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20.すくわれるもの

 クシェルは思わず悲鳴をあげそうになって、でもそれを必死に堪えるために両手で口を覆った。

 それでも足が震えて、もつれて、こけそうになってしまう。それを、イェレミアスが咄嗟に支えてくれた。


「……クシェル。外にいても、」

「い、え。……大丈夫です。近くに……連れて行って、もらえますか? 申し訳ありません、足が上手く、動かなくて……」

「……分かりました」


 イェレミアスはその言葉通り、クシェルのことを支えながら金髪の彼女のそばに連れて行ってくれる。

 彼女の傍らに膝をついてから、クシェルは頼りなくベッドの上に投げ出された手をそっと握り締めた。


(……手が、冷たいわ)


 氷のように冷たい。一瞬、もう亡くなってしまったのかと思ったが、かけられていた布団がわずかに上下しているのを見てまだ息があるのだと安堵した。


「……イェレミアス、さま。彼女、は……」

「…………だいぶ酷使されているようですね。もう、魔力があまりない」


 暗に「死にかけている」のだということが分かり、息が詰まる。

 彼女の手を掴んでいる自分の手がぶるぶると震えて、クシェルは唇を噛んだ。


(イェレミアス様に会ってなかったら……私も、こうなっていたの、かしら)


 しかも、十年近くこんな寒くて湿っている場所に、独り追いやられて。美しいドレスを身にまとうようなこともなく、ネグリジェを着て日がな一日を過ごす。その生活は、味気ないなんていうものではない。


 ここは到底、人が住んで良い場所ではなかった。

 宝物庫に、宝石を入れているような。そんな感じだった。


 大切なものとは思っているのだけれど、人に対しての扱いではない。


 そのおぞましさに、胸の奥にあった恐怖がぶわりと噴き上がる。


「……クシェル」


 イェレミアスがもういい、と言うようにそっと肩を掴んできたが、クシェルは無言で首を横に振った。


 恐ろしいのに、目が離せなかった。

 ベッドで眠る彼女が、昔と変わらずとてもとても美しいからだ。


 波打つ金色の髪が柔らかくシーツの上に流れていて、卵型の小さな顔は形が良くて、各パーツもバランス良く配置されている。誰もが認める美しい女性だった。


 そんな彼女の、金色のまつ毛に縁取られた瞼がわずかに震える。


 うっすらと見えたのは、あの日と同じ金色の瞳だった。


「……あ、ら。あなた、は……?」

「っ! あ、のっ!」


 声を上げたが、何を言っていいのか分からない。クシェルは思わず口を開閉させる。

 そんなクシェルを見て、金色の彼女はうっすらと微笑んだ。


「……あなた……わたくしと同じ、ね?」

「……はい」

「……同族に会うなんて、本当に珍しい。くるのは、お父様かと思っていたのに」


 そうぼやいてから、金色の彼女は力なくはにかんだ。


「それじゃあ、わたくしはもう、お役御免……かしら?」

「ッッッ! 違います! 私は……私は。あなた様に、お話を……」

「……はな、し?」


 そこまで言ってから、とてもではないが安定して話が聞ける状況ではないことを悟る。

 クシェルは思わず、イェレミアスの顔を見た。


「イェレミアス、さま」

「……っ、クシェル」

「私、は、どうしたら……」


 ここで、死にかけの彼女に無理やり話を聞いて、見捨てるのか。

 それとも、別の方法を取るのか。


 分からない。否。イェレミアスのためを思うなら、前者の方法を取るのが一番なのだろう。だからクシェルは、その方法を取るべきだ。

 取るべき、なのだ。


 だけれど。


(ここで彼女を見捨てて……それで。私は本当に、宝石の娘(わたし)たちを救えるの……?)


 それは、救ったと言えるのだろうか。

 そんな思考に陥る。

 泣くことはなんとか堪えたが、目の前がぐにゃぐにゃと歪んで今にも崩れ落ちてしまいそうだった。


 そんなクシェルを見て、イェレミアスは言う。


「……クシェル」

「は、い」

「……彼女を、連れて帰ります」

「……え、」

「今からベネディクトに連絡しますから、少し待っていてください」


 そうしてクシェルが何が何だか分からなくなっている間に、イェレミアスはベネディクトに連絡を飛ばした。


「ベネディクト。件の彼女が瀕死です」

『……そんな予感はしてたけど、最悪だな』

「はい。ですので死んだと偽造するために、アーレンス卿と彼女との間にある契約を無理やり破棄します」

『マジか。できんの⁉︎』

「僕を誰だと思っているんですか、やりますよ」


 クシェルを安心させるためだろうか。イェレミアスはベネディクトとの会話を聞こえるようにする。

 そんな会話をしつつ、イェレミアスは金色の彼女に向けて手を突き出した。瞬間、ベッドの下に魔法陣が展開される。白銀の魔法陣だ。『星降らしの儀』のとき、イェレミアスが使ったものと同じ色だった。


「ベネディクト。今から解除魔術を使います。適当に工作してください」

『うっわ。無茶振りキツくない⁉︎ でも了解、そっちに関してはなんとかする!』

「お願いします。先にクシェルを外に出しますから、あなたは僕が件の彼女を連れてきたらなんとか外に出してください。……このタイミングで契約が切れれれば、さすがのアーレンス卿も血相を変えて飛んでくるでしょうから」

『そりゃそうだ。時間稼ぎは他の協力者にさせとく!』

「お願いします。その間に、僕たちとベネディクトは外に出て撤退を。協力者たちはそのまま内部にいて、アーレンス卿の動きを見張っていてください」

『りょーかい!』


 小気味良いやり取りを終えた後、イェレミアスはクシェルにそっと笑いかける。


「クシェル。僕は彼女とアーレンス卿の契約を破棄するために魔術を使います。すぐに追いつきますから、あなたは先に外へ」

「は、はい」

「外への道のりには、魔光球(まこうきゅう)を配置してあります。決して、道に迷わないように」

「はいっ」


 クシェルは、足をもつれさせながらもなんとか外へ飛び出した。

 何がなんだか分からなかったが、イェレミアスが彼女を救ってくれる選択を取ってくれたのだ。ならばイェレミアスの言う通り、駆け抜けるしかない。


 ドレスのスカートの裾を掴んで今自分にできる最速で地下の廊下を駆け抜ければ、ベネディクトが待っていた。


「おかえり。そしてお疲れ様」

「い、いえ……外は、大丈夫ですか?」

「うん一応。人払いの魔術を使って来ないようにはしてる。……でも、あいつが契約破棄の魔術を使ったら切るかな。じゃないと怪しまれるし」

「そ、そうです、ね」


 上がる息をなんとか整えてから、クシェルはこくんと頷いた。そんなクシェルに、ベネディクトは片目をつむってウィンクする。


「とりあえず夜の君(カリーナ嬢)は、先に会場に戻っていて。屋敷の入り口のところで、お花摘みからまだ帰ってこない婚約者を待ってる風を装ってね」

「は、はい」

「声をかけられても、『婚約者を待っているので』って言ってやんわり断っていいよ。しつこく声をかけてくるようなら、手袋を外して指輪を見せるといい。大抵離れていくから」


 こくこく、とベネディクトのアドバイスに頷いてから、クシェルは言われた通り屋敷の入り口付近でイェレミアスの帰りを待った。


 こんな人が多い場所で一人きりになるのなんて初めてだったので、心臓がばくばくと大きな音を立てている。


(こ、こえ……かけられたら、どうしましょう)


 ベネディクトの言う通りにしたいが、会話下手なクシェルが相手に押されることなく話せるとは到底思えない。


 一人でいることがこんなにも心細いなんて、思わなかった。

 同時に、イェレミアスが今までどれほどまでに気を遣ってクシェルをサポートしてくれていたのか、骨身に堪えるほどよく分かる。


(あ、と、どれくら、い)


 時間がどれくらい進んでいるのか、よく分からない。人々の笑い声が大きく耳に響き、動きが緩慢に見え、普段とは違う感覚をクシェルは味わっていた。


 それでも気丈に振る舞おうと、ちらちら屋敷の中を見ながらイェレミアスを待つ。


 そんなときだった。


「……おや? 知っている香りがするな」


 斜め横から、男性の声がした。


 瞬間、ぞっと。クシェルの背筋が震える。

 くぐもった悲鳴が喉の奥から漏れそうになり、慌てて口を閉じて悲鳴をなんとか噛み殺した。


 顔を、そちらに向けられない。

 向けたら最後、クシェルの心が恐怖一色に染まり、立てなくなってしまうことが分かっていたからだ。


(たす、けて。たすけて、イェレミアスさま)


 どうかお願いだから、彼を自分から遠ざけてほしい。そう思う。でも、イェレミアスはまだこない。

 なのにこつりこつりと靴音が響いてきて、クシェルをジリジリと追い詰めてきた。


 こつり。


 クシェルの斜め横で靴音は止まり、クシェルの顔を覗き込むかのように肩に手がかけられる。


 もうだめだ。


 そう思ったとき。


「――僕の婚約者に、気安く触れないでいただけますか?」


 男との距離を引き離すかのように、イェレミアスが体を入れクシェルのことを庇った。

 すると男は驚いたように目を見張ってから、すぐに一歩後ろへ下がる。


「失礼、顔色が悪かったようなので、つい声をかけてしまった」

「……それはそれはありがとうございます。ですが、ご安心を。彼女の体調もありますから、そろそろお暇しようと考えていましたので」

「そうか、ならば良かった」


 こつん。

 男は靴音を響かせてから、くるりと振り返る。びくりと、イェレミアスの腕の中で、クシェルは体を震わせた。


「ならば、婚約者のそばを離れないことをおすすめするよ。……なぁに、妻帯者のただの忠告さ」

「……ご忠告、痛み入ります。以後気をつけさせていただきます」


 そうして、今回こそ立ち去っていった男に、クシェルはすっかり足の力が抜けてイェレミアスに寄りかかってしまった。

 そんなクシェルを易々と支えたイェレミアスは、安心させるためか優しく抱き締めてくれる。


「お待たせいたしました。もう大丈夫ですよ」

「はい、ありがとう、ございます……」

「聞きたいことは山ほどありますが……今は馬車に乗りましょうか。……そろそろ、アーレンス卿が騒ぎ出す頃かと思いますので」


 イェレミアスの言う通りだ。そう思うのだが、足からすっかり力が抜けてしまったらしく上手く動かせない。


(こんなときに……情けないわ)


 思わずため息を漏らしそうになったときだ。イェレミアスが素早く、クシェルを抱き上げた。


「‼︎ ま、待ってください、これでは、目立ってっ」

「大丈夫です。……魔術を使って姿くらましをかけてますから、静かに」


 一度目を見開いてから、口元に両手を当ててこくこく頷く。

 そのまま何事もなかったかのようにアーレンス伯爵家の庭から立ち去った二人は、馬車に乗ってからようやく息を吐いた。


 ゆっくりと馬車が動くのを感じ、クシェルは背もたれにもたれながら安堵の息を吐く。

 すると、隣に腰掛けているイェレミアスが口を開いた。


「ひとまず、彼女の契約破棄に関しては成功しました。あとはベネディクトがうまく外に出てくれれば良いのですが……まああの男のことです、上手くやるでしょう」

「そう、ですか……なら、良かったです」


 それから少し置いて、イェレミアスはまた口を開いた。


「それで、先程の男ですが。……彼は、誰です?」


 どくりと、大きく心臓が鳴った。クシェルは数回大きく深呼吸をすると、なんとか声を出す。


「……父、です」

「……あれが?」

「はい。……オトマール・エーデルシュタイン。宝石の娘(わたし)たちの父親……と言われていた男です」


 何故あんな場所に父がいたのか、なんとなく分かる。


 金色の彼女がもうすぐ使えなくなるから、きっとアーレンス伯爵に呼ばれたのだろう。次の宝石の娘を、売り払うために。


 その上、オトマールは『残り香』という言葉を使っていた。つまり、クシェルの存在が彼にバレたということになる。


 そしてイェレミアスもそれが分かっていたらしく、それっきり、二人の間に会話はなかった。


 だけれどエルツ男爵家の屋敷に着くまで、イェレミアスがずっと手を握ってくれていて。

 その温度が、クシェルの冷えた心を優しく包み込んでくれた。


 それだけで。

 クシェルは幸福だった。

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