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2.契約の儀に口づけを

 イェレミアスの言葉を聞いて、クシェルは思わず呼吸を止めてしまった。


 慌てて我に返りむせそうになりながらも深呼吸をしたが、胸の動悸がおさまらない。こんなにも動揺したのは初めてだった。


(歓迎、する? この方は今、私を歓迎すると、そう仰ったの……?)


 しかし、クシェルに能力があると思っているのであれば、その言葉の意味も理解できる。普段からずっと蔑まれて生きてきたので、外部の人間とエーデルシュタイン家の人間の思考が同じだと思い込んでいたようだ。


(なら、歓迎……する、わよね)


 言われ慣れていないことを言われると、人はここまで動揺するのだなと他人事のように思う。

 しかし理解すれば、なんてことはない。心がだんだんと冷たくなっていくのを感じた。


 クシェルは、向かい側に座る自身の夫となる人の存在を改めて見返した。


 頭の先から爪先まで、神が造形したかのような完璧な人だった。とてもではないが、平民には見えない。しかし純度の高い魔力を持ち、魔力量も豊富に持ち合わせている人間は総じて美しいと言うので、きっとその類いなのだと思う。


 優しく柔和な笑みをたたえるこの人が激昂するのは、いったいどんなふうなのだろうか。

 申し訳ないような、胸にざらっとしたものが残る。


(だけれど……もう、疲れてしまったから)


 俯き続けるのも、価値のない者として扱われるのも、もう疲れた。


 だから、ごめんなさい。


 そんな気持ちを抱えながら、クシェルは口を開いた。


「初めまして、エルツ男爵。歓迎、痛み入ります。どうぞクシェル、とお呼びくださいませ」

「それでは、お言葉に甘えまして。クシェルも、どうぞ僕のことはイェレミアスとお呼びください。僕たちは夫婦になるわけですから」

「……はい、ありがとうございます。イェレミアス様」


 にこりと、かすかに笑みを浮かべてから、クシェルは自身がヴェールを被ったままだったことに気づいた。


「申し訳ございません、イェレミアス様。……ヴェールをはずしても、構いませんでしょうか?」

「それはもちろん構いませんが……そもそも、なぜヴェールを被っていたのか伺っても?」

「あ……はい。エーデルシュタイン家の娘にとって、瞳はとても神聖なものなのです。ですので、主人が決まるまではこのようにして過ごします」

「なるほど。そういうことでしたか」

「はい。その……お目汚し、失礼いたします」


 クシェルはそう一言断ってから、おそるおそるヴェールを取り払った。

 久々に光を直に浴びたからか、眩しい。瞳に突き刺さる光に目を細めながらも、クシェルは俯いた。


(ああ……恥ずかしい、わ)


 この場にいることが、恥ずかしい。黒髪黒目なんて地味で美しくない色を持った自分が、とてもとても恥ずかしかった。宝石の妖精の娘として、相応しくない色だったからだ。


 クシェルは俯き、できる限りイェレミアスと目を合わせないように視線を逸らす。

 今にも潰れてしまいそうな気持ちを奮い立たせるように、彼女は立ち上がった。


「あ、の。イェレミアス様。早速なのですが……エーデルシュタイン家の契約の儀を行なっても、構いませんでしょうか……?」

「ああ、あの、契約者に幸をもたらすと言われているものですね」

「はい。……イェレミアス様も、それをお望みで私を娶られたのですよね」

「まあ……そうなのですが……」


 少し困ったように笑うイェレミアスの変化に気づかないまま、クシェルはぐっと唇を噛み締めた。


(こんなに美しい人でも、何かを欲するのね)


 それが残念なような、なんとなくもったいないような、複雑な気持ちが込み上げてくる。だがそんなこと、クシェルには関係ないことだった。

 彼女は今自分が感じたものを振り払うように歩を進めるとイェレミアスのとなりに座り、ぺこりと頭を下げる。


「失礼します」

「え、あ、はい」

「……私のような者で、本当に申し訳ございません」


 イェレミアスが、クシェルの言葉に疑問の声をあげるより先に、彼女は動く。

 イェレミアスと視線が合うように見上げ、グッと身を乗り出し。


 口付けをする。


 否、この場合は、しようとした、が正しいのだろうか。

 ――だってクシェルの口元はイェレミアスの手に覆われ、不発に終わってしまったからだ。


 驚いて目を見開けば、同じように動揺したイェレミアスの表情が目に映る。彼の喉の奥から悲鳴のようなくぐもった声が聞こえたが、それは言葉にすることなく宙へと溶けていった。

 少しばかり身を引いたクシェルは、イェレミアスの手と顔を数回見比べてから首を傾げた。


(ええっと……)


 今までもぶつりぶつりと途切れてはいたが、今回本格的に思考が停止する。どうして、やらなければならないことを止められてしまったのだろうか。その理由が、クシェルには分からない。


 先ほどから予想しないことばかり起こっているからか、クシェルの脳が許容範囲外だと悲鳴を上げていた。

 彼女のおかしな様子を見て、混乱していることを悟ったのだろう。イェレミアスはクシェルの両肩にそっと手を添えて距離を空けた。それから数回口を開閉させた後、本当に言いたいことを全て飲み込んで言う。


「……理由、を」

「っ、」

「唐突に。なんの予備動作もなく。息を吸うように。僕に口付けをしようとした理由を……お伺いしても、よろしいですか……」


 なんとか絞り出したような声には、隠し切れないほどの困惑と動揺が滲んでいた――

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