20. 聖痕
アンケートにご協力ありがとうございました。前回アンケートの結果!
https://twitter.com/usagi_ya/status/1238799259169767424
「白一色の、飾り気のない」天井が選ばれました。
では、白い天井の下で目覚めたアリスティアのその後を、どうぞ!
アリスティアが眺めていた天井は、白一色の、飾り気のないものだった。
りん、と鈴の音が聞こえる。やわらかなその音は、目覚めてからずっと、かすかに響きつづけていた。
――わたし、疲れてる。
なぜこんなに疲れているのか、考えられない。呼吸をするのさえ億劫だ。もう一回眠れたらいいのに、と思う。
「アリスティア」
名前。
自分の名前のはずなのに、どこか遠い。浮き上がっているような――いや、逆だ。
――わたしが名前からはずれかかってるんだ。
それがどんな意味をもつのかすら、今の彼女には考えることが困難だったけれど。
呼び声が、繋ぎとめた。
「アリスティア」
「……い」
反射的にした返事は、声にならなかった。それでも、返事をすることで、なにかがおさまった感があった。あるべきところに落ち着くとまではいわないが、ついさっきまでの浮ついた感じは消え去った。
逆に、身体の重さと厭わしさは強まってしまったが。
「目が覚めましたね」
大神官の声だ。そうだ、呼んでいたのは大神官だ――それさえ、よくわからなくなっていた。
漠然とした恐怖が、アリスティアをじわりと包む。
ここから抜け出さなくては。でも、どこから?
「アリスティア?」
「はい」
返事ができたことに、ほっとした。
――わたしは、わたしだ。
ほかの誰でもない。わたしは、わたし――でも、誰?
ふたたび、不安が滲む。心を侵食されていくような、そんな感覚がある。
「水を飲みましょう。身体を起こせますか?」
大神官の声にうなずいたが、それがやっとだった。とても動けそうにない。手を貸してもらってすら、身体中がみしみしと痛んだ。
背中に枕を当て、なんとか身を起こした体勢をたもてるようになったところで、アリスティアはつぶやいた。
「ごめんなさい、頭がぼうっと……してしまって……」
ささやくような声は、自分のものとは感じられなくて。
水を飲むために持ち上げようとした手も、どうしようもなく重たくて。遠くて。思うようには動かせなくて。
アリスティアは、泣きたいような気もちになった。
いや、そうではない――泣くのが当然なのに、そうできない自分を遠くから眺めているような、そんな気分だ。
幼い子供のように、水を飲ませてもらっている。
それはわかっているのに、情けないとか、申しわけないとかいう感覚がない。まったく自分のことではないようだった。
「……怖い夢は、みませんでしたか?」
尋ねる大神官の声もまた、どこか遠い。
――夢?
人々の罵声と、炎。煙と、苦しみ。
アリスティアはそっと視線を落とした。
あれは夢なのだろうか。なんだか、自分の身に起きたことのように思われてならない。
「アリスティア」
「はい」
大神官の声が、少しだけ近くなる。
「今日から、あなたは〈聖女〉です」
アリスティアは、眼をしばたたいた。言葉の意味が、理解できない。
自分は〈試練の乙女〉だった……そう、ただ人数を満たすだけのために参加した、誰にも期待されていない、ひょっとするといなくてもかまわない、そんな程度の。ほかの乙女たちとは違うのだ。
「まだ……〈聖女判定〉を受けてないです」
「そうですね。ただ、あれは形骸化した儀式に過ぎません」
大神官と、視線が合った。
澄んだ眸には、なんの感情もないように見える。
「やっと、こちらを見てくれましたね。アリスティア」
「すみません」
「謝る必要はありません。今のあなたは、この王国の――いえ、この地上に生きる誰よりも、重要な存在なのです」
それでは――とアリスティアは思う――まるで、偉くない方がかならず謝るべきであるような。偉ければ、なにがあっても澄ました顔をしていればよい、というような……。
「でも、申しわけありません」
頑固に主張したその声に、謝っているような殊勝さはない。これはこれで本末転倒なんじゃないかとあわてるアリスティアに、大神官は、ふわりと微笑んだ。
「やっと、あなたらしい顔になりました」
「え……」
「いろいろなことが起きて、お疲れでしょう。ですが、きちんと認識していただかねばならないことがあります。中でも重要なのは、あなたは実質上すでに〈聖女〉である、ということです」
アリスティアは黙っていた。
沈黙を意図したわけではなく、単に、なにを口にすればよいかわからなかったのだ。
――〈聖女〉? わたしが?
そんなはずはない、と思う。同時に、それはそうだ、とも思う。
昂然と顔を上げ、自分を誹る声にも動じることのなかった、あの――。
――あれは、誰?
「アリスティア」
あれは自分ではない。
自分ではなくて、あれは――。
「あなたには、聖痕があります」
「聖痕……?」
言葉は知っている。聖なる者にあらわれる、聖なる徴。だが、それだけだ。
孤児院にあった絵本で読んだことがあるだけだ。聖痕をもって生まれた赤ん坊が、長じて〈聖女〉となる物語……。
でも、自分にそんな痣はない。
「無実の罪で処刑された初代〈聖女〉は、おのれの魂を十二に分けました。その魂の欠片ごとに、生まれ変われるように。〈聖女〉の魂の欠片は、聖痕に宿ります。先代の〈聖女〉は、右足に聖痕がありました」
「でも、わたし、そんな」
「聖痕は、あなたの左胸に生じました」
――生じた?
アリスティアの疑念を読んだように、大神官は深く頭を垂れた。
「あなたが悪夢から目覚めたとき――胸をかきむしったのを覚えていますか?」
「……痛くて」
「そう。わたしはあなたの手を掴みました。血が出るほどの力だったので、止めようとしたのです。ですが、少し、間に合わなくて」
「でも、わたし」
さっきとまったく同じことを、アリスティアはつぶやいていた。でも、わたし。そんな。
そんなもの、身に覚えがない――そういいたかった。
失礼、といって大神官はアリスティアの服の襟元に手をかけた。倒れたときに着ていた服とは違うな、とぼんやり思う。襟が立っていて、前のあわせは紐を通して結んである。その紐を、大神官はほどいて、ゆるめた。
娘らしく羞じらうべきなのだろうと思ったけれど、やはりまだ、他人事のようだ。自分の身体が、自分のもののように思えない。
でも、こうして見下ろせるのは、これが自分の身体だからだ。
遠慮がちにひらかれた襟のあいだから、傷ついた皮膚と、紫色の痣のようなものが見える。
控えめな乳房がふくらみはじめたあたり、身体の中央よりは少し左寄り。
大きさはだいたい、てのひらの四分の一くらいだろうか。それは不思議な文様で、どうにも形がさだまらず、ちらちらと動いているようだった。あり得ないと思うのだが、それでも、輪郭を固定することができない。見えているのに、見えていない。光っているようでもあり、黒ずんでも見える。
「こんなの、なかったです」
「ええ。わたしの目の前で生じました。奇跡です」
――奇跡?
そんなことが我が身に起きるとは、考えたこともなかった。
この痣が、奇跡。〈聖女〉の証? 誰かほかのひとだったら、信じられただろうか――たとえば食堂で出会った乙女たちの誰かに痣が浮かび、〈聖女〉と認定されたと聞かされたら?
それなら信じられそうだ。
「魔族との邂逅や、厳しい状況が、〈聖女〉の魂を呼び寄せたのでしょう」
「そんなことが……」
〈聖女〉とは、生まれつくものだと思っていた。
そうでなくても、まさか自分がなるだろうとは、思いもよらなかった。
まったく実感がなくて――でも同時に、あのひとは〈聖女〉だったから、とも思った。
――今はおまえに、託す。
あれは夢?
現実ではない。アリスティアは、あんな光景を見たことはない。衆人環視のもと、火にかけられる乙女の姿を見たことなど、ない。
だから、自分の記憶であるはずはなく――。
「聖痕が――〈聖女〉の魂の欠片は、一代にひとつ。この世に今いる〈聖女〉は、あなただけです、アリスティア」
気づくと、痛いほどの沈黙が室内に満ちていた。
ずっと鳴っていた鈴の音も途絶え、静寂は絶望的なほどの重たさだ。
「わたし……」
ようやく絞り出した声は、泡のように儚く、途切れた。
大神官は無言でアリスティアの服を直し、その白い胸もと――今は布に覆われているが、聖痕が刻まれているはずの場所――に、服の上からそっとくちづけた。
「……あ」
思わず声をあげると、大神官は少しすまなそうな顔をして答えた。
「祝福と、忠誠を。本来は布越しではいけないのですが、そういうわけにもいきませんから、これでお許しいただけますか?」
「も、え……いや、え……」
なんといっていいかわからず、アリスティアは口ごもった。
当惑を見越していたのだろうか、大神官はためらわずに言葉をつづけた。
「あなたを、お守りします。かならず」
「とんでもないです」
ようやく言葉が出た。びっくりし過ぎて、不意に、現実感が戻ってきた。
そうだ、自分が〈聖女〉だなんて、とんでもないことだ。万が一、それがほんとうだったとしても。
「わたしが〈聖女〉なのだとしたら、お守りするのは、わたしの方です……よね?」
大神官はわずかに眼をみはり、それから、顔を伏せた。
礼をとっているのだと気づいて、アリスティアは身の置き場に困った。困るもなにも、身動きができる状況ではないのだが。
「あの……まだ、〈教導師〉様とお呼びしても?」
ひとつずつ、確認していかねばならない。
どんなに現実味がなくても、今のアリスティアは〈聖女〉扱いされる身だ。〈聖女〉には、〈聖女〉にふさわしいふるまいがあるはずだし、そんなのまったく知識にない。教えてもらわねば、どうしようもないのだ。
顔を上げた大神官は、いつもの慈愛に満ちた微笑をたたえている。アリスティアが〈聖女〉であることなど、とうに受け入れているようだ。
「そうですね。こういった事態は滅多にないことなので、決まりはありません。ふたりきりのときは、名を呼んでいただいてもかまいませんが――あなたが〈聖女〉であることは、まだ公開されていませんし、そのままであれば、不審に感じる者もないでしょう」
公開されないと聞いて、アリスティアは少しほっとした。それなら、なにかの間違いだったという結末であっても困らない。
「これから、どうすればいいのですか?」
「まずは体力を戻していただきます。その間に、できる範囲でいろいろと学んでいただくことがあります」
「はい」
「そういえば、殿下に聞きました。歴史を学びたいとおっしゃったそうですね? それももちろん、学んでいただきます」
「あの……敬語っぽいの、できるだけ、やめてもらえますか。落ち着かなくて」
なるほど、と大神官はうなずいた。
「そうですね。以前と変わりない方がよいでしょうし、気をつけます」
「それから……」
「はい?」
アリスティアは、知らずにこぶしを握っていた。
「確認したいんです。わたしが〈聖女〉であることは、間違いないんですか」
「はい。大神官として保証します。間違いありません」
大神官の眸に曇りはない。
――このひとは、きっと、必要ならどんな嘘でもつけるひとだ。
なんとなく、そう思う。だから、アリスティアが〈聖女〉かどうかはこの際、問題ではない。〈聖女〉であるとすることが必要だと大神官が判断している、そのことが重要なのだ。
アリスティアは〈聖女〉であるべきなのだ。
大きく息を吸って、アリスティアは眼を閉じた。自分は〈聖女〉だと、容易に受け入れられるはずもないけれど……でも、それが必要なら。できる範囲で、やってみるしかない。
「わかりました。そのことが公開されるのは、つまり皆に知られるのは、いつですか?」
「その点については調整中ですが……」
大神官の言葉は途切れ、ややあってから、こうつづいた。
「あなたが〈聖女〉であることを、いつ、どこまで公開するかについては、意見が分かれているのです」
「そうなんですか」
「あなた自身の意志がどうであるかも、確認させてもらえますか?」
「わたしの意志?」
「ええ。それを実現できるとは約束できませんが、聞かせてほしいのです」
なんて残酷な誠実さだろう、とアリスティアは思う。でも、やっぱり――大神官は、必要ならなんでもできるひとだ。その必要とはきっと、彼自身の栄誉栄達などとは関係なく、この世のため、人々のためになることなのだろうと思うから。
許せる。
力になろうとまで思える。
――わたしも、誠実でなければ。
アリスティアは、ゆっくりと口を開いた。
1)「〈聖女〉であることは公開したくありません」
2)「人々の救いになるなら、いつでも公開してください」
3)「まず〈教導師〉様のお考えをお聞かせください」
白い天井なので大神官が来る……と見せかけて違う展開にしようかという、よからぬ考えを少々もてあそんだりもしたのですが、それはアカンやろと思い直して踏みとどまりました。
大神官のように誠実に!
というわけで、次の選択肢はアリスティアが〈聖女〉という立場をどこまで明確にしたいか、という質問への回答です。
アリスティアの希望を大神官に伝える機会です。
ぜひご投票ください。
いつものように、twitterのアンケートでお待ちしております。




