14. 王宮と神殿
アンケートにご協力、ありがとうございます。
https://twitter.com/usagi_ya/status/1224676773494833154
前回のアンケートの結果は、王子の話したい昔話……を聞く、というものでした。
さて、王子がアリスティアに話そうとしていた内容とは?
「気になります。そのお話、聞きたいです」
王子はうなずき、話しはじめた。
「子どもの頃の俺は、まぁまぁ悪ガキだった。当時、父上は王弟だったから、俺の立場は王の甥、だ」
アリスティアは王都の事情に疎い。
政治、経済、国を動かすような話のすべてが遠かった――あの孤児院は、それだけ外界と隔絶されていたのだ。むしろ、〈試練の乙女〉の話が届いたことが奇跡である。
今の王様が誰なのか、ということも知らない。知らなくても問題ないからだ。
王様は王様である。誰かが王であることはわかるが、誰が王であるかはわからない。
王子は遠くを見るような眼をする。
そういう表情をすると、荒々しい印象が一層削ぎ落とされ、繊細な横顔があらわれる。美しい理想を求める隠者のようだと考えて、ああ、とアリスティアは思い当たった。
――神官様が、たまにこんな顔をなさっていた……。
王子の話はつづく。
「当然だが、伯父の息子が王子だった。世継ぎの君――王太子、というやつだ。従兄弟は実に『良い王子』だった。俺が安心して悪ガキでいられたのも、彼がいたからだろう。彼が少し正道に悖ることをする場面があるとしたら、神殿関係だった」
「えっ?」
「王妃が――つまり、彼の母が、当時の大神官と駆け落ちした末、捕縛されて獄死したのでな」
――えええええー!?
にわかには信じがたい。しかし、王子は表情を崩さない。
「無論、外部的には病死ということで処理している。その頃は、王室の宗教的な行為は大神官が司ることになっていたし、王宮の守りも大神官が担当していたから、接点は多かったんだ。王は魔族との戦いで受けた傷が悪化して、その治療のためにも、神官たちは頻繁に王宮に来ていた。で、王妃の祈りにもつきあって、出奔にもつきあってしまったわけだ。つきあいが良過ぎたんだな、その大神官は」
王子の語り口は飄々として、感情の色がない。
それこそ、本に書かれたおとぎ話を読み上げているかのようだ。
「王宮司教という位階が置かれたのは、その後のことだ。大神官は神殿から出ない。王族は神殿には行かない。王宮司教になるのは、男盛りを過ぎた爺神官だ」
「……でも、殿下は神殿に……」
先ほど神殿からさらわれたばかりの身としては、そこは看過しがたい。
王子は声をあげて、短く笑った。
「俺は悪ガキだから特別だ。いや、もう子どもではないが……まぁ、そういう立場だから文句は出ない。たとえ文句が出たとしても、いつものことだで済む。俺に行儀のよいふるまいを期待する者など、誰もおらぬさ。セレスティオは、神殿を出ないだろう。奴はそっち側の人間だ」
否定されてはじめて、大神官が助けに来てくれるのでは、という希望を抱いていたことに気づき、アリスティアは苦笑した。
ちょっと特別扱いされただけで、どれだけ舞い上がってるんだろう。
――わたしはただの人数合わせ。ちゃんと、立場をわきまえないと。
「で、最初の王宮司教は爺さん過ぎて、着任後ほとんど仕事をできなかった。二代目など、任命されたとたんに寝込んだ」
顔を見たことしかない、と王子はいう。
「王宮司教が機能しないと、王族と神殿の繋がりはますます希薄になる。険悪なくらいなら希薄な方がという者もいたが、まぁ……それでは険悪なままだろう? なんとかせねばと考えた者が、次の人事に介入した。そこで三代目を仰せつかったのが、老師だ。それと、我々――王太子と俺の学友としてセレスティオが推挙され、特別に、王宮に出入りするようになった」
それでなぁ、と王子は頬杖をついたまま、つぶやく。
「セレスティオが、いじめられたのさ。王太子殿下に」
ああ、とアリスティアは思った。それはひどい。ひどいけれど、わかる。
王太子にとって、大神官は――当時はまだ大神官ではなかったのだろうが、神殿から連れて来られた少年は、神殿そのものだったのだろう。それも、自分より弱い立場で。憤懣をぶつけ、虐げてもかまわない相手。
「王太子は頭がよかったから、目立たないようにやってたんだ。俺はほら……悪ガキで、老師の講義もちゃんと出席しないことが多かったし。気がついたのは、隠れてたら目の前ではじまったからだ。王太子がセレスティオの本を破いてるのを見ちまった。丁寧に、丁寧に……こまかく、花びらほどに小さくなるまで、ページを破いていくんだ」
びっくりして声も出なかったよ、と王子はいう。
ある程度破いたところで、王太子は本を閉じて出て行ってしまった。床に残っていたページの破片は、窓からの風で吹き散らかされ、庭から飛んできた本物の花びらに紛れて、いつしか消えてしまった。
夢をみていたみたいだった。
意味が、わからなかった。
「本を破くなんて……」
「次の日、講義のときにセレスティオが本を開いて妙な顔をしているのを見て、思いだしたんだ。あっ、そういえば従兄弟がページをむしってたな、って。あれは夢じゃなかったのか、と思った。たぶん、覚えていたくなかったんだな……理解もしたくなかったんだろう。あからさまなのに、全然意味がわからなかったから」
当時は、王子も子どもだったはずだ。
今ならともかく、理解が遅れてもおかしくはない……のだろう。アリスティアだって、そんなのわかりたくない。
「おつらかったですね」
「俺はなにもつらくないさ。部外者だったからな……ただまぁ、いつまでも気づかないわけにもいかなかった。セレスティオの声が出なくなったんだ。老師の質問に答えられなくてね。なんで、と思ってあいつの眼を見たら、そこに恐怖があった。淀んだ、静かな諦めがあった。それで気がついたんだ。あれは、そういうことだったのか……と。思い当たってみたら、そういう地味な嫌がらせを、俺はずっと目にしていたんだ。気がついていなかっただけで。なんだか腹が立ったが、相手は良い子の王太子だし、そういうの大人にいいつけるのって、ほら、なぁ」
なんかアレだろ、と王子は曖昧な表現をした。
なんかアレですねとうなずくしかない。なんとなく、わかるからだ。
「まぁそれで……俺がいる方が王太子もやりづらいだろうし、セレスティオが登城したら、できるだけ一緒にいるようにしたんだ。そうしたら、真面目に講義を受けることになるわけだよな。で、講義を聞いてみたら、老師の話がもう、面白くてな」
「解決、したのですか?」
アリスティアの問いに、王子はようやく彼女の方を見て、答えた。
「ああいう行為は、解決しない。絶対だ」
「解決しない……?」
「行為が止まっても、いじめた側が謝っても、解決はしない。向けられた悪意は、心の底にいつまでも留まりつづける。その上でどう自身の心を育てていくかは、それぞれの生きる道だろうが――解決は、しない。なかったことにはならないし、許すことも許されることもない。人が対等でないとは、そういうことだ」
重たい言葉だった。
アリスティアは大神官を想った。あのやさしい言葉や態度は、虐げられた過去から生じたのだろうか。
そう思うと、無性に胸が痛い。
「最終的には……王太子はちょっと、やり過ぎた。俺が邪魔して、今まで思うさま踏みつけてきた相手にちょっかいをかけづらくなったから、逆にこう……悪意が膨れ上がってしまったんだな。神殿に帰ろうとするセレスティオの背に、火の魔法をかけたんだ」
「そんな」
「だが、セレスティオの方は、俺がさりげなく味方することで気もちを持ち直していた。やられるままになんか、なっちゃいない。そんなの、返り討ちにするだろ……当然だ。魔力でいえば、セレスティオは当代でも一、二を争う強さだ。王太子も弱くはなかったが、相手がセレスティオじゃな」
ぱん、と王太子は手を打った。その動作は、ふたりの少年の魔力のぶつかりあいを感じさせた。
「王太子がはなった炎は、セレスティオが風ではじき返した。結果、炎は術者本人を襲った。で、それを助けたのが老師だ」
「よかった……」
「そうだな。俺もその場に居合わせたんだが、正直にいって、俺の魔法では割って入れる状況じゃなかった。魔法なしでは、一緒に火傷するだけだ。老師の判断は的確で、王太子をくるんで一瞬で火を消し、直後に王太子をずぶ濡れにするほど水を集めた。そして、俺を証人にして、そもそもは王太子の不始末であることを訴え、王宮に貸しをつくったんだよ。大きな貸しだ。王太子の命も救ったんだからな」
アリスティアは考えてみた。
知らない王太子より、知っている大神官の方が、どうしても気になってしまう。
いじめられて、諦めて……でも、ようやく反撃できるようになって。でも、それは相手を懲らしめたという爽快感だけで語れるようなことではなかっただろう。むしろ、罪悪感を植え付ける結果になったのではないだろうか。
解決などしない、という王子の言葉が、あらためて胸に響く。
そうだ――きっと、こういうことは解決しない。絶対に。
「王太子様は、ご無事だったんですね」
「無事といえば、無事だが、火傷はひどかったな。だが、自業自得だからしかたがない。というか、俺の父が発奮した」
「……お父様が?」
「廃太子だよ。王太子がおどろくほど『良い王子』だったのは、足を引っ張られないためだ。次代の王位を継ぐのは、なにも王の子じゃなくてもかまわない。この国に必要なのは、強い王だ。付け入る隙を与えるようなぼんくらでは、玉座に座れない。神官に暴力をふるうなんて、一発で王位争奪戦からは退場だ。神殿は、魔族との戦いに必要な戦力だ。優位を示す必要はあるが、完全に敵対してよい相手ではない。そうでなくても、王太子は母親の不始末を背負ってたんだからな」
「えっ……だってそれは、王太子様はなにも悪くは……」
「そうだ。王太子は、母に置き去りにされた、かわいそうな子どもだ。だが、ほかの王族から見たら、厄介ごとを起こした女の息子に過ぎない。だからこそ彼は、うまくやる必要があった。セレスティオをいじめて溜飲を下げたりしてちゃ、いけなかったんだ。大神官の醜聞を握りつぶすことで、せっかく優位に立っているのに――それを投げ捨てたら、そりゃ支持もされなくなる。有力な廷臣にみはなされて、従兄弟は王太子の座をしりぞくことになった」
はじめて聞くような話ばかりで、理解が及ばない。
それでは……大神官もかわいそうだけれど、王太子もずいぶん気の毒ではないか。ひとをいじめるのは、絶対によくない。そこは、それこそ許す必要のないことではあるけれど……でも、彼も被害者なのではないか?
王妃が逃げたのも、ひょっとして……ただの恋情からではなく、宮廷の暮らしがつらかったとか、なにか事情があるのかもしれない。
――宮廷は、怖い場所なんだ。
アリスティアは、孤児院の神官を思いだす。なにを想って、宮廷に仕えていたのだろう。なにを考えて、宮廷を去ったのだろう。孤児院で、子どもたちを救ったのだろう。
「王太子様は、今はどうなさっているのですか?」
「おまえはやさしいな。いつも、弱い側ばかりを気にかける」
「……誰だって、そうだと思います」
「そうでもないんだよ。……そうでもないんだ。元王太子だった俺の従兄弟は、魔族と戦って戦死した、といわれている」
「……いわれている?」
「遺体がみつかっていない。だから、生きている可能性もある」
「どこかで生きていらっしゃればいいですね」
「よくない気もするがな……。あいつはもう、この国に恨みしか抱いていない。誰のことも救わない。陥れることしか考えていない。魔族が戯れに俺たちを殺すとしたら、あいつは違う。恨みと憎しみをもって、殺しに来るだろう――いやまぁ、この話は忘れろ。ただの仮定で意味がない」
「はい。忘れました」
王子は笑った。
「聖女として目覚めてくれるのが、おまえであればいい。きっと、うまくやれる」
「わたしにはなんの才もありません。聖女なんて……」
「そういうところが、いい。まぁ、とにかくもうじき着くぞ。老師がどうして職を辞したかという話までは辿り着けなかったなぁ……。追々、話す機会もあるだろう。とりあえず、宮廷の人間は神殿に借りを作りたくない、ということは覚えられたか?」
「はい」
「おまえは人質みたいなものだ。聖女選抜でどうしても神殿の力が増すのを、ちょっと抑えたい。それだけだ。交渉次第では、また神殿に帰らせてやる。おまえが帰りたければ、だが」
――帰る、といっていいのかな。
帰りたいかどうかでいえば、帰りたい。
けれど、アリスティアが帰りたいのは大神殿ではなく、はるか辺境の孤児院だった。もう戻ることもないと決心して出てきたのに、今はただ、あそこに帰りたかった。
みんなに、会いたかった。
でも、戻れない。アリスティアは、自分の居場所をあらたに探さねばならないのだ。
「殿下は、学びであればこちらでも、とおっしゃいました」
「そうだったな」
「わたしは……教養も知識も不足しているので、いろいろ学びたいです」
「前向きだな。一応、聞いておこう。なにについて学びたい?」
1)「歴史について」
2)「魔族について」
3)「魔法について」
twitter の方にアンケートを設置しますので、ご投票のほど、よろしくお願いします。
https://twitter.com/usagi_ya
前回のアンケートは、もし3番が採用されていたら、もっと平和な感じのエピソードが語られることになったのかなぁ、と思います。子ども時代の王子と大神官が楽しくやってる感じ?