現金
バーに戻っても、頭がぼんやりしたままだった。
俺は席にはつかず、ソファで横になり、ただ天井を見上げていた。
少年は勝手に話をまとめて帰ってしまった。
妖精たちも俺ほどショックを受けてはいなかった。もちろんそうだ。こんなこと、一度や二度じゃない。だから交代でシャワーを浴びて、そのうち寝室へ入ってしまった。
マッポーちゃんもどこかへ行った。
俺はずっと椿のことを考えている。
ちっとも優しくしてやらなかったのに、あの子は俺のことを気にしてくれた。それが妖精の習性といえばそうなのかもしれないが。
後悔だけが残った。
ああしていれば、こうしていれば……。そんな考えが堂々巡りした。
もちろん彼女が犠牲になってくれなかったら、俺は死んでいただろう。
だが、もっと前の段階で手を打てていたなら……。
脳内で何度もシミュレートしてみる。
それでも救えない。
俺か彼女のどちらかが死ぬ。
こうして悩むことができるのは、彼女が俺に未来を託してくれたおかげだ。
涙を流したい。
それでぐっすり眠りたい。
けれども喪失感で、心が乾いてしかたがなかった。
いまだに信じられない。
本当に?
なぜ?
目の前で起きたことだし、何度も事実であることを確認したのに。それでも受け入れられなかった。
目をつむる。
椿がそっと寄り添ってきた思い出だけがよみがえる。
前回の英雄は、タイガーリリーをかばって死んだという。
俺は理解できなかった。
タイガーリリーは死んでも生き返る。そんな彼女を守るため、なぜ英雄が盾になるのかと。
だが俺の理解は浅かった。
感情が、損得を超えたのだ。
彼女に助かって欲しかったのだ。
もう気持ちがくじけた。
そのうち治るかもしれないが、それがいつになるかは分からない。
とりあえず眠りたい。
早く朝になって欲しい。
*
俺の希望とは裏腹に、眠れないまま朝を迎えた。
どうせ会社は休むと決めていたから、焦燥感はなかった。興奮もない。ただ、普通に眠れなかった。天井やソファを眺めているうちに時間が過ぎていた。
「おはよう」
最初に顔を見せたのはタイガーリリーだった。
俺も「おはよう」と返した。
寝巻なのだろう、タンクトップとショートパンツという格好だった。
彼女はそれ以上なにも言わず厨房に入ると、洗い場で水道を使い、コーヒーをいれ始めた。
カウンターに背を向け、ぼうっと壁を見つめていると、コポコポと湯の沸く音が聞こえてきた。香ばしいにおいもする。
本当に朝といった感じだ。
「眠れた?」
彼女はカウンターを拭きながら、そう尋ねてきた。
俺は「いや」とだけ応じた。
もしかしたらタイガーリリーともお別れすることになるかもしれない。だからこんな態度を取るべきではないのだ。
なのに、どうしても気力がわかなかった。
「アイリッシュコーヒーにしようかな」
彼女はひとりでそんなことをつぶやいた。
バーンとドアがひらいた。
「ごきげんよう! ヴァニラですわ!」
ネグリジェのままのヴァニラが現れた。
彼女はカウンターにつくなり、深々と溜め息をついた。
「なんですの? 朝からメソメソして辛気臭いですわね。いっそ幻覚でパーッと明るくして差し上げましょうか?」
「やめてくれ」
俺は思わず返事をしてしまった。
彼女は満面の笑みだ。
「あら、泣いてませんでしたのね。これは失礼」
「心で泣いてるんだよ」
「ふふ、面白い冗談も言えますのね。さすがはわたくしの英雄ですわ」
皮肉にしか聞こえない。
だが、きっと元気づけようとしているのだろう。
俺は身を起こし、ゆっくりと呼吸をした。
「なんだか、一人で落ち込んでるのがバカらしくなってきたな……」
「その通り。わたくしたち妖精は、死んだところでまた生き返るのです。英雄を守るために命を使ったのですから、まあまあいい死に方だったと思いますわ」
「本当なら俺が守らなきゃならなかった」
「なぜですの? 女だから、男が守るべきだと? あなた、死んだあと生き返れますの? もしそうなら、ぜひ盾になっていただきたいものですが……。できないのであれば、わたくしたちに任せたほうがよろしいのではなくて?」
そうかもしれない。
俺はなにか、誰にも求められていないのに、自分で決めたルールを守り過ぎている気がする。まあそれがいいように働くこともあるのだが。そうでない場合には、修正したっていい。
ヴァニラは差し出されたコーヒーをすすり、顔をしかめた。
「あっついですわ……」
「熱いから気をつけて」
「先にお言いなさいな! 本当にあなたって人は……」
これにはタイガーリリーもあきれ顔だ。
ヴァニラはカップを置き、こう言葉を続けた。
「もちろん死はつらいもの。生き返れるからといって、決して簡単なことではありませんわ。ただ、心の底から許しがたい死に方と、そうでもない死に方があって……。椿のは、後者だったと思いますわ」
そういう言い方をされると、前者がどういうものか気になってしまう。だが聞いていいものだろうか……。
すると察してくれたのか、タイガーリリーがこう補足した。
「一番つらいのは、英雄に後ろから撃たれることかな」
「あれは本当に腹が立ちますわ! さんざん尽くしてきたのに、邪魔になったらいきなりですもの! いくらルールの都合とはいえ、あんまりですわ!」
「けど、あなたのおかげで、もうそれもなくなった」
タイガーリリーは笑顔を見せてくれた。
そうだ。
呪縛は解かれた。
今回だけじゃない。
妖精たちは、もう二度と、みずからの意思に反して英雄と戦うことはないのだ。
ヴァニラもふっと笑みを浮かべた。
「そう。ですから胸を張ってくださいな。あなたは本当の意味での英雄ですわ」
得たものは大きい。
そう考えると、少しは心が軽くなった気がした。
もちろん葬送が廃止されたわけではないから、結局は一人しか生き残れないのだが。
タイガーリリーは肩をすくめた。
「ところで、お寝坊さんはどうしてるのかな?」
「自分のペットにしがみついてゴロゴロしてますわ。あの子、意外と繊細でしたのね」
「純粋なのさ」
ライバルではあるが、仲間でもあるのだろう。
少なくとも、盗んだ果実をパイにして一緒に食べる仲ではあるのだ。
*
エーデルワイスが姿を現したのは、昼になる少し前だった。
園児服のまま寝たらしく、マッポーちゃんを強く抱きしめながら部屋に入ってきた。
「人間、いたのね……」
「ああ。帰る気になれなくてな」
「なら私と一緒に寝て欲しかった」
マッポーちゃんは用済みとばかりに床に捨てられた。
「おいこら痛ぇマポ……」
ネコなのにうまく着地できず、背中から落ちた。いや、やはりネコではないのかもしれない。亀のように短い手足をぶんぶんやって、なんとかひっくり返った。
タイガーリリーが声をかけた。
「なにか飲む?」
「ホットミルクがいいな」
「用意するから座って」
「大好きよ、タイガーリリー」
この二人は仲がよさそうだ。
いや、思い返せば仲がいいどころではなかったな。
すでにタイガーリリーもヴァニラも私服に着替えている。
昨日の格好のままなのは、スーツ姿の俺と、園児服のエーデルワイスだけ。
あまりにも怠惰だ。
ヴァニラはけだるげにソファで横になったまま、マッポーちゃんを見つめた。
「ところでずっと気になっていたのですが、この毛玉はなんですの?」
「私が召喚したの」
「魔物? ずいぶんぶちゃいくですわね」
すると、床で丸くなっていたマッポーちゃんから反論が飛んだ。
「うるせーマポ。マッポーちゃんにはマッポーちゃんのよさがあるマポ。乳デカ女は自分の容姿に満足してるなら、弱者を攻撃してないで、生んでくれた親に感謝しろマポ」
なんだか、とてもまともなことを言っている気がする。
ヴァニラも争う気をなくしたらしい。
「あら、ごめんなさい。あなたの言う通り。わたくしが愚かでしたわ。許してくださる?」
「分かればいいマポ」
だがマッポーちゃんも、ネコだと思えば愛嬌があっていい。
喋らなければ。
いまだにこの語尾には慣れないが……。
*
みんなのおかげで気が紛れた。
椿は生き返るのだ。
次に彼女が繭からかえったとき、少しでも生きやすい環境にしておきたい。それがいまの俺にできることだ。
せっかくつないでくれた命を、ムダにするわけにはいかない。
帰路、コンビニに立ち寄り、金をおろした。
残高が十億を超えていた。
そしてこのとき、まさに現金な話だが、一気にテンションが盛り返した。
「もう会社に行く必要ないのでは……」
こんなことで気分が回復するとは思わなかった。
俺も立派な凡人ということだ。
というか、本当に十億くれるとは。個人の口座にいきなりこれだけ振り込まれたら、税務署に目を付けられそうだが……。まあその辺は神がうまいことやってくれていると信じるしかない。
信じるものは救われる、と、誰かも言っていた。
次にバーに行くときは、みんなにもなにか買っていくとしよう。そもそも俺が一人で手に入れた金ではない。
(続く)




