溝は深まる
前回のあらすじ
村の地下にダンジョンあってやばやばのやば〜!
昼はとうに過ぎ、村のあちらこちらでは慌てたような声が聞こえた。
その喧騒の中心にいるのは、ポイパカ村の村長と俺だった。
村の地下にダンジョンがあるという話はあっという間に広がり、今では大きな混乱はないものの不安は払拭できていない。
それを代弁するように、村の住民が口を開く。
「村長、悪いが俺ンところは子供が生まれたばかりなんだ。安全が確保できるまで他の村に移るつもりだ」
苦々しい顔で頷く村長。
本来、村人は特別な事情を除く限り引越しさせてはならないというルールがあるが……ダンジョンは十分に特別な事情に当て嵌まるだろう。
「領主様と王都に向けて早馬を出したが、万が一を考えねばならんな……。避難も検討しよう」
ダンジョンにいたのが、ゴブリンやスライムなどの低級な魔物であればこれほど怯えることはなかっただろう。
地下に潜んでいたものはワイバーンだった。
毒を持ち、空を飛び、火を吐く魔物が近くにいると知ってのんびりできる人などいるはずもなく。
下手に引き留めて行方を晦ます未来よりも、村長として妥協の『避難』を提案した。
村長の言葉を聞いて、安堵の表情を浮かべる村人たち。
避難のために準備すると言って、それぞれの家に帰っていった。
村人たちから結界の強度や効力について質問責めにあっていた俺は大きくため息を吐く。
俺が性転換したことはどうでもいいようで、少し拍子抜けだった。
落ち着いた頃合いを見計らって、エルザが俺に話しかけてきた。
「大きな被害が出る前にダンジョンを見つけるなんて、カインは凄いね」
青いバンダナで耳を、外套を羽織ることで尻尾を隠している。
エルザは、親しい人にだけ魔物であることを打ち明けるつもりらしい。
確かに、近くにダンジョンがある今では変に刺激するより隠した方が穏便に事は済むだろう。
リカルド支部長から『エルザは積極的に人に害を与える存在ではない』と念書を渡されているが、村人の何人がそれを信じるかは分からない。
「エルザこそ、他にダンジョンと通じる出入口があるのを見つけてくれた。おかげで対処が間に合った。ありがとうな」
「そ、そうかな? えへへ……」
疲れた心にエルザの照れた顔が染みる。
撫で回したいという欲求は堪えて、俺はそっとエルザの裾を引っ張る。
すると、エルザはすぐに俺の手を握ってくれた。
まったく、想いを通い合わせたばかりだというのにトラブルが右から左へとやってきてばかりだ。
「お父さんとお母さんに相談したら、二人分の寝床なら用意できるって。家に来る?」
「行きたいところだが……」
俺はそっと父さんの方を見る。
村から避難するといった村人の集団を鼻で笑っていた。
大方、村を捨てる臆病者めとでも罵っているのだろう。
「迷惑は掛けられないし、明日には王都から冒険者が来るという。それまで結界は持つから、大丈夫だよ」
「そっか……分かった。何かあったら呼んでね」
コクリとエルザに頷き返して俺は指を絡めた。
ほんの僅かな触れ合いと言葉を交わすだけで、俺の心はこんなにも満たされる。
寂しさを覚えながらも未練を断ち切って、俺はエルザと繋いでいた手を解いた。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日ね」
そうして、俺は父さんを連れて家に帰った。
その途中で、ダンジョンの出入り口に繋がる井戸に厳重な結界をまた施して、崩れた鍛冶場を掃除して……なんて対応に追われているうちにすっかり夜になってしまった。
食事の用意すらしていなかった父親の分を作って、食べ終えた皿を下げて洗っているうちに、俺はふと母さんのことを思い出していた。
俺がいない五年間、母さんは一人でずっと家にいたのだろうか。
手紙のやり取りはしていたが、家については語らず村についてばかりだった。
あるいは、鳥や花や取り留めのない話題。
俺はそれを平和の証と捉えていたが、もしかしたら本当に何もなかったのかもしれない。
「父さんは避難しないの?」
母さんはいい顔をしないかもしれないが、他の村に避難するのもアリかもしれないと俺は思っている。
勿論、父さんがよしとしないのは承知だったが尋ねずにはいられなかった。
「どこに?」
「そりゃ、母さんがいる村とか……」
「あんな女のところに行くわけないだろう。馬鹿にされるに決まってる」
「でも、ダンジョンの無力化がいつになるか分からないし……」
ダンジョン内に沸く魔物を根気強く討伐する事で、無害なダンジョンになる事もあるという。
それが再来年かそれとも百年後かは定かではない。
ダンジョンを有する村として栄えることもあれば、危険に対処しきれず滅びることだってあり得るのだ。
「他のところに行くぐらいなら、ここで死んだほうがマシだな」
「父さんは母さんと喧嘩したまま、お別れになってもいいっていうの?」
「元々、アレと結婚してやったのも行き遅れていたからだ。どうなろうと構わん!」
こんな時にまで、憎まれ口を叩く父さんに呆れしか出てこなかった。
「……父さんにとっちゃ、母さんも俺もどうでもいいんだろ」
「おい、カイン!」
「おやすみ」
何か言いたげな父さんから逃げるように部屋の扉を閉める。
父さんは扉をノックする事も、扉の向こうから話しかけるという事もなく舌打ちだけして酒瓶を開ける音だけが聞こえた。




