波乱の影
前回のあらすじ
男である自分に自信がないカインは、女に戻るまでの一週間をエルザを避けることで過ごそうとしている
女に戻るまであと五日。
俺はエルザに合わないための言い訳として、ポーションの改良に励むことにした。
魔力の確保が求められる魔術師だが、マジックポーションを飲む量には限界がある。
魔物の肉をかじれば解決するのだが、今度は大量の魔力を一度に摂取すると魔力酔いしてしまう。
昔は香にして吸っていたらしいが、戦闘中という緊迫した場面で悠長にそんなことができるはずもない。
『人間の身体』という限界が決まっている器に魔力という水をろ過しないと魔術を行使できない。
ポーションの改良を行うとなると途端にハードルがあがる。
「カイン、調子はどうだい?」
「ネイマーか。ぼちぼちってところだな」
俺は材料をすり鉢でゴリゴリと潰しながら試作品を作っていく。
ネイマーの好意で研究所として使っている空き家の一室を借りさせてもらっている。
「そうか。なにか必要な機材があったら好きに使ってくれ」
「ありがとう」
休憩にでも行ったのだろう、扉をガチャリと開ける音が背後から響いた。
ようやく一人になれたことにほっと胸を撫で下ろす。
「はあ……エルザ、今頃なにしてるのかな?」
ふと空いた時間ができるとエルザの事ばかり考えてしまう。
この時間帯なら、実家の兎たちの世話でもしているだろうか。
冬になると狼が活発になると言うし、見張りに励んでいるのだろう。
寒い思いをしてないかな。
エルザの髪はモフモフとはいえ、冬本番な今ではかなり冷え込むはずだ。
「……はっ!? 何を考えているんだ、俺は」
頭をぶんぶんと振って、エルザを思考から追い出す。
エルザのことを考えると、どうしようもなく会いたくなってしまう。
「モフモフ、してぇなあ……」
エルザの犬耳と尻尾の感触を思い出し、俺は思わずため息を吐くのだった。
◇◆◇◆
青い空の下、白い息を吐きながらエルザは番をしていた。
視界の端で今にも兎に飛びかかろうとする狼を認識し、走り出すと同時に槍で鼻頭を殴りつける。
まだ経験の浅い狼は、たったそれだけで怯んで藪の中に逃げ込む。
情けない狼を鼻で笑い、空を見上げたエルザはまたもため息を吐く。
(ううう……カインに会いたい……)
仕事をしている最中も考えるのは恋人のこと。
つい先日、男に戻ったカインの姿を思い出してエルザの頰が紅潮する。
(かっこよかったなあ。それでいて謙虚だからずるいや)
五年前、クソッタレが連れ去ってから一度も村に戻ってこなかったカインはすっかり大人になっていた。
落ち着きを得たカインを見直す一方で、またエルザは変わらない一面を彼の中に見出しては勝手に惚れ直していた。
最近の、男に戻ったカインの振る舞いに対して一抹の不安はあるが、それでも惚気が先に噴出するあたりかなり手遅れである。
「エルザ、仕事を代わろう」
「大丈夫だよ、父さん。寒いから家の中にいても……」
マフラーを巻いた父の声に振り返り、手に握られた斧を見てすぐさま状況を理解する。
父の手から斧を取り上げて、やんわりと父の背中を家の方に向けて押す。
「薪は私が割っとくから」
「いや、だが……」
「いいの、いいの」
エルザは首を振って頑なに父から仕事を奪う。
渋々といった様子で家に戻るのを見送り、それからまた白い息を吐く。
「よいしょっと……それじゃあ、小屋に戻しますか」
エルザが深く息を吸い、唇に指を押し当てる。
鋭く息を吐き出すと、甲高い指笛の音が空に響いた。
兎の耳がぴこぴこと動き、一切にエルザの足元に集う。
「一、二、三……三十六匹、たしかにみんないるね」
ダース単位ですぐに数え、小屋へ誘導していく。
よく訓練された兎たちは一列を保ちながら大人しくエルザに従う。
途中、雄同士が喧嘩をするハプニングもあったが、喧嘩を吹っ掛けた方の首根っこを捕まえればすぐさまパニックは治った。
しばらく暴れる兎を押さえつけながら、身体を細かくチェックする。
「はいはい、暴れないの。枝が刺さって痛かったのね」
毛皮に絡まった枝を取り除いてやれば、暴れていた兎は徐々に冷静さを取り戻した。
小屋の中に入れてやってから扉を閉め、狼よけの香草を練り込んだ玉を周囲に置いていく。
抜かりがないことを二度ほど指差し確認をして、それから家の裏に備蓄してある木材を、切り株の上に置いて斧を振るった。
ぱこん、と乾いた音を響かせて薪が縦に割れる。
男の身体になってから力仕事がぐっと楽になった。
戦闘も、荷物運びも『女でなくなった』こと以上に恩恵を感じるほどだった。
(そういえば、カインはよく筋肉がすごいって褒めてくれたっけ)
ぼんやりと恋人の言葉を思い出し、冷たくなりかけた耳に熱が灯る。
意味もなく耳を動かしては勝手に照れていたエルザだったが、ふとその犬耳が動きを止める。
(もしかして……)
世にも恐ろしい思いつきが、エルザの脳裏を過ぎる。
(カインは男に戻ったから、私のことはもう好きじゃない……!?)
まるで雷に打たれたような衝撃にエルザは愕然とした。
そもそも、告白されたのも褒められたのも男になって以降。
(たしかに女の私は背が高いし目つきが鋭いし胸も……ルチアっていう魔術師に劣るけど……)
またも嫌な予感がエルザを襲う。
(まさか、まさか……カインは巨乳好きだった!? 思えば、よくルチアの面倒を見ていたし、仲が良さそうだったし、ルチアも満更じゃなさそうだった)
第三者がいれば『落ち着け』と諭すだろうが、ひたすら薪割りに勤しむエルザの胸中を知る者はいない。
歯止めの効かないエルザの暴走は、留まるところを知らない。
(五年間、手紙をくれなかったのも……戻ってきたとき歯切れが悪かったのも……私に胸がないから……)
冷静さを欠いたエルザの思考はとんでもない結論に行きついてしまった。
(女の時よりもたしかに男の方が胸囲で勝ってる……)
エルザは一人、胸に掌を当て静かに落胆していた。
ルチア(なんだか下らないことに巻き込まれる予感がするわ……)




