#22 見えるあなたと見えないあなた
いよいよ夏本番といったところで、今日もセミの合唱が耳を刺す。時刻は朝の10時を過ぎたころ、わたしと未春は自宅と同じアパートの201号室の前にいた。郵便受けには「朝雛」と表札がある。
わたしがチャイムを押すと、とたとたと家の中で小走りする音がしたのち、玄関のドアが開いた。
「はい、どちらさまですか...あ」
「こんにちは、朝雛さん」
「笹森さん!と、そちらは確か...」
「...?未春、どうしたの?」
わたしが朝雛さんのところに行くと言ったらどうしてもついてくると言うので一緒に来たのだが、どうも未春の様子がおかしい。朝雛さんのほうをじっと見つめ...いや、睨んでない?
「未春、挨拶はきちんとしなきゃダメ」
「......うん。こんにちは。未春と呼んでください、朝雛さん」
「未春ちゃんですね。もしかして、笹森さんの妹さんですか?」
「いや、妹ではないけどちょっと複雑でね。うちで預かってる子なの」
「そうなんですか...。あ、それで今日はどうしたんです?」
「昨日、ちょっと失礼なことしちゃったから、お詫びも兼ねて挨拶にね。これ、良かったら食べて」
「え!?そんな、全然...頂いていいんですか?」
「うん、遠慮しないで」
「ありがとうございます...あ、あの、笹森さん」
「ん?なに?」
「よかったら、今度ふたりでお茶でもしませんか?お話したいです」
「うん、いいよ。えーと...じゃ、LINE交換しよっか。都合の良いとき教えてくれたら合わせるから」
「は、はいっ!」
実は怒ってたりするのかな、と心配だったが杞憂だったようだ。少し雰囲気は暗めではあるが礼儀正しくて素直ないい子だ。お茶の誘いなら断る理由もない。
「よし。じゃあ、またいつでも連絡してね」
「はい!それではまた」
扉が閉まるのを見送り、自宅に戻る。時計は昼前を指していた。
「未春、今日は外で食べよっか...未春?」
未春はほっぺをぷくーと膨らませてわたしをむぅと睨み、ふんとそっぽを向いた。あれ、わたしなんかした?
「み、未春?どうしたの~?こっち向いてよ」
わたしがすすっと未春の前に移動すると、未春もまたつんとそっぽを向く。
何が原因かいまいち分からないが、ここは必殺技を使わせてもらおう。
「お昼はハンバーグのお店にしようかな~と思ってたけど...未春は行きたくない?」
そっぽを向いたままハンバーグという単語にぴくっと反応し、数秒の沈黙ののち...
「.........いく」
まだこっちを向いてはくれないものの、かろうじて答えてくれた。ハンバーグは偉大だ。
お店に向かうまでも、未春はあまり口を利いてくれなかった。わたしが何か話しかけても、「へー」や「ふーん」など、気のない返事ばかり。
依玖に聞いたハンバーグのお店は、少し狭い路地にあった。依玖はこういうお店にとても詳しいのだが、どうやって見つけてくるんだろう。
「お邪魔しまーす...」
からんからんとドアについたベルが鳴る。内装はいかにも隠れ家といった感じで、壁にシカの頭の剥製とかついてる。見た限り、どうやらお客さんはわたしたちだけらしい。
「ん~?あら、お客さんだ。いらっしゃい」
店の奥から店員らしきお姉さんが出てきた。
「こんにちは。もしかして、まだやってませんか?」
「いえ、大丈夫ですよ~。おふたり?」
「はい」
「では、お好きな席へどうぞ~」
奥のテーブル席へ向かう。壁側を譲ってあげようと椅子に座ろうとしたところ、無言で裾を引かれてふたりで壁側に座った。
「お水置いときますね~。ご注文お決まりでしたらまた呼んでください」
メニューを手に取り、未春にも見えるように広げる。
こういう隠れ家的お店ってお高いイメージがあるけど、ここはそうでもないらしい。
う~ん...初めて来たお店だし、とりあえず無難に日替わりランチにしとこう。
「未春、どれがいい?何でも頼んでいいよ」
「.........ちょっとまって」
超、真剣に悩んでいる。ここまで鬼気迫る感じの未春は初めて見たかもしれない。ハンバーグ、ほんとに好きなんだな...
「すいませーん」
「はーい、ご注文どうぞ」
「わたしは日替わりランチで...この子はチーズハンバーグを」
「日替わりと、チーズハンバーグですね」
「それで...わたしのほうのハンバーグを、和風ハンバーグにしてもらえませんか?追加料金とかでも大丈夫なんで」
「はい、大丈夫ですよ。えっと日替わりが和風で...お飲み物はよろしいですか?」
「じゃあわたしはアイスコーヒーを食後に...未春は?」
「.........りんごジュース」
「かしこまりました~♪少々お待ち下さいね」
未春がチーズハンバーグと和風ハンバーグで決めかねていたので、半分こすることにした。
料理が来るまでしばらくかかるだろうし、今のうちに聞いてしまおう。
「ねえ未春、わたし何か未春を怒らせることしちゃったかな」
「.........千秋はさ、私のこと好き?」
「もちろん、大好きだよ」
「...私たち、恋人同士だよね」
「うん」
「......千秋はさ、もし私が千秋の知らない人とふたりでどこかに出かけるって言ったらどう思う?」
「...それは、ちょっと嫌かも......あ」
朝雛さんのことか。もしかしてあの時様子がおかしかったのもそういう...
「未春は朝雛さんのこと、苦手?」
「そういうわけじゃないけど...あの人はたぶん...」
いまいち歯切れが悪い。はぁとため息をついて、水をひとくち。
「まあ...千秋のことだからわかってないだろうし、もういいや。でも、これから浮気する時はちゃんと私に許可とってね」
「う、浮気って...」
ほんとにそんなつもりないんだけど、未春がやきもち妬いてくれてるのはちょっと嬉しい。
「心配かけちゃったならごめんね。わたしは未春一筋だから」
「そう?じゃ、今夜はいっぱい愛してね」
ぼっ、と顔から火が出た。同時に、お姉さんがハンバーグを持ってきてくれた。
「はいお待たせ~。鉄板熱いから気を付けてね。ま、あなたたちのほうが熱そうだけど。なんちゃって」
聞かれてる......恥ずかしすぎて蒸発しそう。未春はさっそく目をきらきらさせながらハンバーグを切っている。無敵か......?
ハンバーグはとても美味しかった。が、お会計の時にお姉さんに「あんまり彼女拗ねさせちゃダメよ?また来てね~」と言われてしまったのでまた来るかは未定。恥ずかしすぎて死にそう。
お腹いっぱいですっかり機嫌を直した未春と一緒に、コンビニでアイスを買って家に帰った。