11.罪を告白する
イェレミアスの瞳が、大きく見開かれていくのが分かった。
驚愕とも困惑とも取れる瞳は、初めて出会ったときにクシェルが契約の儀式として口づけをしようとしたときと似ている。
しかし今回はどことなく、イェレミアスが焦っているように見えた。
「僕は、クシェルに、何かしてしまいましたか?」
うわずった声でそう告げられ、クシェルは慌てて首を振る。
「ち、違うんです。そ、の。……問題があるのは、私のほうなのです」
「……問題?」
「はい。……私は、イェレミアス様が思っているような人間では、ないから」
イェレミアスが何か言おうと口を開く。しかしそれにかぶせるように、クシェルは叫んだ。
「私、はっ。……嘘を、ついていました」
「……嘘?」
「はい。……私は、一族の中では落ちこぼれで。宝石の妖精が持つ『契約者に幸をもたらす力』を、持っていないん、です」
努めて平静を装ったが、声が否が応でも震えた。
イェレミアスの顔が、驚愕に染まっていくのが見える。その顔に嫌悪が滲むのが恐ろしくて、クシェルは視線を落とした。
「我が家の娘には、ランクがあるんです。貴石、半貴石、石ころ。貴石の娘なら、契約者の不幸を全て引き受けられるんです。でも私は石ころだから……相手を、幸せにすることすら、できなく、て」
「……クシェル」
「それに私、落ちこぼれだから! 魔力、なくて、魔術だって使えないん、です! 貴石や半貴石の娘なら、魔術だって嗜みの一つ、なのに……その上、社交界デビューもして、ない……っ! だから、夜会には参加できなくて……だから、だから!」
「クシェル」
「本当に本当に……申し訳ございません。こんなに優しくしてもらって、たくさんのものをいただいたのに。私には、それをいただいていいだけの価値が、なかったん……です」
イェレミアスが何か言おうとその度に名前を呼んできたが、それから逃れるようにクシェルは言葉を重ねた。
彼の口から、否定の言葉が出てくるのが怖かった。どうしても、聞きたくなかった。
こんなにも話したことはないからか、呼吸が苦しい。はくはく、とまるで水の中に放り出されたみたいに下手くそな呼吸しかできない。
手足の感覚がどんどん冷たくなって、恐怖で体がガクガクと震えた。涙がこぼれそうになって、そんな資格はないとぐっとこらえる。
死にたいと思ったときですらそんなことがなかったのに、イェレミアスに嫌われるのは怖いだなんておかしな話だ。
(それ、でも)
クシェルのことを救ってくれたのは、優しく闇の中から引き上げてくれたのは、他でもないイェレミアスだった。
そんな彼に返すのが恩ではなく裏切りなのが、本当にどうしようもない。
胸が押し潰されそうなほどの痛みを感じる。
それでも、謝らなければ。謝って、許してもらえなくても良いから謝って、一生をかけて償わなくては。
その一心で、クシェルは口を開いた。
「申し訳ございません、イェレミアス様。裏切って、騙して……ゆ、許して欲しいとは思いません。……私を引き取る際にくださったお金は、必ずお返ししたします。ドレスの費用も、それ以外の生活に使った費用も、必ず、お返しします。だから……だか、らっ」
「……クシェル」
「一生かけて、償わせてくだ、」
「――クシェル。僕を、見て」
気づいたら、イェレミアスがすぐとなりに座っていた。
彼の細く長い手袋で覆われた手が、クシェルの顎を持ち上げる。
怯えと共に無理やり合わされた瞳は――優しい色を湛えていた。
思ってもみなかった表情に、クシェルは硬直する。
そんな彼女の背中を、イェレミアスは軽く背中を撫でさすった。
「大丈夫、大丈夫です」
「あ、あ……」
「呼吸が浅くなっています。苦しいでしょう? まず、ゆっくり息を吸いましょう。はい、吸って……吐いて……吸って……吐いて…………」
イェレミアスの言葉に導かれて、クシェルは必死になって呼吸した。
そしたら、体の震えが嘘のようにおさまって、氷のように冷たくなっていた体に熱が灯る。
クシェルの呼吸が整ったことが分かったイェレミアスは、ホッとしたような顔をした。
「……もう、大丈夫ですか?」
「は……は、い」
イェレミアスの温度をすぐ感じ取れるからか、先ほどとはまた違った意味で緊張する。なのにどことなく心地よくて、クシェルはどうしたら良いのか分からなくなった。
そんなクシェルの背中を軽くとんとんと叩きながら、イェレミアスは言う。
「クシェルの気持ちは、よく分かりました」
「……はい」
「ですが。それを理由に、僕が婚約解消をすることはありません」
「……え」
「僕も、クシェルに嘘を吐いて、隠し続けていたことがありますから」
イェレミアスの言葉を聞いて、クシェルは目を見開いた。
そんなクシェルの反応に苦笑をしながら、イェレミアスは口を開く。
「明日、全てを明かします。ですから……」
そこで言葉を切ってから、イェレミアスはクシェルの額に手を当てた。すると、ぽう、と温かい光がまたたく。
瞬間、クシェルの視界がぐにゃりと歪んで、意識が遠のいていった。
(え、これ、は……な、に……?)
霞んでいく意識を必死になって保とうとしたが、とてもではないが起きていられない。
視界がぼやけて、意識がゆっくりと落ちていく。
「おやすみなさい、クシェル。――どうか、良い夢を」
眠りに落ちる前、ひどくやわい声音で、イェレミアスがそんなことを言ったような、気がした――
*
ハッと目覚めれば、見知った天井が目に映る。
数回瞬いて、クシェルはガバッと起き上がった。
すると、かかっていた掛け布がずるりと落ちる。同時に、自身がネグリジェに着替えていることに気づき混乱した。
(ま、待って……落ち着くのよ、クシェル)
昨夜、起きたであろう出来事を必死になって思い出す。
そう、クシェルは昨夜、イェレミアスに全てを打ち明けたのだ。
自分には、宝石の妖精としての能力がこれっぽっちもないこと。
その上、ランクも一番低く魔力がなく、魔術すら使えないこと。
社交界デビューをしていないため、夜会に出席ができないこと。
全て全て伝えた。今まで偽って、騙して、決して口にしてこなかったことを全て。
それなのに。
(イェレミアス様は、普段と変わらず優しく、て……)
そこまで考えてから、思う。あれは、クシェルが見た都合の良い夢なのではないか、と。
そうぼんやり考えて、きっとそうだと結論づける。馬鹿馬鹿しい夢を見てしまったのは、クシェルがそうあって欲しいと願ってしまったからだろう。
そう思って瞼を伏せていたら、控えめにノックが鳴らされた。
『レーネです。入ってもよろしいですか?』
「! は、はい!」
慌てて声をあげれば、宣言通りメイド服姿のレーネが入ってきた。
いつも、クシェルの朝の支度を手伝ってくれるので、今回もそれだろう。
促されるままにネグリジェを脱いで専用の下着を身にまとい、ドレスを着せてもらっていると、違和感を覚えた。
「あ、の。レーネ、さん」
「はい、なんでしょう?」
「このドレスは、外出用だと思うのですが……」
クシェルは、自身が身にまとっている美しいパステルグリーンのドレスを鏡越しに見つめた。
春を先取りしたような美しいミントグリーンのドレスだ。イルザが春向けの外出用ドレスとして仕立ててくれたもの。クシェルが、今までまともな食事をしてこなかったこともありあまり体型を強調する衣装を好まなかったことから、エンパイアスタイルという腰や胸元を強調しないすらりとしたドレスに仕上がっている。
さすがのイルザだ。言っていた通り、あまり体型が気にならずクシェルが着ても美しく見えた。今よりも前に流行った形だが、レースやビーズなどを使って決して古臭くないようアレンジが加えられている。思わず感心してしまう。
しかし、それを今着ている理由が分からない。
思わず困惑していると、髪をブラシで梳かしていたレーネが目を瞬かせた。
「えっと、昨夜イェレミアス様がクシェル様にもうお伝えしている、と思っていたのですが……違いましたか?」
「……えっ」
「本日全てをお話しになるから、話しやすい場所にお出かけになられるとおっしゃっていたのですが……」
どくりと、心臓が大きく脈打つ。
つまりそれは。
昨夜のことが、クシェルの妄想でも夢でもない、ということだ。
(どう、し、て)
それからクシェルは動揺が大きすぎて、レーネにされるがままになっていたのだった。




