」
制止したエーデルワイスもさすがに真顔だ。
人の姿をしていても、やはり魔物は魔物なのか。
「あ、ちょっと」
服を着せていたタイガーリリーが、あわてたような声を出した。
振り向くと、ちょうどロベリアがこちらへ来るところだった。上はパーカーを着ている。だが、下にはなにもつけていなかった。ちゃんと隠れてはいるが……。なぜ履かない?
「会いたかったわ英雄! いますぐ永遠の愛を誓いましょう!」
ボサボサの黒髪の、目にクマのある小柄な女だ。
「いや、待ってくれ。下を履いてくれ」
俺がそう頼んでも、彼女は聞いていなかった。
「なんで? いますぐ愛し合うのよ! 服を着るのはそのあと!」
目が血走っている。
微塵も常識の通じる相手ではなかった。
かと思うと、ロベリアは急におとなしくなった。
棒立ちになっている。
いったいなにが……。
ヴァニラが溜め息をついた。
「事後報告で恐縮ですが、わたくしの判断で黙らせましたわ」
「あ、ありがとう。助かったよ」
いったいどんな幻覚を見せたのやら。
ロベリアはくるりと向きを変えると、タイガーリリーのところへ向かった。
「履きますから殺さないでください」
「殺さないよ、ロベリア」
じつはかなり恐れられているようだな。
俺はヴァニラに尋ねた。
「その幻覚は、神にも効くのかな?」
「幻覚を見せること自体は可能ですわ。ただ、論理的な思考をもった相手の場合、すぐに幻覚だと見破られますの」
まあそうだな。
落ちていたリンゴがもし理由もなく浮き上がったら、これは幻覚なのではと判断するだろう。ヴァニラの能力もすでに把握されている。
だが、いい兆候はある。
いま少年は、短剣のせいで体調を崩しているということだ。どんなに頭のいい人間でも、不調であればくだらないミスをするものだ。
「いざというときは頼りにしてるよ」
「ふふ。いざというときだけでなく、いつでも頼りになさってくださいな。英雄の頼みでしたら、どんな内容でも歓迎いたしますわ」
麗しい笑みだ。
彼女を見るたびヴィーナス像を思い出す。穏やかな表情だし、肉体も豊かだ。外見だけなら、妖精の中でも一番かもしれない。
あとで聞いた話では、巨人との戦いのとき、敵の精神に干渉して混乱を与えていたのだという。目に見えない戦いだし、こちらも必死だったから、ただウロチョロしているようにしか見えなかったが。
まあそもそも、巨人は始めからシマイまでずっと混乱していたから、さらに混乱させたところで効果が分かりづらかったというのもある。
しかし間違いなく有用な能力だ。
もし俺が射撃の名手なら、彼女にサポートを任せるだけでかなり戦力が高まるだろう。
*
バーに少年の姿はなかった。
あれが本体でないとはいえ、かなりのダメージを与えているようだ。当初の状況よりは、だいぶ有利に戦えるだろう。
「英雄、またスマホを見せて」
隣にエーデルワイスが来た。
なにか探し物か?
それとも俺のプライベートを探る気だろうか?
「いいけど、なに見たいんだ?」
「あの子供が映ってる写真。ちょっと気になることがあって」
「ちょっと待ってくれ」
彼女も少しは成長したらしい。
前は急に手を突っ込んできたからな。
俺はブックマークからサイトを表示して、彼女に見せた。ここは別世界だというのに、普通に電波が来ている。
エーデルワイスは髪をおさえながら画面を覗き込んだ。
魔法陣の上に少年が立っている。それだけの写真だ。
「これさ……。ここで撮られたものじゃない?」
「えっ?」
「この背景。私たちが召喚に使ってる部屋だよ」
「えっ?」
俺は間抜けな声を発することしかできなかった。
ここ、日本だったのか?
俺は「ちょっといいか?」とスマホを回収し、地図を表示した。
GPSの電波をとらえている。
東京だ。
「えーと、どういうことだ?」
「たぶん建物ごと箱の中にリンクさせたんだと思う。なんていうのかな、物理的な位置は人間界のままだけど、領域自体は箱の中っていうか」
よく分からんが、なぜそんなことをしたんだ?
ともあれ、それが事実だとすれば、店内には例の召喚術師の痕跡も残されているはず。少年が処分していなければ、だが。
*
俺たちは徹底的に店を探索した。
玄関から入るとまずバーがある。カウンターがあり、ソファがあり、キッチンがあり……。ドアを挟んでバックヤードにはトイレ、シャワールーム、そして召喚用の部屋。階段をあがると寝室。
意外と広い。
地下には貯蔵庫があることも判明した。ほとんど物置だ。オゾン臭もあったが、それより埃っぽいにおいが強かった。
少し探すと、すぐ日記を発見できた。
この店は、魔術をテーマとしたバーだったらしい。
オーナーは澁澤という男。
客を相手にするかたわら、趣味の魔術に没頭していたようだ。そして召喚術を繰り返し、意図せず少年を呼び出してしまった。
古い魔術書も山のように見つかった。
大半は日本語でさえない。
澁澤氏はかなりの博識だったらしい。
記録によれば、彼は少年の扱いに困っていた。
帰還させたいのに、そのための魔法陣が分からない。だから少年とともに試行錯誤を繰り返したようだ。
だがノートは、事の顛末を記していなかった。
きっとこの前後になにかあったのだろう。
少年は「勝手に死んだ」とか言っていたっけ。
寿命か、あるいは事故か。
「マッポーちゃんねみぃから寝るマポ……」
「あ、待って」
マッポーちゃんがふらふら出ていくと、エーデルワイスも行ってしまった。
タイガーリリーとパキラは上で飲んでいるから、貯蔵庫には俺とヴァニラ、そしてロベリアのみとなった。
召喚術に詳しい二人がいないのでは、これ以上の調査は難しそうだ。
ふと、ロベリアが直立不動になった。
かと思うと「寝なきゃ」と怯えた様子で行ってしまった。
あまりに不自然だ。
いや、ヴァニラが能力を使ったのだろう。
「あの子、幻覚にかかりやすいから好きよ」
「なにが目的だ?」
地下室に二人きり。
すぐ近くに、ましゅまろみたいな肌がある。
体が勝手に期待してしまう……。いやダメだ。ずっと我慢してきた。ゴールまであと一歩なのだ。いまさら妖精に手を出すなど。
ヴァニラは妖しい笑みを浮かべた。
「こういうことですわ」
「えっ?」
頭の中にイメージが飛んできた。
探知能力の共有だ。
エーデルワイス、マッポーちゃん、ロベリア、タイガーリリー、パキラ、それに俺の気配がある。あとは探知したヴァニラ本人。
だがそれ以外にも、かすかにだが、何者かの気配がこの貯蔵庫に存在していた。
誰だ?
帰ったはずの少年が、まだここに身を潜めているのか?
いや、彼の気配はこんなに微弱ではない。それに、いるなら堂々といるはずだ。
まさか椿……?
そんなはずはない。
もしそうなら、ヴァニラだってそう教えてくれるはず。
「だ、誰かいるのか?」
俺の問いに、そいつは答えなかった。
気配だけあるのに、姿が見えない。
ヴァニラは肩をすくめた。
「おそらく、例の召喚術師の残留思念ですわね。けど、ほぼ消えかけてますわ」
「どうにかして話せないのか?」
「ええ、ご自由に。わたくしが失せれば、すぐにでも」
「どういう……」
「きっと、あなたと二人きりで『秘密のお話』があるんですわ。ですので、わたくしは上に行っております。どうぞごゆっくり」
そう告げると、ヴァニラは躊躇なく行ってしまった。
薄暗い地下室にひとりは心細い……。
だが、ついに、会いたかった人物と会えるらしい。
怯えている場合じゃない。
さあ、召喚術師、話を聞かせてもらおうか。
(続く)




