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オゾン、焦熱、愚行、葬送  作者: 不覚たん
英雄編

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22/54

現金

 バーに戻っても、頭がぼんやりしたままだった。

 俺は席にはつかず、ソファで横になり、ただ天井を見上げていた。


 少年は勝手に話をまとめて帰ってしまった。

 妖精たちも俺ほどショックを受けてはいなかった。もちろんそうだ。こんなこと、一度や二度じゃない。だから交代でシャワーを浴びて、そのうち寝室へ入ってしまった。

 マッポーちゃんもどこかへ行った。

 俺はずっと椿のことを考えている。


 ちっとも優しくしてやらなかったのに、あの子は俺のことを気にしてくれた。それが妖精の習性といえばそうなのかもしれないが。

 後悔だけが残った。

 ああしていれば、こうしていれば……。そんな考えが堂々巡りした。

 もちろん彼女が犠牲になってくれなかったら、俺は死んでいただろう。

 だが、もっと前の段階で手を打てていたなら……。


 脳内で何度もシミュレートしてみる。

 それでも救えない。

 俺か彼女のどちらかが死ぬ。

 こうして悩むことができるのは、彼女が俺に未来を託してくれたおかげだ。


 涙を流したい。

 それでぐっすり眠りたい。

 けれども喪失感で、心が乾いてしかたがなかった。


 いまだに信じられない。

 本当に?

 なぜ?

 目の前で起きたことだし、何度も事実であることを確認したのに。それでも受け入れられなかった。


 目をつむる。

 椿がそっと寄り添ってきた思い出だけがよみがえる。


 前回の英雄は、タイガーリリーをかばって死んだという。

 俺は理解できなかった。

 タイガーリリーは死んでも生き返る。そんな彼女を守るため、なぜ英雄が盾になるのかと。

 だが俺の理解は浅かった。

 感情が、損得を超えたのだ。

 彼女に助かって欲しかったのだ。


 もう気持ちがくじけた。

 そのうち治るかもしれないが、それがいつになるかは分からない。

 とりあえず眠りたい。

 早く朝になって欲しい。


 *


 俺の希望とは裏腹に、眠れないまま朝を迎えた。

 どうせ会社は休むと決めていたから、焦燥感はなかった。興奮もない。ただ、普通に眠れなかった。天井やソファを眺めているうちに時間が過ぎていた。


「おはよう」

 最初に顔を見せたのはタイガーリリーだった。

 俺も「おはよう」と返した。


 寝巻なのだろう、タンクトップとショートパンツという格好だった。

 彼女はそれ以上なにも言わず厨房に入ると、洗い場で水道を使い、コーヒーをいれ始めた。


 カウンターに背を向け、ぼうっと壁を見つめていると、コポコポと湯の沸く音が聞こえてきた。香ばしいにおいもする。

 本当に朝といった感じだ。


「眠れた?」

 彼女はカウンターを拭きながら、そう尋ねてきた。

 俺は「いや」とだけ応じた。

 もしかしたらタイガーリリーともお別れすることになるかもしれない。だからこんな態度を取るべきではないのだ。

 なのに、どうしても気力がわかなかった。


「アイリッシュコーヒーにしようかな」

 彼女はひとりでそんなことをつぶやいた。


 バーンとドアがひらいた。


「ごきげんよう! ヴァニラですわ!」

 ネグリジェのままのヴァニラが現れた。

 彼女はカウンターにつくなり、深々と溜め息をついた。

「なんですの? 朝からメソメソして辛気臭いですわね。いっそ幻覚でパーッと明るくして差し上げましょうか?」

「やめてくれ」

 俺は思わず返事をしてしまった。

 彼女は満面の笑みだ。

「あら、泣いてませんでしたのね。これは失礼」

「心で泣いてるんだよ」

「ふふ、面白い冗談も言えますのね。さすがはわたくしの英雄ですわ」

 皮肉にしか聞こえない。

 だが、きっと元気づけようとしているのだろう。


 俺は身を起こし、ゆっくりと呼吸をした。

「なんだか、一人で落ち込んでるのがバカらしくなってきたな……」

「その通り。わたくしたち妖精は、死んだところでまた生き返るのです。英雄を守るために命を使ったのですから、まあまあいい死に方だったと思いますわ」

「本当なら俺が守らなきゃならなかった」

「なぜですの? 女だから、男が守るべきだと? あなた、死んだあと生き返れますの? もしそうなら、ぜひ盾になっていただきたいものですが……。できないのであれば、わたくしたちに任せたほうがよろしいのではなくて?」

 そうかもしれない。

 俺はなにか、誰にも求められていないのに、自分で決めたルールを守り過ぎている気がする。まあそれがいいように働くこともあるのだが。そうでない場合には、修正したっていい。


 ヴァニラは差し出されたコーヒーをすすり、顔をしかめた。

「あっついですわ……」

「熱いから気をつけて」

「先にお言いなさいな! 本当にあなたって人は……」

 これにはタイガーリリーもあきれ顔だ。


 ヴァニラはカップを置き、こう言葉を続けた。

「もちろん死はつらいもの。生き返れるからといって、決して簡単なことではありませんわ。ただ、心の底から許しがたい死に方と、そうでもない死に方があって……。椿のは、後者だったと思いますわ」

 そういう言い方をされると、前者がどういうものか気になってしまう。だが聞いていいものだろうか……。


 すると察してくれたのか、タイガーリリーがこう補足した。

「一番つらいのは、英雄に後ろから撃たれることかな」

「あれは本当に腹が立ちますわ! さんざん尽くしてきたのに、邪魔になったらいきなりですもの! いくらルールの都合とはいえ、あんまりですわ!」

「けど、あなたのおかげで、もうそれもなくなった」

 タイガーリリーは笑顔を見せてくれた。


 そうだ。

 呪縛は解かれた。

 今回だけじゃない。

 妖精たちは、もう二度と、みずからの意思に反して英雄と戦うことはないのだ。


 ヴァニラもふっと笑みを浮かべた。

「そう。ですから胸を張ってくださいな。あなたは本当の意味での英雄ですわ」

 得たものは大きい。

 そう考えると、少しは心が軽くなった気がした。

 もちろん葬送が廃止されたわけではないから、結局は一人しか生き残れないのだが。


 タイガーリリーは肩をすくめた。

「ところで、お寝坊さんはどうしてるのかな?」

「自分のペットにしがみついてゴロゴロしてますわ。あの子、意外と繊細でしたのね」

「純粋なのさ」

 ライバルではあるが、仲間でもあるのだろう。

 少なくとも、盗んだ果実をパイにして一緒に食べる仲ではあるのだ。


 *


 エーデルワイスが姿を現したのは、昼になる少し前だった。

 園児服のまま寝たらしく、マッポーちゃんを強く抱きしめながら部屋に入ってきた。

「人間、いたのね……」

「ああ。帰る気になれなくてな」

「なら私と一緒に寝て欲しかった」

 マッポーちゃんは用済みとばかりに床に捨てられた。

「おいこら痛ぇマポ……」

 ネコなのにうまく着地できず、背中から落ちた。いや、やはりネコではないのかもしれない。亀のように短い手足をぶんぶんやって、なんとかひっくり返った。


 タイガーリリーが声をかけた。

「なにか飲む?」

「ホットミルクがいいな」

「用意するから座って」

「大好きよ、タイガーリリー」

 この二人は仲がよさそうだ。

 いや、思い返せば仲がいいどころではなかったな。


 すでにタイガーリリーもヴァニラも私服に着替えている。

 昨日の格好のままなのは、スーツ姿の俺と、園児服のエーデルワイスだけ。

 あまりにも怠惰だ。


 ヴァニラはけだるげにソファで横になったまま、マッポーちゃんを見つめた。

「ところでずっと気になっていたのですが、この毛玉はなんですの?」

「私が召喚したの」

「魔物? ずいぶんぶちゃいくですわね」


 すると、床で丸くなっていたマッポーちゃんから反論が飛んだ。

「うるせーマポ。マッポーちゃんにはマッポーちゃんのよさがあるマポ。乳デカ女は自分の容姿に満足してるなら、弱者を攻撃してないで、生んでくれた親に感謝しろマポ」

 なんだか、とてもまともなことを言っている気がする。


 ヴァニラも争う気をなくしたらしい。

「あら、ごめんなさい。あなたの言う通り。わたくしが愚かでしたわ。許してくださる?」

「分かればいいマポ」

 だがマッポーちゃんも、ネコだと思えば愛嬌があっていい。

 喋らなければ。

 いまだにこの語尾には慣れないが……。


 *


 みんなのおかげで気が紛れた。

 椿は生き返るのだ。

 次に彼女が繭からかえったとき、少しでも生きやすい環境にしておきたい。それがいまの俺にできることだ。

 せっかくつないでくれた命を、ムダにするわけにはいかない。


 帰路、コンビニに立ち寄り、金をおろした。

 残高が十億を超えていた。

 そしてこのとき、まさに現金な話だが、一気にテンションが盛り返した。

「もう会社に行く必要ないのでは……」

 こんなことで気分が回復するとは思わなかった。

 俺も立派な凡人ということだ。

 というか、本当に十億くれるとは。個人の口座にいきなりこれだけ振り込まれたら、税務署に目を付けられそうだが……。まあその辺は神がうまいことやってくれていると信じるしかない。

 信じるものは救われる、と、誰かも言っていた。


 次にバーに行くときは、みんなにもなにか買っていくとしよう。そもそも俺が一人で手に入れた金ではない。


(続く)

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