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9.星降る祭典

 好き。

 これが。


 苦しみ抜きながらも、ただがむしゃらにやり続けてきたこれが。

 やめたくてもやめられなくて、気づいたらもっともっとと水の中に潜るかのように沈んでいったこれが。


(好き、な、の……?)


 しかしその言葉が妙に心に馴染んで、すとんと落ちる。


 そうか。これが。この感情が。


「好き」


 心の中で呟いたつもりが、口に出ていたらしい。言ってから気づき、イェレミアスが驚いているのを見てクシェルは慌てた。


「あ、ち、違うんです、ここ、これは、し、刺繍が『好き』の『好き』でして……!」

「……ふふ、そんなに慌てなくても、大丈夫ですよ。……多少、驚きましたが」

「も、ももも、申し訳ございません…………」


 恥ずかしさのあまり、耳や首まで赤くなっているのが分かった。

 思わず顔を両手で覆って俯いていると、頭上から笑い声が降ってくる。


「ふふ、そんなに真っ赤になっていると、リンゴみたいですね」

「ウッ。み、見ないでくださいぃ……!」

「すみません、すみません。見ていませんから……ふふっ」


 それでもなおイェレミアスの笑い声が聞こえてくる。だからか余計に顔を上げられず、クシェルはイェレミアスに抱き上げられたまま俯いていた。


 イェレミアスの全身から、笑いの震えが伝わってくる。


 それがだいぶ落ち着き、進める歩みも止まった後、イェレミアスが言った。


「クシェル、着きましたよ」

「……え?」

「ここが、『星灯りの祭壇』です」


 弾かれたように顔を上げれば、目の前に純白の空間がぽつんと広がっていた。


 イェレミアスが放った光の玉の中で、ぼんやりと光る祭壇。


 夜闇の中にぽっかりと浮き上がる純白は、まるでこの世のものではないように感じられた。


 剥き出しの、円形の祭壇だ。かなり大きく、直径十メートルほどはある。その周りを六本の純白の柱が囲うように立っている。柱自体とその上部には何やら不思議な形で彫られたものが置いてあった。


 これだけ雪が降っているにもかかわらず、祭壇には雪が積もっていない。それが不思議で、クシェルは思わず目を瞬いた。


 クシェルが興味津々といった体で周囲をぐるりと見回していると、祭壇の中心部に上がりながらイェレミアスが説明してくれる。


「周りにある柱は、ミュヘン王国で信仰されている中で一番神聖視されている六大精霊を模して作られています。火、水、風、土、光、闇ですね。彼らは他の精霊と違い、精霊にもかかわらずはっきりとした形を持ちます。故に精霊王と言われ、他の精霊たちと一線を画す存在なのです」

「では上にある彫り物は、その精霊王様方のお姿が彫られているのですか?」

「その通りです。そして真ん中にあるここが、精霊や妖精たちに捧げる供物……魔力を彼らが摂取しやすい形に加工するための、魔術陣が描かれている場所なんですよ。魔術陣があれば、大掛かりな魔術を短縮できたりもするのです」

「ここが……」


 イェレミアスにそっと下ろされたクシェルは、膝を抱えるようにして座り込みながら足元を見てみる。確かによくよく見てみれば、そこには細かな彫りが施されていた。これが、魔術陣というものなのだろう。


「クシェル」


 よく通る声が、まるで雪のように落ちてくる。

 ゆっくりと顔を上げれば、美しい金色の瞳がクシェルを優しく見下ろしていた。


「お手をどうぞ」


 その言葉に、瞳に。

 吸い込まれるように。

 クシェルはそっと、手を重ねた。


 クシェルを傍らに引き寄せたイェレミアスは、悪戯っぽく笑う。


「今から、年に一度しか見られないとっておきの魔術をお見せしましょう」







「--------」


 イェレミアスが、空いている手でポケットから美しく輝く光の玉を掲げた。そして、クシェルには理解できない言葉を紡ぐ。

 おそらくそれが、魔術陣を使うために必要な呪文なのだろう。


 ゆるく結ばれたイェレミアスの手が、淡く光る。

 見れば、イェレミアスの全身から白く溶けそうなほどの光がこぼれていた。


 その神々しい姿に、クシェルは息を呑む。


(きれ、い)


 元から人並外れた美貌を持っていた人だったが、純白の光を身にまとっていると本当にこの世のものとは思えない。


 まるで、神様のようだった。


 そんな人がとなりにいて、しかもクシェルと手を繋いでいる。

 クシェルは、自分が夢を見ている心地になった。


 しかも光はイェレミアスだけでなく、クシェルを、祭壇を、同じ色に染めていく。

 純白の光は六大精霊を模した柱をも染めると、頂点まで届いてから唐突に色を変えた。


 赤、青、緑、茶、金、黒。


 それぞれの精霊が持つとされている色が、美しく色づいていく。

 まるで柱に精霊たちが息づいていくかのような光景に、クシェルは釘付けになった。


 同時に、足元に幾何学の円形の模様がより強い白を刻んで浮かび上がった。


(これが、魔術陣)


 魔術陣はクシェルとイェレミアスの体を通り過ぎて、高く高くのぼっていく。

 気づけば、魔術陣は森を大きく通り抜けて空に広がっていた。


 魔術陣はぐんぐん高度を上げ、クシェルの目では確認できないくらい遠くの雪雲の中へ向かってのぼる。


 そして。


 リィィ…………ィィッ……ンッ――――‼︎


 高く高く。鈴の音が鳴るような。

 澄んで美しい音が、聞こえた。


「……ぁ」


 クシェルの喉から、思わず声が漏れる。

 はしたないなんて考えが浮かばないほど、クシェルはその光景に釘付けになっていた。




 空から、光が流れ落ちてきたからだ。




 まるで星のような光の玉は、ゴルトの森を遥かに越えてエルツ男爵領全体に広がっていく。

 クシェルのほうにも降ってきた光玉は、何か物に当たると弾けて鈴のような音を立て消えていった。


 リィン、リィン。


 綺麗な音が、あちこちで聞こえる。しかし決してうるさくなく、むしろ耳に馴染みの良い美しい音だった。


 声もなくその光景をただ見つめていると、イェレミアスが声をかけてくる。


「これが、エルツ男爵領の精霊祭における供物――魔力を捧げる儀式、『星降らしの儀』です。この儀式のために、領主は一年かけて魔力を魔石にためるんですよ」


 その言葉通り、イェレミアスが手に持つ玉は最初と違い、光を失っていた。


「そう、なの……ですね。……あの、なんと言いますか。とてもとても美しくて……」


 そこまで言ってから、今自分の中に湧き上がるこの感情がそれだけでは説明できなくて、口をぱくぱくとさせる。だが言葉が続かず、クシェルは狼狽えた。


(もっとちゃんと、説明したい、のに)


 そう思い俯いていると、イェレミアスが軽く肩を叩いてくる。そして、そっと森の中を指差した。


「クシェル。あちらを見てください」

「……え?」


 イェレミアスの指し示す先を見れば、そこには透けた四枚の羽を持った小さな人がいた。


 妖精だ。


 よくよく見れば、一人でなく何人も、何十人もいる。小さな妖精から、クシェルのように成人した大きな妖精まで、様々だ。彼ら彼女らは降り注ぐ星を受け止めると、楽しそうな笑い声をあげながら森の奥へと消えていった。


 それだけでなく、ふわりふわりと大気が揺れているような気がする。なのに木々が揺れている様子がないことから、風が吹いていないことは明らかだった。

 髪をやわらかく揺らすそれに首を傾げていると、イェレミアスが表情を緩めた。


「クシェルの周りに、精霊たちが集まっていますね」

「えっ。そ、そうなのですか?」

「はい。興味があるみたいですね。精霊はあまり人に寄り付きませんから……珍しいです。クシェルが宝石の妖精の血を引いているからでしょうか?」

「ええっと……はじめ、まし、て?」


 クシェルはどうしたらいいのか分からず、しかし何かしなければと思い軽く手を振った。

 すると、なおのこと髪が揺れ、さらにはドレスの裾まで揺れる。先ほどよりも大きな反応に、クシェルは硬直した。


「あ、あ、の」

「大丈夫ですよ、クシェル。挨拶を返してくれただけですから」

「そ、そうでしたか。なら良かったです……」


 見えないけれどそこにいる。そう感じ取れるのが不思議で、でもどことなく心が躍る。思わず頬が緩んだ。


「私、精霊祭が見られて良かったです。……しかも、こんな特等席で見れて……幸せでした。とても」

「それは良かった。連れてきた甲斐があるというものです」


 イェレミアスが笑みを返してくれ、なおのこと心がほこほこと温かくなる。外はこんなにも冷え切っていて寒いのに、不思議だ。でも、悪い気はしない。

 むしろ、今にも体が宙に浮いて、飛び立ってしまいそうなくらいだった。


 二人でひとしきり星が流れるのを見た後、イェレミアスが頷く。


「さて。魔術で調整しているとはいえ冷えますし、そろそろ戻りましょうか」

「はい、イェレミアス様」

「それではクシェル、どうぞ」


 きょとりと、クシェルは目を丸くした。しかしイェレミアスが両手を掲げている意味を知り、かぁっと頬を赤らめる。


「あ、あの……帰りも、でしょうか……?」

「行きもだめだったのですから、帰りもでしょうね」

「うっ……も、申し訳ございません。その……失礼、いたします……」


 今にも消え入りそうな声で頭を下げてから、クシェルはイェレミアスの首に腕を回した。瞬間、体がふわりと宙に浮く。


 行きと同様、イェレミアスに横抱きにされたクシェルは、行きと同様イェレミアスの温度や顔が近くにあることにドギマギしながら思う。


(この日々が、ずっと続けば良いのに)


 しかし、それが無理なことはクシェルが一番よく分かっていた。

 そろそろ、限界が近いということも。


 しんしんと降り積もる雪と星の中、クシェルは目を閉じる。


 そうして噛み締めた幸福は、とても甘く。

 同時に、とても苦くクシェルの心に落ちていった――

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