#30 憂い
泣き疲れもあったのか、未春はアンジェさんの膝ですーすーと寝息を立てている。
「ねえ、千秋さん。未春のことなんだけど...」
未春を起こさないよう、小さな声でアンジェさんが話しかけてくる。
そういえば未春とアンジェさんを再会させるという目的は果たしたが、その後のことは特に考えていなかった。
「えーと...どうしましょう...」
現在未春はわたしの家に...居候?してるわけだけど、アンジェさんが戻ってきた以上、未春はアンジェさんの元に帰るのが自然だ。
「正直な話をすると、未春には帰ってきてほしい...けどそうもいかないの」
「......というと?」
「私、まだちゃんとした仕事が見つかってなくてね...今の家の家賃と自分一人の生活で精いっぱい。情けない話だけど」
確かに、日本住みが長いとはいえ外国人の再就職というのは難しいのかもしれない。
「今の私の家から未春が毎日学校に通うのはちょっと厳しいでしょ。でも引っ越すお金もないし、ただでさえ律子さんに迷惑かけてるのにこれ以上負担を増やすわけにもいかないし......こんなの聞かされてもって感じよね」
アンジェさんは申し訳なさそうに目を伏せる。状況が状況だし、負い目を感じてしまうのも仕方ない。
「要するに、アンジェさんの仕事が見つかって...色々落ち着くまでは未春はうちで預かる、ということですね」
「本当にごめんなさい。お願いします」
そう言って頭を下げるアンジェさん。
「そ、そんな...わたしは全然大丈夫です。未春はとってもいい子だし...それに、未春といるとわたしも楽しいです」
口では平静を装いつつも、正直ほっとしている自分が嫌になる。
それにアンジェさんはそう言っても、未春は?もし未春がせっかく再会したお母さんと一緒に暮らしたいと言ったら?
未春は、わたしとアンジェさん、どちらを選ぶのだろう────
「千秋さん?」
「あ...ごめんなさい、ぼーっとしてました」
アンジェさんに声をかけられ、我に帰る。
「悪いけど用事があるから、今日はもう帰るわ。もうしばらく未春をよろしくね」
「はい、任せてください。あと...アンジェさんのお仕事、わたしにも心当たりがあるのでもし都合がついたら連絡しますね」
「ほんと?助かるわ...ありがとう」
アンジェさんは未春を起こさないようそっとベッドに寝かせ、帰っていった。
いつもの部屋に残されたふたり。未春はまだ起きそうにない。
わたしは未春とこのまま暮らしたい。でも...母娘が離ればなれなのは絶対によくない。
未春の家庭菜園になりつつあるベランダに出て、電話をかける。
「......はい、朝雛です」
「もしもし、真冬ちゃん?今大丈夫?」
「大丈夫ですよー先輩。どうしたんですか?」
「んーとね...相談なんだけど」
「......というわけで、お願いできるかな」
「まあ、先輩のお願いなら断れないですね。聞いておきますけど...たまには私にもかまってくださいね?」
「うん、いつでも遊びに来ていいよ」
「やった。美味しいお菓子持っていきますね」
電話を切り、部屋に戻るとちょうど未春が目覚めたようで、うつらうつらと目を擦っていた。
「......千秋?おかあさんは...?」
「...今日は帰るって。アンジェさんの家、ここからちょっと遠いから」
「...そっか」
無表情で壁を見つめる未春。
「あのさ...未春は、もしアンジェさんと一緒に住めるなら、そうしたいよね」
「......うん」
わかっていた。出会って数ヶ月のわたしがお母さんより大事なわけがない。
「アンジェさんね、今は余裕がないから色々準備して、未春と住む家が見つかったら未春と一緒に住むって。よかったね」
「そうなんだ...」
「もうちょっと我慢してね。じゃあ、ちょっと買い物行ってくるから」
「あ、千秋....」
「ん?なに?」
「.........やっぱり、いい...なんでもない。いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
一緒に暮らしてきたからこそわかる、作り笑顔の未春を見るのが辛かった。
ふたりで出来合いの晩ごはんを食べて、早めに寝た。
いつもは布団に潜り込んでくる未春も、その日は大人しかった。
翌日、わたしは未春に断って朝早くから家を出た。未春は少し怪訝な顔をしつつも、晩ごはんまでには帰ってきてね、と送り出してくれた。
この先どうなるかわからなくても、わたしの選択に後悔はしたくない。わたしをよく知るひとたちに、わたしの答えを聞いてもらいたい。
そんな思いで、家を飛び出した。