間話4.守らなければならない、宝物
アーレンス伯爵家の園遊会から、日が暮れる前に戻ってきてからすぐ。
イェレミアスはエルツ男爵家のタウンハウスに入ってから、転移魔術を使ってローデンヴァルト侯爵家にクシェルを移動させた。
何故わざわざこのような方法を取ったのかと言うと、アーレンス伯爵家を出てすぐ、何者かの馬車が後ろをつけてきていたからだ。
……間違いなく、エーデルシュタイン家の人間でしょうね。
エルツ男爵家に帰ってからクシェルに詳しく話を聞いたが、エーデルシュタイン卿はクシェルに「知っている香りがする」と言ったらしい。つまり、彼はあのとき出会ったクシェルを『エーデルシュタイン家の娘』としてとらえたのだ。
娘たちへの対応を見るに、個々人の判別が付いていたかどうかは不明だが、少なくとも『同じ血を継ぐ人間』だとは判断していた。
だから、外へ普通に出ているクシェルの存在を、エーデルシュタイン卿は訝しんだのだろう。こうして密偵を寄越した。
魔術を使って適当に撹乱したが、エルツ男爵家のことがばれるのも時間の問題だろう。
しかし、その裏にローデンヴァルト侯爵家がいることがバレるわけにはいかない。ローデンヴァルト侯爵家は代々、数々の宮廷魔術師を輩出している名門だからだ。
エルツ男爵家の裏にローデンヴァルト侯爵家がいることが分かってしまえば、エーデルシュタイン子爵家は確実に警戒して行方をくらませてしまうだろう。それでは、クシェルをわざわざ危険に晒した意味がなくなってしまう。
だからこそ。
クシェルとエーデルシュタイン卿があの場で出会ってしまったことは、予想外以外のなにものでもなかった。
仕方のなかったこととは言え、クシェルを先に帰したことが悔やまれる。
彼女を救った上で、クシェルの安全を確保するためにはあれしかなかった……とはいえ、自分が愚かで嫌になりますね。
そんなことを思いながら、イェレミアスはタウンハウスにいたクヌートとレーネに頼んで早々にエルツ男爵家を引き払ってもらう。数ヶ月前に既に没落していた貴族なのだから、あってもなくても変わらないだろう。
その後、イェレミアスはベネディクトの隠れ家の一つへ向かった。
着いて早々、ベネディクトは金色の彼女を客室のベッドに寝かせて使用人に世話をさせていた。
彼はイェレミアスが来たことに気づくと、ひらひらっと片手を振ってくる。
「いらっしゃい、イェレミアス。いやぁ、彼女をここまで連れてくるのに苦労したよ」
「何を言っているんです。それがあなたの得意分野でしょう。だからこそ、彼女をあなたに託したのですから」
「……イェレミアスに褒められると照れるな。ありがとう嬉しい。泣いていい?」
「気持ち悪いのでやめてください」
「あ、いつも通りのイェレミアスに戻った」
そんないつも通りのやりとりをしつつ、金色の彼女の容態を見る。
彼女の体に魔力を当ててひと通りを精査したイェレミアスは、ため息をこぼした。
「よくもまぁここまで、一方的に搾取できたものですね……寿命分の魔力が、ほとんど空に近いです」
「ほんとねー。妖精の血を引く人間の平均寿命は百歳を余裕で超えるはずなのに、それを嫁いでから大体十年ほどで使い切る。寿命としては、二十六から三十くらい? ほんと馬鹿げてる」
「ですね」
彼女が現在陥っている状態は、魔力枯渇というものだ。妖精、精霊、またはそれに連なる人間の身にそれが起こると、生命活動そのものが危うくなる。
つまり、現状は極めて危険だった。
問題は、その治療方法である。
イェレミアスは大きくため息をこぼした。
「魔力枯渇を防ぐためには、魔力を注げばいい。……ただし、彼女の中に流れる魔力とほぼ変わらない属性と割合の魔力を、ですが」
そう。魔力枯渇を防ぐには、シンプルに魔力を注ぐのが一番だ。しかし個人個人、魔力属性というものが違う。それによって得意魔術というのが変わってきて、六大精霊の火、水、風、土、光、闇という形で分類されている。それだけならばまだしも、大抵の場合、複数混ざっているのが当たり前だった。
なのでできるならば、魔力持ちの人間ならば誰もが持っている食事などの方法で魔力を自身で生成するか、妖精や精霊種であれば持ち合わせている空気中の魔力を吸い込んで自分の魔力に変換する能力『魔力蒐集』などのほうが確実で、苦労しない。
まあ、魔力保有量が多い魔力持ちは、その分食事を多く取らないと維持できないんですが。
「しかも、彼女の魔力は光属性のもの。それに水……と、若干の風属性が混ざっています。……光属性持ちは、魔術師の中でも一、二を争うほど少ないのが悩みですね」
「そうだねぇ。でもイェレミアスがいれば、大体の問題は解決さ。全属性持ちで、主要属性は光。その上それ以外の属性が軒並み平均値超え。めっちゃ便利」
「あなたの主要属性である闇属性も、光属性と同じくらい希少価値の高い魔力ですけどね」
そう言いつつ、イェレミアスは自分の中にある魔力を手のひらの上で転がす。イメージするのは液体だ。そこに、金色の彼女の中に流れる属性にできる限り近い割合で魔力を調整していく。
あとはこれを、金色の彼女の体が拒絶しないよう確認しつつ注いでいくだけだ。
繊細な作業は得意だが、この瞬間が一番苦手だ。拒絶反応が出れば、魔力を注ぐことが困難になる。
なので慎重に慎重に、金色の彼女の心臓部に手を当てて注いだ。
初めはゆっくり。拒絶反応が出ないと分かってからは、少し量を多くして、彼女が意識を保てるくらいの魔力を注いでいった。
――時間にして、優に一時間ほどだろうか。
触れていた彼女の手が少し熱を帯びたところで、イェレミアスは詰めていた息を吐き出した。
額の汗を拭いつつ、イェレミアスは立ち上がり伸びをする。体がバキバキと音を立てた。
すると、近くで書類を確認していたベネディクトが顔を上げた。そんな彼に近づきつつ、イェレミアスは言う。
「……ひとまず、生命の危機は防げたかと」
「おお、お疲れ様、イェレミアス。うちの専属医を呼んであるから、あとは彼女に任せて」
「お願いします。目が覚めたら、消化に良い食事と水を与えてください。……まず、自分で魔力を作ってもらわないと」
「そうだね。……それと、部屋に結界を張っておく。残り香が外部に漏れないようにね。せっかく上手く地獄から抜け出せたのに、父親に見つかったら最悪だろ」
「……そうですね。お願いします」
それから、二人揃って部屋を出る。
客間のソファに向かい合わせで腰掛けた二人は、現状確認を始めた。
「エーデルシュタイン卿が、アーレンス卿の園遊会に来ていました」
「……あのエーデルシュタイン卿が? 夜会くらいでしか姿を表さないことで有名なのに」
「そうです。……そのとき、クシェルの存在に気づかれました」
「……は? いつっ……イェレミアスを待ってたときか!」
「そうです。……残り香で気づかれました」
「……すまない、イェレミアス。わたしの判断ミスだ……」
珍しく真面目な顔をして謝ってきたベネディクトに、イェレミアスは苦笑する。
「それを言うなら、僕のミスでもあります。……クシェルを先に帰したのは、僕ですから」
「でもあれは、夜の君と件の彼女を一緒に連れて行けないと思ったからだろう? 実際、一緒に外へ出ていたらきっと夜の君か件の彼女、どちらかを見捨てることになってたよ。だから、イェレミアスの選択は正しかった」
「……最善では、なかったですけれどね」
お互い苦笑をして、ため息をこぼす。しかし、ここで立ち止まってはいられない。
ミスを嘆くなら、いくらでもできる。問題は、そのミスをどのようにして挽回するかだ。
イェレミアスは口を開いた。
「エーデルシュタイン卿に関しては、密偵に頼んで見張りをつけています。そして僕の予想ですが……アーレンス卿は近いうちに、エーデルシュタイン卿と接触をするかと思います」
「そうだね。アーレンス卿としては、件の彼女がいなくなった上に契約が破棄されたから、もう死んだと思ってるだろうし」
「そうですね。……宝石の妖精の血を引く人間は死ぬとき、存在そのものが消えてなくなりますから」
あの場でクシェルには決して言わなかったが、宝石の血を引く人間は宝石のように、砕け落ちるようにして割れてから光の粒子となって死ぬのだ。
だから残るのは、キラキラ輝く美しい砂だけ。
自分がそんな最期を迎えるのだと、今のクシェルに教える必要はないだろう。だから先に外に出した。
工作はしてきたから、アーレンス卿が気づくことはないだろう。少なくとも、あの魔術工房の防犯システムを見る限りだと、魔術に精通はしていない。十二分に騙せる。
ベネディクトは手を組んで肩をすくめた。
「エーデルシュタイン卿も、夜の君の存在があったとしても、アーレンス卿との取引をやめようと思ったりはしないと思う。イェレミアスの前でこう言ったらなんだけど……エーデルシュタイン卿にとって、夜の君は『取るに足らない存在』だと思うから」
「……いえ、仰るとおりです。クシェルの扱いを見る限り、エーデルシュタイン卿がクシェルを脅威とは思わないでしょう。警戒するとすれば……あの場で間に割って入った僕の存在です。『エルツ男爵』というものがどういう人間なのか、調べようとするはず」
「だねぇ。……どうする?」
顎をしゃくって言葉を促してくるベネディクトに、イェレミアスは間髪入れず答えた。
「『エルツ男爵』の存在そのものをつぶします。というより、本物の『エルツ男爵』はもう捕まっているわけですし。情報を解禁して、捕まったことを知らせましょう。……元々、差別意識が強い人間のようですし。ただの男爵位の魔術師如き、気に留めないでしょう」
「うーん。まぁ、それで事足りるっちゃ足りるか。所詮、男爵家だからな。エーデルシュタイン卿も安心して、アーレンス卿との取引を進めるでしょ」
「はい。……問題を挙げるなら、アーレンス卿がどのようにしてエーデルシュタイン卿と接触するかですね。ベネディクト、どう思います?」
「んー?」
ベネディクトは顎に手を当ててから、言った。
「イェレミアスが言いたいのは、二階の北側の部屋のトリックのことでしょ? まあおそらくだけど、転移魔術かなってわたしは思ってる」
「理由は?」
「件の彼女の居場所を、知られたくないから。それに仕組みだって、扉を開けるときの開け方で十分調整できる」
「僕も、その点に関しては同感です」
「だよねー。……まああのアーレンス卿にできるわけないから、きっとエーデルシュタイン卿がやったんじゃない? 転移魔術が使えるんだとしたら、魔術師としては相当高位だと思う」
イェレミアスは無言で頷いた。
そう。だから、問題になるのは接触方法なのだ。
転移魔術を使って別の場所に飛ばれてしまったら、人身売買の現場を押さえることができなくなります。
なので、何かしらの理由でアーレンス卿に探知魔術をかける必要がある。
問題は、探知魔術が人間相手にはかかりにくい、という点だ。
何かを触媒にしてかけるにはいいんですが、人相手だとその辺り難しいんですよね。
まあ、今はいい。重要視するべきなのは、件の彼女とクシェルの安全だ。
そう思ったイェレミアスは、立ち上がる。
「とりあえず今日はもう遅いですし、作戦に関しては明日以降にしましょう。ベネディクトは、件の彼女のことをお願いします。くれぐれも、死なせないように」
「りょーかい。イェレミアスは、夜の君を大切にね。……彼女と結婚したいって言うなら、わたしも協力する」
「……ベネディクト」
「イェレミアスにしては珍しく、本気みたいだからね」
そう茶化すように言うと、ベネディクトは片手を振ってから身を翻す。
イェレミアスはかすかに笑って、自分も帰宅するべく立ち上がった。
転移魔術を駆使してローデンヴァルト侯爵家に帰れば、クヌートとレーネが待っていた。
「おかえりなさいませ、坊っちゃま」
「おかえりなさいませ、イェレミアス様。諸々、手配させております」
「ありがとうございます。……クシェルは?」
その問いに対して、レーネが静々と頭を下げる。
「少し取り乱していらっしゃいましたが、奥様が宥めて今はご就寝していらっしゃいます」
「そうですか……」
「はい。……イェレミアス様も、お疲れ様でした」
イェレミアスは首を横に振る。
「むしろ、これからが本番ですよ。……皆にも、苦労をかけます」
「いえいえ、なんてことはございませんよ、坊っちゃま」
「そうです、イェレミアス様。……我々も、身を引き締めて仕事にあたらせていただきます」
「ありがとうございます。頼りにしています」
そう伝え、イェレミアスも自室に引っ込む。
なんとはなしに、部屋に灯りをつけないまま、カーテンを開けて外を見た。
真っ暗だ。
そんな真っ暗闇の中、そろそろ満月に至りそうな月だけが、街をただただ見つめていた――




