#28 わたしにできること
「初めまして、未春のお母さん」
「......会うのは初めてね。私はあなたのこと色々聞いているけど」
聞いている...となると、律子さんか。
「未春を預かってくれてるのも知ってる」
纏う雰囲気は未春そっくりなのに、表情はひんやりと冷たい。月光が照らす銀白が揺れる。
「い、いえ...そんなことより」
気圧されながらも、言葉を紡ぐ。
「どうして未春と会ってあげないんですか...?」
「......わからないの」
片手で肘を抱き、わたしの目を見ずに答える。
「...今日は帰るわ」
「ちょ、ちょっと!」
その背中を引き留めることはできず、彼女の姿は暗闇に溶けていった。
「あ、千秋おかえり。ご飯できてるよ」
「......うん」
「...ちょっと元気ない?調子悪い?」
「いや、なんでもない」
未春の前では気丈に振る舞わなければ、と分かっていても脳がさっきの出来事を処理しきれていない。あれは本当に未春のお母さんだったのか?本当だったとして、それを未春に伝えていいのだろうか?
晩ごはんの最中も、頭の中はそのことでいっぱいだった。
「千秋、やっぱり具合悪いでしょ」
「...そんなことないよ?」
「うそ。さっきからずっとぼーっとしてるし、私や明葉さんの話も上の空だし」
「......ごめんね。ちょっと考え事してて。本当に大丈夫だから」
「...ならいいけど」
電車があるうちに帰宅することにして、お母さんと未春と一緒に律子さんの家を後にした。律子さんにも聞きたいことはあるが、未春の手前、聞けなかったので今度電話することにする。
「じゃあ、千秋ちゃん未春ちゃんまたね。怪我と病気はしちゃダメよ、お母さん泣いちゃうから」
途中の駅でお母さんは帰っていった。やっぱりちょっと寂しいけど、また暇な時に顔を見に行こう。
ドアの向こうのお母さんが見えなくなるまで手を振って、未春とふたりきりになった。時間も時間なので、わたしたちの他に乗客はいない。
「ふぅ...この二日結構疲れたね、未春眠くない?」
「大丈夫だけど...」
未春はどこか歯切れの悪い感じでちらとわたしを見る。
「千秋......なにか私に隠してない?」
す、鋭すぎる...いや、わたしが分かりやすすぎるのかな。
「...正直に言うと、あります。けど、今はちょっと話せないの。未春にとって悪いことじゃないから安心して。そのうち、絶対話すから」
「ふーん...私に関係あることなんだ」
口を開けば滑らせるなわたし。もうだめだ...
「まあ、言いたくないことぐらいあるよね。いつか話してくれるなら、それでいい」
未春さん、人間ができてるなあ。
「ごめんね。代わりに今日はいっぱい甘えていいから」
未春の目が光った。
「言ったからには、覚悟してね」
「お、お手柔らかに...」
翌日、わたしは近くの公園にいた。昨夜は未春に攻めに攻められたので、まだ少し眠い。その未春もまだベッドですやすやと眠っているだろう。
わざわざ公園に出てきたのは未春に電話の内容を聞かれないため。そして電話の相手は...
「はい、もしもし?」
「おはようございます、律子さん。千秋です」
いろいろ聞かせてもらうんだから。
「...なるほどねぇ、バレちゃったわけ」
「お話、聞かせてもらってもいいですか?」
「あの子から話したならしょうがないし教えてあげる。何から聞きたい?」
「えーと...まず未春のお母さんの名前を」
「ルィソフ・ペトローヴェナ・アンジェリーカ。彼女、ロシア人なのは知ってる?」
「はい、未春から...アンジェリーカさん?」
「本人は周りにアンジェと呼ばせているわ」
アンジェさんか。国際結婚だと苗字ってどうするんだろう...まあややこしそうだしいいか。
「律子さんは、いつから知ってたんですか?」
少し間を置いて、律子さんが答える。
「あなたたちが初めて私の家に来た少し後に、アンジェが訪ねてきてね。そこで私はアンジェにあなたたちのことを話したわ」
なるほど...アンジェさんはそこでわたしと未春が同居していることを知って...
「アンジェさん、何か言ってましたか?」
「驚いてはいたけど、それだけね。あなたのことは悪い人じゃないと説明しておいたけど」
かと言って、知らない人間に娘を預けたままでいいとは思わないだろう。
「律子さんもアンジェさんのこと、わたしたちに言わないように口止めされてたんですよね?」
「まあ、そうね。あの子にも考えがあるようだったし」
アンジェさんが未春と会おうとしないのは、再婚によって未春を苦しめてしまったこと、未春を置いていってしまったことへの後ろめたさからだろうか。
「......あの、アンジェさんが今どこにいるか知ってますか?」
「...会いに行くのね?」
「はい」
もうわたしだって部外者じゃない。やれることはやる。
「これはあの子のお願いだから、聞いて。未春ちゃんはまだ連れて行かないで」
「...わかりました。わたしひとりで行きます」
律子さんにお礼を言って、電話を切った。律子さんから教えてもらった住所はそう遠くない。
未春の幸せのために、アンジェさんに会いにいこう。