1色 プロローグ
私が見てきた色はどれもきっと忘れられないほどキラキラと鮮明に輝いて、いつも憧憬の念を抱くほど世界という物が眩しく見える。
情熱に燃える炎の赤も。淡々に揺蕩う水の青も。
燦々と輝く雷の黄も。深々と揺れる木々の緑も。
どんな存在も色がある。人類も他種族も、神すらも、たとえ紙切れに落とされたインクでさえも、私たちは心を持って生きている。世界と、生きている。
自分自身のために、私たちは数多の色と世界を求めていく。無色な自分のガラスの心をきっといろんな色彩に染まっていくことができると知った、あの日から。
私がいつか憧れる、理想の自分を目指すためにも、私は後ろを振り返らずに進む。
私は未来の結末が怖くても、明日を怯える理由にはならない。
だって、世界がどれだけ醜く映っても、綺麗だと信じたい心があるのだから。
◇ ◇ ◇
木々が生い茂る森の中、一つの愛嬌のある木造の屋敷がある。
数多の魔法がかけられたその屋敷に訪れる者は、滅多にいない。いるとするなら、それはおそらくこの屋敷の主人である魔女だけだ。
二階の窓辺には一人の清廉な少女がベットの上で眠っていた。
少女を起こすために窓から愛らしい小鳥が自分の鳴き声で少女へと囀る。
「…………ん」
澄んだプラチナブロンドした少女、クリスティア・ハートフィールドはサエドリの囁きに眉を顰める。可憐な唇からくぐもった声を漏らしながら真っ白のシーツから起き上がった。
「…………ん、んぅ……もう、朝?」
目を擦りながら、ゆっくりと体を伸ばす少女は心地よい目覚めを迎える。
クリスティアは、窓辺にいる小鳥たちがいる窓を開けた。
「おはよう、サエドリたち。もう起きたよ」
「ピピ! ピ!」
「ブーブラ、今日も起こしに来てくれたんだね。ありがとう」
「ピ!」
「またね、ブーブラ」
元気よく返事するブーブラと私が呼んだ小鳥は、サエドリと呼ばれた鳥だ。
お腹が白く、それ以外の全体的な色が天色の姿をしていて、可愛い声で評判とされている王都や帝国などではよく飼われているペットだ。
私がいるこの屋敷、ブラオフリュステルンには師匠の使い魔たちでもある。
クリスティアがお礼を言うと、サエドリたちは喜んで羽ばたいていった。
私はそれを見送ると一階から香る美味しそうな匂いが鼻に掠めた。
「……朝ごはん、食べなきゃ」
師匠が作ってくれているとわかっているから、クリスティアはパジャマ姿のまま自室の扉を開けた。
ウキウキとした気持ちでパジャマのまま自室から出る。うつらうつらと目蓋を閉じてしまいたくなる衝動を堪えながらゆっくりと階段を下りて行った。
気怠い中、階段の軋む音を聞きながら、リビングへとペタペタと歩いていく。
「……おはようございますアヴェリ師匠」
「おはよう、クリス。お寝坊さんね」
声をかけてくれた美女は流れる月明かりの夜空を思わせる青みを帯びた髪は艶があり、横から顔を覗くその温和の深みのあるブルートパーズの瞳が私を映す。
均整のとれた体躯にしては、拘束具とも取れる紐と金具を取り入れて一体化となっている黒ドレスを纏っていてもその豊満の胸は同じ女性の私としても羨ましいほどだ。
クリスと私のことを呼んだ人物は私の師匠である旅縁の魔女、アヴェリスティーヌその人である。魔女界隈では名の知られた人でミス魔女ランキングでは殿堂入りを果たしたほどの逸材と評される変人でもある。今回の朝食なのか、フライパンで何かを焼いている音を察するに師匠が飼っているココドリのコケッコとコケーコたちの玉子でも焼いているのだろう。
魔女として、師匠の正装を朝っぱらからでも欠かさず着ている師匠には感服するが、そこは学ぶべきところだと思っている。まあ、拘束具みたいなベルトというか紐みたいなファッションを取り入れた魔女の正装は、一部のコアなファンがいるとかいないとかって話を小耳にはさんだ時から、なるべく深く考えないように努めているけど。
クリスティアは目尻を擦りながらアヴェリスティーヌに今日のメニューを尋ねる。
「すみません師匠、今日のご飯はなんですか?」
「知りたいなら先に顔を洗ってきなさい、もちろん歯磨きと髪を梳かすのも忘れないように」
「はぁーい……ふぁあ」
クリスティアは目を擦ってあくびをしながらも、師匠に促され洗面台へと歩き出す。
リビングから右の方にある脱衣所で、洗面台に立った。師匠が用意してくれたであろうぬるま湯の桶で一度顔を洗う。次に洗面台の棚に置かれた石鹸で泡立ててから顔に付けて、馴染ませるように頬を撫でてから桶にあるお湯で軽く洗い流した。
後は、私用のタオルで軽く顔を拭き終えると、隣から小さい隣人がクスクスと笑う。
『お寝坊さん、お寝坊さん。クリスティアはお寝坊さん』
「……もう、シィニューユ? 邪魔したら師匠に怒られますよ。羽を毟られてもしらないですから」
『いけない! いけない! シニューユいい子! いい子でいるわ!』
人のような肌と緑色の髪と瞳をした人形にすら感じさせる風の妖精、シィニューユ。
クリスティアの中指から手首までのサイズの彼女は人形だったらついていない薄い四つの羽が生えている。妖精特有のいたずらっ子で、度々面倒ごとを巻き起こすトラブルメイカーだ。
クリスティアのはの発言に驚いてあわあわし出すシィニューユを見て、クリスティアはからかいすぎたかなと思って彼女にある提案を持ちかける。
「なら、髪を梳かすの手伝ってくれますか? シィニューユもご飯食べたいでしょう?」
『そうね、そうね。手伝うわ! 手伝うわ!』
シィニューユが風魔法を無詠唱で使うと私の髪を梳かし始める。
黙視で確認してから、私も洗面台の私のイニシャル付きの木製カップを取り出した。歯磨きは私が作ったお手製の歯磨きだ。ぼーっと洗面台の鏡でぼさぼさの自分の髪が目に映ったのを見てカップで口の中をゆすいでから、洗面台の棚にあるヘアブラシを取ってクリスティアは髪の毛を梳かし始めた。
自分の髪を褒めてくれた師匠が最初に買ってくれたこのブラシは何よりもお気に入りだ。
……本人には、絶対口にするつもりはないけど。
「クリス―、朝食ができたわよ」
「はーい!」
師匠の呼ぶ声が聞こえて私は髪を梳かし終えてから、リビングへとパタパタと急ぎ足で向かった。
クリスティアはテーブルに着くと、アヴェリスティーヌは今日の朝食の全ての品を置き終えたようだ。
テーブルにはいつもよりも豪華そうな料理が並んでいる。
カウカウ牛のバターが乗ったトーストと、ココドリの目玉焼き、色取り取りのトマトとレタスのサラダにコーンポタージュ……しかも、今回は私の好きなラズベリアのゼリーがある。
……師匠が、こんなに私の好物をたくさん作るなんて、一体なんのつもりなんだろう?
「今日は豪華ですね……」
「ええ、たまには豪華にしていい時もあるでしょう?」
「それはまた、どうしてですか?」
「食べながら話しましょう」
師匠が先に椅子に着くと、私も遅れながら席に着く。
ちらっと師匠を見るが、師匠は平然とした笑みを浮かべるだけだ。
クリスティアは疑念の目をアヴェリスティーヌに向ける。
……そういう言い回しをする時の師匠は、絶対何かしらの話がある時だけだ。
こんなに豪華な朝食を作ったのにも、何か意図があるに違いない。
いつもなら私に任せて、私が部屋で起こしに行くまで眠っているんだから。
シルフィエラに作らせなかったのはそういうことだろうし……とにかく怪しい。
「いただきます」
「……いただきます」
私と師匠は両方の手を当てから食べ物に手を着ける。
今言ったのは、魔女様の行ったことのある他世界での食事に対しての礼儀作法なのだとか。
私はとりあえず、トーストから先に手に付けることにした。
「……それで、師匠。どうして今日は豪華な料理だったわけですか?」
「クリスは宮廷魔法士になるのが目標で私を頼ったはずだったわよね」
「……はい、それがどうかしましたか?」
トーストを数口食べてから、私は次にサラダに手を着けることにした。ナイフとフォークを器用に使って口の中へと頬張る。うん、目覚めたばかりの私の身体が喜びを感じている。
うん、やっぱり目覚めたばかりの朝食と言うものは、なかなかにいいものだ。
「師匠の命令です、クリスティア」
「え? ……今日は、一体どんな課題なんですか?」
アヴェリスティーヌは弟子のクリスティアが食べ始めているというのに、彼女は一切食べ物を口にせずにいた。そのことにもクリスティアは疑問を抱いていたが、今日も課題のことだろうかと思うと、心の中で溜息を零した。
今日は一体何を要求されるんだろう? 魔法薬の材料収集? それとも屋敷の掃除? ……大体こなしてきたつもりだけど、今日は一体何を言われるんだろう。
師匠が私のことをクリスティアと呼んだのだから、間違いなく何か要求されるに決まってる。
「旅に出なさい。これは貴方が宮廷魔法士になるための最終課題です」
「へ……?」
唐突の発言に私はびっくりして、持っていたフォークをテーブルから床へと落ちていく。
師匠の指先が一瞬だけ輝くと床に落ちるはずだったフォークは浮遊し、師匠と私との眼前に持ってくると、師匠はフォークを掴んだ。
「……え!? ほ、本当ですか!?」
「アタシがこういう時にそういう嘘をついたことあった?」
「えっとぉ、それ、はぁ……」
クリスティアは師匠の問いかけに硬直する。
横を向いて、とりあえず適当になんとかやりすごそうと思ったが、しどろもどろになってしまう。師匠は確かに基本的に嘘はつかないが、嘘をつかないと言っても濁して言ったりする言い回しをする時があるから……悟る私の身にもなってくれと、何度恨んだことか。
「……クリスティア?」
「い、いえ! 師匠が嘘をついたことなんて一度もありません! 一回もないです!!」
私はなんとかとりつくろうが、師匠にはバレバレだったのか溜息を零される。
「……貴方は魔女ではなく、王都ティンゼルで魔法士を目指すんでしょう? 不安でしかたないわ」
「え、えーっと……でも、なんで旅に?」
「魔法士を目指すなら、他国の土地と物を知っておくほどいいことがないでしょう? 社会勉強よ」
「あ、そういう……」
「ちなみに、明日から立つ様に、荷物の整理はきちんとしておいてね」
「はい、わかりました! ……え? 今なんて?」
「明日から、旅に出なさい。二度目は言わないわよ」
ポン、ポン、ポン。
クリスティアは、目をぱちぱちとしながらテーブルに両手を着く。
「えぇえええええええええええええええええええええええええ!?」
クリスティアの絶叫は、サエドリたちを木々から飛び立たせるほどに響いたという。