6. 懐古
アンケートにご協力、ありがとうございます。
前回アンケートは、「一切の躊躇を捨て、アリスティアを抱き上げた」が過去最高の得票率(57.4%)でトップ当選を果たしました。
https://twitter.com/usagi_ya/status/1216210179588415488
さて、おんぶとだっこ、究極の二択の内のだっこを採択されてしまったアリスティアは、そのあとどうなったのかというと……。
大神官は、ちらりとアリスティアを見下ろすと、一切の躊躇を捨てて彼女を抱き上げた。そのまま、後をも見ずに歩きだす。
殿下と呼ばれた男と神官たちの声がしたが、大神官に応えるそぶりはない。アリスティアも、それどころではなかった。
くらくらするし、手足に力が入らない。動かそうと意識を集中しても、もわもわと何重にも包まれた向こう側に自分の手や足があるような、遠くて届かないという感覚があるだけだ。
心臓も、相変わらず頑張りつづけている。胸が痛いとは、このことだ。
それでも、こんな風に運ばれるのは……困る。
「あの、おろしてください」
「大丈夫、心配しないで。休めば回復します」
「でしたら、ここに置いていってくだされば……」
さすがに自分で歩くとはいえない。
大神官は、いつもの微笑を崩さずに答えた。
「置いてはいけませんよ。ここは危険ですから」
「でも、〈教導師〉様は、ご多忙なのでは」
「忙しいといえば、そうですね。今は、〈教導師〉として、弟子の身の安全をはかるのに忙しくしています」
そうですか、としか答えられない。
口をつぐんだアリスティアを見下ろして、大神官は微笑を消し、気遣わしげに告げた。
「不安ですか? それも無理はないと思いますが、休めば回復することは、わたしが保証します。まだ出会ったばかりのわたしを信頼しろというのも、傲慢な話ですが、どうか信じてください」
アリスティアは返答に窮した。
――傲慢、って。大神官様は、これまでのところ完璧でいらっしゃるけど、自己評価は少々おかしいのでは……?
大神官を傲慢だと思うひとがいたら、お目にかかりたい。むしろ、腰が低過ぎて、ほんとうにそんなお偉いかたなのですかと疑いたくなるほどだ。あれだけ魔法を連発しているし、周りの神官の態度からしても、高位にあることは間違いないのだが……。
アリスティアが不安なのは、もっと別のこと。
人数を合わせるだけだといわれて参加したのに、どうやら、それでは話が終わらなさそうだ、という問題だ。
目立ちたくないという最初の願いがかなう可能性は、ほぼ消えた。
ほかの乙女たちと同行しなかった時点でもう、いろいろ終わっていたのだろうし、ようやく思い至ったのだが、この場所。
――もし、大神官様に別行動をうながされていなければ、わたしもここに来てたんじゃ?
大神官の説明によれば、ほかの乙女たちは移動先で師となる神官を決めることになっていた。そして、重傷を負った乙女がこの場に倒れていた、ということは。
アリスティアを除く〈試練の乙女〉は皆、ここにいたに違いない。
そして――。
「魔王って、どういうことですか」
ふだんなら、もう少しは相手の顔色をうかがったり、話を切り出す場面を選んだりできただろうが、今のアリスティアは、そこまで頭がまわらない。
気になったことを、そのまま言葉にしてしまった。
しかし、大神官はその問いも予期していたのか、すらすらと答えた。
「落ち着いたら話します。今は休んでください。それがあなたのつとめです」
「はい……」
そういわれたら、受け入れるしかない。
考えるのをやめたとたん、アリスティアは意識を失ってしまった……らしい。
次に気がついたのは、大神官に名を呼ばれたときだった。
「アリスティア、起きられますか?」
しばらく寝入っていたようだ。あわてて上半身を起こそうと、手をついてみる。そして、手足が自由に動くことに気がついた。
まだ、どことなくしびれたような感じは残っているが、おおむね、不自由はない。
起き上がりながら、急いで答えた。
「はい、大丈夫です」
「よかった。顔色も、だいぶ戻ったようですね」
にっこり笑って、大神官は手した四角い木製の盆を差し出した。盆の上には、やはり木製の皿が載っている。皿は深めで、中にはなにかとろりとしたものが入っていた。
ちょっと支えてくださいといわれて応じると、大神官は盆の下部から支えになる脚を引き出した。つまり、これを使えば、寝台に起き上がったまま食事ができるというわけだ。
――えっ、それってこんな偉いひとの前で、お行儀として、どうなの?
アリスティアは行儀や礼儀、作法といったものとは無縁の暮らしをしてきた。だが、偉いひとの前で座ってはならない、くらいのことはわかる。
とはいえ、こうなってしまうと、立ち上がることもできない。お盆がひっくり返るし、お盆を持ったままうまく布団から抜け出せるかというと……無理そうだ。
なさけない気分で大神官を見やると、慈愛の笑顔である。見るまでもなかった。さっきは乱れていた髪も、今は綺麗にととのえられている。服もおそらく着替えたのだろう。埃や血の汚れなどもなかった。淡い水色の眼は涼やかに、澄み切っている。
隙がないとは、こういうひとのことをいうのかもしれない。
アリスティア本人に関していえば、起き上がったときに髪をととのえた覚えはないから、ぐしゃぐしゃだろうし、服は例の白いけど黄ばんでくたくたの古いもののまま。きっと、裾には血の染みがついているだろう。
着替えが支給されるのかは、早急に確認した方がいい……というより、この寝台の布団も汚してしまったのではないだろうか?
せっかくよくなったはずの顔色が、青ざめてしまいそうだ。
「消耗しているはずですから、食欲がなくても、少しは食べてくださいね」
「はい、あの……」
「ちゃんと食べるまで、見張っていますから。匙が持てないようでしたら、食べさせてあげましょうか?」
「いえっ、結構です、大丈夫です!」
アリスティアの顔が引きつったのを見て、なぜか、大神官は笑った。
「元気がでましたね。よかった」
――よかったの!? 今の、わざとですか!?
……ひどいんじゃないですかと苦情のひとつもいいたいところだが、相手はこの神殿でいちばん偉い人物である。そして、この神殿は、すべての女神神殿の中でもいちばん偉い神殿なのである。
――無理だ。
なんでそんな偉いひとに観察されながら、食事をせねばならないのか……。
しかし、自分で食べないと、あーんされるというおそろしい未来が待ち受けている。
アリスティアは、両手を組み合わせ、食前の祈りをした。
「女神様、今日の糧をありがとうございます……」
本来はもっと長くて立派な祈りの詩句があるのかもしれない。でも、アリスティアが知っているのはこれだけだから、せめて、心をこめて。きっちりと。
祈りを終えると、アリスティアは、皿の中のものを匙ですくった。どうやら粥のようだ。香草が入っているらしく、混ぜると香りがたつ。
「少し、ぬるくなってしまいましたか。厨房が遠いので」
「わたし、熱いの苦手なので、ちょうどいいです」
「それはよかった」
「……あと、すごく美味しいです」
お世辞ではなく、粥はとても美味しかった。身体にあたたかさが染み込んで、残っていたしびれも消えていく気がする。
「それも、よかった。久しぶりに作ったので、味の加減に自信がなかったのですが」
「……だ……〈教導師〉様が、お作りになったんですか」
「はい。皆、ほかのことで忙しかったので」
たしかに、あれだけ建物が壊れ、けが人も出ているなら、忙しくて当然だ。
むしろ、なぜ大神官がここにいて、のんびりアリスティアの相手をしているのかが、不思議なほどだ。
「あの、わたしでしたら、おとなしく休んでいますから、どうぞお役目を果たしに行ってください」
「役目でしたら、果たしているところですよ。〈試練の乙女〉の〈教導師〉として、それ以上にだいじな役目など、ありません」
それに、と大神官は言葉をつづける。
「あとでお話しする、と。約束しましたから」
「それは――」
「あの場でなにがあったか、です。わたしもあの場には居合わせなかったので、推測をまじえた話になりますが」
「はい」
「まず、それを食べてしまいましょうね」
孤児院の下の子たちの面倒をみるときに、自分もこんな風だったなぁ……と連想してしまい、不覚にも、寂しさに胸をつかれた。
今ごろ、皆はどうしているだろう。
アリスティアがいなくても、ちゃんとごはんを食べて、洗濯をして、まじめにお祈りして、畑の面倒をみているだろうか。老いた神官様の祈祷書を、うっかり破いたりしていないだろうか……。
――アリスティア、俺も行くから!
不意に、思いだしてしまう。
今の今まで、記憶の底にしまってあったのに。
――おまえがひとりにならないように、守りに行くから!
そんなの無理よとは返せず、ただ、元気でねと抱きしめた幼馴染を思いだし、アリスティアは大きく息を吐いた。
もう二度と、会えないかもしれない。
アリスティアは、聖女になる予定こそないが、故郷に戻るつもりもないのだ――孤児院で面倒をみてもらうには、もう、育ち過ぎた。
王都でなら仕事もあるだろう。〈試練の乙女〉のつとめが終わったら、どこかで雇ってもらって、それで……。
それで、もう、戻らないだろう。
――絶対に、行くから!
走りはじめた馬車を追ってきた、赤毛の少年を思いだす。
いつのまに、あんなに背が伸びていたのだろう。すっかり大人びた身体つきになっていた彼を、アリスティアはまぶしく思った。いつもはぼさぼさの髪に隠れている碧緑の瞳は、まるで得がたい宝石のようだった。
血の繋がりはないけれど、一緒に育って。弟のようにかわいがり、喧嘩して、たまには口もきかないほど怒ったこともあって。でも、さいごには、きっと仲直りして。
孤児院の皆を家族のように思ってはいたけれど、彼は特別だった。アリスティアより少しだけ遅れて孤児院に来た、誰にも心を開こうとしなかった、生意気な弟分。
もう会えないかもしれないと考えるのは、つらかった。
アリスティアは、あのとき――
1)「待ってる!」と叫んだ
2)「孤児院の皆を守ってね!」と叫んだ
3)黙って前を向き、別れに耐えた
今回も、三択です。
アンケート用のツイートは、トップに固定しておきますので、どうぞご参加ください。
https://twitter.com/usagi_ya
今回の展開ですが……実は今まで、「この選択肢が選ばれたら次の攻略キャラを出そう」と考えて設定した選択肢がことごとく敗退していくという事実に直面しておりまして……。
ここまで連載してきて、冒頭のキャラ紹介にいるキャラがほとんど出てないってまずくないですか?
これは選択肢にたよらず、本文中で登場させるしかない!
……で、どうやって登場させるかについて悩んだ挙句、まずは回想でいける幼馴染を出してみました。
ほかのメンバーは回想というわけにはいかないので、回想での登場は幼馴染の特権です!