やさしいお母さん
ある日、家の近くの森で木登りをしていた私。
目的は、遊びもあるけど木の実を採ることだった。
細い枝の先に、大きくて美味しそうな実がなっていた。
頑張って取ろうとしたら、枝が折れて木から落っこちた。
頭を思い切り打ち付けて、暫く気を失ったんだけど、気がついたら前世の記憶を思い出していた。
私はクララ。
森のはずれの一軒家に住む、ハーフエルフの女の子。
エルフのお母さんと、二人暮らし。
目が覚めると私はベッドの上で、お母さんが手をつないでくれていた。
お母さん、一晩中私に付いていてくれたんだ。
昨日、結局木の実を持って家まで帰ってこれたけど、家に入ったら安心したのか、急にフラッときて倒れちゃったんだよね。
頭を打ったのもあるけど、急に前世の記憶が流れ込んできて、脳がオーバーフローしたんだと思うよ。
お母さん、心配かけてごめんね。
私は、もう大丈夫だよ。
私が目を覚ましたことに気付いたお母さんは、ご飯の用意をしてくれた。
私の元気を出すためかな?
食卓に、貴重品のパンが置いてある。
後は、私が取ってきた木の実と、キノコと山菜のスープ、お茶だ。
お母さんは、ニコニコしながら私の食事を眺めている。
うん、おいしい。
昨日の晩御飯を食べていないせいか、食が進む、進む。
焦った私は、木の実を1個落としてしまった。
急いで拾って口の中に入れた。
「3秒ルール、セーフ」
思わず、口をついて出てしまった。
お母さんが聞いて来る。
「まあ、クララ。
3秒ルール? それって何かしら?」
「えっ、森の中で食事をしていた人が言っていたの。
木こりさんだったのかな?
あ、あははは」
あぶない、あぶない。
3秒ルールなんて、細菌の知識が無いと理解できないよね。
異世界転生の話なんてしたら、それこそ頭を打っておかしくなったと思われちゃうよ。
この世界にも、ばい菌とかいるよね。
※3秒ルール
彼女の前世の知識では、床に落ちた食べ物の表面に細菌が浸透する前に、表面を払って食べれば、きれいな状態で食べられる。
その知識を基に、浸透時間を3秒と仮定したルール。
「まあ、面白いルールね。
木こりさんは、食べ物を大切に考えるから、そんなルールを作ったのかしら」
お母さんは、やさしい。
いつも、ニコニコ笑っている。
金髪碧眼のきれいなエルフだ。
こんな穏やかなお母さんと、森の中で静かに暮らしていく。
これって、案外幸せかも?
でもなあ、お母さんは私よりも年上だし、静かに暮らしていたら、私一人ぼっちになっちゃわない?
やっぱり出会いが欲しいなあ。
特に上流階級の。
『ねこみみ』か『うさみみ』の付いた獣人なら、なお良し。
社交界デビューとか言って、ダンスとか踊ったりして。
私、前世では貴族の社交ダンスもよく見てたしね。
見てるだけで踊って無いけど。
あ、あんまり覚えていないか。
どちらにせよ、この世界では、踊ることなんか無さそうだね。
さて数日後、また木の上で木の実を採っていると、人が見えた。
キャンバスを置いて、絵を描いている。
この世界でも、絵を描く人がいるんだ。
ちょっと興味を持ったので、スルスルと木を降りた。
絵を描いている人の所に行ってみた。
金髪のショートヘアで、上品な出で立ち。
スマートな男性だな。
近付いてみると、まだ子供だ。
11,2才位かな?
今私は10才だから、年上なんだろうけど、天使で何十年も生きた記憶がよみがえってしまったせいで、すごく子供に見える。
近寄って見てみると、やはり子供の絵だ。
こいつ、下手くそだなー。
絵を描く子供の後ろから覗き込むと、背後にただならぬものを感じた。
「アラン、警護は無用だと言ったはずだが」
子供の言葉に、私の背後の男が敬礼した。
絵を描く手を止めた子供は、私の方を振り返って言った。
「驚かしてしまったようだね。
でも、僕も少し驚いたよ。
こんな森の中で、一人で歩く女の子がいるなんてね」
「そりゃあ、この近くに住んでいるんだから、一人でいるよ」
「こんな森の中に住んでいるのか?
魔物や野盗も出るだろう。
子供に見えるが、強いのか?」
(レディーに対して強いのか、とか失礼ね)
と思いながら、答える。
「ずっと森に住んでいるんだから、危険は避けられるよ」
「そうか、こんな辺鄙な所に住んでいるのか。
じゃあ、僕が今何をしているのか、分からないだろうね」
「それくらい分かるよ。
絵を描いているんでしょ」
「お前、『絵』が分かるのか?」
もう、失礼なガキね。
私はアークエンジェルとして、教会のフレスコ画も描いていたんですから。
フッフッフッ、見てなさい。
※フレスコ画
フレスコは、新鮮なという意味のイタリア語。
漆喰を壁に塗り、乾かない(新鮮な)うちに絵の具で絵を描く。
絵の具が染み込んでいき、表面に固い皮膜ができる。
それが絵の保護層になり、堅牢な壁画となる。
私は、川辺の白い砂を取って来て、その辺の地面に撒いた。
そのキャンバスの上に、色の付いた砂利や、川の水で薄めた木の実の汁や草の葉っぱをパラパラと振り撒いた。
木の実の汁の濃度を変えて、グラデーションもつけてみた。
「おおっ」
まず、アランと言われた護衛の男が声を上げた。
「こ、これは、神々しい天使の姿。
これは一体どういうことだ?」
男の子も驚いて、聞いて来る。
「こ、これは、絵じゃないか?
こんな見事な絵を、その辺の砂や草で描くなんて、お前魔法使いなのか?」
「フンッ。
天才画家クララ様にかかれば、この世は全てキャンバス。
砂でも草でも、命を吹き込まれるんだよ。へへーん」
本当は、天使の絵しか描けないんだけどね。