18. 昔日
アンケートにご参加ありがとうございます!
前回アンケートでは、王子が戻るまで時間稼ぎが選ばれました。
https://twitter.com/usagi_ya/status/1231552718608551936
アリスティアはうまく時間を稼ぐことができるのでしょうか?
――王子様が戻って来るまで、時間稼ぎができないかな。
現状、アリスティアはまったく動けないが、喋る程度の元気はある。頭もはっきりしている。
そして、大神官の態度は硬化している。放っておくと、宰相と口論をはじめそうだ。いや、それで済めばよいが……。
――済まなかったら、困る。
ここまで抑えてきたらしい、危険な魔力を使ってしまったら?
大神官に、そんなことをさせるわけにはいかない。
「あの、わたし、殿下のご命令に、従っただけです」
努力して、アリスティアは顔を宰相の方に向けた。
大神官の表情が慈愛そのものだとすれば、宰相は冷徹。するどい顔立ちも相まって、刃物のような印象がある。
「そなたの発言を許した覚えはないが?」
「わたしは、殿下に招かれた者、ですよね。いわば客、ではないですか?」
ひとたび客として迎え入れたなら、もてなすもの――それが常識のはずだ。辺境と王都で常識があまり違わなければいいのだけれど、とアリスティアは思う。
幸い、宰相の表情からは、客という言葉に感じるものがあったことが読み取れた。
「それはそれは。殿下の客? ふむ……ここは、客を案内するような部屋ではありませんが」
「では、どういう――」
「試練を突破した乙女のための部屋です」
答えたのは、大神官だった。
あっ、とアリスティアは思った。声にはならない。
――そういうこと……。
最後の〈聖女〉が没してから二十年。
その後、素質を認められた乙女が存在しなかったわけではない。だが、試練突破から正式に〈聖女〉と認められるには、まず一年、〈聖女〉としてのはたらきを見せねばならない。
その一年を耐え切れた乙女は、いなかった。ほとんどが、魔族の襲撃で儚く散ったと聞いている。あるいは、その任に耐え切れずにしりぞいた、とも。
――もうじき死ぬひとのための部屋だよ。
魔族が乙女たちを害したならば、当然、わかっているだろう。この部屋のようすを窺っていたのも当然だ。
あの美しい子どもは、アリスティアが次の〈聖女〉候補である可能性を考えて、覗きに来たのだ。魔族だというのがほんとうなら、次の〈聖女〉はすなわち、命を奪うべき相手ということになる。
もうじき死ぬとは、遠からず魔族に殺されるだろうという予告なのだ。
「わたしは、ただの〈試練の乙女〉です。まだ、選ばれていません」
「そうですな」
アリスティアは、顎を上げた。相手が偉そうにして来るなら、こちらも偉そうにする必要がある――なぜなら、そのひとは「偉さ」に価値を見出しているはずだからだ。
こちらの方が偉い……とは、身分の上ではとてもいえないが、それでも、今のアリスティアはただの「孤児院の最年長の娘」ではない。大神殿に招かれた〈試練の乙女〉のひとりであり、しかも、大神官を〈教導師〉とした上に、あまりありがたくない特殊な魔力の持ち主でもある。偉くない……とも、いえないはずだ。
自信がなくても、あるふりならできる。
「王宮のなさりようは、おかしいのでは?」
「それは、どういう意味です」
「あらゆる意味で」
話を、大神官が引き取った。
先ほどより落ち着いた口調だ。
「さらって来ておいて、本来の身分に見合わない部屋に案内する。これでは、神殿による選別を無視し、王宮が〈聖女〉を勝手に擁立しようとしているととられても文句はいえないでしょう」
「暴論ではありませんか」
「暴力よりはましだと思いませんか」
大神官はさらりと返し、宰相の表情はさらに冷たくなった。
どうしても、大神官と宰相が対立してしまう……なんとか自分があいだに入らねば、と気ばかり焦るが、妙案は出ない。
――なにか……なにか、わたしに焦点が向かうような……なにか……。とにかく、なんでもいいから! わたしに注意を惹きつけなくちゃ!
「魔族と通じているというなら、王宮の方が、あやしいのでは?」
思いきって声をあげると、宰相の視線はアリスティアに向いた。
「そのような発言を、できる立場か?」
「わたしがいわず、誰がいうんでしょう」
だから大神官様は黙っていてください……とはいえないが、それでも主張することはできる。
これは、アリスティアの問題だ。
「わたしが、この部屋に案内されて、わたしが、魔族に声をかけられ、わたしが、もう少しでさらわれるところ……でした。『魔族と通じた』なんて疑いをかけられて、黙ってそうですかって、認められません。わたしが案内された部屋に、魔族が待ち構えていたのは、なぜですか? わたしはこの部屋に魔族を案内しておくことなんて、できないですよね?」
「呼び寄せることはできるだろう」
「できませんよ。わたしは魔法が使えません。ただの田舎娘です。魔族を呼ぶ方法なんて、知らないです。魔族って、呼べるものなんですか? わたしの家族を殺したのは魔族です。父も、母も、村の人たちも、皆殺されました。もうずっと昔のことです。でも、忘れてない。忘れてないんです。その魔族と通じあう? 呼び寄せる? そんなことができるなら――」
「アリスティア」
大神官に、頭を抱きこまれてしまった。もう、宰相の顔も見えない。
「そんなことが……できるなら……」
あの子どもが魔族だというのがほんとうなら、家族の仇を討てたのではないだろうか。あんな凄い魔法を使う相手に、どうやってと思うけど、でも。なにか、できたのではないか。
――なにができるというの。
なにもできない。でも、なにかしなければならなかった。どうしても。そうするべきだった。
古い傷が不意に痛みだしたような気分だった。胸の奥が苦しい。
孤児院に辿り着くより前のことはぜんぶ、ぜんぶ忘れていようとした。そうでないと、自分ひとり生き延びて――泣き叫んだあの日に戻ってしまう。
忘れたわけではなかった。考えないようにしていただけだった。
いつだって、アリスティアは切望している。なくしてしまった、平穏な暮らし。二度と会えない家族。
ずっと、希っている。失われた夢のような子ども時代にもどり、そのまま歳をかさねていくことを――。
「もういい、アリスティア。もういいから、黙っていなさい」
「はい……」
答えた自分の声は、どこか遠くから響くようだ。
子どもをあやすように、大神官の手が彼女の頭をなでる。
「……閣下、我が弟子は、いささか気が昂ぶっているようです。多少のご無礼はお許し願いたい」
宰相の声が、答える。
「いや、こちらも無神経な面があったことは認めよう。聴取は後ほどにする。まず、その娘を休ませてやれ。部屋は――殿下?」
「ディナーモ、おまえも来ていたのか。セレスティオ、待たせた。部屋の準備ができたぞ。来い」
どうやら王子が戻ってきたようだ。
――これで安心……していいのかな……。
わからないが、急に疲れが襲ってきて、アリスティアは閉じた瞼を持ち上げることができなくなってしまった。
「こっちだ。おまえは神殿に帰らなくても大丈夫なのか?」
「弟子を置いていくわけにはいきません」
「……そりゃそうか。信じてくれ、といえる状況でもないな」
「そういうことですね」
「できるだけ、俺も一緒にいよう。その方が、間違いがない」
「王宮は――そんなに?」
「あとで話す」
このまま、寝てしまいたい。
なにもかも忘れて、子ども時代の夢に耽りたい。
大神官と王子の声が、アリスティアの上を流れていく。
「宰相が簡単に引き下がるとは思っていませんでした」
「ああ。あいつは魔族のことになると、急に理性が吹っ飛ぶこともあるんだが……同時に、わかってもくれるのさ。すべては、姉を亡くしたせいだからな」
「なるほど」
「ふだんは封印してるんだろうが、あいつの根底にあるのは、家族を亡くした悲しみと、魔族への憎悪だよ。それが、うちの宰相の原動力だ。亡くした家族を思いだしつづけて、おのれを鼓舞している節まである」
――お父さん、お母さん。わたし、忘れたんじゃないの。
忘れたんじゃないの。思いださなくてごめんなさい。忘れたふりをしていて、ごめんなさい。
「……どれだけの苦しみでしょうね」
「苦しいのが好きなんだろうよ。本人がそうしたいなら、それでいい。だが、他者にまで痛みを背負わせるのは、駄目だろう」
「わたしたちは皆、それぞれの悲しみを背負っているといえるでしょう」
「セレスティオのくせに、聖職者っぽいなぁ」
「聖職者ですからね。あなたも、もっと王子らしくした方がよいのでは?」
「王子らしいってなんだよ。俺は王子なんだから、俺の生き様すなわち王子らしさ満点だろ? 努力して王子になったわけじゃない。生まれつきなんだからな」
「わたしたちは……生きられるように生きていくしかないですね」
「そういうことだな」
声が、遠ざかっていく。
わたしはひとりだ、とアリスティアは思う。
ひとりだけのうのうと生き延びて、ごめんなさい。
どうすればいいの。
……先に死んじゃうなんてひどいよ。わたしも連れて行ってくれたらよかった。置いて行かないで。ひとりにしないで。
ひとりは嫌だよ……お父さん……お母さん……。
アリスティアは夢をみている。
これが夢だとわかっている。褪せた水色の空と、ひろがる畑。石垣にもたれて草笛を吹いている友だち。親を追う子羊。遠くに広がる灰色の雲。夕立の気配。ざわめく畑の緑。
もう帰りなさい、と父が友だちに告げる。帰りなさい、あの雲は。
――嫌な感じの雲だ。
アリスティアは知っている。
これは、あのときの夢だ。アリスティアは小さい……まだ小さい。低い視点から眺める世界は、広くて大きい。
――おいで、アリィ。わたしたちも帰ろう。
景色が飛ぶ。時間が飛ぶ。
父はなぜ、わかったのだろう。魔法が使えたのだろうか。魔族の知識があったのだろうか。アリスティアにはわからない。そのときも。今も。
なにも知らない。
夢のなかで、アリスティアは納屋にいる。母屋の入り口で、両親がなにか話している。
母の不安げな顔。父の声。
――アリィ、かくれんぼをしよう。父さんが鬼だよ。日が暮れるまで隠れきったら、次の市で特別なお土産を買ってきてあげるよ。
――ほんと!?
――ほんとだよ。
嘘なのに。夢のなかのアリスティアは、信じている。
父が、アリスティアを抱きしめる。家の外へ出て行く。
母が、アリスティアを抱きしめる。
――アリィは床下の倉庫に隠れなさい。小さいから入れるでしょう?
――母さんも隠れるの?
――隠れるよ。母さんだって、特別なお土産がほしいもの。
ふたりは顔を見合わせ、笑う。
嘘なのに。夢のなかのアリスティアは、気づいていない。
――わかってるね? 鬼は、物音をたてたり変な声を出したりして、アリィを隠れ場所からおびき出そうとするかもしれないけど、だまされたら駄目だからね。
――わかってる!
――先につかまったら、鬼になっちゃうからね。母さんの声で変なことをいうかもしれないけど、それもアリィを引きずり出そうとする罠だからね? かくれんぼ終わりの合図まで、ちゃんと隠れててね?
――うん!
アリスティアは床下に降りる。跳ね上げ戸を、母さんが閉じる。
真っ暗だけど、アリスティアは慣れている。たまに、こうしてかくれんぼをするからだ。かくれんぼの練習。
アリスティアはいろんな場所に隠れる練習をしていた。屋根裏。天井裏。寝台の下。納屋の道具置き場。家畜のあいだに隠れたこともあった。
いちばんうまく隠れられるのが、この床下だ。父さんにみつかったことがない。
今のアリスティアは、かくれんぼの意味を知っている。アリスティアがいちばん長く、おとなしく、みつからないように隠れられる場所を、両親は探していたのだ。そして、訓練した。
なにがあっても出てこないように。
父さんは、アリスティアをみつけられなかったのではない。みつけられなかったことにして、訓練していただけだ――魔族が来たときに、娘が生き延びられるように。
ここから先、なにが起きるのか、アリスティアは経緯を知らない。結果だけを知っている。
皆、死んでしまうのだ。
――ひとりにしないで。
息をひそめて、床下の収納庫のそのまた奥へ潜り込んで、じっとしている自分を、アリスティアは揺さぶる。ここにいないで。外に出て。そうしたら――。
家族と、一緒に。
声にならない声で、叫んだ。
――わたしも、死なせて!
そのとき、声が聞こえた。
1)「アリスティア、大丈夫ですか?」
2)「やっと、みつけた」
3)「あなたも、家族を探しているの?」
今回も三択です。
いつものように、twitter でアンケートをおこないます。
ご参加のほど、よろしくお願いします!