One Billion
怪物はグルルとうなりをあげ、威嚇してきた。
しかし哀しいことに、伝わってくる感情は「恐怖」でしかなかった。
戦意喪失し、腰がひけている。
最愛の椿に一撃をもらったのがショックだったのかもしれない。
俺はそのまま歩を進め、怪物の正面に立った。
怪物は襲いかかろうか逃げようか迷っている様子。
俺は狙いをつけ、足を撃ち抜いた。
「きゃうっ」
狼とは思えぬ、か弱い声が響いた。
坂本――。
俺が会ったとき、立派な人間には見えなかった。もちろんいまでも同じ。ちっともいい印象がない。だが、いま彼が味わっているであろう敗北感は、なんとなく理解できた。
すべてを失ったのだ。
もう生きていたくないほどに。
椿の面影を追い続け、会えもしないのにシャッター通りをうろつき、ようやく招かれたと思ったらこのザマだ。
みっともないし、みじめだろう。
しかも椿をはべらせている新しい英雄に殺される。
この感情は、すでに怒りを通り越しているに違いない。
崩れ落ちた怪物は、じっとこちらを見ていた。
目に力がない。
早く殺してくれと懇願されているかのようだ。
俺は彼の頭部に狙いをつけた。
「じゃあな」
トリガーを引くと、手首へガツンと反動が来た。
弾丸は飛翔し、怪物の脳天を撃ち抜き、そして大地へ刺さった。
風もない。
ただ怪物が血に伏し、みずからの血液にまみれただけだ。
呼吸をすると、ここもかすかにオゾン臭がした。
しばらく無人だったのだろう。
よく見ると骨が転がっていた。俺は学者ではないから断定できないが、どうにも人骨にしか見えなかった。
過去に大量の殺人があったのだろう。
英雄だろうか?
それにしては数が多すぎる気がする……。
ジャージ姿のエーデルワイスが、しゃがみ込み、その骨を見つめていた。
俺が「なにか分かるか?」と尋ねると、彼女はさみしそうな顔でこちらを向き、ぽつりとつぶやいた。
「抜け殻ね」
抜け殻――。
いったい誰の?
彼女は立ち上がり、かすかに溜め息をついた。
「前に、ここで召喚術を試したことがあるの」
「なにを呼んだんだ?」
「精霊。どうして骨だらけなのか聞いたの」
「結果は?」
「虐殺だよ」
それは分かる。
虐殺以外でこんなことにはならないだろう。
エーデルワイスは躊躇した様子で、空を見上げた。
星がまたたいている。
ウソみたいにキラキラした星々。
「あなたがいろいろ調べてくれたおかげで、点と点がつながった。ここは太陽の一族が住んでいた世界。あの子供の故郷よ」
「えっ?」
「だけどみんな殺されてしまった。殺したのは彼ね。理由は分からないけれど……」
帰るべき故郷を、みずからの手で破壊してしまったというわけか。
いったいなぜ?
彼女は首を振った。
「血の魔物は、その被害者の血液。もう自我もないのに、何度も殺されてる。殺されるたび再生されて、永遠の苦しみにさらされ続ける」
「かなりの憎悪だな」
「こんなこと、早く終わらせないと……。誰も幸せにならないよ」
「その意見には賛成だ」
どうせ殺すのであれば、少年の事情などどうでもいいと思っていた。だが、もっと調べたほうがいいかもしれない。
彼が血を忌避した理由も分かった。
不浄だったからじゃない。
もう二度と浴びたくない同胞の血だったからだ。
*
バーへ戻ると、少年の姿はなかった。
代わりに置手紙があった。
「おめでとう。僕は帰る」
それだけだ。
不浄な短剣と一緒に留守番するのはつらかったらしい。
召喚術を使えば、短剣など魔界に送り返せると思うのだが。あえてそれをしないのが神の矜持なのだろうか。彼は彼の作ったルールで敗北するのかもしれない。たいていの場合、善人ほど不利になるものだ。
「お兄さま、うかない顔」
椿が寄り添ってきた。
もしなにも知らないままなら、俺はこの行為を優しさと受け止めたかもしれない。だが違う。坂本の一件を思い返すと、警戒感しかわかなかった。
いや、彼女だけが悪いわけじゃない。
きっと妖精はみんな同じだ。
みずからを抑制しているのはタイガーリリーだけ。
出されたウイスキーを、俺は多めにあおった。
体の内側がカッと熱くなる。
事あるごとにこんな飲み方をしていたら、そのうち体を壊すかもしれない。だがやめられなかった。きっと俺は、女ではなく、酒によって人間性を喪失するのだろう。
だが酒で被害を受けるのは俺だけだ。悪酔いしない限りは。
*
気が付くと、俺は横になっていた。
バーのソファだ。
小さな電気がひとつついているだけで、だいぶ薄暗かった。
俺の腹の上ではマッポーちゃんが丸くなっていた。他のメンバーの姿はない。
「悪いなマッポーちゃん、ちょっとどけるぞ」
「んゅ……」
俺はマッポーちゃんをソファに置き、だるい体を起こしてカウンター席についた。
いつの間にか眠っていたらしい。
タイガーリリーが入ってきた。
シャワーを浴びたあとらしく、髪が濡れていた。というか、バスタオル一枚しか身に着けていない。健康的な褐色肌をおしげもなくさらしている。
「おや、おめざめのようだね」
「いま何時だ?」
「二時を少し回ったところ」
「そうか……」
明日が休日でよかった。
彼女はカウンターに入って水を出してくれた。
「どうぞ」
「悪いな。けど気を遣わないでくれ。こっちは勝手にやるから」
「うん」
だが彼女はカウンターについたまま、俺が水を飲むのをじっと見つめていた。
「ほかの二人は?」
「もう寝たよ。あの子たち、意外と規則正しいんだ」
「エーデルワイスとはどうなんだ?」
「もう私には飽きたみたい。やっぱり男のほうがいいんだって」
奔放だな。
この店には音がない。
だから誰も喋らなければ、しんと静かになる。
思えば俺は、十億相当の報酬を手に入れたのだ。
一生遊んで暮らせる。
ヒロインを一人選んで、残りの二人を始末すれば、その後は危険にさらされることなく日常生活に戻れる。
タイガーリリーとよろしくやりながら、好き勝手やるのもアリかもしれないな。
なんて考えが、脳裏をよぎらないでもない。
俺はそもそもモラリストじゃない。特筆すべき点のない人間だ。人生でなにかを成し遂げたこともない。だから簡単に浮かれることができる。
なのにそれをしないのは……きっと古い物語を見過ぎたせいだろう。
古い物語では、ウマい話に乗った主人公は、たいてい痛い目を見る。新しい物語とは違う。新しい物語では、ウマい話に乗ると、もっとウマい結果になる。
だからきっと、俺は古い人間なのだ。
時代に置き去りにされている。
「飲む?」
タイガーリリーがウイスキーの瓶を持ち上げた。
たしかに飲みたい気分だ。飲めば余計なことを考えずに済む。いや、考えるが、あとで忘れることができる。忘れるのに成功すれば。
だが俺は首を振った。
「いや、やめておくよ。もう寝る」
「上にベッドがあるよ」
「ありがとう。けどソファでいい」
*
「おはよう、私の英雄。キスしていい?」
ほんの数時間寝たと思ったら、エーデルワイスに叩き起こされた。
満面の笑みだ。
ヒリつくほどの美人なのに、少女のように無垢な笑みを浮かべる。これで性格さえまともなら、きっとヒロインとして選ばれるだろうに。
「もう朝か……」
「そう。もう朝よ。ね、キスしていい?」
「ダメだ。俺は誰ともキスしない」
「なにそれ。つまんない」
ぷいとむくれて行ってしまった。
マッポーちゃんは床で丸くなっている。
寝ている間に落としてしまったかもしれない。
ウマそうなにおいがしていた。
きっと誰かが調理場を使っているのだろう。しかし妖精は食事をする習慣がないはず。もしかしたら俺のために準備してくれているのかもしれない。
もしそうなら、ちゃんと起きないと。
「けど、せっかくの朝なのに、太陽も見られない。お肌がしおれちゃうわ」
エーデルワイスは浴衣姿だった。たしか椿のものだったと思うが。
それはともかく、妖精たちは少年の支配下から自由に移動できないようだ。
椿がパーカーとスカートで現れた。
「エーデルワイス、私の服をとらないでください」
「うるさい。早い者勝ちよ」
法も秩序もあったものじゃない。
俺がカウンターにつくと、椿も俺の隣に来た。
「おはようございます、お兄さま。寝癖がついてますよ」
「あとで直すよ」
手を伸ばしてきたので、俺はそれをよけた。
哀しそうな顔をされてしまった。
対応が冷たすぎたかもしれない。
「ごめん。ありがとう。でも自分でやるから」
「はい……」
しょげている。
頭をなでてやりたい気もする。
だが少しでも触れてしまうと、情が移ってしまう。ここは耐えるのだ。いまは順調だからいいが、のちのち敵になる可能性だってある。
厨房からタイガーリリーが姿を現した。
「簡単なものだけど、よかったらどうぞ」
「うまそうだ。ありがたくいただくよ」
卵をたっぷり使ったフレンチトーストだ。バターのかおりもいい。よく磨かれたナイフとフォークまでついている。
彼女には世話になりっぱなしだ。
椿が身を乗り出してきた。
「お兄さま、椿にも一口」
「どうぞ」
差し出すと、彼女は小鳥のようについばんだ。
口元に手をあて、おいしそうに食べている。
愛らしい。
もし彼女を好きになったら、決して手放したくなくなるだろう。やたらつきまとってくるのに、鬱陶しくない。
ヒロインはあと四名。いや会えるのは三名か。
数が増えるたび、誘惑も増える。
気を付けていないと、すぐ狼男になってしまいそうだ。
(続く)




