5.異世界へようこそ
翌朝、宿屋で目が覚めた。
異世界へようこそ、俺。
鏡の前には、髪に恐ろしいほど寝癖が付いている、俺が二十歳だった頃を確かに彷彿とさせるような俺がいた。そうだったそうだった。俺、見た目はハッスルしちゃうかもしれない二十歳で中身はそのままおじさんなのですよ。
恐らく45歳ってのは、この世界では日本より年上な感覚なんじゃないかと思う。この異世界をなんの予備知識も地盤もなく、ウロウロするのは宜しくないという差配だったのだろうが、なんせ心は45歳だからさ、なんか微妙…まぁ、何が変わるってわけでもないから、別に良いんだけどな。
とりあえず髪をどうにかしようとリュックサックに入っていた帽子を取り出してかぶってみた。旅人の帽子って表示されそうな、あれだ。ないよりマシだから、かぶっておこう。
シャンプーを切に所望したい。そしてコーヒーが飲みたくてたまらない。
コーヒーがない世界だったらどうしよう。これからコーヒーのない人生を歩めって?異世界へ転生した事より、コーヒーなしの異世界かもって事の方が重く俺にのしかかる。
しょんぼりとベッドに座っていてもどうしようもない。
朝食を取るために外へ出る事にした。
エールがあったんだ。もしかしたらコーヒーがあるかもしれない。
粗悪だろうがウェルカムだ。
朝食と言ってももう11時を過ぎている。
町の中心部には市が立っているという話だったので、まずはそこまで行ってみようと思う。
そう言えば、なんだかやけに眠いんだよな。
平均睡眠時間が3~4時間だった日本での生活では考えられないほどに眠ってしまった。
転生酔い?そんなものがあるのかどうかも知らないけれど、ここで本能に逆らっても仕方がないので、暫くは体調を整える事に注力したい。
まぁ、要するには朝寝坊の言い訳である。
トロンジョはコンパクトだが活気のある町で、なかなかに住みやすそうだ。
市には食事を出す屋台もたくさん出ていて、思わず目移りしてしまう。一日二食の生活が長かったので、基本は一日二食のつもりでいる。夜はトロンジョ料理が食べたいから、朝は別のものを選ぼう。
屋台を物色する。紅茶らしきものやスープ、そしてぬるいエールを売っているのを見かけたが、コーヒーもしくはコーヒーもどきは見つけられなかった。つらいなぁ。
店先の人を見ていると、どうやら自分のコップや水筒に飲み物は入れてもらうというシステムらしい。
俺は茶として販売されていた飲み物を買う事にした。
たぶん…紅茶、だろうか?
これは普通の紅茶だと思うが…正直、紅茶の正解がわからない。
なんせ味が薄くて香りもしないお湯だから。赤茶湯、そんな感じ。
でも、紅茶があるならば、この世界のどこかにコーヒーもあるかもしれない。
その為に、この異世界を旅して周ったって構わないとさえ思うくらには、俺はコーヒー中毒なんだよ。
脳内コーヒーパニックを諫めつつ、食べ物を買う。
露天商の元気な声を総合するに、トロンジョの焼いたの以外は大抵なんかしらの魔獣肉を売っているらしい。
固いパンに魔獣の肉の焼いたものを乗せてもらう、もしくは串焼きだ。ちなみに串焼きの方が値段が高い。もちろんパンに肉をのせてもらって立ち食い飯だ。
ジビエっぽい肉で野性味…少し臭みがある。味付けは…塩。
香辛料などを使えば臭みは消えるだろうに、そういうものはあまり使わない世界なのだろうか。
少し臭みはあるが食べられないほどではなく、二口三口と食べ進めるうちに、臭みも気にならなくなって完食してしまった。
紅茶を飲み干してしまったので水筒をリュックから取り出した。そう言えばこの水筒、なかなかに恐ろしい一品だった。
昨夜、水筒の中の水が減らないのを不思議に思って、思わずじっと水筒見つめていたら『無限水筒:一定量の水自動補充/自動洗浄(高)』と脳裏に出てきたのだ。
これがあれば生きていけるんじゃないか?
風呂無しでも最低限のマナー的な清潔度も保てるだろう。
そもそもあまり風呂に興味がないからかも知れないが、これがあれば野宿も恐くない。
いや、野宿は違う意味で恐いから全くしたくはないが、お金がついえた時の事をついつい考えてしまう。
やけにカタカタと音がなる水筒だなとは思っていたが、なんと水筒の筒底部分には、小さな石が入っていた。石をじっと見つめると『魔石:魔石(水)』と出る。
そう言えば、これと似た石がリュックサックの大袋に沢山入っていたが、あれらも魔石というやつだろうか。宿に帰ったら確認しなければ。
これもあのコスプレ女児が全部用意してくれたもの。
俺が寝とぼけている間に勝手に話が進んでいて、いささか勝手に異世界へ飛ばされた感はあるが、中々に親切な奴だったようだ。
まずは日用品が揃いそうな店を探そうと思ったが、市でも色々な商品が売っている。
屋台を冷やかしながら市場調査しつつ、コーヒーとシャンプーがない事にがっかりした。特にコーヒー!
§
町を散策していたら、看板に『ギルド』と書いてある建物があった。首から下げたギルドタグを見ると看板と同じマークが彫られている。
入っても良いのだろうか…。
そう思いながら眺めていたら、尻尾をゆらゆらさせた男性二人が連れ立って入って行ったので、思わずその後について建物へと入ってしまった。
決して、尻尾に誘われた訳ではない。
獣人という事だよな。人にも鑑定をかけたら何か見られるかと思ったが、鑑定は人には使えないようだった。
よく考えたら人の鑑定なんてできたらヤバそうだし、そもそも凄く失礼な行為だよ。そう後から気付いて使えなかった事に安堵する気弱な俺。
獣人かぁ…獣人のその姿を見た時にもっと驚くものと思ったが、あまりに自然に町に溶け込んでいたため、なんの感慨もなく受け入れてしまった。
異世界では神経が図太くなるものなんだろう…いや、もとから図太かったのか。
ギルドの建物内は実に閑散としていた。
壁際に依頼書というものが沢山張り出してある。
丁寧なスケッチまで添えられているものまであった。
見るともなく見ていると、俺のリュックサックに入っている草に似た草を欲しい、という張り紙を見つけた。変わった形の草だったから覚えていたのだ。
『精力草:1本金貨5枚~、状態による』
受付を見ると、総合・依頼達成・依頼申し込み・買い取りと解体…と上に札が垂れ下がっている。各色にわかれているし、札にわかりやすくイラストが添えてある。やはり識字率が低いのだろう。
今のところ、読み書き発語…言語一切に困る事がない。この能力もあのコスプレ女子がつけてくれたスキルなんだろう。有難い事だ。
俺は総合と買取と解体の二つの札を下げたカウンターへ向かい、リュックサックに入っている草を座っている男に2本出してみた。出して気付いたが、鑑定してから出せば良かったな…。
「かなり高品質だな。1本金貨…8枚でどうだ?」
「あぁ、頼む」
「金貨16枚か白金貨1枚と金貨6枚、どっちが良い?」
白金貨は…金貨の上の硬貨らしい。見てみたい。
「白金貨を混ぜてくれ」
奥のスペースへ消えた男が、硬貨を持って戻って来る。
これが白金貨か。これは財布の中にもあったな…と、思いながら、受け取りを済ませた。
金貨10枚が白金貨1枚、貨幣価値を地道に学んでゆくおじさん。見た目は二十歳だけど。
それにしても草2本で白金貨1枚と金貨6枚か…生活費に困ったらまた売りにこよう。
そう決意して、カウンターを離れた。
他の依頼書と書かれた張り紙にゆっくりと目を通す。
魔獣討伐系・護衛系・素材採取系・手伝い系、おおよそそんな区分で依頼が張り出されている。
魔石は魔獣から取れるらしいが、魔石単体でも買い取りをしているらしい。
『魔石:最低価格金貨3枚~』
魔石もなかなかの高値だ。魔石は水筒に必要だし、他にも使う用途がありそうだから売るつもりはないが、どうしてもの時は売る事も出来るという事だ。
財布の硬貨がなくなっても、しばらくは食いつなげそうで少し安心する。
先ほどとは違うカウンターにいる受付の男性が、暇そうに頬杖をついてこちらを見ていた。
依頼達成・依頼申し込みの二札を下げている。
見るともなしに見て、目が合ってしまった。
人懐こそうなニカッっとした笑顔を向けられたので、少し会釈をする。
「依頼を探してるのか?人気のものは朝一番で取られちまうから、良い依頼は残ってないんじゃないかな」
「いや、町に着いたばかりで…積極的に依頼を受けたい訳じゃないから。どういう依頼があるのか見ていただけだ」
「そうか。もし達成できそうなものがあれば受けてくれよ」
「あぁ、そうだな。なぁ、ギルドには…素材の資料なんかはないのか?」
依頼書に添えられた丁寧なスケッチを見て、もしかしたらそういう資料があるのではないかと思ったのだが、どうだろう。
「一応小さいが資料室はあるぞ。使用料はギルド会員なら1日銅貨3枚だ。資料室は朝8時から夜8時まで開いている。ただし、一日中いても銅貨3枚、10分でも銅貨3枚だ」
時間は…壁にある時計を見ると夕方で、4時をとうに回っていた。明日にしようかな。
「ありがとう、また来てみる」
「おう、依頼もよろしくな!」