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25.あなたの幸せを願う

 空が白く染まり、日が差し始め。ゆっくりと夜が明け始めた頃。


 ローデンヴァルト侯爵家の居間にいたクシェルは、こっくりこっくりと船を漕ぎながらも未だにソファに座ってイェレミアスの帰りを待っていた。


 そんなクシェルにブランケットをかけてやりながら、となりに座っていたヘルタがそっと頭を撫でてくる。


「クシェルさん。そろそろ寝室で寝ましょうか。もう眠いでしょうし」

「……いえ、その……まだ、待ちたいです」

「……本当に? 大丈夫?」

「はい。……イェレミアス様のお顔を見てからでないと、安心して眠れないので……」


 過去の光景を何度も夢見てしまう点もそうだが、クシェルは不安になるとすぐに悪夢を見る。今回も、イェレミアスの無事を確認してからでなければ、とてもではないが眠れそうになかった。


(でないときっと……私は、イェレミアス様が亡くなられてしまう夢を見てしまう)


 ――真っ暗闇の、冷たくてじめじめした地下の部屋。

 エーデルシュタイン子爵家でクシェルが過ごした場所だ。決して外には出られず、全ての痛みが詰まった場所。


 そこをひたすら彷徨って、部屋という部屋を探し回って、でも誰も見つからなくて。最後、あの会場へと向かう。ツェツィーリアたちが鳥籠の中で売られていた、あの場所だ。


 その真ん中で、イェレミアスが心臓を貫かれて死んでいる。


 まるで見せしめのように、胸には剣が突き立っていて。床には真っ赤な血溜まりが、イェレミアスを中心にして広がっている。


 そんな彼を見つけて、クシェルは膝から崩れるようにして倒れ込み、絶望するのだ――


 イェレミアスの強さを信じていないわけでは、ない。きっとイェレミアスは本当に優秀で、強くて優しくて。勝てるだけの力があるのだと思う。


 でもどうしても、不安と後悔が胸に押し寄せてくる。

 自分さえいなければ、イェレミアスが危険な任務に身を晒さなくて良かったのに、とも思った。


(……そう、だわ。私さえ……私さえ、いなければ)


 いなければ、大切な人を危険に晒すなんていうことに、ならなかった。


 その事実に、心がじわじわと蝕まれていく。


 しかしこれがなかったら、エーデルシュタイン家の娘たちが救われなくて。でも、イェレミアスが危険に晒されて。


 どちらも大事で、どちらも大切。


 そして、自身がそれ以上役に立てないことに、もどかしさを感じる。


 不安な気持ちをぎゅっと胸に押し込めて、クシェルは祈るように両手を組んで掲げた。


 そんな、ときだった。


 廊下が騒がしくなったのは。

 ハッとしてクシェルが顔を上げれば、レーネがすぐさま動き出す。どうやら、エントランスホールへ行って確かめようとしてくれたみたいだ。

 しかし彼女の報告を待たず、クシェルはよろめきながらもブランケットを跳ね除けて立ち上がり、走る。


 今までこんなに焦ったことがないというくらい、とにかく走った。足がもつれそうになるのを何度も堪え、レーネを追うようにエントランスホールに向かう。


 玄関へ到着すれば、そこには。




 イェレミアスが、いた。




 着ている服は、宮廷魔術師の服だろうか。純白と金の服で、とてもかっこいい。服に煤がついたり縁が焼け焦げたりしているが、血はついてなかった。大きな怪我は全くなく安堵の息を漏らす。

 彼は使用人に荷物などを預けつつ、何やら話し込んでいた。しかし奥からドタバタと音が聞こえてきたからか、こちらを見た。


 クシェルの姿を認めたイェレミアスが、目を丸くして近づいてくる。


「クシェル⁉︎ そちらは寝室ではなく居間がある通路で、は……ってまさか、今までずっと起きていたのですかっ⁉︎」

「あ……イェレミアス、さま」


 声が、聞けた。間違いない、イェレミアスの声。


(良かった……本当に、良かった……!)


 クシェルが想像した、最悪の結末にはならなかったのだ。


 張り詰めていた緊張が解けたからか、クシェルはその場でへたり込んでしまった。

 イェレミアスが慌てて駆け寄って抱き上げてくれるが、逆に涙が止まらなくなる。イェレミアスの温度や匂いが感じられ、さらに夢でないことが証明されたからだ。


 ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣きじゃくるクシェルに、イェレミアスは慌てながらも汚れた手袋を外して涙を拭ってくれる。


「ど、どうしたのですか、クシェル」

「イ、イェレミアスさまが、無事に帰っていらっしゃった、からっ」

「……そうですか。申し訳ありません、心配させてしまったのですね」


 よしよしと頭を撫でられると、余計安心してまた涙が溢れた。

 それでも、これだけは言わなくてはならないと、クシェルは唇を戦慄かせながら言う。


「イェレミアス、さま」

「なんです?」

「……宝石の娘(わたし)たちを救ってくださって……ありがとう、ございました」


 最後の方は掠れてしまったけれど、なんとかお礼は言えた、はずだ。

 顔を上げ、できる限り笑みを浮かべて言うと、イェレミアスがくしゃりと顔を歪める。何かの痛みに耐えるような、そんな顔だ。


「どうしてあなたは、いつも他人のことばかり……」

「……え?」

「……いえ。なんでもありません」


 全てを飲み込んだような笑みでクシェルを見つめたイェレミアスは、そっと抱き締めてくる。クシェルは思わず、体を大きくびくつかせた。

 しかし優しい抱擁に、やがて力を抜く。


「ただいま戻りました、クシェル」

「はい。おかえりなさい、ませ。イェレミアス様」


 今日、だけは。


(今日だけはどうか……この優しいぬくもりに、浸らせて)


 そう思いながら、クシェルはそっと目を閉じた。



 *



 エーデルシュタイン子爵家の悪事が暴かれた。


 このことは、クシェルが想像していたよりもかなり大きな事件――それも、国を震撼させる事件として新聞に大きく取り上げられた。


 それもそのはず。この一件で裁かれたのはエーデルシュタイン子爵家だけでなく、アーレンス伯爵家を含めた多くの貴族たちだったからだ。


 なおかつ、ミュヘン王国では妖精と精霊は良き隣人として、また災厄を招くこともあるものとして扱われている。それもあり、そんな愚かな扱いをする人間がいたことを、関係していない貴族たちだけでなく国民たちすらも穢らわしいものとして嫌悪し、石を投げたからだ。


 クシェルも紙面を読んで名前を確認したが、片手では足りない数だった。こんなにもたくさんエーデルシュタイン家と結託していたのかと、見たときは驚いたものだ。


 何より印象的だったのは、ミュヘン王国の女王陛下のお言葉が掲載されていたことだろうか。


 女王陛下は今回の一件を大層お怒りらしく、厳罰に処すと大々的に声明を出した。その姿は撮影され、新聞を美しく彩っている。開けば写真が浮き出て、実際に撮影された映像が映し出される仕組みになっていた。


 同時に、女王陛下は今回の件で犠牲になったエーデルシュタイン家の娘たちに、最大限の配慮をして欲しいと国民に呼びかけていた。また、名前も伏せて生活の保証もしてくださるとのこと。その配慮に思わず泣きかけたので、クシェルの涙腺はすっかりおかしくなってしまったのかもしれない。


 そのおかげか、新聞社各社はどこも犠牲になった娘たちに同情的な記事を出していて、少しだけほっとした。


 しかもどうやら、周辺各国にさえ今回の顛末が伝わったらしい。クシェルが想像できないくらいの大ごとになっていてこれで良かったのかと言う気持ちにもなったが、イェレミアスが「膿を出し切ると決められたのは女王陛下ですから」と言っていたので良かったのだと自分に言い聞かせた。


 そんな騒ぎの中でも、クシェルはローデンヴァルト侯爵家でいつも通りの生活を送れている。


 本当に本当に穏やかな。まるで世間とローデンヴァルト侯爵家が切り離されてしまったかのような。そんな錯覚を受けるくらい、ここは穏やかだ。


 だって今こうして昼間から、庭先の四阿(あずまや)でお茶ができている。


 春真っ只中ということもあり、庭師が美しく整えた花々が綺麗だ。

 クシェルはぼーっとしながら、それを眺める。


(……本当に、穏やか)


 でもそれに対して、イェレミアスはずっと忙しそうだった。朝帰りなんて当たり前で、数日帰ってこないことすらある。そんな生活が続いて二週間、彼とろくに話せていない。


 それを不満に思ったことはない。ただ、イェレミアスのおかげで今の生活があるのだと分かっているだけあり、心苦しい。


(イェレミアス様は本当に、お優しい)


 おそらく、クシェルがちゃんとした生活が送れるようになるまで、見守ってくれるつもりだ。クシェルがここにい続けたいと言えば、それも叶えてくれるはず。


(でもそれは……イェレミアス様のためには、ならないわ)


 クシェルとイェレミアス。

 相応しくないものが、たくさんある。

 天秤の上に二人がそれぞれ乗っているのだとしたら、イェレミアスのほうにばかり比重がかかっている状態だった。


 そんな令嬢と一緒にいても、イェレミアスは幸せにはなれないだろう。


 それは、絶対だめだ。


(だから……お断り、しないと)


 婚約者の件、考えておいてくださいと、イェレミアスは言っていた。

 でもクシェルが婚約者になっていても、イェレミアスに利益はない。身分だけは、どうにもできない。


 だからしっかりとお断りして、ここから立ち去ろうと。クシェルはそう考えていた。


 以前までのクシェルなら、何も言わず逃げるように立ち去っていたかもしれない。でもこれだけの恩を受けておいて何も言わずに消えるのは、全く誠実ではないと思った。


 誠実には誠実を。


 そして――イェレミアスに、幸福な未来を。


(あの方の幸福だけが、私の最後の望み)


 ただそれだけを願い、クシェルは俯く。




 その機会は、それから数日後に与えられる。

 ようやく帰宅したイェレミアスに、呼び出されたのだ。

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