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3.エルツ男爵家の決まりごと

 クシェルは、自身が教わってきた知識を駆使して全てを話した。

 エーデルシュタイン家の契約の仕方、その理由。聞かれたことをなんとか思い出し、たどたどしくも語る。だがさすがに、契約前で自身の価値について語るのは躊躇われた。恐ろしかったからだ。


 そんなふうにビクビクとしながら、話をした後。

 クシェルの語りを聞いたイェレミアスは、開口一番にこう告げた。


「……なる……ほど……」


 びくりと、クシェルは震えた。イェレミアスの声音が、怒っているような、冷めた響きを帯びているように感じたからだ。


 そんなクシェルを見て我に返ったのか、イェレミアスはにこりと微笑み頷く。


「ありがとうございました、クシェル。貴女のご実家の決まりは、よく分かりました」

「は、はい……」

「ただ……貴族社会では一般的に、『嫁いだ家の掟に従う』というルールがあります。それはご存知ですか?」


 クシェルは少し悩んでから、こくりと頷いた。


「はい。実家でも、そのように教わってきております」


 そのために、相手がどんな家柄の人間でも対応できるように、普通の貴族令嬢ならば習わない料理や洗濯、家事といった雑事も教わってきた。

 クシェルが頷いたのを見て、イェレミアスもこくりと首を縦に振る。


「ならばクシェルにも、本日から我が家のルールに従っていただきます」

「は、はいっ」

「我が家のルールでは……嫁いできたご令嬢にはまず、花嫁修業をしていただくのが決まりです」


 クシェルは、目を瞬かせた。

 イェレミアスはなおも続ける。


「まず初めに婚約者として当家のルールと、夫人としての振る舞いを学んでいただいてから、挙式を挙げるのです。言わばお試し期間ですね」

「え」

「花嫁修業期間はまちまちですが……最低でも三ヶ月はやらせていただきます。状況によっては延長ありです」

「え、あ、それ、は、」

「もちろん、その間の衣食住については当家で賄います。夫の甲斐性の見せ所ですから、何一つとして気にせずとも良いのですよ」


 全く知らないルールに、クシェルが混乱し口をぱくぱくさせる。そんな彼女にとどめを刺すかのように、イェレミアスはにこりと微笑んだ。


「もちろん……花嫁修業期間内で、双方の同意なく口付けを交わすなどもってのほか。言語道断です」

「え。……えっ。で、すが、それでは、けい、やく、が……」

「契約があったとしても、です。分かりましたか、クシェル」


 クシェルは、動揺しすぎて動かない頭を必死になって回した。


(そ、それはつまり……妻になるまでは、契約してはくださらない……という、こ、と……?)


 話を聞くに、その間に捨てられるということはないらしい。要らないものとして扱われることもないようだった。


 イェレミアスがそのように言うのであれば、クシェルがそれに従わないわけにはいかない。

 ただ、一つだけ疑問があった。


(エルツ男爵家は新興貴族なのに、どうしてそのような決まりがあるのかしら……?)


 一番考えられる理由としては、イェレミアスが作ったルールだということだ。ただ、そんなふうなルールを作った理由は分からない。何かあるのかもしれない。

 しかしそれを口にすることはせず、クシェルは首肯した。


「かしこまり、ました」


 クシェルが納得したのを見て、イェレミアスは安堵したのだろう。緩く笑むと立ち上がり、クシェルのそばで軽く腰を折り、そっと右手を差し出してきた。


(これは……手を取れ、ということ、よね……?)


 しかし、自分のような地味でエーデルシュタイン家の娘に相応しくない石ころが、こんなにも美しい人に触れて良いのだろうか。そんな躊躇いが生まれる。


 ぐらぐらと左右に傾く心の天秤は結局、『イェレミアスの配慮を無下にしない』に傾いた。


 俯きながらも、おそるおそる躊躇いがちに指先を乗せると、グッと深く手を握り込まれ、引っ張られるように立ち上がらされる。

 驚き顔を上げると、イェレミアスのまろみを帯びた金色の瞳の目が合った。


 どのような高級品よりも美しく、鮮烈な色。


 一瞬でクシェルを魅了する色に、とくりと心臓が跳ねる。

 クシェルが顔を上げたことに満足したのか、イェレミアスはうん、と頷いて口を開いた。


「それでは僭越ながら、僕自ら屋敷を案内させていただきますね」


 そう言い引かれた手は、手袋越しでも分かるくらい温かかった。









 それから、イェレミアスは言葉通り、カントリーハウス内を案内してくれた。

 一階の応接間を出て図書室、大広間、晩餐室とぐるりと回る。どうやら、客人を通したり、普段生活する際に使う場所がメインなようだ。

 二階にはプライベートな部屋が置かれている。ここに、クシェルが過ごす部屋も置かれていた。

 屋敷の面積が広くないからか、使用人が暮らす区画も二階にあるようだ。一階のエントランスホールを上がって、向かって右側がイェレミアスやクシェルが暮らす主人用の区画で、左が使用人用区画とのこと。

 地下室も二箇所あり、右側がイェレミアスが私的に使うもの、左側が食糧庫や倉庫、ワインセラーがある場所だと言われた。


 ひとと通り場所を教えてもらってから、イェレミアスは右側の地下室を指し示して言った。


「あそこは、僕が魔術研究をするときに使っている部屋です。魔術工房とも言いますね」

「魔術工房……魔術、研究……です、か」

「はい。一応鍵をかけてありますので大丈夫だと思いますが……入らないように注意してください」

「は、はい。もちろんです」


 魔術師にとって魔術工房は、自身の魔術を高めるために必要な大切な場所だ。また、クシェルには分からないような危ない植物があったり、薬液があったりすることもある。そこに足を踏み入れることは、絶対にしてはならない。


 クシェルが割と本気で頷くのを見て、イェレミアスは安心したらしい。最後にクシェルを彼女自身の私室に連れて行くと、そっと手を離した。


「朝から馬車に乗っていらっしゃいましたから、お疲れでしょう? 夕食になったらまた呼びますから、どうぞ自由にしてください」

「え、あ、ですが……そのようなことをしても、良いのですか?」

「もちろん。この屋敷の主人は、この僕。でしたら、この僕の言葉が全てルールです。分かりますね?」

「は、はい。分かり、ました。お言葉に甘えて、休ませていただきます」

「はい、是非。クシェルの荷物はもう中に運び入れていますから、安心してください。……それでは」


 そう言い、イェレミアスは一礼をして立ち去る。その所作一つをとっても美しく、クシェルは部屋の前で立ち尽くしてしまった。

 ハッと我に返ったクシェルは、慌てて室内に入りふう、と息を吐く。


 扉に背中を預けながら、クシェルはずるずると座り込んだ。


「……予想外、だわ」


 クシェルは、手袋を外しながらかすれるような声でそう呟いた。

 お互いに手袋越しだったが、まだ温かい気がする。


(いえ……温度というか……その心遣いが、とても温かかった)


 だからか、思わず繋がっていた手をさすってしまう。


 バツが悪くなり、顔を上げて部屋を見てみれば、そこにはすでに調度品が揃っている。ソファや膝丈のテーブルが、温かみのあるアイボリーのカーペットの上に置かれていた。アイボリーの壁には絵画がかかっていて、窓際に置かれた花瓶には白いアネモネが一輪挿さっていた。


 扉が二つあり、うち一つはバスルーム、一つが寝室へ続くものだ。バスルームが付いている部屋は貴族の家だとしても珍しく、びっくりする。そんなものが自分の部屋についていることが信じられず、クシェルは逃げるように寝室に入ると、カーテンを急いで閉めた。

 ずっとヴェールを被って暗い中にいたからか、明るい部屋はなんだか居心地が悪かったのだ。


 足元に置かれていた鞄を開いて見たが、中のものはない。試しに部屋の中を確認して見たら、持ってきたもう一枚のドレスはクローゼットに、下着や小物といった必要最低限のものは箪笥(チェスト)に入っていた。どうやら、使用人がしまってくれたようだ。


 やることが全てなくなってしまったクシェルは、ふらふらとベッドに腰を下ろした。

 そのまま力を抜けば、体は大きくかしいで後ろに倒れる。ばふんと音を立てて、クシェルはベッドに沈み込んだ。


 しわひとつないシーツはパリッと乾いていて、気持ちが良い。洗い立てなのだろう。クシェルがやってくるタイミングに合わせて、わざわざ干してくれたのだろうか。


 クシェルはごろりと体を横に向け、指先でシーツに触れた。


 あたたかい、とてもあたたかい。


 それだけで、ここの使用人たちのキチンとした仕事ぶりが窺えた。同時に、心遣いも感じられて頬が緩む。


(イェレミアス様も……とても、お優しかった)


 あまり語ることが得意ではないクシェルの言葉はとても聞き取りづらかっただろうに、それでも根気よく話を聞いてくれた。相槌を打ってくれた。手を取り、クシェルの歩幅に合わせて屋敷を案内してくれた。

 普通の人なら当たり前のことかもしれないが、クシェルにとっては全部が初めてだった。

 それらを思い出したこともありなんだか心地良く、クシェルの瞼が自然に落ちていく。


(ああ、そうだわ。私、死のうと、していたのに)


 そんな気持ちも霧散してしまうほど今感じているまどろみはとてもぬくく、今まで緊張していたこともあってか、意識があっという間に溶けていく。


 柔らかいぬくもりに浸りながら。クシェルはゆっくりと眠りに落ちた。

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