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5.デートと贈り物と

 初日と同じドレスを引っ張り出してきたクシェルは、鞄を両手で抱えながら馬車に揺られていた。


 嫁いで来たときと同様の振動だ。しかし何故か、前回よりも揺れを大きく感じる。

 それはおそらく、クシェルの心臓が激しい音を立てて揺れているからだろう。


 そう他人事のように自覚しつつも、クシェルはぎゅっと鞄を握り締め俯いた。


(どうして……こんなことに、なったのかしら……)


 ふわふわと夢見心地なのは、馬車が揺れているからなのかクシェルの心臓が激しく揺れているからなのか。分からない。ただ、その要因が斜め向かいに座るイェレミアスだということは、よくよく分かっていた。


(どうして……デートだなんて、そんなこと仰られたのかしら)


 しかも、断ろうとしたら「諸々のお詫びも兼ねて僕の買い物に付き合ってくれたらと思うのですが……どうでしょう?」と言われた。そう言われてしまったら、クシェルに拒否権などない。大人しく頷いた。


 それに、クシェルも街に出たいとは思っていたのだ。


(どこか、ヴェールを売れる場所があれば……良いのだけれど)


 鞄を持ってきたのも、ヴェールを入れるためだった。


 ずきん。


 心臓が、鈍く痛む。

 それを隠すために鞄をぎゅっと握り締め、イェレミアスの顔を見られず外を眺めた。


 今日は珍しく快晴だ。降り注ぐ光を浴びて、積もった雪が宝石のようにキラキラと輝いている。

 一面の雪化粧はひどく美しいのに、宝石の妖精の血族である自分より綺麗に輝いていて、胸がまた傷んだ。

 しかし視線を逸らしたところでイェレミアスの方を見ることはできないので、そのままぼんやりと外を眺める。

 すると、段々と雪が減る。同時に視界に門が入り、世界が一変した。


 クシェルは、目を瞬かせる。


 赤褐色の屋根と、クリーム色をした建物がいくつも立ち並び、ひしめき合っている。ガラス張りの大きな窓には洋服を着たマネキンやパンが置かれた棚等様々なものが並び、どれも目新しく色鮮やかだ。


 何より驚くのは、人の数だ。


 人、人、人人人人人。


 目まぐるしいほどの人が、外套を羽織って道を歩いている。

 楽しそうに笑っている家族、身を縮こませて急ぎ足で進むボロ服の男性、殿方と一緒に歩くカップルらしき二人組。

 髪の色や背丈、着ている服、様々な人たちが行き交う様は、クシェルにはとても刺激的だった。


(ここが、王都)


 王都・カルヴァーン。

 この国で最も栄えている街だ。


 初めて見る『街』というものに、クシェルは圧倒されるしかない。


 声もなくただただ呆然としていると、馬車がゆっくりと速度を落とした。そして、ある場所で停止する。

 それにも気づかないくらい、クシェルは外の光景に見入っていた。


「クシェル、着きましたよ」

「…………え、あ、はいっ⁉︎」


 だからか、イェレミアスに声をかけられ、声が裏返るほど驚いてしまう。慌てて口を押さえたが、今度は鞄を落としかけてしまい全く取り繕えなかった。

 そのクシェルの行動を全て見ていたイェレミアスは、あまりの慌てぶりに呆気に取られた後くすくすと笑っている。


(は、恥ずかしい……!)


 顔から火を噴きそうなほど、顔が熱を持っていた。顔どころか、首や耳まで真っ赤だろう。それと同時に、これから待ち受けるであろう蔑みが想像でき、熱が一気に引いていく。


 それでもイェレミアスは馬鹿にするようなことなく、クシェルより先に馬車から降りて手を差し伸べてくる。


「さあクシェル。お手をどうぞ」


 それを見たクシェルは、イェレミアスの顔と手をゆっくりと一瞥してから思った。


(生家でこんなことをしたら、罵られるか嘲笑されるか、はしたないと鞭が飛んでくるところ、なのに)


 それが、ない。

 だからなのか、ふわふわした感覚が抜けない。


 夢見心地のままイェレミアスの手を取り、外に出れば、目の前には大きな仕立て屋があった。


「さて。最初の買い物はここです」

「…………えっと……?」

「さあ、行きましょうか」


 有無を言わさず、クシェルは仕立て屋の中に文字通り引き込まれた。イェレミアスが、クシェルの手を取ってさくさくと中へ入ってしまったからだ。


 中に入った瞬間、あまりの煌びやかさに目を白黒させる。


(い、ろ。色、が、いっぱい……っ)


 赤、青、黄、緑、白、黒、紫。

 様々な色や模様が描かれた生地が、棚に所狭しと並んでいる。

 ひとえに赤と言っても、血のように深く濃いカーマインの赤もあれば、やや黄味がかったスカーレットの赤もある。他の色も然り。


 色だけでなく質感も異なり、光沢感のあるサテン生地もあれば高級感のあるベルベット生地と様々なものを揃えていた。

 それ以外にも透け感の強いシフォンやチュール、レース生地が棚に入れられている。


 心が、否が応でも震えた。


(すて、き)


 あの生地はどのようにして作るのだろう。

 あの生地とあのレースを合わせたら、一体どんなドレスができるのだろう。

 あの生地とあの生地を使うにはどのような縫い方がいいだろう。


 そんな想像が頭の中で一気に溢れて、止まらない。


 クシェルにとってそれは、宝石箱のような光景だった。


 クシェルがあまりの光景に感動して唖然としているのをいいことに、イェレミアスが慣れた様子で一人の女性に声をかける。


「お久しぶりです、ハシュテット女史」

「これはこれは、ようこそおいでくださいました。坊っちゃま」

「……この歳にもなって、坊っちゃまはやめてください」

「ふふ、大変失礼いたしましたわ。坊っちゃま」

「……分かっていないではありませんか……」


 クシェルは、イェレミアスを軽い調子でいなす三十代ほどの女性を見つめた。


(とても、きれいなひと)


 黒い髪をお団子ヘアにし、黒縁の丸眼鏡を付けた黒目の女性だ。着ているのは、詰襟のバッスルスタイルのドレス。ミッドナイトブルーの深いドレスは落ち着いているのに品があって美しく、釘付けになった。


 その中でまずクシェルが気にしたのは、そのドレスの形だ。


 バッスルスタイル。

 バッスルスタイルというのは、最近妙齢の女性たちの間で流行っている流行のスタイルだった。クシェルも嫁ぐ宝石姫たちのために幾度となく流行のドレスを作らされたので、ドレスの流行だけは把握している。それを取り入れたドレスを着こなしているのは、さすが王都の仕立て屋というべきだろう。


 しかし、クシェルが知っているバッスルスタイルドレスはもっと派手だった。女王陛下が考案したものらしい。だからか、妙齢の女性たちも陛下に倣ってレースやフリルをたっぷり使ったものを好んでいた。


 その中でクシェルが何より注目したのは、ネックからデコルテ部分にかけて使われている黒地のレースと、背後の腰辺りに付けられた薔薇の形をした生地だ。


 薔薇の中に蝶々が踊るレースには、所々に小さなパールビーズがあしらわれている。それが動くたびにキラキラと輝いた。レースからわずかに覗く肌が、品の中に色気を醸し出している。


 バッスルスタイルの見どころである背後の腰辺りには、ミッドナイトブルーの生地で薔薇の花が作られている。とても立体的なのに動いても型崩れをしていないその様を見て、クシェルは相当な技量の持ち主が作り上げた逸品だということを瞬時に悟った。


 クシェルが思わず見惚れていると、イェレミアスが女性を紹介してくれる。


「クシェル。彼女は代々我が家の服を仕立ててくれているハシュテット女史です」

「初めまして。イルザ・ハシュテットと申しますわ。どうぞよろしくお願いいたします」

「は、初めまして。クシェル・オニュクス・エーデルシュタイン、と申します。こちらこそ、よろしくお願いします……」


 クシェルはかすれた声で答える。だが、血の繋がらない赤の他人とまともに対話したことがなく、ドギマギする。

 そんなクシェルを見て、イルザは口元を押さえた。


「まあまあ。見目も麗しく大変着飾りがいがありそうなお方だと思っておりましたが、お声も鈴のように可愛らしいご令嬢ですね。このような方をお連れになるとは、坊っちゃまも隅に置けませんわ」


(……見目、うるわ、し、い? 声も、かわい、い……⁉︎)


 一度だって言われたことがない言葉に、心臓が早鐘のように鳴る。お世辞なのだと分かっていても、言われ慣れていない言葉を言われるのは心臓に悪い。

 その一方でイェレミアスは、困った顔をしながら頬を掻いている。


「ハシュテット女史。若者いじりはほどほどにしてください……クシェルが困ってますから」

「これはこれは、大変失礼致しましたわ。ですが本心ですので、そこだけはあしからず」

「え、あ……は、はい……」


 イルザはにこりと微笑むと、呆れ顔のイェレミアスに向かって問いかける。


「して、坊っちゃま。此度はエーデルシュタイン嬢へのドレスをお求めですか?」

「はい。日常的に使える冬物一式を数点、できる限り早く作っていただきたいのです」

「……え?」


 クシェルは、全く予想していなかった言葉に目を白黒させた。

 しかしイルザは心得た、と言わんばかりにこくりと頷き、眼鏡の縁を持ち上げる。


「承りました。デザインはいかが致しましょう?」

「うーん……クシェルは何か好みはありますか?」

「え、いえ、そ、の……作っていただくのは、少し……」


 イェレミアスが首を傾げる。


「どうしてですか?」

「だって……私は、イェレミアス様の婚約者でしか、ございませんし……」


 ごにょごにょと歯切れ悪く俯いていると、イルザが口元に手を当てて恐れ慄く。


「まあ、坊っちゃま。とうとうそのようなお方をお作りになられたのですね! このイルザ、大変感激いたしました……!」

「……大袈裟ですよ」

「大袈裟ではございません! 昔から女っ気の欠片もなく、勝手ながら心配しておりましたから。奥様もさぞお喜びでしょうね……承りました。このイルザ、とびっきりの冬物ドレスをお仕立てさせていただきますわ!」

「え、いえ、あのっ」


 クシェルが慌てると、イェレミアスが肩をすくめた。


「クシェル。贈り物を婚約者に贈るというのは、貴族社会では一般的なのですよ」

「そ、そうなの、です、か……?」

「はい。むしろこれこそ、男の甲斐性の見せどころです。婚約者へのアピール場面と言ってもいいですね」

「そう、なの、ですか……」


 その辺りの常識を知らないクシェルがどうしたらいいのか分からず視線を彷徨わせていると、イルザも深く頷く。


「そうですわ、エーデルシュタイン嬢。寧ろご令嬢方に贈り物も贈れない殿方は、社交界では甲斐性なしとして嫌われます。特にドレスを贈るのは、ごくごく一般的ですね。ですので殿方の顔を立てる意味でも、素直に受け取るのが礼儀かと存じますわ」


 クシェルは、ごくりと唾を飲み込んだ。


(私が遠慮ばかりしていたら、イェレミアス様が甲斐性なしと言われてしまう……?)


 それは、絶対に駄目だ。迷惑がかかってしまう。


 クシェルが無言で頷くのを見て、イェレミアスとイルザは満足したらしい。互いに顔を見合わせて頷く。


「それではエーデルシュタイン嬢。採寸させていただきますので、こちらへ」

「は、はい」

「いってらっしゃい、クシェル。……楽しんできてくださいね」


 そうイェレミアスに見送られ、クシェルはお店の奥にあるドレッシングルームへと連れて行かれたのだった。

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