8.不可抗力のお姫様抱っこ
「……それで。僕の仕事を見学したい、と言うことですか……クシェルを無理やり強要したりしていませんか?」
「ふふふ、無理やりだなんてとんでもないです。ちゃんと合意の上で連れてきてますよ? クシェルさんも見たいと言ってます。それとも、何か婚約者に見られたくないことでもあるんですか、イェレミアスさん」
「……分かりました、分かりましたから、そのような目で見ないでください……」
一週間後の夕方。エントランスホールにて。
外出しようとするイェレミアスを捕まえゴリ押しで同行許可を取ってしまったヘルタに、クシェルは呆気に取られるしかなかった。
しかしイェレミアスがあまり本意ではないのは、なんとなく伝わってくる。クシェルは慌てて口を開いた。
「あ、あの、イェレミアス様。大丈夫です。お仕事のお邪魔になるようでしたら、私はおとなしくしておりますので……」
「……え、いや、その、違いますよ? 邪魔になると言いますか……クシェルの体に負担になるかと思ったので、あまり連れて行きたくなかったと言いますか……」
「……負担、ですか?」
「……これから向かう場所は、森の中なんですよ。雪道の中をそこそこ歩きますから、クシェルの足に負担がかからないか心配で……防寒着や魔術で寒さや体力はどうにかなるにしても、歩きにくさばかりはカバーしにくいですから。魔術というのはあくまで補助具、基本的には個人の基礎体力がものをいうんです」
「あ、な、なるほど、そういう……」
クシェルは胸元でぎゅっと手を握り締めながら、ほっと胸を撫で下ろした。
すると、ヘルタがにこにこ笑いながら言う。
「もしクシェルさんが歩けなくなったのであれば、イェレミアスさんが抱えてあげたらいいんですよ〜イェレミアスさんなら、それくらいできるだけのものがありますよね?」
「え、そ、それは余計に申し訳ないです……!」
「いやいや、これくらいのわがまま、叶えてあげられない殿方はだめですよ?」
「いや、まぁそれくらいならどうということもありませんが……クシェルさえよければ、ですけれど」
「い、いえ、大丈夫です! 自分で歩きます……ッッ‼︎」
何やら大ごとになりそうなのを必死で止めつつ、クシェルは自分の心臓が大きく音を立てているのを感じていた。
(イ、イェレミアス様に抱えられたら、きっと心臓がもたないわ……)
ただでさえ美しい人が、より近くなってしまうのだ。きっと今以上に心臓がうるさくなるだろう。
今でも分不相応なくらい良くしてくれている人に、これ以上迷惑をかけることだけは避けなくてはならなかった。
クシェルは既に、迷惑をかけている。イェレミアスを騙している。彼が求めている女性には、クシェルはなれないのだ。
石ころは決して、宝石にはなれないから。
「……申し訳、ありません……」
思わず口をついて出たのは、そんな謝罪の言葉だった。
ハッとして口を覆ったが、もう遅い。イェレミアスはクシェルの言葉をバッチリ拾っていたようで、目を瞬かせていた。
クシェルは慌てて取り繕う。
「えっと、その、わ、私が精霊祭を見たいなんていうわがままを言ったせいでイェレミアス様を困らせてしまって、も、申し訳ないなと思いまして……ただ、その、見たことがなかった、ので……」
「……は? 精霊祭を、見たことが、ない……?」
「も、申し訳ございません、忘れてくださいませ」
何やら慌てすぎて、また無駄なことを言ってしまった気がする。
慌てて首を横に振り、クシェルは早く目的地へ行こうと外へ出た。
目的地がある『ゴルトの森』までは馬車で。
そこから先の目的地『星灯りの祭壇』からは歩きだ。イェレミアスが魔術で小さな光の玉を幾つも浮かび上がらせ、それを頼りに進む。
その森に、クシェル、イェレミアスの二人で足を踏み入れてから十数分。
――クシェルは、イェレミアスに抱き上げられながら雪道を進んでいた。
借りてきた猫のように縮こまりながら、クシェルは遠い目をする。
(まさか、本当にこんなことになってしまうだなんて……)
馬車から降り、初めのうちこそせっせとクシェルは歩いていた。
しかしクシェルは、実家にいた頃ほとんど運動をしていなかった。その上『星灯りの祭壇』へ行くためには、道なき道を歩かなくてはならない。
森どころか雪の上すらまともに歩いたことがないクシェルにとって、ほとんどが未知の体験だった。
そのせいで、何度転びかけたことか。
その度にイェレミアスに助けてもらっていたが、自分がお荷物だということはよく分かる。しかし一人で戻っても明らかに迷惑だ。
となると、クシェルが取れる行動は一つ。
イェレミアスに大人しく抱えられることだ。
そんなわけでクシェルはこうして、心の底から後悔しながらイェレミアスに抱えられているのだった。
(本当に本当に申し訳なくて……穴があったら埋まりたいわ……)
さりとて、イェレミアスに対して謝ったら、きっと彼はまた困った顔をしてしまう。それが分かる程度には、クシェルはイェレミアスと一緒にいた。
しかしこういうときに何を言ったらいいのかがわからない。
ぐるぐると思考ばかり巡り、今抱いている気持ちは結局言葉にはならなかった。
そんな自分に嫌悪していると、ふとイェレミアスが口を開いた。
「クシェル。ヘルタ……先生から聞きました。この日のために、精霊祭に関することを中心に勉強をしてきたとか」
「へっ。は、はい!」
「ならせっかくですし、ここで復習と応用をしましょうか」
きょとんと、クシェルは目を丸くして言葉を失う。
しかしイェレミアスはそれに構うことなく、さくさく雪に跡をつけながら口を開いた。
「まず精霊祭ですが。これは地域ごとにやるタイミングが違っています。ここ、エルツ男爵領ではいつも冬の時期にやっていますが、それは何故だと思いますか?」
「え、えっと……加護をもらう代わりに、妖精や精霊たちが指定をしてきたから、でしょうか……?」
「半分当たりで半分ハズレです。確かに指定してきたのは精霊たちなのですが、わざわざ冬の寒い時期にしてきたのは、この時期のエルツ男爵領では、大気に広がる魔力が一気に少なくなるんです」
「そうなんですね……」
「はい。ということは、どうして冬に指定してきたのでしょう?」
「……精霊たちにとっての食べ物が、不足してしまうから……でしょうか」
「はい、当たりです。さすがですね、クシェル」
「そ、そんな、こと、は……で、ですが、あ、ありがとうございます」
恥ずかしくなり、クシェルは思わず顔を覆った。ヘルタといいイェレミアスといい、エルツ男爵家の人々はどうしてこんなにもクシェルを褒めてくれるのだろう。
ヘルタも同じで、クシェルが正解を言い当てると殊更に褒めてくれた。謙遜して縮こまっていたら「こういうときは素直にありがとうって言うのが良いのですよ〜」と言われ、それからはできる限りそう言うようにしている。
しかし言うたびに、胸の辺りがむずむずする。
(エルツ男爵家にきてから、こんなことばかりだわ……)
そんなクシェルを優しい笑みとともに見つめながら、イェレミアスは続けた。
「それでは、クシェルは『魔法』と『魔術』の違いを知っていますか?」
「……魔法と、魔術……ですか?」
クシェルは顔を上げ、困惑した。
「そ、そもそも、二つが違うものだということを知りませんでした……」
「ふふ、違うんですよ、この二つは」
イェレミアスはまるで歌を歌うような口調で言う。
「まず、『魔法』。これは大抵の場合、血によって受け継がれるものです。そして、その人特有の能力なので他者では模倣することができません。分かりやすいのはやっぱり、妖精の血を継いでいるから生まれながらに使える『性質』のことですね」
「性質、ですか」
「はい。体質とも言えます。クシェルで言うなら、宝石の妖精――契約者に加護をもたらす力ですね」
つきんと。胸が痛んだ。
その『性質』すら受け継げなかった自分を、不甲斐なく思ったからだ。
腕の中で硬直するクシェルに気づかないまま、イェレミアスは続ける。
「実を言うと妖精の血を継ぐ人の大半は、『性質』以外でもその個人だけが持つ能力もあるんですよ」
「……そうなの、ですね」
「はい。これらは所持者にとっては呼吸と同じものなので、いちいち構築式などを立てなくても発動します。その代わり、発動条件が決まっている場合が多いので、対策を立てられやすいというのが欠点ですね」
そんなふうに話すイェレミアスの表情がどこか楽しげで、クシェルもつられて笑みを浮かべる。
魔術師だということは知っていたがそんなふうに話をしてくれる機会は一度もなかったので、魔術や魔法が本当に好きなのだということがよく分かった。
クシェルは微笑みながら、イェレミアスの話を聞く。
「次に『魔術』。こちらは、構築式や型さえ分かっていて、なおかつ魔力があれば誰であっても扱うことができる便利な道具です。もちろん使う魔術によっては難易度はありますが、利便性は段違いですね」
「私が普段使っている、火を使わないランプや湯沸かしなども、魔術なんですよね?」
「はい。ただあれは厳密に言うと違っていて、『魔導』の一種ですね。あれは魔力がなくとも、例えば魔石――魔力を多分に含んだ石や薬液などを使えば使えます。魔石は大抵人工石ですが、本物の宝石のほうがより多くの魔力をためこむ性質があります。また人工石と違って、大切に手入れをすれば何度でも繰り返し使えることがほとんどです。代わりに数は少ないので、もっと重要なことに使われることが多いですね」
宝石の話を出され、つきんとまた胸が痛む。しかしイェレミアスが悪意をもって言ったわけではないことは分かっていたので、ぐっと堪えた。
(そう。だってこれは私が勝手に気にして、勝手に傷ついている、だけ……だもの)
イェレミアスはなおも朗らかに続ける。
「ただ、あれも構築式を一部に組み込んでるからこそ使えるので、魔術の一部ではありますね」
「そうなのですね……」
クシェルは感慨深く頷いた。
クシェル自身は魔力もなく、実家では蝋燭に火をつけているような生活を送っていたので、エルツ男爵家での生活はとても驚いた。
(私も魔術が使えたら良かったのに……)
ぼんやりとそう思っていると、イェレミアスが目を細める。
「実を言うと、クシェルでも直ぐに使える魔術があるんですよ」
「……え?」
「刺繍ですよ。『魔術陣』と呼ばれる専用の図案を縫い取れば、それは魔術を使うための構築式になるのです。魔力を通しての魔術と違いお守り的な弱い力ですが、これも立派な魔術です。使うのは薬液につけた特殊な糸でないとだめなのですが、糸は僕が用意しますからもし良ければやってみますか?」
「よ、良いのですか……っ?」
自分でも驚くくらい動揺して、声がひっくり返る。だが、イェレミアスからの提案はクシェルの心を二重の意味でくすぐる魅力的なものだった。
魔術もそうだが、裁縫関係に関してのことだと、どうしても心が揺れてしまう。
同時に、クシェルははたりとした。
(ど、どうしてイェレミアス様が、私の趣味を知って……⁉︎)
「あ、あの、イェレミアス様……ど、どうして私が刺繍ができることをご存じで……?」
「? ハシュテット女史の仕立て屋へ行ったとき、とても楽しそうに中を見ていましたし、ドレスに刺繍を施していたのもクシェルですよね? なので、得意なのかと……」
「ウッ。お、お恥ずかしいです……さほど上手くは、ありませんから……」
やらなければいけない環境だったからやっていた。無我夢中で、ただただ祈るように。しかし知れば知るほど奥深くて、のめり込むように入り込んでいったのも事実だ。
そしてそれを他人に漏らしたことはない。手習い程度の刺繍ならともかく、ドレスを仕立てたりレースを編んだりする貴族令嬢はまずいない世界で、それに夢中になっているのだと叫ぶのは心の底から恥ずかしかった。
だが、イェレミアスは不思議そうに首を傾げる。
「あんなにも綺麗に仕上げているのに、下手だなんてとんでもないです」
「ほ、ほんとう、です、か……?」
「はい。僕も、魔術が好きなので分かります。クシェルも、好きだから続けていられているんですね」
何気ないイェレミアスの言葉が、クシェルの心に波紋を落とした。