Kill The Heroines
空には満月。
電線にがんじがらめになっている。
廃ビルは独特のにおいがする。
たとえば雨が降り出した瞬間の、オゾンのにおい、とでもいうのか……。
それがずっと、うっすらとにおっている。
きっと空気が攪拌されずにいたせいなのだろう。
月明りのせいで、景色が青白い。
建設途中のまま放棄されたビルだ。コンクリートの床と柱しかない。
俺は拳銃を手に、柱のかげに身をひそめ、周囲の様子をうかがった。
このビルには「血の魔物」がうろついている。
どろどろの血液が、人の形をしただけのもの。つかまれると凄まじい力で八つ裂きにされるとかなんとか。だが動きはのろい。おかげで俺は、いまのところまだ殺されていない。
呼吸をするたび、においのせいで妙な気分になる。
いいにおいでも悪いにおいでもない。だが少なくとも、普段とは違うにおいではある。
いつもと違う空間。
いつもと違う行為。
いつもと違う自分。
奥に二体、血の魔物がいる。
呆然と立ち尽くしている。
月を見ている?
いや、きっとなにもしていない。
ただ、その場に存在しているだけ。
俺は両手で拳銃を構え、狙いを定めた。
その銃の名は「シルバー・スピッター」。
銀を吐くもの。
トリガーを引くと、パァンと派手な音とともに、手首へ反動が来た。強く抑え込まないと関節を痛めそうなほどの衝撃。
射出された銀の弾丸は、赤い人影に命中し、花火のような飛沫を見せた。
一撃でいい。
当たりさえすれば、そいつらは人の形を保てなくなり、ただの血だまりと化す。
俺はすぐさまトリガーを引き、二体目を攻撃。
弾丸は命中し、ふたつめの血だまりを作った。
あまりにもイージー。
空薬莢がコンクリートの床に落ちて、キィンとかすかに音を立てる。
その金属音の残響は、いつまでも空気を震わせ続けた。
普通の銃ではない。
神を自称する少年がくれたものだ。
ちゃんと狙いをつけずとも、勝手に当たってくれるらしい。まるで照準アシスト付きのゲームみたいだ。
少年の意図は分からない。
だが彼は言った。
俺の欲しがっているものを与える、と。
だから俺は困惑している。
なぜなら、俺自身、いったいなにを欲しがっているのか知らないからだ。
銃を撃ってみたい?
ヒーローごっこで憂さ晴らしをしたい?
おそらくどちらもノーではない。
だが、イエスでもない。
俺の気分は、もっと簡単なことでまぎれる。金、女、メシ、酒、音楽……。ここに暴力は含まれていない。
暴力は、きっと気分がスッとする。
これを否定しても仕方がない。俺たち動物は、それで気分がよくなるようにできている。呪いのようなものだ。
その一方で、暴力というものには、かなり簡単に「限界」が見つかる。
自分より弱いヤツを相手にしているうちはいい。だが強いヤツに出会ったとき、すべてを放棄せざるをえなくなる。世界で一番強いヤツ以外、すべてが偽物だ。そして世界で一番強いヤツも、なんらかの拍子に死ぬ。
もっと言えば、人はゴリラに勝てない。なんならイヌにも勝てない。だけど人間は、ゴリラやイヌに支配されていない。
武器で勝利している。
そして武器は……暴力では作れない。
残酷な矛盾だ。
結局のところ、頭のいいヤツがいちばん強い。
頭のいいヤツに勝ちたかったら、どうにかしてそいつの知能を下げるしかない。この方法は、おそらく神と戦うときでさえ有効だ。可能か不可能かはさておき、ほかの手よりマシに違いない。
俺は歩を進め、廃ビルをあがってゆく。
血の魔物はぼうっとしている。
微塵の殺意も感じられない。
ただ俺に殺されるためだけに、そこにいる。
トリガーを引く。
血液が飛散する。
その繰り返し。
*
最上階へついた。
天井がないから、フロア全体が月光に照らされている。
巨大な球状の岩石。
そいつが太陽の光を反射して、煌々と輝いているように見える。
月そのものは発光していないにもかかわらず、俺たちはそれを発光体としてしか認知できない。暗くても存在しているはずなのに、俺たちは視認することができない。
血の魔物はいなかった。
その代わり、巨大な銀の繭が蠢動していた。月光のおかげで、中には丸まった人影も見えた。これが神の用意した「ヒロイン」とやらかもしれない。
ここへ来る前、少年は言った。
英雄にはヒロインが必要だ、と。
だが目の前の繭はどうだ?
銀糸を思わせるキラキラの糸で編まれた、楕円の卵。それが一定のリズムで収縮と弛緩を繰り返している。
あまりにも禍々しい。
生まれてくるのはきっと魔物に違いない。
俺は銃を構え、繭へ狙いをつけた。
甘言に乗せられた男の末路は、古い物語にいくらでも記載がある。その一方で、軽率な行動をとった男の末路も、数えきれないほどある。
トリガーを引くのは、その麗しいご尊顔を拝してからでもいいかもしれない。
もし神が俺を殺すつもりなら、どちらにしろ助からないはずだから。
繭に近づいてみた。
中には淡い青の溶液が満ちていて、女が膝を抱えて浮いているのがうっすらと見えた。こちらの存在には気づいていないようだ。
銃口で繭をつついてみたが、信じられないほどぷよぷよしていて、ノックにもならなかった。
いつ生まれるのだろう?
夜明けか?
もしそうなら、だいぶ待たなければならない。
俺は柱に背をあずけ、そのままずるずると腰をおろした。
女は眠っている。
繭は静かに拍動している。
月が丸い。
俺はひとつ呼吸をし、ほとんど狙いもつけずトリガーを引いた。
夜空に火薬の炸裂音が響き渡った。
繭からは溶液が噴出し、周囲をすぐに水浸しにしてしまった。繭はみるみる縮み、すぐにぺたりと潰れてしまった。
女に動きはない。
「もう少し丁寧に扱って欲しかったな」
後ろから少年がやってきた。
表情のない、中性的な顔立ちの子供だ。
ベストなど着てフォーマルな格好をしているが、半ズボン。そういうファッションがちゃんとあるのかもしれないが……。少なくとも俺はしたことがない。周りにもそんなガキはいなかった。
俺は溜め息混じりに応じた。
「あいつは死んだのか?」
「いや」
なら生きているのだろう。
生まれたての小鹿のような動きで、女が上体を起こした。
長い銀髪の、まっしろな女。こちらを見た眼球だけが、青々と輝いていた。
俺は隣に立つ少年に尋ねた。
「たぶん、俺の感想に過ぎないんだが、彼女は人間じゃないよな?」
「妖精だよ」
「妖精?」
「違う名前で呼んでもいいけど」
いや、いい。
神がそうだと言うのなら、そうなのだろう。
女は濡れた体でなんとか立ち上がり、苦しそうに呼吸をしながら近づいてきた。
「もう少し、丁寧に扱えないのかしら……」
これに神も「僕もそう言ったんだ」と便乗した。
二対一。
神でさえ数に任せて人間を責める。
もう二度と人類に倫理など求めないでくれ。
俺は肩をすくめた。
「マニュアルが見つからなくてな」
「いいわ。人間に品性を期待するだけムダだもの。ところで、あなた花はお好き? 私に名前をつけて頂戴。あなたの好きな花の名前」
女は真顔だ。ギャグではないだろう。真顔でギャグを言うタイプでなければ。
しかし花とはな。
まっさきに思い浮かんだのは……。
「ええと、アレだ。刺身に乗ってる……。そうそう。知ってるかな? あれってタンポポじゃなくて菊なんだぜ? 食用菊だ」
「エーデルワイス」
「は?」
「そう呼んで頂戴。食用菊なんて呼ばれたくないから」
最初から決まってるならそう言ってくれ。余計なカロリーを消費した。
盛大な溜め息が出た。
「仰せのままに。で、あんたが俺のヒロインなのか?」
「そうよ。濡れた肌をさらして、あなたにジロジロ見られている私がヒロインよ」
「服を着てくれ」
「あとで着るわ。けどその前に、重要なことを伝えておかないと」
「重要なこと?」
服を着るより重要なこと?
彼女は濡れた前髪を横へなでつけ、こう言い放った。
「あなたの英雄譚はまだ終わってない。ともに旅をすることができるヒロインは一人だけ」
「どういう意味だ?」
「このあといろんなヒロインが登場するわ。けど、あながた選んだ一人以外、全員が敵になる」
これから出会う女を、みんな殺せっていうのか?
少年はぼんやり月を眺めていた。
自分は関係ないとばかりに。
「あんたも敵になる可能性があると?」
「そうよ。でも死にたくないから、あなたに媚びへつらってでも生きる道を選ぶわ。たぶん他の女たちもそうするでしょうね」
「趣味の悪い設定だな」
「もし神がいるなら殺してやりたいわね。この高貴な妖精の私が、品性下劣な人間に命乞いしなきゃならないなんて」
その神は隣にいる。
ぼうっとしている。
俺は銃を床へ置き、女のほうへ滑らせた。
「使うか? 貸してやるよ」
すると女は銃を踏みつけ、やや強めにこちらへ戻してきた。
「いらないわ。こんな野蛮なもの、私に押し付けないで」
「道具は身体の拡張だって誰かが言ってたぜ。ないよりあったほうがいいだろう」
「人間とは違うの。そろそろ服を着ても?」
「ぜひそうしてくれ」
女は何度かキョロキョロしてから、アテもなく歩き出した。
自称とはいえ神がいるのだ。どこかに都合よく服が落ちていてもおかしくはない。
「なあ、神さま。さっきの話、本当なのか?」
すると彼は、ゆっくりとこちらを向いた。
見惚れるほど無垢な顔をしている。
「さあ」
「さあ? あんたが仕組んだことだろう?」
「けど、選択するのは君だ」
こちらはなにも強制されていない。
俺が神のもとを訪れなければ、女を殺すことにもならない。
そう。
神のもとを訪れなければ――。
(続く)




