壊れかけの悪魔の妹
「以上で定例会議を終了しますが、何か質問はありますか?」
進行役がそう言い、誰も反応しない事を確認する。
「では終了します。お疲れ様でした」
毎週行う大事な会議と言っても、そのほとんどは先週聞いた話。新しい事なんてほんの一部に過ぎない。
「ミリアム館長。久しぶりに夕食をご一緒しませんか? 最近忙しいですし、たまには息抜きも必要かと」
白髪の美青年が声をかける。確かに最近は忙しい日が続いていた。
「ふふ、気遣いありがとう。でも今日も部屋に戻って作業を行うわ」
「そう……ですか。お体には気を付けてください」
「ありがとう」
そう言って白髪の美青年は肩を落として会議室を出た。
「ミリアム館長、良いんですか? あの青年は将来有望ですよ?」
やれやれと言いたそうな表情で話しかけてくる男性。
「あら、貴方より優秀かしら?」
「おや、ミリアム館長様は俺に興味が? これは一大事ですね」
「本気でそう思う?」
「あはは、冗談ですよ。では俺はここで」
そう言ってまた一人会議室からいなくなり、やがて私一人だけとなる。
「はあ、今月だけで会議がいくつあるんだか。先代の館長はよくこんな苦行をこなしていたわね」
独り言をぼそりと言って、資料を一つにまとめて自室へ戻る。
館長ともなればそれなりに把握するべきことも多いので、資料も多い。さらに会議中に資料が増えて最終的には持ちきれなくなる。
「一人残すべきだったわ……仕方がない」
そう言って指を少し噛む。そこからジワっと血が出てきて、それを机に擦り付ける。
「『空腹の小悪魔』、手伝ってくれる?」
机についた血が禍々しく光り出し、そこから大きな翼の生えた目玉が出てくる。
正直自分で召喚した『悪魔』ではあるが……まだその不気味な風貌に慣れない。
『ギャー? 対価ハナンダ』
「その血よ。払ったんだから手伝って」
『ギュー。ワカッター』
大きな目玉の上に資料を乗せると、ふわふわと浮き、私と同じ速度で前へ進み始めた。
廊下を歩くと何人かは私を見て頭を下げる。新人は隣に浮かぶ『空腹の小悪魔』を見て怯えている。
まあ、普通は怯えるだろう。悪魔なんだから。
「驚かせてごめんなさい。手が足りなかったから」
「い、いえ!」
そのまま静止する新人魔術師。
……うーん。手伝ってほしいわね。
まあ隣にこんな不気味な物体がいれば、そんな気持ちを汲み取ってくれる人もいないだろう。自制で精一杯なら将来に期待するしかない。
「お、おい馬鹿野郎! 館長の資料を持って差し上げ……」
「良いわよ。これくらい持っていけるから」
「ほら見ろ! すみません、こいつがどんくさくて」
新人を注意するこの男は上司だろうか。新人は額に汗をかいて私の資料を持とうとする。
「持たせてあげてください。こいつ、まだ常識を知らない馬鹿なんで」
「それは助かるわね。じゃあ『空腹の小悪魔』、そっちの男性に貴方の資料を渡してあげて」
『ワカッタ。資料ワタス』
そう言って上司に『空腹の小悪魔』を近づけさせた。
「ひいっ! いや、この資料はこいつが」
「その子には私が今持っている資料を持たせるつもりだったのよ。はい、これ大事な資料だから」
新人に私の資料を持たせる。一方『空腹の小悪魔』に乗っている資料を受け取ろうとはしない。
『……資料、取ラナイ? 契約成立シナイ?』
「ひい! あ、悪魔が」
『受ケ取ラナイナラ、ソノ手ニ乗セル』
ゆっくりと近づく『空腹の小悪魔』に、とうとう上司は腰を抜かした。
「く、来るなあ! やめろ! か……『火球』!」
『ギャ!?』
ぼうっと燃える『空腹の小悪魔』。そして資料と一緒に消えてしまった。
「はあはあ、あ、いや、その!」
「最近部下をいじめる悪い上司の噂があったわね。ああ、今の私がそうかしら?」
「いえ! その」
「後日異動の張り紙に注意しなさい。あ、資料は燃えちゃったから軽くなったし、手伝いは無用よ」
そう言って新人から資料を奪い取り、その場から離れる。
『貴様がだらしないから!』
『そ、そんな……』
罵倒が廊下に響き渡る中、私は廊下を歩く。
人間はズルくて賢い。上につく人物に媚びを売れば上がれるなんて思考の人物ほど早く上がってくる。
そんな壊れた縦社会は私が直す。館長になった時、最初に思った目標がそれだった。
心身共に疲れた私が部屋に入ると、エプロンをつけた少女だった。
「あ、ミリアム姉様。お帰りなさいませ。お茶にしますか?」
元気な声。私にそっくりだけど、ちょっと幼い感じもする。
水色の髪に白い肌。実の妹が部屋の掃除をしていてくれた。
「フーリエ、いつもありがとう。お茶をもらえるかしら?」
「わかりました。あ、資料はワタチが持ちますね」
「お願いね」
そう言って妹のフーリエに資料を渡す。
両手じゃないと持ち切れないほどの重さの資料を軽々と持つ。
「ん? ミリアム姉様、この資料を一人で?」
「そうよ。あ、半分燃えちゃったけど」
「燃え……え、何があったのですか?」
「さあ。『空腹の小悪魔』を見た瞬間腰を抜かしていたわね」
「そうでしたか。でも無理はしないでくださいよ。人を頼れるのは人だけですからね」
「そうかしら?」
「と言うと?」
ふふっと笑い、妹をじっと見つめる。
「今の私は人では無い『悪魔の妹』にお茶を淹れるよう頼っているのよ?」
☆
毎日山積みの資料と手紙と文献の解読に追われ、息をつく暇もない。
それもそのはず、ここ『魔術研究所』は私の住む大陸で一番魔術に関する研究が進んでいて、ありがたいことに私が二代目の館長……つまり一番上の立場を任された。
先代の館長は魔術に関しての知識が豊富で、正直私は足元にも及ばなかった。
唯一禁忌とされている『悪魔術』の知識だけは私が勝っていて、それは今後近い未来で役に立つと言い、私が選ばれた。
悪魔術は魔力を持たない普通の人間でも簡単に扱える術で、その気になれば資料を持ってくれたり、料理を作ってくれたり、とても便利である。
簡単故に、不釣り合いな危険もある。
悪魔は契約に忠実であり、契約を破れば底辺の悪魔でもその道を究めた達人の命を簡単に奪う。
だから私が悪魔を召喚する際は先に代償を支払って交渉する。先ほどの『空腹の小悪魔』も血の一滴を対価として与え、言う事を聞かせる。
コンコン。
ドアから音が鳴り響く。
「誰?」
「経理のジェインです」
「入って」
「失礼します」
緑の髪の男性。この魔術研究所の経理を任せている。
「ガラン王国へ派遣している魔術師の活躍により、臨時の支援がありました」
「うう……また手紙を書かないと。ありがたいことだけど、仕事は増えるのよね」
「贅沢なわがままですよ。それと……えっと……」
ジェインはちらりとフーリエを見た。
「ああ、その子は気にしないで。妹だから」
「ですが、この件は部外者には……」
「あら、フーリエは魔術研究所の職員よ? なんならこの子の方が仕事をこなせるわよ?」
「ですがフーリエさんは……」
「『フーリエさんは』……何?」
「……いえ。発言を取り消させていただきます」
「ありがと。では続けて」
そしてジェインは話を続けた。
☆
「ワタチは時々ミリアム姉様の将来が心配です」
お茶を入れながら話す妹。
「私の将来?」
「はい。ワタチはこうなっちゃったので明るい未来はありません。ですが、ミリアム姉様は人間で明るい未来が待っています。先ほどの経理の方もしっかりしておりますし、そろそろ将来について考えたほうが良いと思うのです」
「ほほー、フーリエ。ちょっと私の膝の上に来なさい」
「へ? はい」
そう言ってちょこんと膝に座るフーリエ。
「妹が姉の心配をするもんじゃないわよ。ほらほらほらほら!」
「わ! ね、姉様!? お腹をくすぐらないでください!」
久しく妹に触れた気がする。
その肌は白く、そして冷たい。
ぎゅっと抱きしめ、体温を確かめる。
「ミリアム姉様?」
「逆よ」
「へ?」
妹がこうなってしまったのは、すべて姉である私の責任である。
悪魔術なんて誰も手を出さない術式に巻き込んでしまった責任は重く、悪魔の契約なんて薄っぺらくすら感じる。
「フーリエの未来は明るくするわ。貴女がいつまでも笑っていけるように土台を作って、終わる頃には貴女がこの椅子に座るのよ」
「姉……様?」
「だから、もうちょっと待っててね」
優しく頭を撫でる。
フーリエは笑う。
その笑顔は本物ではないけれど。
☆
コツ。コツ。
足音が聞こえる。
石で作られた魔術研究所は音が良く響く。
だから、こうして私の部屋に誰かが忍び込もうとしても、わかってしまう。
静かにドアが開き、杖を持った誰かが周囲を見る。
「夜這いとは趣味が悪いわね」
「なっ!」
杖を持った男は昼間に資料を燃やしてくれた男だった。
「流石に寝ていると思ったのだが」
「寝てたわよ。さっきまで」
瞬時に杖を私に向けた。
「全て……全て上手く行っていた。先代の……マリー館長が退職されてから、次は俺だと思っていた。なのになぜ……なぜお前のような小娘が!」
「魔術? ちょっと、ここで放つのはやめなさい!」
「黙れ! 『火球』!」
放たれた火の玉は私の方へ飛んでくる。良ければ後ろの資料が燃える。いや、この部屋が燃える。
とっさの判断が思いつかない。これは……まずい。
「はむっ! むぐむぐ。大丈夫ですか? ミリアム姉様」
目の前に突如フーリエが現れた。
いや、混乱していたから近くに来たのがわからなかったのだろう。
「なっ! く、食った!?」
「なかなかの美味です。しかしどうしてミリアム姉様に魔術を放ったかわかりません」
「そんなの、決まっている! 俺はこの地位に上るまで頑張った! 先代館長に尽くして、認めてもらえるよう努力した! だが何故貴様が選ばれた! 本当は俺が選ばれたはずなのに!」
「逆恨みでミリアム姉様の命を狙うとは。なかなか凄い職員が本部にいるのですね」
「黙れ! 貴様もいつもここに住みついているだけで何もしていないくせに、何を偉そうに!」
その瞬間。
私は腹の内側から怒りが込み上げてきた。
「媚びを売って部下の手柄を奪って登ってきた地位には限度があるわ。そして登った崖というのは崩れることもある。貴方は今どこに立っているか自覚しているのかしら?」
「貴様……俺から役職を奪うか? やってみろ。そのうち体が燃えるだろがな!」
「本人を目の前に殺害予告なんてなかなか滑稽ね」
「どこ出身かわからない悪魔のような娘が、偉そうに!」
「貴方は本当の悪魔を知っているのかしら?」
周囲の空気が凍った。
というより、私が凍らせたようなものだ。
「はっ! 悪魔なんて『聖術』を使えばすぐに消える。魔術の才能にあふれる俺には怖くないな!」
「そう」
私は人差し指を男に向けた。
そして私はこう告げた。
「フーリエ。ご飯よ」
「わかりました」
暗闇でほぼ何も見えない部屋。
妹の赤く輝く目の光だけが異常に目立ちながら男の下へと向かっていった。
そして男に覆いかぶさるように妹はしがみついた。
「なっ! う、動けなっ!」
「命は取りません。人の味は苦手です」
「何を」
「ですが、人間の魔力はワタチにとって最高のゴチソウです」
「や……やめろおおおおおおおおおおおおおお!」
☆
『あのうるさい男、急に魔力が暴走して核が無くなったらしいぜ?』
『え、核が無くなると魔術が使えなくなるんじゃ』
『ああ。だから今日で退職だそうだ。まあ、あいつの所為で若手が辞めたこともあるし、良いことかもしれないがな』
色々な噂が飛び交いながら、平和な一日が訪れる。
「ミリアム館長。まさかとは思いますが……」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
そして今日も面倒な会議が行われる。
だが、終われば自室に妹が待っている。
妹が悪魔になって三十年。
妹の姿はその間変わらず、私だけが年老いていく。
「ねえ、シグレット」
偶然目の前にいた男性に変な質問をしてみる。
「はい?」
「時間が止まった人は、明日という概念はあるのかしら?」
「哲学ですか? 専門外なので別な人に聞いてください」
「雑談よ。それで、どうかしら?」
妹の時間は止まっている。
私だけが動いている。
悪魔の妹と人間の私。その違いは一言では表せないほどに大きい。
「そうですね。例えば時間が止まった人に対して夜に『おやすみ』と、朝に『おはよう』と言ったとしましょう」
「ふむ」
「その人がその言葉に対してきちんと『おやすみ』と『おはよう』が返ってきたら、その人にとって今日や明日、そして昨日という概念はあると思います。そしてその人は時間が止まったというわけでは無いと思いますよ?」
「止まってはいない?」
「はい。こう考えましょう。『ただ長いだけ』だと」
なるほど。それは思いつかなかった。
「ふふ。悪魔の妹でも『あくまでも妹』。なんて言い聞かせてたけど、その言葉は間違いでは無さそうね」
「ん? どういう意味でしょうか?」
「なんでも無いわよ。さて、今日も暇な会議を終わらせて、久々に外食でもしようかしら」
「あ、だったら俺も行きましょう」
その言葉に私は素直な返事をした。
「妹との時間に入る余地は無いわよ。ふふ、出直しなさい」
こんにちは。いとと申します。
今作では特に目的地という物を設けず、姉妹の日常を書いてみたいなーと思い、ぽつぽつと書いてみました。
姉妹という人によっては普通であり、人によっては無い存在。今回はある存在に重みを置いて書いてみました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。また、他作品や活動報告も更新しておりますので、そちらも是非覗いていただけたらと思います!