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閑話3.愛と恋と、剣と盾

 すうすう、と穏やかな寝息を立て、クシェルが眠りに落ちる。

 その寝顔をほっとした気持ちで眺めつつ、イェレミアスは名残惜しい気持ちを抱えクシェルの手を離した。


 本当なら、彼女が起きるまでずっと手を握っていたかったのですが……。


 やらなければならないことが、山ほどある。そのために、まず動く必要があった。


 クシェルの肩にふとんをかけ直してから、イェレミアスはできる限り音を立てないようにして廊下に出た。


 その足で、すたすたと居間へ向かう。

 扉を開けば、母であるヘルタが優雅にティータイムを開いていた。その傍らにはレーネとクヌートもいる。


 レーネは元々、ヘルタの侍女の一人だった。『エルツ男爵』としてなりすますべく最低限の使用人を連れて行こう、となったとき、真っ先に連れて行こうと思ったうちの一人だ。


 イェレミアスが幼い頃から仕えており、その優秀さは彼自身もよく知るところだったためだ。現に、メイドとしての仕事のみならず横の繋がりが広く様々な情報を仕入れてくれる、この屋敷になくてはならない使用人の一人だ。


 そしてクヌートも、イェレミアスが幼い頃より従者として付き従い、そのままの流れでイェレミアスの従者兼執事になった使用人だった。


 取り計らったかのように揃えられている人員に、イェレミアスは苦笑をこぼす。


「さすが母上。僕の考えなど、お見通しということですか」

「まあ、そんなことはなくってよ? だけれど、何かありそうだとは思っていたわね」


 我が母ながら、頼もしく恐ろしい。

 しかしこの手腕があった故に、ローデンヴァルト侯爵家の第二夫人という立場でありながら、第一夫人とも良好な関係を築いているのだ。彼らの力あってこそのイェレミアスと言えよう。


 促されるままにヘルタの向かいの席に腰掛けてから、イェレミアスは話を切り出した。


「エーデルシュタイン家と繋がりがあるであろう家の名前が分かりました。アーレンス伯爵です」

「まあ、あのアーレンス卿?」

「はい」


 秘密主義のエーデルシュタイン家とは打って変わり、アーレンス伯爵は派手好きで女性関係でもあまり良い話を聞かない貴族だ。蒐集癖があり、とにかく珍しいものを集めたがる。以前は多種多様な薔薇を庭園に植えて自慢していたはずだが、最近はもっぱら絵画に夢中らしい。よく自身のコレクションを見せびらかすために、園遊会や夜会を開いていたなとイェレミアスは思い出した。


 その上、それだけ派手に遊び歩いても没落しないほど金回りも良いと聞く。エーデルシュタイン家の娘を買っているからこその恩恵と見て、間違いはないだろう。


 イェレミアスは、顔を大きく歪ませた。


「伯爵家の人間が、愚かな真似を……」

「そうねぇ。最近は特に、精霊や妖精と共生するのではなく、一方的に利用しようという思想が出回っているようだし」

「……エクリプセ派ですね。全く、度し難い」


 精霊や妖精というのは、この国では尊ばれて当たり前の存在だ。だからこそ、クシェルのような『妖精の血を引く人間』は、本来なら各所から引っ張りだこになるレベルの存在だった。精霊や妖精は、同じような匂いを持つ人間に好んで祝福を与えることが多いからだ。その恩恵を受けられることは、魔術を習得している身としてはありがたいもの以外の何物でもない。


 その上クシェルは、大切に育てて愛でて慈しめば、必ず契約者に恩恵を与えてくれると言われている『宝石の妖精』の血を引いている。そんな貴族令嬢が家畜のように虐げられているなど、イェレミアスには信じられなかった。


 今回クシェルを嫁にもらうにあたってエーデルシュタイン家に渡した結納金とて、イェレミアスからしてみたら当たり前のものである。妖精の血を引く人間を育てるのは、実をいうととても難しいからだ。

 幼少期は特に不安定なので、妖精の方に体が引っ張られてしまい存在そのものが消えてしまうことも多い。


 だからこそ、妖精の血を引く娘は尊ばれ、嫁にもらった際は今まで大事に育ててくれた恩も兼ねて生家に結納金を渡すのだ。


 それを踏まえたとしても、クシェルに対する愚行の数々をイェレミアスは到底許せない。その苛立ちが外部に漏れてしまったのか、ぴしりとティーカップにひびが入った。


 それを見たヘルタは、呆れながらも指を一振りする。すると、ひびはみるみるうちに消えてしまった。


「イェレミアスが怒って物を壊すのは、久々ね〜」

「……申し訳ありません、母上。僕はまだまだ未熟ですね」

「……何を言っているの。あなたが怒っているのは、クシェルさんを想ってでしょう? それは、未熟とはまた違います」


 ヘルタは、真剣な顔をして言った。


「クシェルさんの環境を少し聞き齧っただけでも、彼女の人生が壮絶なものだということは分かります。そしてあなたがそうして怒っているのが、上手に怒れないクシェルさんの代わりだということも、母はちゃんと分かっていますよ」

「……母上」

「それに、あなたにとってクシェルさんは、それだけ大切な人だということでもあるもの。わたしはそれを嬉しく思いますよ、イェレミアス」


 茶化されているわけではなく、純粋に喜ばれていることはすぐ分かった。だからか、指摘されたことに対する恥ずかしさよりも、鈍い痛みが胸に走る。


 笑って欲しい、と。そう思った。クシェルが笑うと、彼女の色白の頬がわずかに赤く染まって、周りの空気がやわらいで。見ていてとても心地が良かったから。


 同時に、痛みに耐えかねてもなおどうにかして過去と向き合おうとする彼女のひたむきさに心が打たれた。


 どの彼女もとても好ましく、美しくて。なにがなんでも、守りたいと思った。


 この感情が『恋』なのだというのであれば、本当に厄介な感情だと思う。


 怒りよりも一層熱く、恐怖よりもなお深く。

 慕う相手すら巻き込んで全てをさらってしまえるこれは、まさしく劇薬だった。そして何より、今のクシェルに必要なものでもある。


 イェレミアスは数回逡巡してから、口を開いた。


「母上。この感情で、クシェルを守れると思いますか?」


 息子からの突飛な発言に、ヘルタは数回、目を瞬かせる。そして、耐え切れないというように破顔した。


「馬鹿ね、何を愚かなことを言っているの。――守るのよ。むしろ、あなたのその感情以外で、クシェルさんを守れると思うの?」

「……いえ。愚問でした、申し訳ありません」

「本当よ。馬鹿なこと言わないで。いつだって愛だの恋だのって感情は、どんな理屈よりも頑強な剣であり盾なんだから」


 だから、胸を張って守りなさい。


 そうヘルタに言われ、イェレミアスは微笑んだ。今日初めて笑みを浮かべられた気がする。

 しかし直ぐに身を正すと、イェレミアスは背後のクヌートに視線を送った。


「クヌート。アーレンス伯爵家に関してのことを洗いざらい調べてください。どんな小さなことでも構いません。使用人たちを使って、できる限りの情報収集を頼みます」

「かしこまりました、坊っちゃま」

「あと……宮廷に使いを送って、あの男に連絡を。こういうときこそ、あの男の出番でしょう。ついでに、アーレンス伯爵家の園遊会や夜会がいつ開かれるのかも調べて、やつに招待状の確保をさせてください。派手好きな伯爵のことです、きっと招待状もばらまいていることでしょう。確保出来次第、あの男に僕のところへ来るよう伝えてください」

「御意に」


 クヌートが颯爽と立ち去るのを見送りつつ、イェレミアスはレーネを見た。


「レーネは、アーレンス伯爵だけでなくアーレンス伯爵と繋がりの深い貴族を中心に調査を。できる限り手広くお願いします。できますね?」

「もちろんです。お任せください」

「ありがとう。ついでに、エーデルシュタイン家のカントリーハウスとタウンハウス、その両方に見張りを。何か動きがあれば、直ぐに魔導具を使って知らせてください」

「かしこまりました」


 そう頷いてから、レーネは思い出したように口を開いた。


「そういえばイェレミアス様。ハシュテット様にお願いしていた、夜会用ドレスのお仕立てなのですが。クシェル様がどうやら、数日待って欲しいとおっしゃっていたようでして。お返事がないのでどうしたのかと、連絡が入っております」

「……クシェルが?」

「はい」


 それを聞いて、イェレミアスはクシェルが社交界デビューをしていないという話を思い出した。


 そうですか。おそらくクシェルのことだから、ドレスが無駄にならないようにと思ったのでしょうね。


 社交界デビューと呼ばれる女王陛下へのお目通りを果たしていない令嬢は、原則として夜会に出席できない。

 そのいじらしさに胸が引き絞られると同時に、彼女が本当に今の、イェレミアスの婚約者という立場を捨てようとしたことが窺えて、少しだけ腹が立った。


 それと同時に、彼女がそこまでなるくらいいたぶられてきたことを思い、目の前が真っ赤になる。自分に、こんなにも仄暗い感情があったのかと驚くばかりだった。

 しかしそれを一つ深呼吸することでこらえたイェレミアスは、レーネに言う。


「夜会用ドレスは一旦キャンセルを。代わりに園遊会用のドレスを数点と、社交界デビュー用の純白のドレスを仕立ててもらってください。園遊会用はなるべく早くお願いします」

「……なるほど、かしこまりました。お伝えさせていただきます」


 一礼したレーネが立ち去るのを確認してから、イェレミアスはヘルタのほうへ向き直った。


「そして母上。母上には、クシェルの養子先選びをお願いしたいのです」

「あら。わたしも?」

「はい。母上の人脈ならば、クシェルが不幸にならない養子先を選ぶことができるかと思います。クシェルが妖精の血を継いでいるなら、なおのこと養子先選びには神経質にならなくてはいけませんから」

「そうね。分かりました、わたしもクシェルさんのことが好きだもの、喜んでやりましょう」

「……それに」

「それに?」


 一拍間を置いてから、イェレミアスは言った。


「……もしクシェルが僕を選んでくれるのであれば、身分差は少ないほうが良いでしょう?」


 イェレミアスのセリフを聞いて、ヘルタは目を見開いた。そして閉じた扇子を口元に当てながら、にやりと笑みを浮かべる。


「……ふふ。あらやだイェレミアス。あなた……前より悪い男になったわね?」

「当たり前です、いらない障害は全て排除します。身分差を埋めるための措置は、その一つでしかありません。……それに王家としては、僕が家を出て下手に侯爵家の輪から外れるのは厭うはず。僕を宮廷に繋いでおきたいのであれば、どちらにしろ爵位を与えなくてはならないですから」

「そうねぇ。あなたほどの優秀な魔術師を、国外に出したくはないでしょうし」

「はい。なら、多少の無茶は通せます。いや、通させます」

「あら、本当に悪い子。……ふふ、いいわ。前の、利用されるのもするのも嫌でのらりくらりとかわしていたときより、ずっと良い。そう、使えるものならなんでも利用なさい。それでこそ、わたしの自慢の息子だわ」

「そう言ってもらえるのであれば、良かったですよ」


 ヘルタがらんらんとした目で外出準備を始めようとするのを、イェレミアスは止めた。


「あ、そうです。母上」

「あら、どうしたの?」

「……黒い宝石の原石を数十、見繕ってはいただけませんか? 石の種類はなんでも構いません」

「……まあまあ。何に使うのかしら?」


 意地の悪い笑みを浮かべながら、ヘルタは肩をすくめる。

 しかし隠すことでもなかったので、イェレミアスはにこりと笑みを返した。


「もちろん、贈り物を。魔術師です、贈り物くらい手作りできませんと、ね?」

「……ふふ、分かったわ。いつものところへ行ってみるわね?」


 そう言ってルンルン気分で侍女と護衛を伴って行ってしまった母親に、思わず苦笑する。クシェルの教育係をやると言ったときもそうだが、相変わらずフットワークがとても軽い。

 しかし実際、そのフットワークの軽さに幾度となく助けられてきた。


 両手を組みながら、イェレミアスは思う。


 ……僕は本当に、周囲に恵まれて育ちましたよね。


 クシェルの話を聞いて改めて、自分の立場を理解した。頼りになる人間がこんなにもいるのは、本当に心強い。

 そしてクシェルにも、ローデンヴァルト家が。イェレミアスのそばが、居心地の良い場所であって欲しいと思った。


 今回の一件を経て、クシェルがどちらを選ぶのかはどうでも良い。ただとにかく、彼女の場合イェレミアスのほうからを求婚をしなくてはならないだろう。そのために、エーデルシュタイン家の一件をさっさと片付けなくてはならない。


 それがなくても、クシェルがこれから未来を見ていくために、エーデルシュタイン家は邪魔です。


 使えるものはなんでも使い、いらないものは徹底的に排除する。それが、ローデンヴァルト家の人間のモットーだ。自分にもちゃんとその血が流れていることに安堵しつつ、イェレミアスは目をつむる。


 思い起こされるのは、震えながらも気丈に過去を語った細い少女の姿だ。


 彼女が、これから先楽しく笑っていられるのであれば、なんでもやろう。そのとなりに自分がいなかったとしてもだ。惚れた相手にここまで尽くせるなんて、これ以上にないくらいの幸福なのだから。


 しかしクシェルが、イェレミアスの婚約者でい続けると言ったときは。そのときは。


 二度と、離してあげられないでしょうから。


 怒りよりも一層熱く、恐怖よりもなお深く。

 きっとこの感情は、そういう〝イキモノ〟だ。


 そんな気持ちを押し殺すために、イェレミアスは口を開く。


「彼女を虐げたすべての人間に、必ず報いを受けさせてやる」


 遠いどこかを見つめて。低く這うような声で、イェレミアスはそう呟いた――

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