27.女王陛下との邂逅
――それから一週間後。
クシェルは、宮廷にいた。
身にまとっているのは長い長い純白のドレスだ。しかしただ白い布を使っているわけではなく、フリルやレース、光沢のある白と銀の絹糸を使った刺繍があちこちに施されており、細部を見れば見るほど手が込んでいることが分かる。
また、美しい編み込みが施された黒髪には美しい白薔薇の花冠と、シフォン生地に刺繍を施したヴェールが。
ネックレスとイヤリングは、美しく加工されたダイヤモンドだ。
両腕にも同様にシルクの長い手袋をしていて、手には純白の薔薇の花束が握られている。
これらは全て、社交界デビュー用にあつらえられた装いだ。
そう。クシェルは本日、社交界デビュー――女王陛下との初の謁見に臨むのだ。
玉座の間の前で扉が開くのを待ちながら、クシェルはごくりと喉を鳴らす。
緊張で気が動転してしまいそうだった。今自分がしっかり立てているのかどうかすら怪しい。それくらい、足元がふわふわしておぼつかなかった。
なんせ、わざわざイェレミアス自身がクシェルの社交界デビューのために女王陛下との謁見を取り計らってくれたのだ。否が応でも緊張する。
しかしイェレミアスのとなりに立つためには、社交界デビューは必須事項だった。
(だから……失敗しないように、頑張らなければ)
そんなふうに意気込んでいるからか、緊張でガチガチに固まったクシェルを見たイェレミアスが、くすくすと笑い声を上げる。
「クシェル。食べられてしまうわけではないんですから、そんなに緊張しなくても良いのですよ?」
「でで、です、が……特別な、取り計らいです、し……」
「その件については問題ありません。陛下ご自身も、今回の功労者であるクシェルと話がしたいと仰っていましたから」
そう。しかも、デビュタメントが終わればクシェルは女王陛下とお茶をすることになっているのだ。
(なおのこと、粗相はできない……!)
先ほどよりもガチガチに固まってしまったクシェルを見て、イェレミアスがそっと告げた。
「それにほら、僕もいます。なので絶対、大丈夫」
そう言われ、振り返る。イェレミアスも、クシェル同様宮廷魔術師が催事のときに着る最高礼の礼装を身につけている。白地に金の縁飾りが施されている、美しい儀礼衣だ。髪もいつもより念入りに梳かされ、一つにまとめられている。そんなイェレミアスは、どこをどう切り取ってもとてもとても見目麗しい。
(イェレミアス様、本当にお美しいわ……)
まるで、御伽噺の世界から抜け出してきた王子様のようだった。それくらい美しくて神々しくて、思わず目を細めてしまう。
イェレミアスは、今回特例で認められた同伴者だ。そんな彼に見劣りしないよう、ドレスも化粧もそれ以前のお手入れもできる限り頑張ったが、やはりとなりに立っても相応しい女性に自分がなれたかどうかは、全く自信がない。
でも。
(想いは確かに、通じ合ってる)
それがあるからか、普段とは違い決して俯くようなことはしなかった。心なしか、緊張もほぐれて少し余裕が出てくる。
すると、扉の前にいた衛兵が声を上げる。
「開門ー!」
そうして扉が開くのと同時に、クシェルは玉座の間へと足を踏み入れた――
一歩一歩。決して、間違えることなく進む。
この一週間、社交界デビューのためだけに、ヘルタが何度も教えてくれたことを思い出して、クシェルは丁寧に前へ向かって歩いた。
そして、玉座に続く階段の少し前でドレスの裾を持ち上げて、ゆっくりと腰を折る。
ここで、決して口を開いてはいけない。相手が話して良いと言うまで、黙って最高礼をしなくてはならないのだ。
そうして一拍、二拍……と時間が過ぎ、ようやく空気が震える。
「面をあげよ、宝石の娘、クシェルよ」
「……はい」
そうして顔を上げればそこには、絶世の美女がいた。
涼やかな緑の瞳が、クシェルを優しく見つめている。
赤毛の巻き髪を美しく結いあげ、真紅のドレスを身にまとう姿は圧巻の一言だ。まず、放っているオーラが他の貴族たちとは一線を画している。一言で言うなら、とにかく神々しい。
何より自信と威厳に満ちており、思わず再度こうべを垂れてしまいそうになった。
彼女こそ、ミュヘン王国女王、エルネスティーネ。
妖精と精霊を信仰する王国の、文字通りの君主だ。
それを示すように、玉座の後ろには盾に王冠がかかり、センターに薔薇と妖精の翅が描かれた紋章が描かれた幕が下りている。これこそ、王家の紋章だった。
「お初にお目文字仕ります、女王陛下。クシェル・オニュクス・クラールハイト、と申します。……お会いできて光栄です」
新しい、まだ慣れない名字に四苦八苦しながらもそう形式通り告げると、エルネスティーネは艶やかに微笑む。
(新聞のお写真でお顔は拝見していたのだけれど……実際にお会いするのとでは、全然違うわ)
まとっている空気や所作、佇まい。そのすべてが神々しくて美しい。エルネスティーネの雰囲気は、自身と同じ人間と対面しているというより、妖精や精霊といった神聖な生き物を前にしているときの感覚に近かった。
思わず見惚れてしまっているクシェルに、エルネスティーネはくすくすと笑みを浮かべる。
「いやはや、随分と初々しく可愛らしい娘よ。なあ、イェレミアス?」
「……へっ⁉︎」
「ええ、もちろん。僕の婚約者ですから」
「……そなた、言うようになったのう……」
想像以上に気安い会話を、しかも惚気とともにされ、クシェルは悲鳴を噛み殺す。しかし羞恥で顔が真っ赤になってしまった。
そんなクシェルにまた笑って、エルネスティーネは言う。
「さあ、形式的な挨拶は終わりだ。――そして楽しい話をしよう、クシェル」
その言葉に促されるように、クシェルとイェレミアスは用意された部屋へと案内されたのだ。
*
さすが宮廷というべきか。用意された茶菓子はどれも一級品で、見た目もそうだが味もとても美味しかった。
そんな茶菓子に舌鼓を打ちながら、クシェルはエルネスティーネと話をする。
「まず……エーデルシュタイン家の件で尽力してくれたこと、心の底から感謝するよ、クシェル」
「そ、んな。もったいないお言葉です」
「……いや、本当にこれはとんでもないことなんだよ、美しき宝石の娘」
そう言われ、ぱちりぱちりと目を瞬いて困惑する。
そんなクシェルに苦笑しながら、エルネスティーネは告げた。
「知っての通り、我が国は妖精と精霊を愛し、慈しみ、また畏怖する国だ。そして我が王家……その中でもとりわけ王は、六大精霊様方と昔から通じているのだよ。むしろ、力を貸していただいている。そして……彼の方々は、今回の一件に大層ご立腹であられたよ。正直そちらのほうが、一番苦労したな。……なぁ、イェレミアス」
「……そうですね、陛下」
「もちろん誠心誠意謝罪をして、供物も捧げて、取りなしはしたのだがね」
「そんな、こと、が」
「ああ。だからそなたの勇気は、この国そのものを救ってくれたのだよ、クシェル」
そこまで言われ、じわりとまなじりが熱くなる。
実際、そんな大層な理由ではなかった。クシェルが生家を裏切り、本当のことを明らかにしたのは。
でもそれで救われた人が大勢いて、クシェルたちも救われたのなら、きっと良かったのだろうと思う。
自分の行動を認めてくれる人がいる。褒めてくれる人がいる。
それがこんなにも心強いなんて、昔のクシェルは知りもしなかった。
そんなクシェルに優しい目を向けながら、女王は言う。
「それにしても、因果なものだ。そなたを救いその心を射止めたのが、まさか我が国で一番の魔術師で、精霊と妖精たちの愛し子とは……そなたもなかなか罪な男だな、イェレミアス」
「……え、それは……え……えっ……?」
「……なんだ、まだ言うていなかったのか、イェレミアス」
「……別に言わなくても良いことではありませんか」
初めて聞いたとんでもない情報に、クシェルは思わず動揺する。
エルネスティーネは胡乱な眼差しを向けているが、しかし当のイェレミアスはどこ吹く風だ。
「僕が妖精と精霊の愛し子だろうと、クシェルのことを愛しているという事実は揺らぎませんから」
「言うのう……」
「なんとでも仰ってください。それに……愛し子の度合いで言えば、陛下のほうが上手かと存じますが」
「それはそうさのう。わたくしあってこそのこの国だ。むしろ愛し子でなければ、この国の女王など務まらんよ」
「仰る通りで」
その気安いやりとりから、二人の仲が昔から良いことは明らかだった。
クシェルは思わず微笑む。
「どちらにしても、お二方は宝石の娘たちの恩人です。……エーデルシュタイン家の娘を代表して、お礼を申し上げます」
クシェル以外のエーデルシュタイン家の娘たちは、一度全員宮廷に集められた。そこで、すでに契約をしてしまったものは強制解除を。また全ての娘に、エルネスティーネは養子先を見つけてくれるよう手配をかけてくれるそうだ。そこから嫁ぎ先も見つかることだろう。……本当の意味で愛してくれる、人たちの元へと。
それだけでも十二分にありがたいのに、歪んだ教育で身についてしまった知識の再教育や、心身のケアもやってくれるらしい。
そのおかげで、だいぶ弱っていたツェツィーリアも、今はとても良くなっているそうだ。
それらはすべて、エルネスティーネの迅速な采配によるもの。
クシェルだけでは絶対に救いきれなかった命だ。
そう思い頭を下げたのだが、むしろエルネスティーネが困惑した顔をしていて動揺する。
「クシェル……そなた」
「は、はい」
「そなたは本当に、真面目で心根の優しい娘だな。そなたらが受けた仕打ちからしたら、このようなもの安いものよ」
「そう、でしょうか」
「そうだよ、クシェル。そなたの身の上で、それでもなお他人を思いやれる人間はそう多くない。……それはそなたの美徳だ。大切にすると良い」
「はい、陛下。もったいないお言葉です。……大切にします」
そんなクシェルに、エルネスティーネは柔らかく笑うとそっと身を乗り出し、頬にキスをしてくれた。親愛のキスだ。
そしてこそりと耳元で呟く。
「イェレミアスは、色々な面もあるが良い男だ。きっとそなたを大切にしてくれる」
まさか、女同士の内緒話だった。すぐ目の前に内緒話の相手がいるということもあり、クシェルは思わず慌てる。声が大きくなりそうなのをなんとか堪えて、ぽそぽそと口を開いた。
「それ、は、その……もうとても、良くしてくださっています」
「そうかそうか。それならば良かった」
頬を真っ赤に染めて照れるクシェルに、再び親愛のキスを落としたエルネスティーネはそっと頭を撫でてくれる。
「そなたの姉妹たちは、わたくしが最後まで面倒を見よう。彼女たちとも会いたいだろう、会えるように手筈は整えておくから、いつでも宮廷に来るといい」
その言葉とともに渡されたのは、妖精の翅をかたどった金のペンダントがついた、ネックレスだった。赤、青、緑、黄、白、黒との石が嵌め込まれていて、とても綺麗だ。
それが女王自らが渡した許可証だということは、知識の疎いクシェルの目から見ても明らかだ。
つまりは、本当にいつでも宮廷に来ていい、ということなのだろう。
感極まり、ぎゅっとペンダントを握り締めたクシェルは、瞳を涙で潤ませながら言う。
「お心遣いに感謝いたします、女王陛下。……大切に、いたします」
「何、姉妹に会うのに、理由などいらぬであろう? わたくしも何かあれば力になる。だから――幸せにおなり、クシェル」
クシェルは言葉を出せず、ただこくこく、と頷く。
恐れ多くて決して口には出さなかったが、まるで母親のようだと思ってしまった。母親の面影などまるで知らないまま、こうして成長したこともあるだろう。その優しさが胸いっぱいに沁みて、嬉しいような悲しいような、そんな複雑な感情でごちゃ混ぜになる。
初めての感情に戸惑いながらもなんとか受け止めようとするクシェルに、エルネスティーネとイェレミアスは優しい眼差しで見守っていた。
――そんなたくさんの贈り物を胸に、クシェルはイェレミアスとローデンヴァルト侯爵家へ帰還したのだった。




