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1.嫁ぎ先と予想外の言葉

 カラカラカラと、馬車の車輪が回る音がする。


 エーデルシュタイン家の従者が走らせる馬車に揺られながら、クシェルは窓から外を眺めていた。


 その顔には、薄紫色のドレスに合わせた色のヴェールがかかっている。様式通り、同色の手袋もしていた。

 ドレスとヴェール、そのどちらもを飾るこまやかで美しい刺繍は、まだ出荷年齢に満たしていないエーデルシュタイン家の娘たちが、手習いの練習として。また、嫁いでしまう娘たちへの最後の贈り物として施したものだった。

 今流行りの花の刺繍をするのではなく、ビーズをあちらこちらにあしらい幾何学模様の刺繍を施してあるのは、エーデルシュタイン家が宝石の妖精の血を引く家柄だからである。


 ヴェールを顔にかけるのは、未婚のエーデルシュタイン家令嬢なら当然だった。エーデルシュタイン家の令嬢は、瞳に一番多くの魔力を宿すとされているからだ。

 なので、視線というのは神聖なもの。だから、主人が決まるまでは決してみだりに見せて良いものではないとされている。


 瞳を合わせて、不幸を引き受ける相手と口づけを交わす。


 それが、主人である人と交わす契約の証だ。

 そうすることで、契約者は自身の望むものをなんでも得ることができる。巨額の富も女性も、なんでもだ。


 エーデルシュタイン家の娘の命が、続く限り。


 クシェルが、今日嫁ぐ相手に最初に行なうべきことでもある。


(……たとえ、能力がなかったとしても)


 それがエーデルシュタイン家の掟で、絶対だった。


 クシェルは改めて外を見つめ、吐息した。白い息が漏れる。辺り一面は純白の雪で覆われていて、今通り抜けている針葉樹の森も雪で覆われていた。そこまで積もっていないが、外はうんと冷えて灰色の雲がかかっている。今にも降り出しそうな空だ。


 クシェルがいるミュヘン王国の冬は、とても寒い。本格的に冬に入れば、馬車を陸地で走らせることは困難になる。嫁ぐにはかなりギリギリのタイミングだった。


 クシェルが向かっているのは、ミュヘン王国の南西に位置するエルツ男爵領だ。クシェルの嫁ぎ先の男爵が治める領地である。

 エーデルシュタイン子爵領があるのはそれよりもさらに西。鉱山を背負うようにして立ち並ぶ箇所にあった。ただ同じく西に位置する領地なので、馬車で一日とかからず着くのはありがたい話だ。


 エルツ男爵領は、エーデルシュタイン家よりも王都近くに位置している。

 どちらにしても、エーデルシュタイン家から出るのが初めてなクシェルにとって、そこは未知の世界だった。


 といっても、何が起こるわけでもない。


(だって私はこれから……死にに行くのですもの)


 使い物にならない不良品だと、匙を投げられて。

 わざと、殺されに行くのだ。


 だから、真新しいものも美しいものも、クシェルにとっては必要ないもの、いらないものでしかない。


 そう思ったクシェルは、カーテンを引っ張って外の風景から目を背ける。


 ガタガタ、ガタガタ。


 馬車が揺れる音を聞きながら、クシェルは俯き、そっと目を閉じた。








 クシェルがエルツ男爵家のカントリーハウスに着いたのは、昼過ぎだった。


 早々に馬車から追い出されたクシェルは、旅行鞄を両手で持ちながらブルリと身を震わせた。雪が薄く積もり、ひどく冷えていたからだ。


 早朝から馬車に座りっぱなしだったこともあり、体がうまく動かない。


 しかし、馬車はもう帰ってしまったし、屋敷の門前でいつまでも立ち尽くしているわけにもいかない。

 クシェルは俯きながらも、おそるおそる門前にかかる呼び鈴を鳴らした。


 数分して、屋敷の扉が開き男性が出てきた。


 燕尾服をしっかり着込んでいるところを見る限り、執事だろうか。彼は小走りで門の前にまでくると、クシェルの前で立ち止まりにこりと微笑む。


「クシェル・オニュクス・エーデルシュタイン様でしょうか?」

「は、はい」

「ようこそおいでくださいました。我が主人もお待ちです、どうぞ中へお入りください」


 予想していなかった対応に、クシェルはヴェールの下で大いに戸惑っていた。

 平民上がりの男爵家と聞いたので、ここまで品の良い執事がいるとも思わなかったし、とても礼儀正しい対応をされたのが初めてだったからだ。


 エーデルシュタイン家の男性たちは、大抵女性たちを見下している。なので男性たちが廊下を通ろうとしているときには端によって頭を下げるし、どんなに口汚い言葉をかけられたとしても黙って俯いていることが求められた。


 それは、使用人であっても同じ。

 なので、うまくリズムが掴めず戸惑う。


 それだけでも困惑するには十分なのに、執事はクシェルの旅行鞄を当たり前のように持っていってしまった。


 手持ち無沙汰になったクシェルは、腹部で両手を重ねて指をさする。


(いけない……しっかりしないと)


 これから、クシェルは相手を怒らせるのだ。ならば、このようなことで驚いていては身が持たないだろう。

 そう自分に言い聞かせながら、執事の後をついていった。


 そうして通されたのは、応接間である。

 座って待っているように言われたクシェルは、古いが手入れが行き届いていて品の良いカウチの中央にちょこんと腰掛けていた。


 一人になれる時間ができたので、イメージトレーニングをする。


(大丈夫……たくさんたくさん、考えてきたもの。大丈夫よ)


 嫁いでくる前、嫁ぎ先が決まってからずっと頭の中で唱え続けていた流れを思い浮かべる。


 まず初めに、ヴェールを取って目を合わせ、契約のための口付けを交わす。これは絶対だ。

 契約というのは、相手に全てを晒すことである。

 つまりクシェルがエルツ男爵と契約をすれば、クシェルに能力がないことは分かるだろう。


 しかも、エルツ男爵は魔術師だと父親から聞いた。そのおかげで、男爵位を賜ったということも。

 なのでクシェルに能力がないことは、契約すれば簡単に分かると思う。


 それから、自身には宝石の妖精としての能力が全くないことを告げる。


 この時点で、男爵は大層怒るだろう。


(だって、それが目的で、私のことを欲したのだから)


 そう、ヴェールの中で笑って。

 そうしたら、応接間の扉が叩かれ、開かれた。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません」


 そんな言葉とともに入ってきた男性に、クシェルは息を呑んだ。


 耳に馴染むような、美しい声。

 艶やかな白銀の長髪を青いリボンでまとめ、月をそのままくり抜いたかのような美しい金色の瞳がこちらを見つめている。

 細身だがしっかりした肢体を、シンプルな服で包んでいる。手袋は黒だ。佇まいや所作から滲み出る品の良さが感じられた。


 ヴェール越しでも分かるほど、美しい美しい二十代ほどの男性である。


 少なくとも、クシェルが今まで目にしてきた中で一番美しい人だった。


 思わず呼吸も忘れて見惚れていると、エルツ男爵――イェレミアス・レーンスヘル・エルツが笑みを浮かべ、向かい側のカウチに腰掛けた。


「初めまして、クシェル嬢。我が家は貴女を歓迎します」

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