箱
バーへ戻ると、少年が留守番していた。だいぶ苦しそうだったから、とっくに帰っていると思ったのに。
こちらを凝視しているところを見ると、どうやら話しておきたいことでもあるようだ。
「着替えてきますわ」
ヴァニラはそう告げて別室に入った。
マッポーちゃんはソファ、タイガーリリーはカウンター、他の面々もそれぞれの場所を見つけて腰を落ち着けた。
俺は少年の隣に座った。
「ほら、銃だ。今日は一発も撃たずに済んだ」
「なにがあったのか教えて欲しい」
よほどあの短剣が苦手なのか、ひとつも余裕がなさそうだ。
「なにって? 謎の妨害にもめげず、無事にヒロインを見つけ出してきたんだ。そんな顔しないで歓迎してくれよ」
「ウソだ。きっとなにかあった。みんな急におかしくなって……」
「あそこはあんたの領域だ。俺ごときに小細工できるわけないだろ?」
「だからこそ分からないんだ」
殺された同族の残留思念みたいなものだろう。いや、プログラムと言い換えたほうがいいか。彼らには、死してなお成し遂げたいことがあったのだ。
タイガーリリーがウイスキーを出してくれたが、俺はすぐには口をつけなかった。酒が入れば、口を滑らせる可能性がある。
少年は血走った目でこちらを見つめてきた。
「頼むから教えて欲しい。不安なんだ。僕は神で、あそこも僕の領域なのに、僕の知らないことが起きてる。こんなことはありえない」
「むしろこっちが教えて欲しいくらいだ。あんたに分からないことは、俺にも分からないよ」
「……」
だがある程度の推測はしているだろう。
あの幻覚はヴァニラの仕業かのように見せかけられているが、しかしスペックにそぐわない現象だ。少年も第三者の干渉を疑っているはず。そしてその「第三者」が何者なのかつかめていない。
少年はうなだれたまま、席を立った。
「僕はもう帰るよ」
「帰るって、どこに?」
「僕だけの世界だ……」
人の世ではなく、故郷でもなく、別の世界に自分の場所を作っているのか。
ひとりだけの世界。
孤独はつらいが、それ以上につらいことがある場合、孤独のほうがまだマシということになるのだろう。
少年は裏口のドアから姿を消した。
便利なドアだ。
彼の都合でどこへでもつながる。
あるいは神器とやらの力だろうか。
壁によりかかってウイスキーを飲んでいたタイガーリリーが、いきなり吹き出しそうになった。
彼女の視線の先にいたのはヴァニラ。
なぜか女児服……。
上着はありあまる胸部に引っ張られ、破裂しそうになっている。腹も丸出し。それにスカートも意味をなさないくらい小さい。
エーデルワイスが眉をひそめた。
「それ私の服っ!」
「これしかありませんでしたの」
「ウソつくな! もっといっぱいあったでしょ! この変態!」
お前が言うな。
だが、たしかにひどい。
服が限界を迎えている。
顔立ちだけは高貴だが、首から下はその逆。品性の欠片もない。それだけに、下腹部が落ち着かない気分になった。これは際どい……。
彼女はソファに腰をおろし、肉付きのいい足を組んだ。
「タイガーリリー、わたくしにふさわしいお酒をいただける?」
「お金はあるのかな?」
「そこの英雄がおごってくださるわ」
「少々お待ちを」
このムチャクチャな要求に、タイガーリリーは応じてしまった。
なぜ俺がおごらねばならんのだ……。
とはいえ、俺はまだこの店に一円も落としていない。毎回タダ酒だ。おそらく神の所有物なのに。きっと死後は地獄に行くことだろう。
そういえば十億はどうなったのだろうか。権利はあるはずなのだが。あとで少年に聞いてみるとしよう。まさか神が詐欺を働くということはあるまい。
エーデルワイスがヴァニラと言い合いを始めると、その隙に椿が俺のとなりへ来た。
「お兄さま、とてもお疲れですね。このあと、お背中をお流ししましょうか?」
「いや、いい。気をつかわないでくれ」
つぶらな瞳で見つめてくる。
もし一緒に風呂に入ろうものなら、間違いなく歯止めが効かなくなる。
誰か一人を選び、残りを殺さねばならないのだ。
もし殺さずに葬送を迎えてしまえば、全員が敵になる。
一番の強敵はタイガーリリー。あるいはヴァニラ。次いで椿。安全なのはエーデルワイス。
だが、敵対してもいない相手を、俺は殺せるだろうか?
アマかった。
ハナから先送りなどせず、ヒロインを一人に絞っておけばよかったのだ。先送りにするから負担が増す。
そしてこういうとき、最善の手は限られている。
人間は過去には戻れない。そして過去にもっとも近いのは「いま」だ。後悔したくないなら、いま動くのが最適。時間をかければかけるほど不利になる。
俺はウイスキーを一口あおり、溜め息をついた。
あきらかに酒で気を紛らわせようとしている。
健全な対処法じゃない。
分かってはいても、ほかになにも思いつかなかった。酒というのは、人類にかけられた呪いなのかもしれない。
ともあれ、考えるのだ。
なにかいい手があるはず。
あって欲しい。
状況を変えたい。根本的な対処が必要だ。
ふと、ウイスキーのグラスがさげられて、代わりに水が提供された。
「やっぱり変だね、英雄。どうかしたの?」
タイガーリリーだ。
「今後の戦いについて、ちょっと」
すると彼女は困ったような、それでいて慈しむような笑みを浮かべた。
「過去にも、そういう顔をした英雄を見たことがあるよ。みんな同じことで悩んでた」
「……」
そうだ。
ヒロインの処遇について悩むのは、俺が初めてじゃない。
彼女たちは何度もそういう場面に立ち会ってきたし、そのたび傷ついてもきた。
俺はグラスの水を飲み干した。
「悪いな。けど……」
「いいよ。少なくとも私は、あなたの判断を責めたりしない。そこまで悩むってことは、私たちのことを考えてくれてるってことだから」
「ありがとう」
情けない気持ちになった。
利己的な自分は好きじゃない。
だが、余裕がなければ、そうも言っていられない。
いかに醜かろうと、見苦しかろうと、それでも生きるのが生命というものだ。
しかし俺は、「だから醜くくても生きるべし」などと結論しない。「だからこそ人間には余裕が必要だ」と強く思う。
余裕を生む方向へ舵を切るのだ。
そのための知力も暴力も十分とは言いがたいが……。
いや、まだ完全に追い詰められたわけじゃない。
神は言った。
狩猟の式典を予定している、と。
新たなヒントが手に入るかもしれない。
思いつめるのは、そのあとでいい。
葬送までは、通常の式典が三回、狩猟の式典が一回。
計四ヵ月ある。
仲間は増える一方だ。もちろん同じだけ負担も増えるわけだが、いまは考えなくていい。
攻勢に出ているのは俺たちだ。
「エーデルワイス、召喚術を使えば、死んだ人間とも会話できるのか?」
俺がそう尋ねると、エーデルワイスがきょとんとした顔でこちらを見た。
「え、ムリだけど……」
「だが過去の出来事を知ることはできるよな?」
「精霊のこと? うん、まあ。漠然とだけどね。なにか聞きたいことでもあるの?」
「このバーで試してみてくれないか? なにか情報が手に入るかも」
そう。
俺たちは基本的な確認をしていなかった。
妖精は神の領域から出られない。そしてこのバーは神の領域だ。すでに人の世ではない。なにかあるだろう。
エーデルワイスはフッと笑みを浮かべた。
「いいアイデアね。一番いいのは、この私を頼ったことよ。やっぱりあなたのヒロインはこの私ね」
「やってくれるか?」
「ええ。あなたのお願いなら、なんでも聞くわ」
堂々とウソをつくな。
パチリとウィンクまでして。
かくして俺たちは、召喚の部屋へと移動した。
禍々しい短剣も置かれているが、それはひとまず無視でいい。
エーデルワイスはしゃがみ込み、チョークで魔法陣を描き始めた。ナースのコスプレをした女がチョークで遊んでいるようにしか見えないが。
「その地べたをはいずり回る姿、とてもお似合いですわ」
ヴァニラが皮肉を飛ばしたが、エーデルワイスは無視した。自分の本業だけはきっちりやってくれる。
俺は邪魔にならないよう、そっと声をかけた。
「集中が必要なんだっけ?」
「平気よ。ここにいる精霊と交信するだけだし。異界から肉体を呼び出すわけじゃないから」
椿も部屋を覗き込んでいた。
バーに残ったのは、水仕事をしているタイガーリリーと、興味のないマッポーちゃんだけ。
ふっと空気感が変わった。
魔法陣を中心に、なんらかのエネルギーが伝播したのだ。
エーデルワイスはこちらを見た。
「で、なにが聞きたいの?」
「ここはどういう場所なんだ? なにか特別なことは起きてないか?」
「聞いてみるね」
エーデルワイスはそっと目を閉じ、意識を集中し始めた。
俺たちは息をのんで見守るのみ。
音もないまま、時間だけがじりじりと経過した。
やがて彼女は、深い呼吸とともに目をひらいた。
「このお店、虚無の中に急に出現したみたい。虚無っていうか、大きな箱? けど、なんだろう……。空間そのものに、誰かの人格が宿っているような……」
「誰だ?」
「たぶんあの子供……。けど変ね。ほとんど消えかけてる。箱に飲み込まれているみたいな……」
「もっと詳しく探れないか?」
俺がそうせっつくと、エーデルワイスは困ったような表情を浮かべた。
「精霊もそこまでは……。あ、でも待って。あの子と空間の境界がない? つかみどころがなくてよく分からないわね。まさか、一体化してるってこと? そんなことありえる?」
ありえる。
彼女の言う「箱」は、間違いなく「神器」のことだろう。
俺に接触してきた残留思念も、少年と神器が一体化していると教えてくれた。両者は混ざり合っている。
つまり、こういうことだ。
このバーは神器の一部である。
葬送を迎えずとも、バーを攻撃すれば神器にダメージを与えることができる。
この推測は、かなり正解に近いはず。
少年の不調を見れば分かる。
短剣は、すでに神器を傷つけているのだ。
なぜ少年が短剣を処分しないのか不思議だが……。いや、できないのかもしれない。
短剣は、神をも殺す力を有している。
ただの人間である俺でさえ、触れただけで人間性を剥離させられる。少年には近づくことさえできまい。
この不浄な短剣を、マッポーちゃんの体内に隠してここへ持ち込めたのは、かなり幸運だったのだ。
エーデルワイスは座り込んだ。
「ダメ。分からないわ。情報が大きすぎよ」
「いや、十分だ。ありがとう」
「なにか分かったの? 私にも教えてよ」
「とはいえ、まだ推測の段階だからな。ちゃんと情報を整理できたら教える」
無邪気にバーを攻撃していいかは分からない。
ここは人間の世界と、太陽の一族の世界をつなぐ役割を果たしている。いわば中継地点だ。あるいは妖精の世界ともつながっているかもしれない。
ヘタに破壊すれば、つながりが途切れてしまう。
とはいえ、結局は神器本体を攻撃することになるのだから、結果は同じかもしれないが。
残念だが、なにも失わずに勝利するのは不可能だろう。
ある程度の犠牲は覚悟しなければ……。
(続く)




