霧
景色が霧に覆われて、なにも見えなくなった。
これも幻覚かもしれない。
こういうとき、むやみに移動するのは危ない。まあ棒立ちのでいるのが最善かは分からないが。少なくとも崖から落ちたり、足をくじいたりする心配はない。
やがて視界が晴れると、俺は洞窟にいた。
しかしじめじめしていない。きちんと管理された、大きな横穴だ。奥には祭壇があり、火も焚かれていた。
そして法衣を身にまとい、顔に布を垂らした人物がひとり。
「誰だ?」
「私は太陽の一族」
生き残りがいたのか?
言われてみれば、顔を覆う布には太陽を思わせる記号が描かれていた。
「ここは? 俺は草原にいたはずだが……」
「時空の狭間だよ、人間。お前の力を借りたくてここへ呼んだ」
「呼んだ? 召喚術で?」
「いいや。ただ精神に干渉しているだけさ。幻覚を見ているとでも思ってくれ」
声からは、男か女か、老人か若者かさえ判断できなかった。
言語が直接流れ込んでくるような感覚。
「幻覚? じゃあアレをやったのは……」
「私だよ。勘違いしないでくれ。危害を加えるつもりはない。不浄の子に知られることなくお前と話をするために、どうしても必要だった。さっきも言った通り、力を貸して欲しい」
「なにをさせたい?」
信用していいのだろうか?
あまりに怪しすぎる。
そいつは言った。
「復讐さ。大袈裟に言えばね。だが私の個人的な感情はさほど重要ではない。不浄の子は、してはならないことをした。ゆえに、存在を消去されるべきだと考えている。しかし私の肉体はすでに滅んでいるから、それを実行することができない。だからお前に代行してもらいたい」
一方的な要求だ。
「ヤツはなにをしたんだ?」
「禁忌の力に触れた」
「具体的には?」
「穢れた身体で神器に触れた。だが神器といっても理解すまい。あれはこの星と天体とをつなぐ機械であった。不浄の子が禁忌をおかしたために、この世界からは朝が失われた」
ガキひとりに出し抜かれるとは、ずいぶん警備がアマかったようだな。
俺は出かかった皮肉を飲み込み、こう尋ねた。
「どうすればいい?」
「お前たちが見ている不浄の子は、全体のごく一部に過ぎない。アレはいまや神器と一体化している。穢れた神器を破壊するのだ。さすれば力は失われ、やがて不浄の子も自壊するだろう」
おっと、これは。
あの少年が全体の一部に過ぎないのであれば、銃を撃ち込もうが、短剣で殺そうが、まったく問題は解決しないということになる。
「神器というのはどこに?」
「アレが葬送と呼ぶ舞台装置として使われている」
待てよ。
なら俺たちは葬送を待たねばならないのか?
「葬送に参加せよと?」
「ほかに筋道はない」
簡単に言うじゃないか。
俺はつい鼻で笑ってしまった。
「どうも力になれそうもないな。もっと見込みのあるヤツにお願いしたほうがよさそうだ」
「その意見は否定しない。だがどの人間も、不浄の子のなすがままで、まったく見込みがなかった。神器を破壊できそうな短剣を手に入れたのは、お前が初めてだ」
「まあそれは俺じゃなく、仲間のおかげだな」
「同じことだ。葬送の舞台には、あの短剣を持っていくといい。必ず役に立つ」
「参考にするよ」
*
気が付くと、俺は草原にいた。
霧もない。
周囲を見ると、マッポーちゃんとエーデルワイスが走り回っており、椿もキョロキョロしていた。タイガーリリーは小さくなってしゃがみ込んでいる。
「みんな、無事か?」
「……」
なにが起きたか分からない、といった様子だ。
ムリもない。
だが彼女たちに事情を説明するべきではないだろう。神に知られてしまう。
ともあれ、例の召喚術師が問題であったと、つくづく再認識させられた。
ヤツが少年を召喚したばかりに、あまり好ましくない環境に招いてしまった。おかげで彼は、故郷への帰還を拒絶された。怒った少年は神器を乗っ取った。で、このザマだ。世界がひとつ滅んだ。
きっとクリーンな世界だったのだろう。免疫がなかったから、外部から余計なものを持ち込まれたくなかったのだ。
それでも、人間の世界を「不浄」呼ばわりするのは高慢に過ぎると思うが……。
ま、怒っても仕方がない。いまは情報だけ使わせてもらう。
問題は「葬送」だ。
俺たちは七人目のヒロインと合流し、それに参加しなければならない。いや、葬送に立ち会うだけなら二人いればいい。ヒロインを残しておけば、それだけ敵が増える。
大儀のために、妖精には死んでもらうか……。
だが、誰を選ぶ?
エーデルワイス、タイガーリリー、椿……。もうすぐヴァニラも加わる。
誰も殺したくない。
血の魔物も、怪物も、殺すのに躊躇はなかったのに……。人の姿をしているから抵抗があるのだろうか。
「なにいまの? 幻覚? あとでヴァニラに苦情言わなきゃ」
エーデルワイスが憤慨した様子で戻ってきた。
くたくたになったマッポーちゃんも一緒だ。
戦術面だけを考慮するなら、人間性を吸収できるマッポーちゃんは確保しておきたい。となるとエーデルワイスは殺せない。
いや、召喚術師が死亡しても、魔物は残るのだ。
別の妖精でもいい。
いずれにせよ残しておけるのは一人だけ。最後の式典で二人になって、そのまま葬送に入るのがもっともイージーな展開。七名全員を生かしておいたら、俺自身の生存率が低下する。
妖精は死んでも次がある。
俺にはない。
頭では分かっている。
だが……。
*
どういうわけか、血の魔物には遭遇しなかった。
かすかにオゾン臭のする、大理石のあしらわれた洋館。
一階の広間に、金色の繭が置かれていた。
うっすらと人影も見える。
俺は銃を構え、狙いをつけた。
誤射のフリをして、いっそ中の妖精ごと撃ってしまおうか……。顔も見ておらず、会話もしていない相手なら撃てるかもしれない。
呼吸が震える。
「どうしたの?」
エーデルワイスが顔を覗き込んできた。
「危ないからさがっててくれ」
「けど、なんか変よ? 調子悪いの?」
「いや、大丈夫だ。撃つから距離をとって」
「うん……」
ダメだ。
命を奪う決心がつかない。
魔物は撃てるのに。
トリガーを引くと、弾丸が繭を突き破った。
もちろん妖精には当てていない。
水が抜けて、繭がしぼんでゆく。
頼れる仲間だと思っていた妖精たちが、いまでは重荷に思えてきた。
殺すか、殺されるか、怪物になった上で殺されるか……。
この三択しかないのに。
俺は大きな柱にどっと寄りかかり、そのままずるずると座り込んだ。
情けない。
手まで震えている。
椿がやってきて、なにも言わず隣に腰をおろした。
優しい子だ。
内心どうなのかは分からないが。
あらゆる言動が不審に見えてしまう。
彼女たちは善意で行動しているかもしれないのに。
自分にやましい気持ちがあるせいだろうか。裏があるのではと怪しく思える。この態度は人を不安にさせるかもしれない。すると互いに信用できなくなる。悪循環だ。
帰ったら、俺はまた酒を飲むだろう。
そしてなにもかもを忘れて眠る。
問題の先送りにしかならないのに。
うなだれていると、女たちの会話が聞こえてきた。
「その幻覚が、わたくしのせいだと? 繭で眠っていたのに?」
「ほかに誰ができるっていうのよ?」
「さあ。例の少年が手を回したのではなくて?」
「証拠は?」
「あなたとは会話したくありませんわ。おさがりなさい」
「なにこいつ! ムカつくわね!」
エーデルワイスだ。
生まれたばかりのヴァニラに絡んでいる。
ヴァニラは渡された服を着て、やや不満そうに目を細めた。
「ほかに服はありませんでしたの?」
何度も使い回されたパーカーとスカートだ。
タイガーリリーは肩をすくめた。
「バーで好きな服に着替えるといい」
「せっかくわたくしの英雄とご対面だというのに、こんな地味な服なんて……」
「なら脱げば?」
「あら、素敵。獣に似つかわしい野蛮な提案ね」
「……」
見た目はいいが、性格に難がありそうだ。
ヴァニラはこちらへ来た。
「お目にかかれて光栄ですわ、わたくしの英雄。ヴァニラです。どうぞよしなに」
麗しい笑みを浮かべ、膝を曲げて辞宜をした。
輝くような黄金色の髪。雪のように白い肌。そしてパーカーを破裂させそうなほどの胸。体目当ての男なら秒で落とせそうだ。
俺は立ち上がる気力もわかず、片手をあげて挨拶した。
「座ったままで悪いね。よろしく頼むよ」
「あら、お疲れのようですわね。それにしても、なかなか刺激的な起こし方でしたわ」
「ほかの方法を知らなくてな」
「強引なのは嫌いじゃありませんわ」
本当に素敵な笑顔だ。
いや完璧な演技というべきか。
もうなにが事実なのか分からない。まあウソでもいい。そのウソが最後まで続くなら。
エーデルワイスはまだ納得していない様子だった。
「ちょっと待って。まだ話は終わってない」
「しつこい。わたくしはそのとき眠ってましたの。いったいなにができるとおっしゃるの?」
「けどあなた、人をだますの得意でしょ?」
「言いがかりよ」
彼女は犯人じゃない。
だがうまく説明できる自信もなかった。
「英雄のことだましたら許さないから」
「見くびられたものね。わたくしが幻覚を使う相手は、あくまで敵だけ。英雄には、魅力で選んでいただきますわ」
「それもウソ! 前に幻覚で英雄をだましてた!」
「ずいぶん品のない英雄でしたもの。けれど、殿方の粗相をいさめるのも淑女のつとめではなくて?」
「品のない体でよく言うわね!」
「ちょっと、触らないで」
なにをやってるんだこの二人は……。
俺が溜め息をつくと、椿が心配そうに声をかけてきた。
「お兄さま、なにかお悩みですか?」
「いや、まあ、少し……」
「困ったことがあったら、遠慮なくご相談くださいね。椿にできることなら、なんでもしますから」
「ありがとう」
本当になんでもしてくれそうだ。
坂本の件で余計に警戒していたが、きっと素直な子なんだろう。
マッポーちゃんものそのそと近づいてきた。
「なんだか混沌としてきたマポねぇ。先行き不安マポ」
「大丈夫だ。計画はある」
俺はふわふわの毛玉をなでた。
ゴロゴロ鳴っている。
まさかこのクリーチャーに癒される日が来るとはな……。
(続く)




