Kill The Creature
エーデルワイスが戻ってきた。
「服、あったわ」
「……」
服?
たしかに全裸ではない。
だがその布面積の異様に少ない紐状のもの――マイクロビキニを、俺たち人類は服と呼んでいいのだろうか?
やせ型に見えたが、肌に紐が食い込んでいるところから察するに、意外と肉付きがいいのかもしれない。
いや、そういう問題ではないのだ。
俺は溜め息を噛み殺し、神を自称する少年に尋ねた。
「あれはあんたの趣味か?」
彼はしかし無表情だった。
「言ったはずだよ。君の願いを叶えると」
「俺? 俺があの格好を望んだってのか? いやまあ望まないと言えば嘘になるが……」
「僕はああいったものに価値をつけないことにしているんだ。だから、いいか悪いかは君の判断に委ねる。イヤなら次までに違うのを用意しておくよ」
「それがいい。俺は女性をはずかしめたいわけじゃない。少なくともパブリックな場所ではな」
だがエーデルワイスは勝ち誇った笑みを浮かべ、絹糸のような髪を指先でもてあそんで見せた。
「なに? 目のやり場に困ってるの?」
「そう振る舞うのがマナーなんだよ」
「でも私、人間じゃないわ。人権もない。あなたの機嫌を損ねたら殺されてしまう哀れな存在なの。もっと横柄に振る舞っていいわ」
どういうオーダーなんだ。
理解に苦しむ。
俺は今度こそ盛大な溜め息をついた。
「横柄、ね……。それは君が敵になったときのためにとっておくとしよう」
さすがに彼女も眉をひそめた。
「私が敵? つまり、ほかの女を選ぶかもってこと? この私を差し置いて?」
「そうだ。この先、もっといい女と出会うかもしれないからな。あんたはただのキープ女ってことだ」
本心ではないが、これくらい言わないと釣り合わない気がした。
どうやら彼女は、まともな思考を持っていないようだから。
エーデルワイスは肩をすくめた。
「楽しむだけ楽しんで捨てるならともかく、楽しんでもないのにそんなこと言うわけ?」
「やめてくれ。情が移ったら殺せなくなるだろ」
「けど、それが目的だもの」
「とにかくそれ以上近づくな。適切なディスタンスを守ってくれ。ルールを守れないようなら、俺の心証を損ねるぞ」
「めんどくさ……」
たったいま生まれたにしては、やけに目的がハッキリしている。
おそらく過去に何度も似たようなことを繰り返してきたのだろう。ご自慢の美貌で人間たちをコントロールしてきたのだ。
俺は目の前のニンジンにつられたりしない。なぜニンジンがつられているのかを、まずは考えるべきだ。
「なあ、神さま。この話は、俺にとってあまりに都合がよすぎる。なにかオチがあるんじゃないのか?」
退屈な人生だった。
ある日、神を自称する少年が現れて、銃をくれた。
血の魔物とかいう弱すぎる敵が用意されていた。
ゴールには美女。
なにもかもができすぎている。
神は口を半開きにしたまま、こちらを見た。
「またその話?」
「大事なことなんだ」
「僕は君の願いを叶えると言ったよね?」
「代償はなんだ?」
先にすべての情報を開示させてやる。あとから「じつはこうでした」とか許さんからな。「聞かれなかったから答えなかっただけ」もナシだ。全部聞く。
少年はかすかに笑みを浮かべた。なかばあきれた笑みだった。
「代償? 人間性だよ」
「人間性?」
「この戦いを続けた人間は、最終的に『怪物』になるんだ。けど強制はしないよ。いつでも好きなときにやめていい」
余裕の態度だ。
もしやめれば、俺は退屈な日常へ逆戻り。だからこいつは、どうせやめられっこないと踏んでいる。シャクにさわる話だ。
「怪物になった人間は、その後どうなる?」
「別の英雄に倒される」
「てことは、俺が初めてじゃないよな? 過去に何度も繰り返されてきたんだよな? 途中でやめた人間はいないのか?」
「いるよ。けど、ほとんどいない。いったんやめても、みんなすぐに戻ってくる。誰しも、英雄になるという行為をやめられない」
クソみたいな物言いだ。
「ひとつ訂正してくれ。なるのは英雄じゃない。怪物だ」
「どちらでもいいよ。僕にとっては同じことだから」
これが本当に神の言葉なのか?
俺はチラとエーデルワイスを見た。月に照らされた廃ビルに立つマイクロビキニの女。しかも両手を頭の後ろに回し、謎のセクシーポーズをキメている。絵になるが、空気は読めていない。
自称神に尋ねた。
「このあと彼女は俺の家まで来るのか?」
「残念だけど、そうはならない。僕の支配下に残る。君が彼女に会えるのは、僕の領域にいる間だけ」
「領域?」
「ここは現実世界には存在しない場所なんだ」
「あんたが作ったのか? さしあたり、人間が英雄ごっこをするためのアスレチック場ってところだな」
そう揶揄すると、彼はやや心外そうに表情を曇らせた。
「本当に、僕がそのためだけにここを作ったと思うのかな?」
「あ、いや……。まあ、手持ちの情報で考えるとそうなるというか……」
哀しませてしまった気がして、つい取り乱してしまった。
いまのところなにも強制されていないし、彼は質問に答えてくれている。
当初、彼が言った言葉はよくおぼえている。
「特別なことがしたい?」
「ならこの銃をあげる」
「悪いやつを殺してくるといい」
「きっと英雄になれる」
「ああ、もちろんヒロインも必要だね」
俺は空を見上げた。
数えきれないほどの星が輝いている。
だがここが実在しない場所だというのなら、どれも偽物の星だ。
「神さま、なぜ俺を選んだんだ?」
返事がすぐにこなかったから、俺は不安になって少年のほうを見た。
彼は優しい顔で、まっすぐにこちらを見つめていた。
「人間だったから」
「人間? それに該当するヤツは、この星に何十億といる」
「けれどもほとんどの人間は、抜け殻みたいに生きているよね。君は道を歩いているときでさえ、人間であろうとしている」
「意味が分からない」
「人の流れを把握して、ぶつからないよう動いているとか、そういう細かいことでいいんだ。だって大半の人間は、そんなことさえ放棄しているんだから。そんな彼らから人間性を奪うのは……あまり楽しい行為じゃない」
おっと、いまなんて言った?
楽しい行為?
「つまりあんたは、至極まっとうに生きてる人間をここに呼んで、楽しみとして人間性を奪っているわけか?」
「そう。まあ正確には、奪うことを楽しんでるわけじゃなく、集めることを楽しんでるわけだけど。君にとってはどちらでも同じことでしょ?」
「どうだろうな」
「イヤなら自由にやめる権利がある」
「その言葉も、やめないと分かってるヤツが言うと、嫌味にしかならないけどな」
「あはは」
ごまかすような笑み。
愛嬌だけはある。
これとて人間を油断させるための手段かもしれない。
無害そうな少年の姿だって、本当の姿かどうか。
俺は立ち上がり、銃のグリップを向けて少年に差し出した。
「ひとまず今日は帰るよ」
「そう? エーデルワイスと仲良くするなら、少し待つけど」
「余計なお世話だ。やめづらくなる」
「賢明だね。それともヤセ我慢かな? 君の人間性を奪うのは難しそうだ」
「ふん」
俺は銃を押し付けて、階段をおりていった。
人の人間性を奪おうなど、悪魔の所業に違いない。
命と同じくらい重要なものを、みすみすくれてやるつもりはない。
*
だが数日後、俺は少年のもとを訪れていた。
誰が所有しているかも分からない雑居ビルの、閉店したバー。カウンター席に少年と女が座っていた。もちろんマスターなどいない。
いや、だが……代わりに、よく分からないものが床に転がっている。
「やっと来たのね、私の英雄。見て。神界からマスコットを召喚したわ。マッポーちゃんよ」
エーデルワイスはそんなことを言った。
いや、マスコットもマスコットだが……。なぜ彼女はレースクイーンの格好をしている? マイクロビキニより布面積が増えたはずなのに、際どさが増している。スカートが短すぎる。
そして床へ目を向けると、へちゃむくれたネコのような、小さな角の生えたもふもふのクリーチャーが、無気力に横たわっていた。
俺のほうを見ているが、特になにも言ってこない。
すると次の瞬間、エーデルワイスの足がスイングし、ブーツの先端がマッポーちゃんの顔面に叩き込まれた。
「まぽっ」
「マッポーちゃん、私の英雄にご挨拶は?」
こいつ、サディストか……。
毛玉動物は壁に叩きつけられたあと、バウンドしてもとの位置へ戻った。
「なにするマポ! 閻魔大王に訴えるマポ!」
「下級魔族の分際で生意気なこと言わないで。ほら、私の英雄に自己紹介するのよ」
人の品性を下劣だとか言っていた口で「私の英雄」とは。
さすがにクリーチャーが気の毒だ。
マッポーちゃんは大儀そうにこちらを見た。
「はぁ? こんな最底辺の衆生が英雄マポ? ヘソでティーがボイルするマポ!」
「私の話、聞いてた? 次はかかとで踏みつけるけど?」
「あーウソウソ! いまのなしマポ! マッポーちゃんはマッポーちゃんマポ! とてもかわいいから優しく扱うマポ!」
優しくもなにも、そもそもどうとも扱いたくない。
俺はエーデルワイスに尋ねた。
「なぜこんなのを召喚したんだ?」
「だって、マスコットがいたらなごむでしょ?」
いちおう笑みを浮かべてはいるが、彼女はあきらかに焦っていた。
「もっとまともなのはいなかったのか?」
「わ、私もチェンジしたかったんだけど、送り返せなくて……。待って! 早まらないで! こいつが気に食わないなら、銃で撃ち殺してくれればいいから!」
「君こそ早まるな。撃つつもりはない」
自分が助かりたいばかりに、他者の命を差し出すとは。
模範的な小者ムーブだな。
「このクリーチャーは無害なんだよな? 俺の人間性を奪ったりしないよな?」
「もちろんよ! もしそんなことするヤツがいたら、私がぶん殴ってやるわ!」
彼女は急にシャドーボクシングのマネをした。
かわいいが、アホだ。間違いなく。
俺の人間性を奪おうとしてるヤツは、すぐそばに座っている。ためしにそいつをぶん殴ってみて欲しいものだ。
俺もカウンター席に腰をおろした。
「そういうわけだ、神さま。意志の弱い人間が、あんたの思惑通り英雄ごっこに来た」
「皮肉を言わないでよ。僕のことが嫌いなの?」
媚びるような顔を見せる。
つい動揺してしまうが、ここで乗せられたらすべてを奪われてしまう。
「嫌いじゃない。だが好きでもない。あんたはただの受付係だ。すべて事務的に処理してくれ」
「傷ついちゃうな」
「こっちはもっと傷ついてるかもしれないぜ」
だがこれは皮肉じゃない。
少なくとも自分の愚かさにあきれてはいる。
「はい、銃だよ。裏口から出ると屋敷がある。奥を目指して」
少年はカウンターに銃とマガジンを置いた。
俺は銃にマガジンを突っ込んでスライドを引く。オートマチックのダブルアクション。安全装置はない。
さあ、英雄譚の始まりだ。
二人目のヒロインが俺を待っている。
(続く)




