休肝日
翌日、俺はバーへ顔を出した。
以前はウイスキーなんてほとんど飲まなかったのに、このところ毎日飲んでいる。相変わらず銘柄もなにも分からないまま。分かるのは、しばらく飲んでると酔うということだけ。
入店した俺は、まず、理解不能な光景を目にした。
タンクトップにレザーパンツのパキラが、隣にいる女児服の少女を責め立てていたのだ。まっしろのショートヘアをツインテールにした、タヌキのような顔の子だ。
いったい誰だろう?
見たことのない子だ。
「あんたね、あたしの努力を台無しにするつもり?」
「一方的にうるせぇマポ。こっちにもこっちの都合があるマポ」
「ホントに生意気なガキだね。じゃあいいよ。勝手にすれば?」
「はいはい、勝手にさせてもらうマポ。マッポーちゃんはお前の飼い猫じゃねぇマポ」
マッポーちゃん?
するとその少女は、スツールからおりてこちらへ駆け寄ってきた。
「衆生! 遅いマポ! こいつがマッポーちゃんをいじめるマポ! ぶっ殺して欲しいマポ!」
間違いない。
昨日まで毛玉のクリーチャーだったものだ。こんな語尾のヤツがこの世に複数いるはずがない。というか、いないで欲しい。
「マッポーちゃんか?」
「そうマポ! 見ての通り、人間に化けたマポ!」
くるりとスピンして見せた。
まあスピンされても分からないものは分からないが。
「そんな能力があったのか……」
だが、なぜいまその能力を使った?
エーデルワイスがうんざり顔で近づいてきた。
「この子、ヒロインになりたいんだって」
「……」
ヒロインに?
正気か?
いくら呪縛がなくなったとはいえ、ここで言う「ヒロイン」が、どれだけクソみたいな扱いを受けているか知っているはずなのに。
マッポーちゃんは誇らしげに胸を張った。
「衆生の交尾相手に立候補するマポ!」
「その見た目で危ない言葉を使うな。コンプラに引っかかるぞ」
実年齢は数百歳とかなのかもしれないが、もし見た目がアウトなら誰も許してはくれない。もう少し危機感をもって欲しい。
「コンプラってなにマポ?」
「ヘタすりゃ人間性を失うということだ。あー、とにかく、深刻な事件が起きてるんじゃないならそれでいい。いつものようにソファに座っていてくれ」
「分かったマポ!」
素直でよろしい。
今日もネコ用の缶詰を買ってきたのだが……。この姿で食うのだろうか。
カウンターの端に座っていたヴァニラが肩をすくめた。
「もし静かにして欲しいなら、いつでもおっしゃってくださいな。即座に片付けて見せますわ」
「いや結構。タイガーリリー、またケーキを買ってきたよ。悪いけどコーヒーをもらえるかな」
俺はムリにでも話題を変えた。
タイガーリリーは「かしこまりました」と笑顔で応じてくれた。心のビタミン剤だ。
ところでエーデルワイスは、なぜかきぐるみパジャマを着用していた。これはイヌだろうか?
「ね、英雄。これどう? かわいい?」
「かわいいよ」
「やっぱり! こないだタイガーリリーが『ワンころ』って呼ばれたの聞いて、ピンと来たの。イヌもアリなんじゃないかって」
ド外道かこいつ?
タイガーリリーは意外と気にしているぞ。
エーデルワイスは「ワンワン」などとじゃれついてくる。
無邪気なのも度が過ぎると、ナチュラルに人を傷つける。もしかしてこれがナチュ畜とかいうやつなのだろうか?
パキラは皮肉っぽ笑みを浮かべた。
「なあ、タイガーリリー。もし次の葬送でこいつを殺すなら、あたしは邪魔しないであげるよ。なんなら手伝ってもいいけど?」
「ありがとう。けど、そのときは一人でやるから心配しないで」
タイガーリリーは困惑した笑みだ。
ここはいつ来てもカオスだ。
ヒロインが増えるたびカオス度が増す。
まだ会えていないのは、毒を操るロベリア。葬送で生き残るタイプ。そして風を操るグロリオサ。こちらはヒロインとして生き残るタイプ。
この二名を加え、葬送の舞台で神器を破壊する。
だが、具体的にどうやる?
短剣を使うべきなのは分かる。
地面でも切りつければいいのだろうか?
あの残留思念は、細かいところまでは教えてくれなかった。
「なあ、マッポーちゃん。あの短剣は、どう使うのがいいんだ?」
「えっ? 短剣? 切る以外になにかあるマポ?」
「なにか魔法的な……」
「そんなものないマポ」
ないのか。
どうでもいいが、彼女は素手で缶詰を食っていた。スプーンを使うという発想はないのか……。
ふと、パキラが席を立った。かと思うと、なにやら格子状に組まれた布を手に戻ってきた。
「あのさ、これ……」
「うん?」
なんだろう?
変態が着用する紐か?
いや、それにしても、こんな紐ではまったくなにも隠せないだろう。あまりにレベルが高すぎる。
パキラは顔を赤らめ、目をキョロキョロさせた。
「作ったんだ。あげる」
「え、これを……俺に……?」
「そう言ってるでしょ。もしかしたら、もう出番ないかもしれないけど……」
俺が着るのか?
それとも自分が着用するつもりだと?
状況を察したらしいヴァニラが、やれやれとばかりに溜め息をついた。
「それ、おんぶ紐ですわ」
「おんぶ紐?」
「マッポーちゃんを背負うための紐です。巨人との戦いをパキラに教えたら、それがあったほうが便利だろうって」
「ああ、そういうことか」
あのときはマッポーちゃんを頭に乗せて戦った。意外と握力が強くて、髪が抜けるかと思ったが。ネコと違って、ちゃんとモノをつかめる手になっているようだった。
「ありがとう、パキラ。意外と器用なんだな」
「べ、べつに。あたしはあくまで、戦闘のことを考えて作っただけ。効率よく戦うなら必要になるでしょ」
「助かるよ」
なんだこの子、絶滅寸前のツンデレとかいうやつか?
彼女は席に戻ると、恥ずかしそうにそっぽ向いてしまった。
マッポーちゃんが人間形態のままなら、この紐には出番がないかもしれない。だが毛玉に戻ったら背負うことができる。
入店時に言い合いをしていたのは、もしかするとこの件かもしれない。
とはいえ、今後の予定は、通常の式典が二件のみ。
出番があるとしたら葬送だろう。
*
その後、コーヒーとケーキで時間を潰した。
今日はウイスキーはナシだ。ここへ来るたびアルコールを摂っていたら、きっと肝臓がどうにかなってしまう。休肝日が必要だ。
だがパキラは飲んだ。
しかも一人で飲めばいいのに、周りにも勧めだした。こういうとき相手になるのはタイガーリリーだ。
「ったくシケてるわね。あたしら妖精には、酒と男しか楽しみがないってのに。どっちもやらないでよく平気でいられるわね」
「酒と男以外に楽しみをつくったら?」
「ほかに? ま、あんたはいいわよね。『殺し』っていう立派な趣味があるんだから」
「傷つくなぁ」
昔からこの調子なのだろうか。
エーデルワイスはシャワーに行った。ヴァニラはうるさそうに一人で飲んでいる。
マッポーちゃんはソファで休憩中。人間の姿になってもやることに変わりはない。じっと座っているだけだ。
店の雰囲気はいいとは言えない。だが、最悪とも言えなかった。
少なくとも言い合いだけでは死者は出ない。ヒートアップすれば別だが。式典よりは安全だ。
この時間がずっと続けばいい。
そんな甘ったるい気分になった。
もし俺が死ねば、この光景は見られなくなる。
逆に、生きたまま終わらせても……。そのときも、なにも残らないかもしれない。ここと人間界の接続は切れるのだ。
どちらにせよ詰んでいる気がする。
俺にとって一番ダメージが少ないのは、ヒロインを殺して葬送を回避することだ。そうすれば最後の式典を済ませたあと、完全に自由になる。手元には十億の金が残る。
ま、このことは何度も考えた。
そしてやめたのだ。
俺は神器を破壊するため、きっと葬送を迎えることになるだろう。舞台は炎に包まれるという話だから、あまり時間をかけてもいられない。
完全な勝利、または完全な敗北しかない。
俺が死んでもノウハウは残るのだ。短剣も残る。もし今回がダメでも、きっと次の英雄がなんとかしてくれるだろう。
だが……。
そう考えると、過去の英雄たちは、見事になにも残してくれなかった。ここがなんなのかも調べず、少年の正体も不明のまま。ただ少年の指示に従い、銃をぶっ放し、女とヤり、人間性をすり減らして、最後はここから去っていった。
いや、それが普通なのかもしれない。
俺が神経質なだけなのだろう。だから細かいところをつついて回った。
きっとそれだけなのだ。
「なあ、みんな。問題が解決したら、どうするつもりだ? ここには残らないんだよな? というか、この空間が存在し続けるのかさえ分からないしな……」
俺はそう尋ねたが、返事はなかった。
顔を見合わせている。
パキラが「えーと」と頭をかいた。
「え、なに? ここ、なくなるの?」
「分からない」
「いや、なくならないでしょ。そう思ってるのあたしだけ? ちょっと、タイガーリリー。あんたはどう思うワケ?」
答えに困って、即座に他人に振った。
タイガーリリーも困惑顔だ。
「本気で考えたことなかった。けど、もしここにいられないんだとしたら、真剣に考えなくちゃいけないね。英雄が許してくれるなら、一緒に行きたいところだけど……」
するとパキラも「そのときはあたしも行くわ」と同調した。
仲がいいのやら悪いのやら。
だが、ヴァニラは冷静だった。
「人間界にわたくしたちの居場所がありますの? どうせいいように使われて捨てられるのがオチではなくて?」
「なに言ってんの、ヴァニラ。そんなの、先にこっちが捨ててやればいいんだよ」
パキラ……。
バーンとドアが開き、頭脳担当のエーデルワイスがタオル一枚で入ってきた。ろくに乾かしていないらしく、髪はびしょびしょだ。
「話はすべて聞かせてもらったわ! 私は英雄と結ばれる!」
まあ、いまはそう言うだろう。
だがここと違い、人間界には山ほど男がいる。きっと一人の男では満足できないだろう。
俺はつい溜め息をついた。
「妖精界には帰らないのか? 帰還用の魔法陣は習得したんだろ?」
「残念だけど、私の知識では下位の魔物しか扱えないの。もしそうでなきゃ、マッポーちゃんなんて呼び出してないから。あんまり私をいじめないでくれる?」
いじめたつもりはない。
マッポーちゃんだって、結果としてかなり役立っている。
だが、まあ、言わんとしていることは分かった。妖精の召喚はできないのだ。もしできるなら、とっくに仲間を集めているはずだ。
しかしそう考えると、人間界に少年を呼び出した召喚術師は、かなりの腕前だったことが分かる。もちろんマグレの可能性もあるが。
当のマッポーちゃんはあくびをしている。
なにがどうなろうとどうでもいいといった様子だ。
できれば俺も、これくらい余裕をもって生きたいものだ。
(続く)




