エドワードの笑顔
2日目の授業が終わって帰ろうとしたら、侍従長に呼び止められた。
応接間のようなところに通されて、メイドさんがティーセットを準備している。
クンクン、あれは、ロイヤルミルクティーだな。
いい香りだ。
開口一番、侍従長に両手で肩をたたかれた。
「いやあ、クララさん。
あなたは、すごい人ですよ!」
(うっ、また何かまずいことをしたか?
いくら何でもゲオッチとかは、やり過ぎたか?)
「えっ? まだ何も絵の授業らしいことをやっていませんが」
「まずは、おかけ下さい」
促されて、ソファに腰を下ろした。
フカフカだ。
さすが、この世界最高のお城の侍従長の部屋。
調度品も良いものが揃っている。
私の前に座った侍従長は、ニッコリと微笑む。
「今日、少し様子を見に来た宮廷画家のミケランジェロ様も、感心しておいででしたよ。
『絵の基本は、ああやって勉強すれば良いのだな』って。
クララ様は、あのような勉強方法もお考えになったのですか?」
(最初の日にお城にいた、ひげもじゃのお爺さんが来ていたな。
あれが、ミケランジェロ様か)
「私は多少絵を描くこともできる、いち平民です。
本物の宮廷画家の方に、そのようなお言葉をいただけて、光栄です。
絵の練習方法は、何と言いますか……」
私は、少し考えこんだ。
(実家の秘伝と言いたい所だけど、実家について調べられたらまずいな)
「そう、昔放浪の画家が、世を忍んで森に来たんです。
そして、その時教えてくれた秘伝なんです」
「おお、秘伝を惜しげもなく皆に教えるとは。
さすがですな」
「あは、あははは……」
(ごまかせたかな?)
「まあ実を言うと、我々としては絵の方は余り期待していなかったのです。
これほどの方に対して、失礼でしたね。
申し訳ありませんでした。クララ様」
(こ、こんな偉い人に謝られちゃったよ!
でも、偉いのに小娘に頭を下げるなんて、この人こそすごいよ)
「い、いや、謝らないでください、侍従長様。
10才の女の子に、絵の天才としての教育を期待されたら、私の方が困っちゃいますよ」
侍従長は、急に真面目な顔になる。
「いや、これまではエドワード様が、生きる気力を失っておられたのです。
3年前に、エドワード様の母君が亡くなられてからです」
「えっ?
でも、母上に絵を見せたと言っていましたが」
私は、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「それは、皇后陛下で正室のエルミラ様です。
あのお方は、自らはお子様が出来なかったのですが、母を亡くされたエドワード様とゲオルグ様をお引き取りになって、我が子のようにお育てなのです」
※正室
地球でも中世頃の貴族では、一夫多妻が当たり前だった。
何故か共通して男子しか後を継げないので、ただ子供を作るだけではなく男の子を設けなくては、いけなかった。
そのために、正妻の他にたくさんの側室を作って跡取りを確保していた。
側室に対して正妻は、正室と呼ばれることがあった。
「エドワード様のお母上は、本当の母上では無いのですね。
でも、血のつながらないお二人を、それもほとんど継承権の無い二人を引き取るなんて、良い人のように思えますが」
「はい、皇后陛下はとても優しい、よく出来たお方です。
ですが、それだけに付け込む輩も多いのです。
その心労は、いかばかりでしょうか。
今一番心配しておられたのが、3年間ニコリともされないエドワード様のことだったのです」
確かに初めてあった日はちょっと辛気臭かったけど、後はいつもニヒルに笑っているイメージしかないけどな。
「私、エドワード様の朗らかな顔しか知りませんが?」
侍従長が、満面の笑みという顔になる。
「そうなんです。
天使の絵の話をする時だけ、エドワード様がお笑いになるのです。
それを見て、女王陛下も笑顔になりました。
私には絵のことは分かりません。
ただ、人を笑顔にする絵があることを、今回初めて知ったのです。
あの天使の絵は、この城にたくさんの笑顔を運んでくれたのです」
「私の絵が世の中のお役に立てたのなら、うれしいです。
芸術は、人の心を動かすためにあります。
それが幸せな心なら、本当に価値のあるものなので」
私は話しながら、幸せな心から湧き出る魂の甘い味を思い出した。
多分、うっとりした表情になってしまっていたんだろう。
突然、侍従長の顔が泣きそうになる。
「あの絵の天使の姿は、クララ様のお心の現われなのでしょうね。
皇后陛下は、エドワード様が明るく暮らせるようにと、皇帝陛下に進言なされたのです。
クララ様を絵の先生として招くことを。
それは、本当に、本当に正しかった!」
(本当に、泪出てるよ。
この人、すごく表情豊かだなー)
「ハハ、私なんかが恐れ多いですよ。
そんなに真剣に身を案じてくれる臣下がいるなんて、それだけで幸せですもの。
たまたま侍従長様たちのお心遣いが届いたのが、天使の絵とタイミングが合っただけですよ」
「いえ、私どもが主様の心配をするのは、当然の事でございます。
そのお言葉を聞いて、確信いたしました。
クララ様は、本当に心のきれいなお方です。
エドワード様もですが、ずっと暗かったゲオルグ様も本当に楽しそうだ。
このままクララ様がこの城に来て下さるよう、私たちは全力でサポートさせていただきます。
これからも、どうかよろしくお願いいたします」
(何か勘違いしてそうで、後が怖いな。
でも良かった。
この調子なら、しばらく首にならなくてすみそうだ)
侍従長の部屋に行った後、色々な事務手続きもした。
本当は、昨日やらなきゃいけなかったそうだ。
昨日は、さっさと帰っちゃったもんね。
ちなみに、ロイヤルミルクティーは、とても美味しかったです。
でも、平民が皇帝のご子息の先生になるなんて、周りの人たちが許さないって、お母さんが言っていた。
だから、出来るだけ目立たないようにと。
早く帰って、侍従長様からこんなに素敵な言葉をいただいたことを、お母さんに伝えたいな。
きっと安心するはずだ。
絵の授業は2日やって、2日休む。
まず2日授業したが、2日とも数時間働いただけだ。
授業の前後に、お城の人と話をしないといけないこともあるが、些細なことだ。
この世界って、案外ちょろいかも。
最初の休日は、帝都の冒険をすることにしていた。
帝都では何ができるのか、市場はどこか、文明のレベルはどうか。
知りたいことは山ほどある。
そんなことを考えていると、ゲオッチが帝都を案内してくれることになった。
ゲオッチ、良いとこあるじゃん。