15.黒猫のような闖入者
クシェルが倒れてから、早数日。
とうとう医者からも太鼓判を押してもらい、クシェルはベッドから出ることができた。
――しかしまさかその数日で、事態がここまで進展していたとは、誰が予想できただろう。
ローデンヴァルト家の居間に通されたクシェルは、イェレミアスとヘルタと一緒に庭先の四阿――盗聴防止用の魔導具を置いた――でお茶を飲みながらその話を聞くことになった。
「体の方はもう大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます」
「それならば良かった。なら早速話をさせていただきますね。クシェルには、知る権利があると思いますから」
「はい。教えてください」
「分かりました。あなたが望むままにお教えいたします。ただ無理そうでしたら、すぐに言ってください」
そう前置いてから、イェレミアスは言う。
「クシェルから教えてもらったアーレンス卿ですが、なかなか有益な情報が出てきました」
「はい」
「まず、妾ですね。とにかくとっかえひっかえするので数はまちまちなのですが、現在は四人。その中の一人が滅多に部屋から出てこない第三夫人で、アーレンス卿が今一番気に入っている愛妾だと言われています。使用人も名前を把握しておらず、アーレンス卿も彼女の世話は最古参の使用人である侍女頭にやらせて、誰にもそばに寄せ付けないのだとか」
「そうなのですね……」
「普通なら離れをあてがうはずの妾を本邸で囲っているにもかかわらず第一夫人が何も言わないこともあり、おそらく彼女がクシェルのことを助けてくれたエーデルシュタイン家の娘だと思います」
こくこく、と大きく頷く。イェレミアスの報告は、クシェルにも分かりやすい。
クシェルがしっかりと理解していることを確認したらしいイェレミアスは、さらに言葉を繋げた。
「そしてそのアーレンス卿の横の繋がりを調べていたら、かなり細い縁ではあるのですがエーデルシュタイン家が浮かび上がりました」
「……え」
「どうやら九年前に一度、エーデルシュタイン家が主催をする夜会に誘われていたようです。夜会の開催理由は、『エーデルシュタイン家が懇意にしている異国の商人を交えた商談会』だったとか。……と言っても、それ以前の交流も年単位でかなりまちまちなので、本当に薄い縁ですね」
ごくりと、クシェルは喉を鳴らす。それはおそらく、クシェルが目撃したモノが、そういった名目で行われていたということだ。
クシェルの様子をチラチラと窺いながら、イェレミアスは話を続ける。
「一応その流れで、その商談会に参加していたメンバーも一部特定できました。ただ先ほども言ったように、どうやら年単位でしか開催されない催し物らしく……この線から追うのは難しそうですね」
「は、はい」
「それに僕たちが欲しいのは、『エーデルシュタイン家が宝石の妖精の血を悪用していた』という確たる証拠です。妖精の血を悪用することは、ミュヘン王国では大罪ですからね。外から攻めても、『嫁ぎ先が勝手に悪用しただけ』と言い切られてしまえばエーデルシュタイン家内部に切り込むのは難しいです。トカゲの尻尾切りというものですね。なのでできればもっと別の切り口から攻めたいところなのですが……」
イェレミアスが言うには、貴族の屋敷に立ち入り調査することはそれ相応の理由がない限り難しいらしい。理由としては、貴族の大半が魔術師で、各々が秘密の工房を必ず持っているからだ。
そこに立ち入るということは、家宝を盗むことに等しい。そのため、今回のような理由では無理だと言う。
肩をすくめるイェレミアスに対して、ヘルタは軽快だ。にこにこ微笑みながら口を開く。
「それでね、イェレミアスと相談して、とりあえずアーレンス卿をメインに据えて切り崩そうって話になったの。だからわたしのほうでもアーレンス卿のことを色々と調べてみたのよ。そしたらびっくり、どうやら十年に一度くらいで、妾がごっそり入れ替わってるみたいね〜」
「じゅ、十年に一度、ですか……?」
「ええ、そう。もちろん、そのときによって九年だったり十一年だったりするけど、誤差の範疇でしょう。そして新しい妾を入れる。……思ったのだけれどこれって多分、十年周期でエーデルシュタイン家から娘をもらっているんじゃないかしら? 妾をその度にごっそり入れ替えるのは、それをカモフラージュするためじゃないかって思うのよね」
「……十年周期……」
「そう。つまり、そろそろまたエーデルシュタイン家に接触するんじゃないかって思うの。じゃないと、富が得られないものね」
クシェルは、呆気に取られながらヘルタの報告を聞いていた。
クシェルがイェレミアスに『アーレンス卿』の名前を出したのは三日前だ。つまり、これらの情報を集めた期間は三日間ということになる。
たったの三日で、こんなにも情報を集められるものなのだろうか。
ずっと一人きりでいたクシェルには、ちょっと分からない。分からないが、とんでもない人たちを味方につけたことだけは理解できた。
そんなヘルタに呆れ顔を浮かべながら、イェレミアスは言う。
「なのでとりあえず、アーレンス卿には宮廷の密偵を見張りにつけています。内部のほうも、人手が足りないらしく募集をしていたので、数名紛れ込ませました」
「えっ」
「アーレンス伯爵家は、使用人も定期的に入れ替えているようなので紛れ込ませやすくて助かりました。おそらく、内部への違和感や家の事情に踏み込ませないための措置なのでしょうが、今回ばかりは功を奏しましたね。良かったです」
情報だけでなく、もう人員まで中に潜り込ませているらしい。
クシェルは声を上げる間もなく驚いてしまった。
そんなクシェルを不思議に思ったのか、イェレミアスが首を傾げる。
「クシェル、どうかしましたか?」
「えっと、その……私が寝込んでいる間で、あまりにも事態が進展していることに、ちょっと混乱していると申しますか……その。イェレミアス様とローデンヴァルト家の方々の手腕に驚いてしまったと申しますか……」
「そうですか? 我が家は割とフットワークが軽いので、これくらいは普通ですよ」
「そうなの、ですか?」
「はい。母上がクシェルの教育係になる、と決めたのも連絡を入れた当日でしたし……天候やそれ以外の用事がなければ、すぐに飛んできていたんじゃないですかね」
そう言ってイェレミアスがヘルタを見れば、ヘルタはティーカップの取っ手を指先でつまみながら、にこり。
「当たり前じゃない」
そう言って紅茶を一口飲む姿には、何やら貫禄があった。
そんなヘルタに呆れながら、イェレミアスは首をかしげる。
「それで、なのですが。クシェル」
「はい」
「僕と一緒に、アーレンス卿の園遊会に参加してはくださいませんか?」
ぱちぱちと、クシェルは目を瞬かせた。まさかそんな頼み事をされるとは思ってもいなかったからだ。
唇をわななかせたクシェルは、呟く。
「あ、の。私も、何かお役に立てるのですか……?」
「もちろんです。できればアーレンス卿が囲っているエーデルシュタイン家の方にお会いしたいのですが、クシェル以外はその方の容姿を知りませんし、それに僕が会ったところできっと、彼女は僕の言葉を信じてはくれないでしょう。そのために、力を貸して欲しいんです」
クシェルは、信じられない気持ちで胸がいっぱいになった。
(私が、イェレミアス様のお役に立てる? そして……石ころの私が、宝石の娘たちを救う手助けが、できる……?)
そんなこと、思ってもみなかった。
頼られたこと、そして自分の力で何かできるかもしれないということに、胸に闘志が湧く。喜びとやる気をぎゅっと胸に詰め込んだまま、クシェルは大きく頷いた。
「も、もちろんです。やらせてください、お願いいたします」
そこまで意気込んでから、クシェルははたと気づく。そして、顔を青くしてつぶやいた。
「あ、の。私……園遊会に着ていくようなドレスを、持ち合わせておりません」
園遊会というのは、昼間に開催されるガーデンパーティーのことだ。女性だけが参加する茶会と違い、男女混合で参加できる。クシェルのようなデビュタメント前の人間でも参加できるが、代わりに夜会と同じくドレスコードが存在した。
つまり、園遊会用のドレスがないといけないのだ。
クシェルがイェレミアスに仕立ててもらった外出用のドレスでは、出かけられない。
そのことに気づき意気消沈していると、イェレミアスが喉を震わせて笑った。
「何言っているんです、その辺りも、ハシュテット女史に言ってもう手配済みですよ。あと三日後には仮縫いが終わって、うちに一度ドレスを合わせに来るそうです。いつも仕事が早くて助かります」
「……え」
「ああ、そうです。夜会用のドレスのほうはまたの機会ということにしていますから、安心してください」
それを聞き、クシェルはぼっと顔が赤くなるのを感じた。
(ハ、ハシュテット様にご連絡をするの、すっかり忘れていたわ……!)
そしてそれをイェレミアスに知られてしまったことに、言い知れぬ罪悪感が湧く。
クシェルは膝の上でぎゅっと手を握り締めながら、イェレミアスに頭を下げた。
「も、申し訳ありません……私の、せいで」
「気にすることはありませんよ。……とりあえず今は、エーデルシュタイン家です。それが終わるまでは婚約の件も保留にしていますから、じっくり考えてください」
「……え?」
クシェルが疑問の声を上げたが、イェレミアスはそれに対して答えることなく話を戻した。
「それで、アーレンス卿の園遊会なのですが」
「は、はい」
「これは、十日後に行われます」
「はい」
「僕たちはそこへ『エルツ男爵とその婚約者』として行く形になりますから、覚えておいてください」
少し混乱しながらも、こくりと頷く。
(で、も。イェレミアス様が先ほど言った言葉の意味は……どういうことなのかしら)
イェレミアスはこれから先も、クシェルとの婚約関係を続ける気なのだろうか。しかしそれは、周りが許さない気がする。
(だってイェレミアス様は、次期当主ではないにしても侯爵家の方で、宮廷魔術師で……きっと、引く手数多なはず。その一方で私は子爵家。しかもエーデルシュタイン家の一件が露見してしまえば、爵位は確実に返上。私は平民になってしまう……)
その時点で、クシェルがイェレミアスの婚約者でいられるわけがなかった。なのに「じっくり考えてください」とは、一体。というよりイェレミアスの先ほどの発言に、ヘルタは何も言わないのだろうか。
この間、数秒。ぐるぐる一人でクシェルが考え込んでいたら、後ろからぬっと人影が伸びてくる。
そして、クシェルの目の前に一通の封筒が突如として現れた。
「はぁい。お待ちかね、その園遊会の招待状のお届けでーす」
「…………ッッ⁉︎」
ふよふよと目の前で浮く封筒と、背後からかけられた声。その両方に驚いたクシェルは一度大きく震えたかと思うと、驚きすぎて身動きが取れなくなってしまった。
するとイェレミアスは、そんなクシェルのそばに直ぐ跪き、手を握って落ち着かせてくれる。
そして、そんな悪戯をした張本人に胡乱な眼差しを向けた。
「ベネディクト。普通に出てくることができないんですか、あなたは」
「いや、ごめん。こんなに驚くとは思わなくてさ……可愛らしい子を捕まえたんだね、イェレミアス」
おそるおそる背後を向けば、そこには美しい男性がいる。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪に、紫色の瞳をした男性だ。
年はイェレミアスと同じくらい、どことなく猫を思わせるその人は、クシェルの顔を見ると人懐っこい笑みを浮かべてから優雅に腰を折る。
「初めまして、美しい夜の君。わたしの名前はベネディクト・エメリヒ=フィンスターニス。イェレミアスの同僚でっす」
よろしくね?
茶目っ気たっぷりでウィンクをしてきたベネディクトに、クシェルはただただ驚くしかできなかった。