17. 信頼
アンケートにご参加くださり、ありがとうございます。
前回アンケートは、ほぼ同票(投票総数1桁時)で始まったかと思ったら「子どもの手を握り返す」が一気にダブルスコア以上の差をつけて深夜帯に突入。
翌日の昼には「大神官の名を叫んだ」が猛追、追いついて逆転、同票、また大神官が突き放し……で、最終的に一位と二位が同票で終わりました。
アンケートの推移でこんなにドキドキするとは思わなかったです……。
というわけで、「手を握り返す」〜「大神官の名を叫ぶ」のコンボでつづきを書いてみました!
アリスティアは、思わず、子どもの手を握り返した。
――信じて。
その言葉が、心に響いたのだ。
疑われるのが辛いことを、知っているから。信頼を得ることがどんなに心強いか、わかっているから。
子どもはほっとしたように微笑み、もう一方の手も添えて、アリスティアを引っ張った。
「行こう」
「でも……」
「アリスティア!」
ぐい、と引かれるような心地がした。
実際には、アリスティアの手を引いているのは、すぐそこにいる金髪の子どもなのに――大神官の方に引き寄せられるような。
「わたしの名を呼んでください、アリスティア」
「聞いたら駄目だよ。あいつらは、おまえを死なせてしまう。僕と来て」
引きずられるまま、壁に空いた穴の方に一歩、アリスティアはよろけた。
どうん、とくぐもった音がする。王子が入り口を叩いている――透明なのに、なにかがあるようだ。あれも、この子どもがやったことなのか。
視線が合うと、王子は叫んだ。
「そいつは魔族だ!」
――魔族? って……。
アリスティアは、まじまじと子どもを見た。
美しく高貴な雰囲気はあるが、それを除けば、ただの子どもだ。
――人間……よね?
魔族なんて、見たことがなかった。おそろしい姿をしているんだろうと勝手に想像していただけだ。
誰だってそうだ。魔族は見たことがないのが当然。姿を見るほど近寄れば、生き延びることはないからだ。
アリスティアの一家は、魔族の襲撃を受けて離散した――孤児院の子どもたちのほとんどが、そうだ。親から、絶対に隠れていろと命じられて、隠れきった子だけが生き延びた。
だから、誰も魔族を見てはいない。遠目に後ろ姿を見たと話す子はいたが、たぶん嘘だ。勇敢だと褒めてほしいだけの、作り話。魔族を見ることは、死と同義。
どんなに恐ろしい生き物であっても、おどろかなかっただろう。高位の魔族は美形だと聞かされて、ふうんと思ったりもしたけれど。
でも。まさかこんな、いたいけな子どもの姿をしているなんて。
「魔族……?」
赤い眸がアリスティアをみつめる。
「ここから逃がしてあげたいんだ。それだけだよ」
声は不安に揺れているが、眸はまったく揺らがない。むしろ、永遠とか不変とか呼びたくなるような強さがそこにある。
「アリスティア、どうか……」
絞り出すような大神官の声に、再度、アリスティアはそちらをふり返った。
透明ななにかに隔てられているせいで、どこかくぐもって聞こえる、けれど必死な――。
「わたしを呼んでください。お願いです」
もう一歩、子どもに引かれるまま前によろけながら、アリスティアは叫んだ。
「セレスティオ様!」
その声の余韻が消える間もなく。
アリスティアの中心を、ぐっと掴むような力が生じた。そのまま握りつぶされそうだ。
息苦しさに身を折りたたむアリスティアの手から、子どもの手の感触が消えた。
代わりに、肩を抱く手。
「乱暴だな」
「アリスティア、大丈夫ですか」
間近から聞こえる声は、いつもの静謐さを失っていた。感情が滲んでいる。焦燥……後悔?
――なんだろう?
アリスティアは眼を開けようとした。でも、瞼が重くて持ち上がらない。とても……手足の感覚もない。冷え切って、遠くて。自分の身体ではないみたいだ。
「自分でやっておいて、しらじらしいね」
「今すぐ、しりぞきなさい」
「……いいよ。今は譲ってやろう。ほかにもっと面白い子がいるかもしれないしね」
ふっと気配が消えて、ああ、とアリスティアは思った。
――全然、意識してなかったけど、ずっと、あったんだ。
あの子どもが発する圧力。なんともいえない空気のようなもの。消えてはじめて、自分がそれを受けつづけていたことに気づいた。
ひどく疲れて、身体がだるい。頭は冴えているのに、それ以外が駄目だ。
「ほかの乙女を狙いに行ったか……セレスティオ、神殿の守りは?」
「王宮では話にならないことは、おわかりいただけましたか。彼女は連れて帰ります」
「それはかまわんが、先に治療だろう。真っ青だぞ」
「……」
「そんな不本意全開って顔をするな。今、部屋を用意する。ここってわけにはいかんだろうからな」
「いっそ、吹き飛ばした方がよかったかもしれませんね」
「やめてくれ。おまえのそれは、冗談にならない。いいか、おとなしく待っていろよ?」
「おとなしく待っていられる状態であれば、そうします」
「わかった。わかったから! 待ってろよ!」
王子は大神官に弱いのだろうかとぼんやり思いながら、アリスティアは眼を開けた。ようやく、開いた。
間近に大神官の顔があって、びっくりする。
――やっぱり、弱ってる……。
今、身体がぼろぼろなのはアリスティアの方で、大神官は平気に見えるけれど。でも、心が弱っているのを感じる。
どんなに冷静そうに、ふるまっていても。声に感情を滲ませなくても。
――傷ついてらっしゃるんだ。
ふるえる声で喋っていた、あの魔族の子どもより、大神官の方がずっと、根深い不安を抱え、深く傷ついている。なんでかは、わからないけれど……。
「大丈夫、です」
「喋らないで。……わたしはまた、力の加減を誤ってしまいました」
「大丈夫といったら、大丈夫、です」
――アリスティア、大丈夫?
――怪我、しちゃった?
――痛かった?
小さい子たちの面倒をみていれば、それなりにいろんなことがあって。気にする子どもたちに強がって見せるのは、得意だったから。
それと同じよ、とアリスティアは口に力を入れた。にっこりして見せなきゃ。
「信じてくださいね?」
「……わかりました。でも、できれば静かにしていてください」
ちょっと喋るくらいは、見逃してほしい。
いろいろ、疑問でいっぱいなのだ――さっき、あの子どもにも質問ばかりといわれたけれど、今度は大神官にもいわれてしまうかもしれない。
でも、知りたいものは知りたい。
「あの子は、魔族?」
「はい。高位の魔族はあのように、人間の姿をとって惑わすのです」
なるほど。そういえば、食堂で会った乙女が、誘惑されるとかいう話をしていた。想像とはちょっと違うが……たしかに、アリスティアはあの子どもに心を動かされた。守ってやらなきゃ、みたいな。
でもきっと、あの子は強い。魔族であろうがなかろうが、あの眼を見ればわかった。
「小さい子に、弱くて……」
「怖かったです。あのまま、攫われてしまうかと思いました」
――怖かった、なんて。
男のひとがそんな風にいうのを、はじめて聞いた。
子どもであっても、男の子は虚勢を張るし、アリスティアの知る数少ない大人の男たちも皆、そんなそぶりは見せないひとばかりだった。
だから、ちょっと変な気分だった。
「ごめんなさい」
「あなたが謝ることではありません。魔族の誘いをしりぞけるのは、とても難しいことなのです」
――なんだか、違う感じするな。
あの魔族の子どもは、べつにアリスティアを魅了しようとも、誘惑しようともしていなかった。ただふつうに会話して、興味を持ったからもっと話したい……みたいな。そんな印象しかない。
でも、それも勘違いに過ぎないのだろうか。
「あの子、死ぬっていったんです」
「え?」
「ここ。もうじき死ぬひとの、部屋だ、って」
大神官は、すぐには答えなかった。
今ようやく気づいたとでもいうように、彼は室内を見回し、そしてつぶやいた。
「……そういうことですか」
どういうことかと問い返す暇はなかった。
気づけば、アリスティアは大神官に抱き上げられている――実は慣れているのでは? と思うほど、危なげのない動作だ。
「あの……」
「王宮では油断ができません。ですが、今のあなたを動かすのも危険です。わたしのせいですが……魔力が底をついていて、身体が飢餓状態にあるといってもいい。わたしの魔力を移せればいいのですが、それもできない」
「そうなんですか?」
「説明しましたね。あなたの力を使うことは誰にでもできますが、逆はできません、と。枯渇した魔力の充当も、同じことです」
なるほど、と思うしかない。
特殊な魔力ってちょっと恰好いいな、なんてうっすら思っていたのだが、全然よくない気がしてきた。
「次がないように努力はしますが、次があったらもっと抵抗してください」
「……どうやるのか、わからないです」
「わたしにすべてを委ねないでください。無条件に信頼したり……」
アリスティアは困ってしまって、大きく息を吐いた。
「でも、〈教導師〉様は、信じてほしくないですか?」
「……それは、人情としてはそうですね」
人情などという言葉とは縁遠そうな顔で、そう答える。
今の大神官は、いつもの慈愛が人間のかたちをとったみたいな態度を見せているけれど、アリスティアにはなんとなくわかる。
大神官の中で、信頼はとても重いものなのだ。
だから逆に、自分はそこまで信じられていないだろうと思い込んで、全力でアリスティアから魔力を引き出し――そして、底をつかせてしまう。
「わたしも、信じてほしいです」
「それは、もちろん」
「孤児院の、神官様から……教わったんです。信頼って、お互いのものだって。えっと……一方から、ではなくて」
「双方向ですか?」
「それです。わたしたち、師弟です。ですよね?」
「ええ、そうですよ」
「お互い、信じあえばいいんです。わたしが……〈教導師〉様を、信じているということを……信じてください」
それができれば、今回のような事故は減るはずだ。アリスティアの推測が当たっていれば、だけれど。
――きっと、大神官様には、ご自分の力を使いたくないご事情がおありなんだろう……。
昨日も、今日も。
危急の際に、彼はアリスティアの魔力を使うことを選んだ。
それはなぜか。
壊し過ぎない魔力だから、ではないだろうか。
大神官は、彼自身の魔力で魔法を使うことを避けている。ひょっとすると、無意識のうちに選んでいる。そう考えなければ、説明がつかない。それは、魔力の質や種類の問題かもしれないし、いざというときのためにとってあるのかもしれない。
理由がなんであるにせよ、大神官が自身の魔力を使わなかったのは事実だ。
自分の魔法は戦闘向きだからと彼はいっていた。王子も、部屋を壊さないでくれといった。それくらい――大神官の魔法は、強力過ぎるのだとしたら?
その強力な魔法を使うひとが、うっかり全力で素人の魔力を引き出したら……それはもう、底をつくなんてものじゃないだろう。
――まぁ、生きてるし。
なんとかなる。なんとかする。そう思って、もう一回笑顔を作ってみる。
できる。
「大丈夫ですよ」
「ですが――」
「生きてて笑えれば大丈夫って、孤児院の神官様に……ダレンシオ様に、教わりました」
呼吸ひとつのあいだ。
大神官は、ぴったり動きを止めた。そして、ほんとうにわずかに、でも確実に、笑顔になった。いつものあの、慈愛の仮面ではなく。ちゃんと笑った顔だ。
「……ダレンシオ様がおっしゃるなら、間違いありませんね」
――神官様、どれだけ信頼されてるのー!?
アリスティアにとっては、ありがたい保護者ではあっても、ほぼ「くたびれたおじいちゃん」でしかなかった老神官が、王子や大神官にここまで深く影響を及ぼしているとは……。
意外過ぎてなかなか受け入れがたいが、孤児院の老神官が、かつては王宮付きの偉い神官だったのは、事実のようだ。
――もっと励ませるようなこと、なにかおっしゃってなかったかな……。
こんなことなら、神官様のありがたいお言葉帳でもつくっておくべきだった。記録するどころか、はいはいと聞き流すことも多かった自分を呪いたい。
アリスティアが記憶を掘り起こそうとしているあいだに、大神官は彼女を抱えたままその部屋を出た。
そして、すぐに足を止めた。
「通していただきたい」
「そういうわけには参りませんな」
聞き覚えがある声だ。
頭を動かすのもだるかったので、横目を駆使してそちらを見やる。灰色の髪の、なんだか偉そうな……これは神殿で閣下と呼ばれていた人物ではないか?
「大神殿の者は、宮殿には出入りしない。その原則を破ったのは、そちらでしょう」
「あなたがたがわたしの弟子を連れ去ったので、引き取りに来ただけです。すぐに失礼します」
「その弟子が、魔族と通じていたとあっては、お返しするわけには参りませんな。その娘を置いて、お帰りください」
周囲は衛兵に囲まれているようだ。アリスティアは――
1)わたしを置いて行ってください、と大神官に告げた。
2)魔族と通じあったりしていません、と宰相に弁明した。
3)王子が戻って来るまで時間稼ぎができないか考えた。
せっかくの三連休ですので、連休中にもう一回更新できればいいなと思って、頑張って書きました!
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