八話 怪しい噂
晴れていても、村の陰気臭さは嵐の時と比較してこれといった変化は見られない。
昼時にも関わらず、石造りの建物が並んだ大通りには活気が無く、歩く人々は古ぼけた埃っぽい服を着ていた。
また外壁の小石が所々欠けていて、崩れてきそうな民家がいくつかある。
田舎っぽい寂れた街並みの戸は相変わらずどこも閉まっていた。
鳶色の痩せた猫が勇者一行を睨んでいる。
「これ、絶対道間違えてるって。あの看板の地図を見てみろよ。ほらあの変な銅像のすぐ真ん前のやつ」
エルザが指を差した方向には広場があり、確かによく見ると看板らしき物が出ているが、かなりやぼけて見える。
ネーレウスにはそれが地図なのか遠過ぎて分からなかった。
「…エルザ、あまり遠くにある物について話さない方がいいよ。少なくとも普通の人間にはあの看板はまだ見えない」
「えっ…そうなのか?てっきり見える物かと…。まあいい、とりあえず広場の方に行って左折すると着きそうだ」
エルザはしばらくキョトンとしていたが暫くして歩き出した。
鳶色の痩せた猫が背後に着いてきていたが二人は気付いていない。
二人は広場に辿り着いたが、看板よりも先に巨大なブロンズ像に目が行った。
この世の贅の殆どを詰め込んだように立派であり、銅像の人物の目には青い宝石が埋め込まれている。
「すげえ銅像だなおい。特にあの目元のあたりの宝石なんか盗んで他所で売ったら良い値がつきそうだ。この辺りで取れる青瑪瑙かな多分」
「盗みはやめてね。確かにちょっと遠回りしてたみたいだ。ごめんね」
右肩の怪我に塗る薬はあっても彼女の悪癖に塗る薬は無いようでネーレウスは完全に呆れ果てたが、いずれは何とかしなければならないという使命感にも駆られていた。
「今は取るに取れんな、右腕動かないし。…この広場を左折したらあの修道院に着く。薬草農園はここから右折した先。ちょっとどころじゃないな、かなり遠回りしてる」
エルザはかなり不貞腐れた様子で右肩を摩った。
地図の示した場所に向かうと、薬草農園とは名ばかりのような二階建ての掘っ立て小屋が立っていた。
しかし掘っ立て小屋の後ろには、二人の立つ位置から見える程広い畑がある。
畑には色々な植物が栽培されており、掘っ建て小屋の隣にはヌオビブ薬草農園直売所と書かれた看板が立っている。
ネーレウスが直売所の戸を開けると、やつれた老婆が杖を付きながら出迎えた。
「いらっしゃい!人が来るのは何週間ぶりかねえ…おや、お客さんのその耳…エルフ様がおいでになるとは!何をお探しでしょうか?」
直売所の中にはついさっきまで老婆が座っていたと思われる木の椅子があり、がらんどうの棚が沢山と、くたびれた薬草がまばらにしか入っていない棚が一つ置かれている。
また入口以外にも外に通じていそうな戸が向かいにあった。
エルザは入口付近の壁に寄りかかって、具合悪そうにしており、会話に入る様子は無い。
「朧陽草を桶いっぱいに貰えると嬉しいのですが、ありますか?」
「朧陽草だったら裏の畑にございますよぉ。旦那に持ってこさせるのでしばらくお待ちください」
老婆は向かいの戸から出ていき、少しして、パンパンになった麻袋を抱えている年老いた農夫を連れて戻ってきた。
「おお…本当にエルフ様にお会い出来るとは…。なんともお美しい…。イーメンの貴族がこの村を統治し始めてから、この村は貧困に喘いでいまして…いい事も偶には起こるものですね、ありがたや。こちらが朧陽草になります」
農夫の老人は朧陽草の詰まった麻袋をネーレウスに渡すと去っていった。
「どうもありがとうございます」
ネーレウスは黒い空間を呼び出し麻袋を仕舞い、多めにお代を老婆に渡して礼をする。
しかし帰ろうとするネーレウスをエルザは引き留めた。
「女将さん、イーメンの貴族についてもっと詳細を訊ねたい」
唐突なエルザの質問に老婆は狼狽えたが、ぽつぽつ詳細を話し始めた。
「今から十数年も前にここの領主様が亡くなって、跡継ぎにイーメンから新しく貴族が来ましたが…。税金が跳ね上がり今では村民は貧窮しています。それに奇妙な噂も…これ以上は恐ろしくてもう話せそうにありませんわ、お嬢さん」
「どうも、それだけ聞ければもう結構だ」
老婆に礼をしてエルザは薬草農園直売所を出ていき、ネーレウスもそれを追うように出ていった。
エルザは街道で倒れかけたが、ネーレウスに支えられ彼の腕の中に収まった。
殴りかかられてもおかしくはなかったが、右肩の怪我のせいで大人しくしている。
道っ淵の物陰で痩せた鳶色の猫が二人の様子を伺っていたものの、後ろを向いたネーレウスと目が合って逃げ出した。
「修道院まで送ってくれ。新しい弾丸が欲しいがちょっと無理そうだ」
「分かった」
詠唱もなく、修道院のエルザの部屋までネーレウスは瞬時に移動し、更にベッドにエルザを寝かせた。
日はまだ高い位置にあり、部屋は明るかった。
「病人じゃねえんだぞ、寝かせなくていい。ここまで呪いが酷くなければ廃城まで行ってあの魔物をボッコボコにしてやったのにクソが」
エルザは悔しそうに恨み節を吐いているが、かなりぐったりしており、空元気である事が分かる。
「いいから大人しくして。今から湿布を作るから完成次第、痛みは引くよ」
ネーレウスは黒い空間を再び呼び出し、朧陽草の入った麻袋とすり鉢と太い棒、金色に輝く液体の入った小瓶と黄緑の粉末が入った大瓶を取り出した。
一掴み程度の量の朧陽草を千切り、乳鉢で擦り潰す。
そして乳鉢の中身に黄緑の粉末をふりかけると湿布薬の素は一瞬で群青色に変化を起こした。
仕上げに金色に輝く液体の入った小瓶を傾け、中の液体を少しずつ入れながら、彼は聞き慣れない異国の言語らしき物を唱えた。
「これで大体完成したよ。患部に塗るからそのシャツを脱ぐか捲るかして欲しいんだけど…」
返事は無い。
湿布薬を作っていた僅かな短時間でエルザは眠ってしまっていたが、ネーレウスに揺すられ目を覚ました。
「いてて…クソ、なんだよ」
「湿布薬が出来たからシャツを脱ぐか捲るかして」
渋々、仕方なさそうにエルザは呻きながらもシャツを脱ぎ、薄汚れたさらし1枚になった。
細身ながら、筋肉質で真っ白な肌には過去に受けたと思わしき、切り傷の跡や銃痕が残っている。
ネーレウスは思わず、ついでだから洗濯しとくよと口から出かけたが、余計な世話だろうと思い黙った。
酷い傷跡については触れない事にした様である。
湿布薬を塗り、黒い空間を呼んで包帯とガーゼを取り出して、手際良くエルザの右肩を手当し始めた。
「多分染みたりはしないと思うけど…どう?」
「まあまあだな。本当にこれで治るのか?」
「完治はしないけど、これで少しは呪いの効力が収まると思う。しばらく様子を見よう」




