#13 私の気持ち
気が付くと、知らない場所にいた。
立っている場所はどこかの高原だろうか。時折吹く風が気持ちいい。わたしなんでこんなところにいるんだっけ?
とりあえず周囲を散策しようと思ったが、上手く歩けない。周りの景色がぼやけてよくわからない。
もしかして明晰夢ってやつかな。夢だと自覚しながら夢を見ることがある、らしい。
ぼーっと突っ立っていると、いつの間にか目の前に未春がいた。未春の足元にだけタンポポが咲いている。
「未春?」
夢だとわかっていても、声をかけたくなった。
未春はその場で屈むと、タンポポを一輪摘んだ。
「千秋...私、行くね」
「え?」
未春は背中を向け、すたすたと歩いていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
追いかけようとしたが、その背中はどんどん遠ざかっていく。ここで未春を行かせてしまったら、なぜか取り返しがつかない気がする。
「未春!待って!待ってってば!」
未春の姿が白い世界に溶ける刹那、
「みは...る......」
目の前に現れたのは見慣れた天井だった。心臓がばくばくと脈打っている。夢、だよね...
ふと未春の布団の方を見ると、未春がいない。急に血の気が引いた。
毛布を引きずるようにベッドから這いずり落ち、キッチンへ。いない。ベランダ、いない。お風呂場、いない。トイレにもいない。
願うように玄関を見ると...未春の靴が、そこにあるはずのスニーカーがなくなっていた。
どうして。わけが、わからない、わたしは、わたしが、みはるは、いなくなって
「ただいまー......千秋!?千秋、大丈夫!?」
「え...未春...?未春なの?」
「私だよ、しっかりして、お願い」
意識がはっきりしてきた...目の前に未春の顔がある。今にも泣き出しそうだ。どうやらわたしは未春に抱えられているらしい。
「もう大丈夫...なんともないよ」
「ほんと?ほんとに大丈夫?」
「うん...ちょっと立ちくらみしただけ」
壁伝いになんとか立ち上がり、洗面所へ向かう。鏡に映るわたしは哀しみと悔しさが入り混じったようなひどい表情をしていた。後ろで未春が心配そうに見つめている。
顔を洗い、なんとかいつもの表情を作った。もう未春に心配はかけられない。
「ごめんね、ほんとに大丈夫だから。未春、どこ行ってたの?」
「...下のごみ置き場までごみ捨てに行ってた」
「あ、そうなんだ」
結局わたしの早とちりだっただけか。よかった...
「じゃ、朝ごはん作ろっか。今日はわたしが出汁巻き作るよ」
「うん...」
その思いつめたような未春の表情に、わたしは気づかなかった。
未春のおばあちゃん夫妻の家は電車で1時間ほど行った山奥らしい。電車に揺られつつも、わたしの思考は全くまとまらなかった。いつもの未春ならデートだね、なんて言いそうなものだが、未春もどこか元気がない。
ほとんど会話もないまま、最寄りの駅に着いた。
「ここから15分ぐらい歩くよ」
「そっか...じゃあ飲み物買ってこっか」
自販機でお茶を2本買い、片方を未春に渡す。
「ありがと」
それからふたりで山のふもとの道を歩いた。見渡す限り田んぼと山が広がっていて、民家も点々としかない。
今向かっているのは未春の父方の祖父母の家。未春のお父さんが他界してから、何かと面倒を見てかわいがってくれているようだ。だが、未春のお母さんが再婚してからはしばらく訪れていなかったらしい。
「千秋、あの家」
「あ、うん」
考え事をしているうちに目的地に着いてしまった。
未春がチャイムを鳴らす。木造の古い家だが、奥まで聞こえているだろうか。
しばらくすると、玄関の引き戸が開いた。
「はい、どちらさま...あら未春ちゃん、どうしたの?今日はひとりかい」
「こんにちは、おばあちゃん。今日はお話があって来たの」
未春がわたしのほうを振り返る。視線に導かれるように、おばあちゃんと目が合う。
「は、初めまして、笹森千秋と言います。未春ちゃんのことでご相談がありまして、お時間があれば少しお話させていただけませんか?」
緊張したがなんとか言いきれた。おばあちゃんは怪訝な目でわたしを見つめている。そりゃ怪しいよね...
「未春ちゃん、お友達かい?」
「ちょっと違うけど、怪しい人じゃないよ。話すと長くなるから、お邪魔していい?」
「そうね。お茶を入れるから、そっちの居間で待っててちょうだい」
「あ、おかまいなく...」
おばあちゃんは奥に引っ込んでいった。わたしも未春に続いて入る。
「お邪魔します」
人の祖父母の家に入るのは初めてだ。わたしにとってはほぼ他人なわけで、否が応でも緊張する。
「大したものも出せませんけど、よかったらどうぞ」
「いえ、こちらこそ急にお邪魔してすみません」
おばあちゃんが湯呑みにあたたかいお茶と、お茶菓子を用意してくれた。
机の片側にわたしと未春、向かいにおばあちゃんが座る。
「自己紹介がまだだったね。私は相沢律子。律子でいいわ、千秋さん」
律子さんか。見た目は40代ぐらいに見えるが、実年齢はもう少し上だろう。
「じゃあ、聞かせてもらおうかしら。あまりいい話じゃなさそうだけれど」
「......あのね、」
未春が話し始める。お母さんの再婚相手が暴力を振るったこと、お母さんがいなくなったこと、そして再婚相手もどこかへ消えたこと。律子さんは最初動揺が隠せないようだったが、次第に怒りの色が見え始めていった。
「...ここまでが私の話。あとは千秋から」
未春に促され、わたしが話を引き継ぐ。行先のない未春を泊めたこと、数日一緒に暮らしたこと。
「...というわけです」
「なるほどねえ...」
一通り経緯の説明は終えた。あとは律子さんがどう出るかだ。
「もう試しただろうけど、一応連絡してみるから少し待っててちょうだい」
そう言って律子さんは電話をかけに出て行った。もちろん、未春のお母さんにはわたしも未春自身も何度か連絡を試みたがダメだった。
「やっぱり繋がらないわね...警察には行った?」
「いえ、まだです」
「そう...まあ未春ちゃんは小学生であなたも生活があるものね。私がついていくから、後で行きましょう」
「すいません、助かります」
「謝らなくていいわ。孫の面倒を見てくれた人だもの、むしろ礼を言うのは私のほうよ。千秋さん、本当にありがとう」
「いえ、そんな」
「おなか空いたでしょ。ご飯作るから、続きは食べてからね」
「そんな、悪いです」
「いいのいいの、遠慮しないで」
昼食の後、隣町の警察署に向かった。家族間の話なのでわたしは遠慮して、ふたりが出てくるまで近くのカフェで待たせてもらい、何かあったら呼んでもらうことにした。
コーヒーを飲みつつぼーっとしていたら、未春から「おわったよ」とメッセージがあったので店を後にした。
家に戻りつつ、報告を聞いた。
「で、お母さんは警察の人も捜してくれるんだって。あいつは警察の人が証拠を集めてからたいほじょう?が出るって言ってた」
「そっか...お母さん早く見つかるといいね」
わたしは本当にそう思っているはずなのだが、どこか空虚なことを言っている気がした。
「じゃあ、これからのことなんだけれど」
「はい」
「未春ちゃんには、ふたつ選択肢があるわ。ひとつは、わたしの家に住むこと。もしそうしたら、ここから今の学校に通うのは厳しいから近くの小学校に転校することになるわ」
未春の表情が曇った。
「もうひとつは、今のまま千秋さんの家に住むこと。もちろん千秋さんと、千秋さんのご両親がよければだけど」
律子さんは一息ついてから、次の言葉を紡ぐ。
「私としては、申し訳ないけれど千秋さんの家よりうちに住んでほしいわ。千秋さんを悪く思っているとかではないのだけれど、親の親としての責任ね」
「それは...そうですよね...」
オブラートに包んではいるが、見ず知らずの大学生に大事な孫を預けたいわけがない。
「まあ、これはあくまで私の希望よ。未春ちゃんは...どうしたい?」
「私、私は...」
未春は悩んでいる。未春の今後の生活を長い目で見れば、律子さんの家に住んだほうが何かと融通が利くだろう。かといって、今の生活を手放せというのも酷かもしれない。
「私は...わからない。...千秋はどう思う?」
「え?」
わたしは言ってしまえば部外者なので、口出しできる立場ではないと思うのだが...しかも律子さんの手前、わたしの家に残れなんて言えるわけがない。
「わたしは...ここに住んだ方がいいんじゃないかって...未春?」
こっちを見ていた未春が俯いて肩を震わせている。膝の上に置いた握りこぶしはスカートを強く握っていた。
そして、わたしを見上げる未春は―――
「ばか」
涙を、流していた。