16.全ては〝あなた〟のために
ベネディクトは、イェレミアスと同じ宮廷で働く、戦闘訓練もこなした魔術師らしい。イェレミアスと同じで一つの師団を任せられている、師団長なのだそうだ。今回のエーデルシュタイン家の疑惑を調べるために、影から色々サポートしてくれるらしい。
特にベネディクトは交友関係が広く、様々な人たちから人気で、こうやって招待状などもよくもらうそうだ。
そしてそう言ったときに、特に女性に対してあだ名をつけることが好きらしく、クシェルのことを『夜の君』なんていう名前で呼んだのもその一環だそうだ。
――というのを、イェレミアスから別室でこっぴどく叱られたらしいベネディクト本人が話してくれた。
「ほんともうさー顔がいいのはちゃんと上手く使わないとね〜」
なんて軽く話してくれたベネディクトに、クシェルは感動する。
(とても社交的でらっしゃるのね。すごいわ)
クシェルが苦手な部分を得意としているタイプだ。しかも髪の色が同じ黒なので、どことなく親近感が湧く。
クシェルが熱心に話を聞いてくれることに気を良くしたのか、ベネディクトは終始ニコニコしっぱなしだった。
その代わりと言ってはなんだが、微笑みを浮かべたイェレミアスからなんとなく冷気が漂っている気がする。
イェレミアスはベネディクトに冷めた視線を向けた。
「それで? それ以外の魔導具の準備もできているんでしょうね、ベネディクト」
「……こわいこわいこわい、こわいよイェレミアス? そしてできてるから、できてるから怒らないでよっ」
「僕は怒ってなどいませんよ。職務に当たらなくてはいけないタイミングで、私情にうつつを抜かす方を心の底から厭うているだけです」
「それを、人は怒ってるっていうんだよ!」
そんなふうに叫びつつ、ベネディクトは持ってきていた大振りの鞄を開けて色々出してくる。
最初に出てきたのは、細長い小箱が一つだった。中にはクッション代わりの台座があり、指輪が二つおさめられている。指輪にはまっている石はダイヤモンドだ。パッと見て、その質がとても良いことをクシェルは感じる。
「とりあえず、魔導具作成班からいつも通りもらってきた。まずこれ、探知魔術を組み込んだ指輪」
「ゆ、指輪ですか……?」
「うん。だってほら、君たち婚約者だって設定だし。婚約指輪の一つでもはめておかないと怪しいじゃん? それに、指輪もはめていない婚約者とかただの甲斐性なしだし。……僕はまぁ、甲斐性なしのイェレミアスを見てみたいけど」
「……ベネディクト?」
ワントーン落とした声で、イェレミアスがベネディクトの名前を呼ぶ。そうしたらその場にいたヘルタが噴き出し、ベネディクトは両手をあげて白旗を振った。
そのまま、イェレミアスの視線から逃れるように魔導具を次々出した。
今度は小さな小箱が二つだ。
「次はこれ。念話魔術を組み込んだイヤリングが二組。これを付けたまま石に魔力を流して起動すると、相手と心の中で話ができる」
「わあ、そんなものが……」
「うん。内緒話をするのに最適だよ、夜の君」
「あ、え、」
クシェルが慣れない呼び方に戸惑っている間に、ベネディクトがもう一つ取り出す。
今度は、少し大きめの長方形の箱が一つと、小さめの箱が一つだった。開けば、ダイヤモンドが散りばめられたネックレスとブローチが入っていた。
「あとこれ。これは、防衛魔術を組み込んだネックレス。そしてこれが、認識阻害魔術を組んだブローチね。イェレミアスに言われて、夜の君用に持ってきた」
「わ、私のため……ですか?」
「そうだよ夜の君。君に何かあったら大変だからね」
イェレミアスの気遣いに心の底から嬉しくなる。しかしどうにも慣れない呼び方に恥ずかしくなり、クシェルは頬を染めたまま首を横に振った。
「あ、あの……エメリヒ様」
「そんな他人行儀に呼ばないでよ〜。気軽にベネディクトで良いよ?」
「あ、え……そ、それでは、ベネディクト様。その」
「うんうん、なぁに?」
「……その、呼び方なのですが。慣れないので、どうにかならないでしょうか……」
まるで高貴なもののように呼ばれると、無性にむず痒くなる。胸元に手を当てて俯きながら言うと、ベネディクトはキョトンとした顔をして目を丸くした。
「こんなにも綺麗なご令嬢に通り名を付けないなんて、わたしにはそんなこととてもできないよ!」
「き、綺麗、ですか……⁉︎ あ、あの私は、その……宝石の娘たちの中では地味であまり、綺麗ではない、ので……からかうのはおやめください……」
かすれた声で両手を口元に当てていたら、在らぬ方向から声が上がる。
「クシェルが地味? それは、エーデルシュタイン家で言われていたのですか?」
「イェ、イェレミアス、さま……?」
少し怖い顔をしたイェレミアスに、クシェルはひっくり返った声を上げた。
しかしイェレミアスは真剣な顔をして、クシェルのことを見つめてくる。
「クシェル。エーデルシュタイン家は、そのようなことを?」
「あ、の……その、はい。髪や目の色が黒かったり茶色かったりすると……その時点で、ハズレになります」
「…………は?」
「え? なにそれ?」
「あ、あの……」
イェレミアスに続いて、ベネディクトまでクシェルの発言に目を丸くする。ヘルタも、声こそ上げていなかったが眉を寄せていた。
すると、ベネディクトが呆れた顔をしてイェレミアスを見ている。
「え、マジなんなのこのクソな家。どんなクソな教育してんの? 宝石の価値なんて色で決まらねーよ」
「ベネディクト、口が悪いですよ。……でもまぁ、僕も尚のこと許せなくなりましたが」
「あ、あの……違う、のですか……?」
クシェルが恐る恐る聞くと、イェレミアスがクシェルを安心させるためかにこりと微笑み、頭を撫でてくれる。
「クシェル。あなたは、とても美しい魅力的な女性ですよ」
「……ふえっ⁉︎」
「なので、自分を卑下する必要は全くありません」
おそらく、イェレミアスに慰められているのだと思う。しかしそんなことより、イェレミアスに言われた言葉が頭の中で繰り返し再生されて、クシェルは頬を真っ赤に染め口をぱくぱくさせる。
(イェ、イェレミアス様に、褒められて、いる……?)
きっと、クシェルのことを気遣っての発言なのだと思う。しかしそれより何よりイェレミアスにそう言われたことが、クシェルの胸を掻き乱す。
(イ、イェレミアス様は私を気遣って、お世辞で言ってくれているのよ……だ、だか、ら……落ち着いて。お願い、落ち着いて……!)
そんなふうにクシェルが慌てると、イェレミアスが余計に心配し、接触が多くなる。そうなるとクシェルの心臓が口から飛び出しそうなくらい跳ね上がり、顔がこれでもかと赤くなってしまう。
場が混沌と化していくのを眺めていたヘルタは、にこやかな笑顔でサクサクと帰っていく。
「……え、わたしこの空間に残されるの? どんな罰ゲーム?」
その場に残されたベネディクトは、途方に暮れたようにつぶやいた――
*
それから三日後。
ローデンヴァルト家に、クシェルのドレスを携えたイルザが意気揚々とやってきた。
「お久しぶりにございます、エーデルシュタイン嬢……いえ、クシェル様、とお呼びした方が宜しいですわね。構いませんでしょうか?」
「は、はい。お気遣いいただき、ありがとうございます」
イルザの勢いに押されつつも、その気遣いに思わず頬が緩む。するとイルザは早速、持ってきた仮縫いのドレスをクシェルに着せていった。
「きついところがありましたら、おっしゃってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
園遊会用に用意されたドレスは、桃色と菫色のグラデーションが美しいバッスルスタイルのドレスだった。桃色ということでかなり若々しく見えるが、そこに菫色を合わせているからか甘すぎずバランスが取れている。あまり甘めの色が合わないクシェルにも意外と似合っていて、驚いた。
「あ、の。あまりこういう色のドレスは着たことがなかったのです、が……私にも合うのですね」
「もちろんです。菫色のドレスは、今季の流行カラーなのですが……色味の僅かな違いや使う生地の種類によって、その辺りは全然変わってきますのよ。そういった点を考慮して生地の色や種類を選ぶのも、わたくしの仕事の一つです」
「素晴らしいお仕事ですね。私は今まで、言われた通りドレスを作ったことしかなかったのですが……こういったお仕事ぶりを見ていますと、ドレスはとても奥深いものだと思います」
そう言い頷くクシェルに、イルザは優しく微笑む。
「ドレスだけでなく装飾品も、身につけるその方によって美しさが変わるのです。今回は全てダイヤモンドの装飾品を使うというお話でしたので、それに合わせて仕立てました。園遊会はお外で開かれますから、同じ菫色のレースを使った日傘も用意してございます。クシェル様のお足に合わせたハイヒールの靴も。すべて、わたくしが自信を持って揃えさせていただいた一級品ですわ」
「そ、そんなに……」
「はい。イェレミアス様から揃えるように、と指示を受けて用意しました。…………クシェル様は、とても愛されていらっしゃいますね」
それを聞いて、クシェルはイェレミアスの顔を思い浮かべた。
(イェレミアス様は……こんな私でも、本当に本当に大切に、婚約者のように扱ってくださる……)
それがとても嬉しくて、でも悲しくて、胸がきゅうっと苦しくなる。
同時に、クシェルは自分に言い聞かせた。
(クシェル。これは……ひとときの夢。これっきりのものよ。だから……勘違いしちゃいけないわ)
釣り合わない身分と、釣り合わない自分の存在。
だからこれから先、イェレミアスとの幸せな未来を望んではいけないのだ。
でも。
(ささやかだけれど、お礼だけは……したいわ)
何もできないクシェルが唯一得意なことは、裁縫だ。だから、イェレミアスのために何か作りたい。
そう思ったクシェルは、未だにドレスを調整するイルザに向かってお願いをする。
「あ、の。ハシュテット様」
「なんでしょうか、クシェル様?」
「……イェレミアス様に、何かお作りしたいのです。なので……少し、お力を借りてもよろしいでしょうか……?」
クシェルの提案に、イルザは一瞬驚いてから快く頷いてくれたのだった。




