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18.はじめての園遊会

 初めて参加した園遊会は、とても煌びやかで美しかった。


 手入れされた早咲きの薔薇が庭いっぱいに咲き誇り、あちこちに置かれたテーブルには美味しそうなお菓子や軽食が載せられている。アーレンス伯爵は一時期薔薇にはまっていたという話をイェレミアスから聞いていたが、本当のようだった。


 それに休憩用だろうか。庭にはいくつもベンチが置かれていた。四阿(あずまや)もあり、日陰で休憩できるスペースもあるらしい。


 そしてそんな空間に、美しい春色のドレスを着た女性たちと、きちんと仕立てられた思い思いの色のカット・ウェイ・フロックコートを身にまとった男性たちが、あちこちで輪を作って話をしていた。

 日傘を差した女性たちは、後ろから見るとまるで大輪の花のようだ。


 彼ら彼女らの着こなすドレスや服の美しさに、クシェルは釘付けになる。


(すごい、あちらの方が着ているドレスは、ビーズが一緒に刺繍されているわ……使われている宝石は、オパールかしら? 光の加減で色々な色に見えて、綺麗だわ。あちらの方のドレスは、お色がとても綺麗。淡いレモンイエローで……あんなふうに染めるなんてできるのね……あちらの殿方のカット・ウェイ・フロックコートは、オリーブ色だわ。あんな色を着こなすなんてすごい……って、あ、ら?)


 最後に視線を向けた、オリーブ色のカット・ウェイ・フロックコートを着ている男性を見てクシェルは目を丸くする。

 彼はクシェルたちの姿を認めると、手を振ってぐんぐん近づいてきた。


「おおー! いらっしゃい!」


 黒髪に紫色の瞳をした男性、ベネディクトだった。

 まるで自分が、この屋敷の主人のような顔でやってくるベネディクトを、イェレミアスは白んだ目で見ている。


「あなたは相変わらず派手ですね……ゲルト(・・・)

「そっちこそ、相変わらず澄ました顔してるね〜フーゴ(・・・)


 二人が、お互いを偽名で呼び合う。このときのために作られた偽名らしい。ベネディクトのほうは、諜報活動をするときに使う名前の一つだとか。だから、『ベネディクト』という名前を知っている人間は宮廷内でもごくわずかなのだそうだ。


 そんな彼は、クシェルの姿を認めるとにこりと微笑み腰を折る。


「ごきげんよう、カリーナ(・・・・)嬢。こんな朴念仁と一緒だとつまらないでしょ?」

「ご、ごきげんよう、ゲルト様。いいえ、そんなことございませんよ。一緒に園遊会に来ることを、楽しみにしていましたから」


 クシェルは、慣れない偽名にどぎまぎしながらもスカートの端を摘んで軽く会釈する。そして、名前以外は本当のことを話すように心がけた。この七日間、イェレミアスの母であるヘルタにとことん教わったからだ。


『いい、クシェルさん。あなたは嘘を吐くのが苦手でしょう? なら、嘘を吐かない努力をしなさい』

『……嘘を吐かない努力……です、か?』

『ええ、そう。嘘を吐くのが苦手な人は、嘘を吐こうと思うだけでおかしなことをしてしまうものなの。なら、嘘を吐かないこと』

『……もし、嘘を吐かなければ乗り超えられないことになった、どうしたら良いでしょうか?』

『嘘を吐かなければならないことになったら、にこりと微笑んで意味ありげに首を傾げなさい。女は多少なりとも秘密があるほうが、男には魅力的に見えるものだもの』

『……そうなのですか?』

『ええ、そう。……嘘を吐かないことなら、あなたの心も傷まないでしょう? だから、嘘を吐かない努力をしなさい、クシェルさん』


 そう言って、ヘルタは何度もクシェルに様々な問いかけをしてくれた。彼女が今まで経験したものを全て、この七日で出来るだけクシェルに教えてくれたのだ。とても大変だったけれど、ヘルタがクシェルを思ってやってくれたことなのは分かっていたので、どんなに大変でも頑張れた。


(それに……一度も鞭で打たれなかったし、殴られたり蹴られたり、怒鳴られたりすることはなかった)


 ヘルタの教育方針は、いつだってクシェルの背中をそっと押してくれる優しいものだ。だからその教えに従っていれば、ゆっくりとでも前に進める。


 クシェルの落ち着いた様子に、ベネディクトはほっとしたのだろう。嬉しそうに笑ってから手のひらを取って手の甲に親愛のキスをして「楽しんでね」と言い残して去っていった。


 すると、頭の中に直接声が聞こえてくる。


『クシェル。大丈夫ですか?』


 イェレミアスの声だった。念話による音声だ。

 頭の中に直接響いてくる感覚は、いまだに慣れなく驚いてしまう。しかし教わった通り、耳元のイヤリングに意識を向けて答えた。


『はい。大丈夫、です』

『それなら良かった。……ではこれから、アーレンス伯爵に挨拶に向かいます』

『はい』

『安心してください。僕たちの顔は、魔導具の力で印象に残らないようにしてありますから。気楽にいきましょう』

『はい。……ありがとう、ございます』


 いよいよだ。ごくりと喉が鳴る。

 イェレミアスに連れられて顔を合わせたアーレンス伯爵は、さまざまな貴族たちの輪の中心にいた。

 主催者ということもあり、様々な人たちから挨拶されている。

 その列に並び順番待ちをして、クシェルはようやくアーレンス伯爵の顔を拝むことができた。


 アーレンス伯爵は典型的な、贅沢ばかりしている貴族の当主、という風情だった。

 隠し切れない腹の肉がせり出し、全体的に丸く見える。白髪も少し心許ない感じだ。クシェルの記憶の中にある人よりも、太って老けて見える気がする。十年近く経てばこれくらいになるものなのだろうか、とクシェルは不思議と自分が落ち着いて相手を見られていることに気づいた。


「ごきげんよう、アーレンス卿。エルツ、と申します。以後お見知り置きを。こちらは婚約者のカリーナです。このたびはお招きいただきありがとうございます」

「ごきげんよう、アーレンス様。お招きいただき、ありがとうございます」


 イェレミアスが優雅に腰を折り、アーレンス伯爵に挨拶をする。クシェルも流れるように、ドレスの裾を摘んで礼をした。


 するとアーレンス伯爵は、見知らぬ人間に挨拶されることに慣れているのだろう。声を上げて笑うと、適当に相槌を打つ。


「はっはっは。よく来たね。まあ寛いで行ってくれ」

「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」


 イェレミアスが軽い会釈をして下がるのにならい、クシェルも頭を下げてから退散する。

 イェレミアスの腕に手を絡めながら、クシェルは心臓がバクバク音を立てていることに気づいた。


(見た目、よりも……笑い声が、怖かったわ)


 思い起こされるのは、助けてもらったときの過去の記憶だ。おそらくそのときに、男性の笑い声が苦手になってしまったのだと思う。どうしても、聞くと体が硬直して嫌な汗が出てくるのだ。

 特にアーレンス伯爵のような哄笑は、苦手だ。


 何とか心臓を落ち着かせようと深呼吸をしていると、すっとグラスが目の前に差し出された。

 イェレミアスだった。


 彼はいつの間にか、通りがかった男性使用人から飲み物をもらっていたらしい。同時にイェレミアスの視線と目が合い、どきりとした。


「お疲れ様です。どうぞ」

「あ、ありがとう、ございます……」


 口をつければ、それはよく冷えたレモネードだった。レモンの酸味と蜂蜜の甘味が、クシェルの混乱した頭を落ち着かせてくれる。

 ほう、と息を吐いていると、イェレミアスがスッと目を細めた。


「疲れてしまいましたか?」

「あの、えっと……少し」

「…………笑い声、苦手ですか?」

「……はい。特に大きな声は、まだだめみたいです」

「そうですか……」


 苦笑混じりに言えば、頭に直接声が響く。


『苦手という自覚があるなら、大丈夫です。対処のしようもありますから』

『そうなの、ですか?』

『もちろん。それすらない場合、人はなんにも成長できませんから。……今回のクシェルの場合、体力面も考えて、他の貴族に挨拶するのはあと数回にしましょう。今回の本題は、アーレンス伯爵家にいるであろうエーデルシュタイン家のご令嬢を探し出すことですからね』

『はい』

『会が盛り上がり、客の大半に酒が入ってきた辺りで、ベネディクトと中に潜り込んでいる協力者たちに手引きをしてもらい屋敷内に潜入します』

『はい』

『……何があっても、僕が必ず守りますから。絶対にそばを離れないでくださいね』


 イェレミアスの頼もしい言葉に、どきん、と胸が鳴る。


 アーレンス伯爵のときとは違う形で、心臓がバクバク音を立て始めた。

 もうだいぶ隠し切れなくなってきた胸の高鳴りを何とかぎゅっと閉じ込め、クシェルはこくりと頷く。


『はい、イェレミアス様』


 そして、頬の赤みを隠すために、そっとレモネードを飲み干した。

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