#2 お泊りすることになりました
「お姉さん...?」
はっと我に返る。目の前の衝撃的な光景を脳が処理できていない。色素の抜けた髪、ひどく細い腕と足、わたしを見上げる虚ろな目。傍らの赤いランドセルからして小学校高学年ぐらいの子だろうか。
見えるだけの部分でも腕には鞭痕のようなものに加え煙草を押し付けられたような火傷の痕の数々、スカートから覗く足にも擦り傷や内出血が見える。そして一際目を引く左目を縦に渡る10cm弱の切り傷の痕。
「目...」
「め?」
「その左目は...」
ダメだ、上手く言葉が出ない。この子はどこから来て、なぜここにいて、その傷跡がなんなのか、聞きたいことはたくさんあるが頭と口が連動しない。
「見えるんだけど、開くと痛いから閉じてるの」
「そ、そうなの...」
「それよりお姉さん、ここの人?」
「あ、うん、203に住んでる笹森千秋です、はい」
勢いで自己紹介してしまった。小学生の女の子相手に何を動揺してるんだ、わたしは。
「ふーん、じゃあ千秋って呼ぶね。千秋、私のことは未春って呼んで。」
「未春...ちゃん」
「うん!よろしくね」
にひっと笑う彼女は凄惨な見た目とは裏腹に元気いっぱいな子だ。一安心。
「ねえ千秋」
「は、はひっ」
「なに緊張してるの。未春、この家入れなくなっちゃったから今晩千秋の家に泊まらせてほしいの」
「え?」
「ダメ?」
「ダメ...ではないですけど、どうして、」
「話すと長くなるの。お願い!」
傷だらけの小さい女の子に手を合わせて頼まれてしまうと断ったほうが悪者になる気がする。得体の知れない子ではあるが悪い子ではなさそうだしいいか...犯罪にならないよねこれ?
「わかりました。今玄関開けますね...はいどうぞ。あんまり綺麗な部屋ではないですけど」
「ありがと!」
笑顔がとてもかわいい。珍しい髪色も相まってお人形さんみたい、っていうのかな、こういうの。
「おじゃまします」
「洗面所はそこで、トイレは左のドアです。荷物は空いてるところに置いてもらえば...えっと、お腹空いてます?」
「正直に言うと、すごくおなかすいた。昨日の昼から何も食べてないの」
「そんなに!?」
未春ちゃんの腕はすごく細いし、とても健康的とは言えない生活を送っていたのは聞くまでもなかった。一体どんな境遇があるのか気になりつつ、夕食用に買っておいた即席めんにお湯を注ぎ、母から送られてきたりんごが冷蔵庫に残っていたので切り分けた。
「お待たせしました」
「ありがと、いただきます」
すごい勢いで食べてる。ほんとにお腹空いてたんだなあ、と思いつつ私もりんごをかじる。
「ごちそうさまでした。千秋は食べないの?」
「あ、わたしは大丈夫です」
「大丈夫って...もしかしてこのカップ麺?」
「お、お恥ずかしながら...」
わたしは料理があまり得意ではないので、普段の食事はお惣菜やカップ麺で済ませることが多かった。小学生にダメな大学生像を晒すことになるとは。
「恥ずかしいとかじゃなくて、私のために千秋のご飯がなくなっちゃったんでしょ?ごめんなさい!」
「え!?いえ、そりゃ丸一日以上何も食べてない人の前で食べられないですよ!」
「でも...」
「ほんとにお腹空いてないので気にしないでください。それに、近くにコンビニもありますし」
いざとなれば同じアパートに依玖もいるので、ご飯を分けてもらうことぐらいはできる。そもそも、今はご飯より目の前の女の子に興味がある。
「お風呂も沸いたみたいなので、どうぞ。着替えはわたしの寝間着を使ってください。だいぶぶかぶかだと思いますけど...」
「何から何まで迷惑かけちゃってごめんね」
「いえいえ。そのかわり、お風呂が済んだら未春ちゃんのこと教えてくださいね」
「うん、わかった」
未春ちゃんがお風呂に入っている間、買い物に行くことにした。お風呂から上がってわたしがいないと驚くかもしれないので、書き置きも残しておく。
コンビニに向かいつつ、このことを依玖に話すかどうか悩んでいた。依玖なら何か力になってくれるとは思うが、未春ちゃんはあまり人に事情を知られたくないかもしれない。
悩んだ結果、なにか困ったことが出てきたら相談することにした。まずは話をちゃんと聞いてから、というのもある。
「ただいま帰りました~」
「おかえり、千秋。ご飯買ってきた?」
「はい、明日の朝ごはんの材料と未春ちゃんの歯ブラシとか肌着とかも買ってきました。洗面所に置いておくので使ってくださいね」
「そ、そこまでしなくても...ほんとにありがと」
久しぶりに人におかえりと言われたので若干感動してしまった。ホームシックだったのかなわたし。
未春ちゃんもいるので目玉焼きぐらいは作ろうと思って卵とベーコン、彩りにプチトマトは買ってきた。米は母が送ってくれているし、味噌汁はインスタントだが朝ごはんの体裁は保てそうだ。
「ではではわたしもお風呂に行ってきます。あ、テレビつけてもいいですよ」
「あ、うん」
未春ちゃんの後に入ったお風呂はなぜかフローラル系のいい匂いがした。入浴剤入れてないのにな、これがお人形さんパワーか、とどうでもいいことを考えつつわたしも入浴を終えた。
未春ちゃんの服はとりあえず洗濯機に放り込んでおいたが、明日までに乾くかな。
「では、未春ちゃん」
「うん...じゃあ話すね」
この夜が、わたしと未春ちゃんのはじまりだった。