4. 乙女
アンケートへのご参加、ありがとうございます。
前回アンケートの結果は、「が、そのとき。遠くで、なにかが爆発するような(略」がトップでした。
https://twitter.com/usagi_ya/status/1214850650602786817
爆発音を聞いたアリスティアと大神官。かれらがとった行動とは?
と、そのとき。遠くで、なにかが爆発するような音が聞こえた。
アリスティアは息を飲み、来た方をふり返った――途中にある建物が邪魔でよくわからないが、煙がたちのぼっているように見える。
――えっ。なにが起きたの?
大神官はどうしているのかと、そちらを見やると、彼もまた、その淡い水色の眼で音がした方を見ていた。
さすがに微笑は消えているものの、焦っているようすはない。爆発音を耳にしたというよりは、どこからか典雅な楽の音が聞こえますね、みたいな雰囲気だ。
――大神殿では珍しくないこと……なのかな?
爆発音がして煙がたちのぼるのが「よくあること」なのだったら、大神殿は意外に危険な場所なのかもしれない。
黙って立っていれば終わるつとめだと勝手に思いこんでいたが、それは甘かったのだろうか。今さら気づいたが、そもそも呼称が〈試練の乙女〉な時点で、なにか察するべきだった。不穏な名前に警戒心すら抱かない自分がおかしい。馬車で王都に行けるという話だけで、うっかり、得した気分まで味わってしまった。
試練などという表現がある以上、立ってるだけで終わるはずがない。
しかし、大神官は立っているだけだ。浮き足立っているアリスティアとしては、なんらかの反応がほしい。
おそるおそる、声をかけてみる。
「あの、〈教導師〉様?」
「……気になりますか」
こちらを向いたときは、もう、あの笑顔だ。心が洗われる。洗われ過ぎて、頭の中までからっぽになってしまいそうだ。
言葉が出なくて、こくこくとうなずいたアリスティアに、大神官は、さらに慈愛のこもった笑みを向けた。
「では、見に行きましょうか」
「はい」
「わたしから、あまり離れないようにしてくださいね」
「は……はい」
大神官と一緒に行動すれば、絶対に目立つ。できれば遠慮したい。
しかし、拒否権がないのは明白だ。なにしろ相手は大神官だし、今やアリスティアの〈教導師〉でもある。〈教導師〉というのも実は初耳で、よく意味のわからない言葉だが、師匠なのだから命じる権利はあるだろう。
――それにしても、大神官様、落ち着いてらっしゃる……。
やはり、爆発も爆炎も大神殿では日常なのだろうか? いや、爆炎は表現が過剰だった。しかし……。
どうでもいいところで煩悶していることに、アリスティアは気づかない。混乱しているからだ。
来た道を戻った上で大神官が選んだのは、先ほど、ほかの〈試練の乙女〉たちが向かった廊下だが、それに気づくのもずいぶん遅れた。
我に返ったのは、なんとなくきなくさい、ものが焦げたとき特有の臭いがしたせいである。
そこでようやく、前を行く大神官の服の裾と、床しか見ていないことに気づいて、顔を上げた。
「……あっ」
思わず声が出てしまったのは、瓦礫が見えたからだ。
おそらく、本来はそこにも建物があったのだろう。だが今は、あったのだろう、としか表現できないほど崩れ去っている。砕けた白い石があちこちに散らばり、屋根を支える木の枠組みが、焦げているのが見えた。
――火事!?
あたりには、たくさんのひとがいる。多くは、この惨状の後始末のために集まって来た者たちのようだったが、倒れている者も見えた。手助けしようと、アリスティアは思わず前に出かけた。
が、大神官の静止の方が、早かった。
「離れないでください」
「あの……あそこで倒れてらっしゃるかたを」
「危険ですから、離れないでください。ここは――」
大神官様は、視線を少し上げた。アリスティアも、それを追って上に目をやる。
焼け焦げた木組みが、まだぷすぷすと白い煙を上げているのが見えた。
「――倒壊の危険性があります。とっさに守れる範囲にいてほしいのです。ですから、離れないでください」
何回いえば気が済むんだというくらい、離れるなと命じられ、アリスティアは、はい、と小声で返事をするしかなかった。
その返事に満足したのか、大神官はうなずくと、駆け寄ってきたほかの神官に向き直った。
この神官の飾り帯は、灰色だ。
「お言葉通りに進んでおります」
「対応できる範疇におさまっていますか?」
「まずまずは。消火は済んでおります」
「よかった。建造物以外の被害はどうです」
「死者は出ていません。負傷者も、順次、手当てを進めています。重傷を負った者が、二名ほど。一名は医局に運びましたが、もう一名は、まだそこに――」
と、神官が視線を投げた方を見れば、それは、先ほどアリスティアが駆け寄ろうとした人物だった。
――重傷って……。
さっきは気がつかなかったが、よく見れば、床に血だまりができている。
「動かすのは危険そうですね」
「はい。ですが、安全を確保しないまま、治療者をやるわけにも」
いわれてみれば、けが人が倒れている場所は、崩れかけた壁に傾いた梁……と、いかにも危険そうだ。無分別に駆け寄っていたら、アリスティアも怪我をしていたかもしれない。
――できることなんて、なにもないのに。
アリスティアは、魔法を使えるわけでもないし、治療の知識があるわけでもない。けが人を前にできることといえば、手を握ってあげる……それくらいだ。
「治療者の数はたりていますか?」
「大丈夫です」
「では、安全確保はわたしが。アリスティア、手を」
不意を突かれて、アリスティアはなんの考えもなく手を出した。
その手を、大神官の手が握った。
――えっ?
自分の手を握る大神官の手を、まじまじとみつめてしまった。次いで顔を上げると、こちらを見下ろす大神官と視線が合った。
「行きましょう。助けたいのでしょう? あそこに倒れている者を」
「はい」
「では、少し手伝ってもらいますね。いいですか?」
「もちろんです」
大神官はうなずくと、治療者を寄越すようにと灰色の飾り帯の神官に指示して、自分はそのまま倒れたひとの方へ歩きはじめた。
必然、手を繋いだアリスティアもそちらへ移動することになる。
――あれ、また……光ってる?
一歩、二歩、と歩を進めるごとに、周囲が真珠色の光に包まれはじめた。
大神官は、人と手を繋ぐと発光する体質なのだろうか。思わず、そんな見当違いな感想を抱いてしまったが、これは――。
――魔法だ。
先ほど、師弟の誓いで名告りを求められたときとは違う。
もっと強固な……手をのばせばふれることもできそうな密度の、光。そんなことが可能だと想像したこともなかったが、今、大神官が使っている魔法は、そういうものだ。
けが人のもとにたどり着く頃には、光はより濃密に、そして強固なものになっていた。
血だまりに衣の裾が浸かることも意に介さず、大神官は、倒れているひとのかたわらに跪いた。
倒れていたのは、女性だ。いや、彼女は――。
――〈試練の乙女〉だ!
全員の顔を覚えているわけではないが、このひとは記憶にある。美しい金髪、確信に満ちた表情、そして全員の先頭に立って迷うことのない挙措。〈試練の乙女〉の中で、とくに印象に残る者を挙げろといわれたら、間違いなく彼女だ。
その美しい髪も今は乱れ、蒼ざめた顔は苦悶に歪んでいる。
衣は全体に血に染まっており、どこが患部なのか、わからない。
「アリスティア」
手を引かれて、アリスティアも大神官のかたわらに膝をついた。いや、引かれなくても勝手に崩れ落ちていたかもしれない。
ついさっきまで、同じ使命を帯び、同じ場所を歩いていたひとが、こんなことになるなんて。信じられない。
信じたくない。
「力を貸してくださいね」
大神官の言葉と同時に、身体の芯が熱くなった。
力を貸す、という言葉の意味が、なんとなくわかったような気がする。アリスティアの中にある魔力とか、生命力とか……魔法を学んだことがないから、どう呼ぶのが適切かはわからないが、そういうなにか、魔法を使うことで消費するものを、吸い上げているのだろう。
ああ、とアリスティアは思った。
――わたしでも、役に立てるんだ。
それが、無性にありがたかった。なにもできないことに変わりはないが、大神官を通じてなら、自分も無価値ではないと思うと、救われたような気分だった。
大神官は、アリスティアと繋いでいない方の手を、倒れた乙女の腹にそっとあてた。虹色の光が、その指先で、ちらちらとまたたく。
「アリスティア、手を握ってあげてください」
「はい」
投げ出されたままの手もやはり、血まみれだ。けれど、アリスティアはその手をとった。名前を知っていたら呼べるのにと悔しく思いながら、ただ、手を握りしめる。
乙女が大きく息を吐いた。
閉じていた眼が開く。ゆっくりと……そして、大きく。
「大丈夫ですか?」
思わずかけた声に反応したように、乙女はアリスティアを見た。
大神官のはなつ光の中で輪郭を曖昧にする視界の中で、その乙女の顔だけが、やけに現実的だ。
灰色の眼に、アリスティアの顔が映っている。苦しげなその自分の表情に、なんで、とアリスティアは思う。
――わたしは、なにも痛くも苦しくもないのに。
辛いなんて感じる資格、ないのに。
乙女の、色をうしなったくちびるが、ゆっくりと開く。
1)「たすけ……て……」
2)「おまえか」
3)「ま……おう、さ、ま……」
アンケートはトップに固定するようにしますので、ふるってご参加ください。
https://twitter.com/usagi_ya
前のアンケートで、ほかの乙女たちの後を追っていると、アリスティアもこの爆発シーンに居合わせることになったのでした。
すぐ連載を終えるつもりはないので、爆発の現場に居合わせても、命に別状はなかったと思いますが、危険ですね!
なお、大神殿はかなり広いです。
アリスティアは日常生活で鍛えているので、いくらでも歩けますが、都会出身かつ家柄の良い〈試練の乙女〉は、マジないわ、なんなの、いつまで歩かされるの! という状態です。
彼女らにとっては、大神殿の広さもマジ試練なのです。