表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傷跡と花の君  作者: 納涼
第四章 わたしと私の大切なもの
30/36

#29 おかえりなさい

 わたしたちの家からは少し遠い街のとあるマンションの一室。そのドアの前に立ち、チャイムを鳴らす。少し間を置いて、インターホンから返事があった。

「...どちらさま?」

「こ、こんにちは、笹森です。この間は、」

 話す途中でプツッとインターホンが切れた。そんな。

 どうしたものかとドアの近くでおろおろしていると、突然開いたドアがわたしの顔を打った。

「あ...。ごめんなさい、大丈夫?」

「だ、大丈夫です...」

「...入って。冷やすもの持ってくるから」


 鼻の痛みを犠牲に、家の中に入れてもらうことができた。これでちゃんと話ができる。痛みがおさまってからだけど。

 招かれた部屋は少し散らかっていた。インテリアも特になく、ベッドや冷蔵庫など生活に必要なものだけが置いてある感じだ。

 アンジェさんが持ってきてくれた保冷剤で鼻を冷やすと、じんじんとした痛みが少しずつ引いていった。

「も、もう大丈夫です。ありがとうございます」

「そう」

 やっぱりなんというか、感情の起伏が見えない人だ。こうしている間も眉尻ひとつ動かない。

「えーと...アンジェさん、とお呼びしても?」

「いいわ。千秋さん...でいいのかしら」

 彼女が首を振ると、銀の髪がはらりと揺れる。未春と同じ、見惚れてしまいそうな美しさがある。

「未春は、元気?」

「とっても元気です。学校で友達もできて、休みの日には遊んだりしてます」

「そう...」

 安堵しているのだろうか。表情に変化がないので分かりづらい。

「...アンジェさん。もし嫌じゃなければ、今までのことを話してくれませんか?」

「...未春を預かってくれてるあなたに言われたら断れないわね」

 そう言うとアンジェさんは立ち上がり、冷蔵庫を開けた。コップにお茶を注ぎ、わたしの前に置いてくれる。

「ありがとうございます」

「......未春を産んだのが11年前ね。その2年後に、慎二は行ってしまった」

 慎二、というのは死んでしまった未春のお父さんだろう。未春が言うには、確か交通事故で。

「どうしようもなく悲しかったけど、未春と生きるしかなかった。私もこっちで働いてたけど、まだ小さかった未春のために仕事を辞めたの。律子さんにもお世話になったわ」

「.........」

「未春が小学校に通い始めて、生活には余裕ができた。でも、今度はお金の余裕がなくなって。仕事もなかなか見つからなくて困ってたところで、あの人と出会った」

「...その人が、再婚相手の...」

「そう。結婚するまでは、優しい人だった。未春の学費もなんとかしてくれるって...未春は受け入れていなかったみたいだけど、あの子には分かってたのかもね」

 そこからはわたしも知る通りだった。再婚相手が暴力を繰り返し、家族はバラバラになった...

「......そんなところね」

「...辛い話をさせてしまって、すみません」

「いえ...これも、私の罪だから」

 これでほとんどの事情は把握した。あとはアンジェさんの気持ち次第だ。

「アンジェさんは、未春と会いたくないですか?」

「...わからないの。会いたい私も、会いたくない私もいる」

 窓の外を見つめる彼女は、今にも崩れそうに脆い。

「未春が酷い目にあった原因は私にもある。しかも、私は未春を置いてひとりだけ逃げた。そんな私を、未春は許してくれない」

 今まで顔色ひとつ変えなかったアンジェさんの表情が曇った。嫌になるほど自分を責めて、涙を流すことにすら疲れてしまったのかもしれない。


 そんな彼女を救ってあげられる人を、わたしはひとりしか知らない。


「ねえ、アンジェさん」

 両の手で彼女の手を取る。素の体温が低いのだろうか、ひんやりと冷たい。


「未春はね、とっても強い子だよ。わたしと出会った日の夜に、初めて泣いたんだって」

 今でも覚えている。わたしの胸の中で、わたしと一緒にえんえん泣いていた未春。


「料理もお裁縫もお母さんが教えてくれたの、って。いつも嬉しそうにわたしに話してくれるよ」

 毎日料理をするときの未春はとても笑顔で。わたしの服が破れたら、しょうがないなぁって直してくれる。


「わたしのお母さんと会ったときは、ちょっとだけ寂しそうな顔してた。...羨ましそうだった」

 わたしは未春のお母さんにはなれない。未春だってまだまだ子供なんだから、甘えられる相手がいないと。



「だから、もう一度、未春の「お母さん」になって」

 もう一度強く手を握って、アンジェさんと目を合わせる。

「お願い。あの子にはあなたが必要なの」



 握っていた手が、震える。わたしの手の甲に、滴が落ちた。

「...千秋さんだって、未春の支えになってるでしょ」

「支えにはなれても、お母さんの代わりにはなれないよ。あの子、アンジェさんのこと大好きだもん」

「......ほんとに私で、いいのかな。未春から逃げた、私でも」

「うん!アンジェさんしか、いないよ」

「...そっか」

 アンジェさんが落ち着くまで、手を握り続けた。



「じゃあ、早速行きましょうか」

「え...今日?今から?」

「もちろんです、未春は今すぐにでも会いたいはずですから。アンジェさんは違うんですか?」

「そ、それは...あなたって、結構強引ね」

「よく言われます」

 アンジェさんが着替えている間、家の外で待つ。しばらくすると、ゆっくりとドアが開いた。

「あの、心の準備が」

「それは行く途中にしましょう!さあ行きますよ!」

 アンジェさんを引っぱり出すように家から出て、駅に向かう。未春にラインしとこう。

(未春、起きてる?)

(起きてるよー。どこ行ってるの?)

(ちょっとね。今から素敵なお土産持って帰るから待ってて)

(やった。楽しみにしてるね~)

 これでよし。隣を見ると、アンジェさんがガチガチに緊張していた。

「そ、そんなに...」

「...正直、不安でしょうがないわ」

「大丈夫ですよ、絶対」

 この数ヶ月、伊達に未春と暮らしていない。あの子、本当にお母さんっ子である。実は寝言で「お母さん...」と言ってたのをこっそり録音してあるぐらい。

 わたしも未春の反応が楽しみだ。びっくりするかな、もしかしたら泣いちゃうかな?




 昼前に起きたら、千秋がいない。スマホを見ると、「ちょっと出かけてくるねー」と少し前にメッセージが入っていた。

 うーん、ごはんどうするんだろう。とりあえず掃除だけ済ませちゃおうかな。

 ふぃーんと掃除機をかけていると、またスマホが鳴った。千秋いわく、なにやらお土産を持って帰ってきてくれるらしい。

 なんだろ、お菓子系かな。お茶の準備しておこうかな?

 紅茶とコーヒーを用意しつつ、お昼ごはんの素麺を茹でていると、玄関の鍵を開ける音がした。

「未春、ただいまー」

「おかえりー。外暑かったでしょ?素麺作ってるけど、もうお昼食べちゃった?」

「まだだから食べる~。それより未春、お土産見せてあげる」

「あ、うん。なになに?」

「こちら...ちょっと、今更怖気づかないでくださいよ!ほらこっち!」

「なに?誰かいる、の...」


「あ、あの......ひさしぶり、未春」


 頭が真っ白になった。いったん家の中に戻って、洗面所で顔を洗う。ふぅ、すっきり。

 もう一度玄関に戻ると、さっきと同じ人がいた。ほっぺをつねってみる。いたい。髪の毛は...わたしと同じ色。見間違えるはずがない、綺麗な顔。

「お母さん?」

「う、うん」

「ほんとに?ほんとに、お母さん?」

 千秋の方を見る。

「そうだよー。ほんとに未春のお母さんだよ」

「ほんと...お母さん......お母さん!」

「わっ」

「あいたかった!ずっと!お母さん、お母さんだ、う~~~」

「ふふ、やっぱり泣いちゃった」

「お母さん、だいすきだよ、お母さん、うぅ」

「未春...私も会いたかった。待たせてごめんね、ただいま」

 うれしい。お母さんだ、お母さんのにおいだ。涙が止まらない、うれしい!しあわせだ!

「おかえりなさい、お母さん...もうどこにもいかないで...」

 ぎゅっとお母さんを抱きしめる。

「うん、もう絶対未春をひとりぼっちにしない。約束」

「ほんと?」

 差し出されたお母さんの小指に、私の小指を絡める。

「ゆびきりげんまん、うそついたら...うそ、つかないよね」

「うん、つかない。ゆびきった」

「えへへ...お母さん、お母さんだ...」


 千秋が、手をぱんと叩いた。

「とりあえず、家の中入りましょうか」

「そ、そうね...未春?ちょっと離れて」

「やだ!離さないもん」

「もう、しょうがない子ね...よいしょ」

 お母さんが、私をお姫様だっこしてくれた。

「おお...アンジェさん、力持ちですね」

「千秋~?私が重いって意味かな?」

「ち、チガイマスヨー」

「ふふ...ほんとに仲良いのね」

 久しぶりに見たお母さんの笑顔は、私の心に焼き付いた。




 アンジェさんを連れて帰ってからというもの、未春の元気がいつもの10割増しだ。

「お母さんのぶんも素麺茹でるから、待っててね!」

「ふー...今日も外あっつい...エアコンすずし~」

「ちょっと千秋!千秋は薬味係!はいネギ!」

「は、はーい...今行きまーす」

 きれいなガラスのお皿(そんなのうちにあったんだ)にすっごい丁寧に素麺と野菜や薬味を盛り付けている。目が本気すぎて声もかけられない。

「はい、お母さんのぶん!」

「あら綺麗...上手ね、未春」

「えへへ」

 頭を撫でられてにへらと笑う未春。かわいい。

「どう?どう?おいしい?」

「うん。美味しい」

「えへへ」



 にこにこと笑顔の絶えない未春を見ていると、わたしも嬉しくて顔がにやけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ