17.戦闘準備は美しい装いと共に
それから七日後の朝。
クシェルは、アーレンス伯爵家の園遊会のためにローデンヴァルト侯爵家でドレスを身にまとっていた。
着付けを手伝ってくれているのは、レーネとイルザだ。そして装飾品から化粧まで、全て二人が行なってくれる。髪を結われ、どんどん美しく飾り付けられていくのを、クシェルは他人事のように眺めていた。
そうして全てが終わり、大きな姿見の前に立たされたとき、クシェルは目の前にいるのが自分だと信じられなかった。
(これが……わた、し?)
桃色と菫色のグラデーションバッスルドレスは、クシェルの体にピッタリ沿うように作られている。しかし細身のクシェルにも合うように、胸元にはレースとフリルを多めに付けて露出が少ないように工夫がされていた。
ドレスと同色のショート丈の手袋も、繊細なレースが縫われている。
ベネディクトが持ってきてくれた魔導具も、全て揃ってつけられていた。婚約指輪も手袋の下だ。
クシェルがあまり好きではない自身の黒髪も、香油をつけられて宝石のような艶を帯びている。
黒い瞳も、うっすらと化粧を施された後だとキラキラ輝いて見えた。
服装ひとつ、化粧ひとつでこんなにも美しくなるものなのかと驚いてしまう。
姿見の前で一人くるくると回って確認していると、レーネとイルザが満足そうに両手を当てて微笑んだ。
「クシェル様、とても美しゅうございます。これはイェレミアス様もお喜びになられますね……」
「本当ですわ、クシェル様。こんなにもわたくしが作成したドレスを着こなしてくださるだなんて……感無量にございます」
「そ、そんな……い、いえ。こちらこそ、こんなにも美しくしてくださって、ありがとうございます」
深々と頭を下げ、クシェルはレーネとイルザに礼を言う。
そうしていたら、四回ノックが鳴らされた。
『クシェル、イェレミアスです。入っても構いませんか?』
「は、はい! 大丈夫です!」
そうして入ってきたイェレミアスの姿に、クシェルは一瞬息をするのを忘れてしまった。
イェレミアスが着ているのは、カット・ウェイ・フロックコートという昼間の礼装だった。
白のシャツにグレーの上下、菫色のネクタイを締め同色のポケットチーフを付けている。クシェルのドレスに合わせてくれたのだろう、イェレミアスがつけるととても品良く見えた。
左手の薬指には、クシェルとお揃いの探知魔術を埋め込んだ婚約指輪が嵌められている。
クシェルが思わずぽーっと見惚れている間に、レーネとイルザはそそくさと退場してしまう。
そんなクシェルは、イェレミアスが不思議そうに首をかしげるのを見てようやく我に返った。
「クシェル? どうかしました?」
「い、いえ! なんでもありません!」
そこまで言ってから、なんでもないこともないことに気づいて慌てる。
あわあわと忙しなくしたクシェルは、ドレッサーの上に置かれたそこそこ大きい長方形の箱を手に持つと、そっと蓋を開いた。
「あ、の。その。イェレミアス、さま。こちら……大したものではないのですが、どうぞお受け取りください」
「これは……手袋、ですか?」
クシェルは、声もなくこくりと頷いた。
イェレミアスの言う通り、クシェルが開いた箱の上には黒の手袋が置かれている。
勢いで見せたのはいいがどうしたらいいかわからず、クシェルは視線を彷徨わせた。
「あ、の。その、です、ね。こちら、ハシュテット様にご相談して、私が一から縫い上げたもの、でして……イェレミアス様は普段から手袋をお使いなので、良いかなと……」
「……これを、クシェルが?」
「は、はい。その、殿方用のものは初めて作りましたので勝手が分からず、あまり出来の良いものとは言えないかもしれないのですが……た、ただですね、こう、分からないように、手袋の裏地に魔術陣を縫い込んであるんです! イェレミアス様から貸していただいた図案の『禍を祓う』おまじないでして、多少なりとも気休めのお守りになれば良いな、と……」
「……クシェル」
「あ、贈り物ですのでお代は自分で払いました! ハシュテット様に、数日手袋分の裁縫を引き受けまして、そこでお金を捻出させていただきました。といっても、その労働で足りているのか分からないのですが……た、ただ、本当にあまり上手くありませんので、その、そ、の……」
恥ずかしさのためか、それとも焦りが強いからか。どうでもいいことばかりがつらつら口から溢れていく。挙句何が言いたいのか分からなくなり、クシェルは涙目になりながら声を絞り出した。
しかし、掠れた声しか出ない。イェレミアスの顔が見られず、彼女は箱を掲げたまま俯いてしまった。
(ハ、ハシュテット様はとても出来栄えを褒めてくださったけれど……や、やっぱり、素人が作ったものなんて渡すべきじゃなかったわ)
そのことに落ち込み、クシェルは手を引っ込めようとする。
だが掲げていた手がわずかに軽くなるのを感じ、思わず顔を上げた。
見れば、イェレミアスが手袋を嵌めている。そんな姿すら様になって、クシェルは思わず息を呑んだ。
彼は手首のボタンを留めてから数回手を動かすと、とても満足そうに微笑む。
「特に突っ張るようなところもありませんし、素晴らしい出来栄えですね」
「あ、え、あ……ありがとう、ござい、ます……」
「こちらこそ、素敵な贈り物をありがとうございます。一生大切にしますね?」
素敵な笑顔と共にそう言われてしまったら、クシェルはもう何も返せない。顔を真っ赤にして、ただこくこくと頷いた。
そうして、イェレミアスのお世辞に対していちいち反応してしまう自分の現金な胸元を、そっと押さえたのだった。
*
そんなイェレミアスに連れられて、クシェルはいよいよアーレンス伯爵家のタウンハウスへ向かうことになった。
外から見たアーレンス伯爵家のタウンハウスは、クシェルがお世話になっていたローデンヴァルト侯爵家の第二夫人が使っているものより広く豪奢だ。
堅牢かつ装飾を贅沢に使った門前に、大きくて立派なお屋敷。そして、庭師が丁寧に手入れをしたことがありありと分かる庭が広がっている。
そんな門の中へ吸い込まれるように馬車が行くのを、クシェルはただただ見つめた。
クシェルが緊張していることを悟ったのか、イェレミアスはクシェルの手を取って笑みを浮かべる。
「クシェル。大丈夫です」
「は、い」
「屋敷の場所などは、事前に入り込んだ工作員たちから仕入れていますし、今回の園遊会に呼ばれているのは僕たちだけではありません。ベネディクトを含めた数名の宮廷魔術師が、しっかり控えています。それに、僕が必ずとなりにいますよ」
「は、はい」
「はい。なのでクシェルは、僕のそばで少しだけ笑って、僕の腕を組んでいてください。話しかけられて困ったら、イヤリングに意識を向けて僕を呼んで。魔力自体は通してありますから、それだけで動くように少し細工をしています。なので、魔力操作が得意ではなくとも大丈夫ですよ」
「は、い」
こくこく、と頷く。同時に、どれほどまでにイェレミアスがクシェルを気遣ってくれているのかを改めて理解し、クシェルは自分を叱責した。
(何をしているの、私。今回この作戦に協力して、イェレミアス様のお役に立ちたい、自分たちの問題を、私自身で解決させたいと願ったのは、私自身じゃない。しっかり……しっかりするのよ……!)
数回、大きく深呼吸をする。
それでも心臓が飛び出そうなくらい跳ねて、全身が硬直する。
そんなクシェルの手を、イェレミアスはぎゅっと握った。
「クシェル」
「は、は、い」
「クシェル。僕を見て。僕の目を、見て」
言われるがままに、クシェルはイェレミアスの顔を見上げた。
そして、美しい瞳に釘付けになる。
満月のような、まろみを帯びた金の瞳。
クシェルの視線を一瞬で奪って、いつでもどんなときでも優しく見つめてくれていた瞳だ。
そして今も、クシェルのことを温かく見つめている。
「いいですか、クシェル。あなたが緊張してしまうのは、仕方のないことなんです」
「……はい」
「だから今必要なのは、それをきちんと認めること。認めた上で、自分の役割を果たすにはどうしたらいいのか考えることです。どうしたら良いと思いますか?」
「……他の貴族の方々との交流は失礼にならない程度にして、イェレミアス様を頼ること。そしてその間に、宝石の娘を見つけ出すこと……です」
「その通りです。それが分かっているだけで十分ですよ」
クシェルは全く知らなかったのだが、同じ宝石の妖精の血を受け継ぐ人間は『共鳴』と言って、互いに近くにいることを感じ取れるものなのだそうだ。血がお互いを呼び寄せるのだとか。
なのでクシェルがしなくてはならないことは、そちら。社交に関しては二の次でいい。
何より、こんなにも頼りになる存在がとなりにいるのだ。心配など、する必要がなかった。
そう思うと不思議と、今まであんなにもうるさく鳴り響いていた心臓が凪いだ海のように静まり返るのが分かった。
クシェルがかすかに笑むと、イェレミアスも笑みを返してくれる。
「それでは、行きましょうか、クシェル」
「はい」
お手をどうぞ?
そうして、馬車から先に降りたイェレミアスがそう言って差し伸べてくれた手を、クシェルは躊躇うことなく取ったのだ。




