7.とある再会
…これは…クリア板…いや、タブレットか!?
B5サイズほどのクリア板の突然の出現に戸惑う俺。
マップ上ではドット絵二頭身なRPG風の旅人が、始まりの村の宿屋で寝泊りしてるイメージだったのに、突如、地球の文明感。
そうか、『ニホンを参考にした』って言っていたから…この世界にはタブレットがあるのかもしれない。他の人が持ってるのなんて、一度も見た事はないけれど。
宿屋のベッド上で、一人きょろきょろとあたりを見回した。
もちろん誰もいない。
君、どっから来たん?訳が分からず、手元のクリア板へと目を戻すと、それはほのかに発光し始めていた。
やがてそこに猫吉先生のロゴが現れる。
俺が昔飼っていた猫をモチーフにした、尻尾が二本ある片目の雄キジトラの猫キャラ。
実際の猫吉先生もそういう容姿だったんだ。これは俺が考えたキャラクターで、会社の、いや…雑誌もサイトも、すべてこの猫吉先生をロゴにしている。
子供の頃に飼っていた猫吉先生。俺の最初で最後のペット。あれから俺は一切生き物を飼う事はしなかった。
その代わりというわけでは勿論ないが、独立して自身の会社を立ち上げた時に、ふいに頭に浮かんだのが、愛すべき猫吉先生を模したキャラクターだった。
それからずっと一緒に歩んできた猫吉先生のキャラが、今、手元のクリア板の中に表示されている。思わず頬が緩む。
先生の名前の由来は…とにかく最初に頭に浮かんだのは“先生”で。あの青い目に知性を感じた、と言うと恰好良すぎるが、先生と出会った時は小学一年生。賢い=先生という語彙力の限界で名付けたんだと思う。その当時住んでいた町の名前から“吉”の一字をもらい、“猫吉先生”。
お取り寄せグルメというジャンルを扱う事は決まっていたから、酒も飲めないと困るし、何でも食べるキャラじゃないと困る。
だから俺は二本尻尾があるように見えた猫吉先生を、猫又という尻尾が二本ある妖怪猫に設定する事にした。
片目には眼帯をしている。その眼帯を外すとそこには英知の光が…なんて設定もつけた。いつもはすべてが見えすぎてしまうので自ら片目を隠している、そういう設定。
あとは誰にももう虐待なんてされないように、実は可愛い見た目に反して、もの凄く強いっていう設定もつけたと記憶している。お取り寄せグルメと何の関係もないけど、これは俺の完全なるエゴイズム。
妖怪になった猫吉先生のキャラクターは、こうしてまた俺の相棒になった。
小学生の俺が看取った猫吉先生は、あまりに凄惨な猫生だった。
先生…大きくなればなればなるほど、その事を理解して…俺はずいぶんと落ち込んだんだよ。
猫吉先生…天国はどうだ?
俺がそっちに行ったら…また会ってくれるか?
死後は、お互いが認識できるように、会いたいと思う時代の容姿で相手が見えるんだって話を聞いた事があって、俺はそれを信じてる。もし会えたなら…猫吉先生の目に映るのは小学生の頃の…幼い俺なんだろうな。
先生の事を考えている間も、クリア板には猫吉先生で作成したローディング画面が表示されていた。こりゃ…もうどう見てもタブレットにしか見えなくなってきた。
しばらく見ていたが、ずっとローディング画面のままだ。
千鳥足の猫吉先生、二本の尻尾が器用に和傘を持ち、その上でお猪口を回しながら、クルクルと踊っているローディング画面。やがて見慣れたネットサイト『楽食倶楽部』のサイト内にある『猫吉楽食便』、お取り寄せ専用サイト画面が…
「遅い遅い遅ーい!我、すっごく待った!」
俺の横には猫吉先生。ベッドにちんまりと座っている。
へ?
現実とは思えず、二度見からの三度見…
「うわっ!」
「うわっ!、じゃないやい。遅いじゃないか。いつまでたっても思い出してくれないから、我、忘れられたのかと思った」
ジト目で見上げてくる…紛れもなく俺の、俺の猫吉先生で。
「ね、猫吉先生…?」
「そうだぞ!猫吉先生、ここにシュタッと参上なりぃ!」
それ…俺が昔よく観ていたアニメの台詞じゃないか。
信じられない。本当に…先生なのか?
「あ…俺、腰抜けたかも…」
「情けない!再会の時はもっと喜ぶものなのだ!」
「お…おう…嬉しい…」
驚きで腰を抜かしそうなのも本当だが、嬉しいのも紛れもない本心だ。
異世界転生なんて訳の分からない状況だけど、まさか猫吉先生と再会できるとは!
あらゆる疑問を通り越して…嬉しいに決まってるさ!
嬉しそうに二本の尻尾を揺らす猫吉先生の毛並みが、呼吸と共に波打っていた。
「猫吉先生が、生きて…喋っている」
「ふふーん、我、凄いだろう?」
「俺が子供の頃に…一緒に暮らした先生なのか?尻尾は…キャラクターの猫吉先生みたいだ…」
「我を連れ帰った日に、興奮しておねしょした子供のルノムも知っているし、離婚してやけ酒しておねしょした大人のルノムも知っている!どっちも我だからな」
「うわぁ…さらっと黒歴史を抉るなよ」
「もっともっと知っているぞ!」
「もういい!もういいから!そ、それにしても…猫吉先生はどうやってここに来たんだ?」
まさかこの板…タブレットから出てきた訳じゃないよな…。
急に横に…ベッドに座ってたんだけど…どういう状況なんだよ、これ。
急に出てきて…消えちゃうとかさ…絶対嫌だぞ。
「よくわからん…。ルノムが死んだと聞かされて、『ルノムと共にいきたいか?』って聞かれたんだ」
「ふぅん。あの女の子の所からこっちに来たのかなぁ」
「そもそも我はルノムの姿しか見る事ができなかったからな。いつもは真っ暗い所にいて、たまにルノムが見えて…いつものようにそうして暗闇で…そしたら光が…それでそれで…我がルノムを守るんだって!それでそれで…」
可愛い事、言ってくれる。俺の事、守ってくれるんだってさ。
「それから…一つだけ望みを叶えてくれるって言われた」
「へぇ…なんて言ったんだ?」
俺はそんな事、言われなかったよな。
先生は何を願ったのかな。
空飛びたいとか…あ…ハーレムか?まさか、ハーレムなのか!
「我、これからはルノムとずっとずっと一緒にいさせて欲しいって言ったんだ!」
じーん。うちの子。じーん。
ハーレムとか思った不埒な俺。先生、ごめん。
そんな汚れきったハートを持つ俺には気付かずに、まだ何が起こったかを懸命に考えているうちの子。じーん。
「そうだ、みかんの匂いがしたんだ。あとは…急に光が見えて、それで奴は『これからはルノムと一緒に生きるんじゃぞ』って言った。だから我は『わかった!』って。でも…そうしたらまた真っ暗になって…」
ミステリーマニアじゃなくともわかる。やはりあのコスプレ女児が猫吉先生をここに遣わしてくれたんだろう。
「なぁ…猫吉先生は怖くなかったのか?死んだ俺と一緒に…って、言われたんだろう?」
「怖くなんかない!天国でも地獄でも一緒に行こうと思ってたんだ!ただ、我は…我は酒よりもずいぶんとルノムに思われていないのだな…」
ジト目の猫吉先生が二本の尻尾で俺の足をパタパタと叩いてきた。
よせやい。俺、本当に泣きそうなんだから、やめてくれ。
「ルノムが我を思い出してくれるまでは、暗い所から出られないって言われた。ルノム…思い出すの、すっごく遅かった。我の事…思い出そうともしなかった…」
猫吉先生は頬をぷくっと器用に膨らませた。おいおい、猫さんはそんな事、出来ないだろう?そのほっぺたをそっとつつく。
毛並みは柔らかくて…幼い頃の俺が失った、あの大切なぬくもりが、確かに、今、ここにある。
あぁ、猫吉先生はこの異世界で…生きているんだ。