七話 薬草を探しに行こう!
修道院での簡素な夕食を済ませ、夜遅くになってもなお、エルザは寝付いていなかった。
厳密には痛む箇所が広がってきていて寝付けないのである。
見た目にこそ出ていないが、時間の経過と共に火傷は蝕む範囲を広げている。
心無しかエルザには右肩が数時間前よりも火照っているように思え、気を紛らわす為に窓の外を見た。
嵐はもう通り過ぎて、無数の星の集まりからなる光の帯や、方々に散らばり瞬く星が濃紺の空を飾る。
また、エルザの部屋の窓からは見えないが、月が穏やかに地上を照らしていた。
雨風の音の代わりに、フクロウや狼、その他魔物の鳴き声が微かに聞こえる。
小一時間経ってもなお、エルザは熱を帯びた右肩を擦り、受けた砲撃について考えていた。
呪いが右肩を起点にして広がっているのであれば、その部位を抉り取れば解決するのでは。
それとも全身へ呪いを受けたか、もう広がってしまった?
夜も深まった時分になり、気が付けばエルザは寝息を立てていた。
口の端から涎が垂れているのはご愛嬌である。
一方でネーレウスはエルザが部屋を出てから、溜息をつき、ひとまず床に散らかった装備や外套をきっちり畳み始めた。
そしてベッドの上で胡座をかき、この村について考察しようとした。
しかしエルザの怪我の事で気が付けば脳内が埋め尽くされる。
治す方法を探すと言ってしまったが、呪いが返ってきた時の為に指定された解呪方法が、今日の呪いを分析した限りでは見当たらない。
私より呪術に詳しいかそれとも…そもそもエルザがあそこまで無茶をしなければ良かったのに。
無理矢理にでもあの戦闘を止めた方が良かった。
ネーレウスは宙を割いて呼び出した黒い空間から、赤い表紙の分厚い本を取り出した。
赤い本の表紙には蔦が絡まったような書体のタイトルが目立ち、古ぼけた紙の臭いを放つ。
夜遅いものの彼は今から呪術について詳細を調べるらしい。
やがて夜明けになり、エルザは目を覚ますや否や勢い良く起き上がると、顔も洗わずにネーレウスの部屋の扉を左手でノックして中に上がり込んだ。
右肩の疼痛は寝不足を呼び、目の下にクマを作っている。
彼女は立っている事にすら気だるさを感じた。
「おはよう、エルザ。怪我の調子は良くなさそうだね、かなり酷い顔色だ」
ネーレウスはベッドに座り込んで赤い本を読んでいたが、栞を挟んで閉じて、エルザに手招きをして隣に座らせた。
今回ばかりは素直に彼の言う事を聞き、エルザは少し距離を離して座った。
具合があまり良くないようだ。
「…そうだな、昨日よりかなり火照っている気がする。 この呪いって身体全体にかかっているのか?」
「恐らく右肩だけだと思うけど、もう時間が経っていて全体に回っていると思う」
「なんだ、そうなのか。でもまだ全身が痛いわけじゃないし、今から右肩の肉を削げば解呪の必要も無くなるな」
彼女がボヤいた対処策は、あまりにも物理的であり、ネーレウスが苦笑したのは言うまでもない。
「砲撃を受けた直後であれば、それでも良いけどもう遅い。完全に呪いが根を張ってる。腫れたりはしてない?」
「さあ?よく分からん」
返事は素っ気ない物だった。
呪いの詳細をより正確に掴む為に、ネーレウスはエルザをじっと観察する。
しかし、見た目からは体調不良と寝不足以外、確証は得られそうにない。
穴が開きそうな程に見つめられて、気まずいような不思議な感覚に陥り、エルザは思わず視線を床に移した。
朝食の為に二人が階段を降りると、呪文のようなものを唱える低い声が何処かから聞こえてきた。
窓からは豊かな日光が差し込み、白塗りの壁と充分に磨かれたフローリングに大きな窓枠の影を落としている。
暫くエルザは何かを唱える声にひっそり聞き入っていたが、真隣からネーレウスの声が耳に入り、集中が途切れた。
「…トホカミエミタメ…祓え給い…清め給え…全智命の源の神よ…罪深き私達の祈りをどうか聞き給え…」
「何それ?」
「今の呪文のようなものの翻訳だよ、はるか昔、古代の言語だ。もっと知りたい?」
「いや、いい。外に出て煙草を吸ってくる」
エルザはどうでも良さそうにそっぽを向いてその場を離れていった。
外に出て、午前の冷たい空気の中、エルザは庭先のハンノキの根元に腰掛けて煙草を吹かし、時間を潰していた。
修道院に居心地の悪さを感じたようだ。
居もしない神に祈るなんてとんだ愚行だ。
半魔の母は毎日ずっと床の中で祈っていたが、治療も受けられず亡くなった。
祈りによる奇跡は起こらない、事実、薬にすらならねえんだ。
エルザは信心深い修道院の人々に疑念を抱いたが、考えても仕方ないと思い、新しい煙草に火を点けた。
吸い殻を捨てて、彼女がハンノキの生い茂る枝を観察すると、枝に隠れてつる性植物が寄生していた。
つる性植物には、彼女の拳より2回り程度小さいピンク色をした果実が実っている。
モモカズラの実だ。
この辺りではそれなりに良く見かける野生の果実である。
また、桃と言ってもチクチクした産毛は生えておらず、どちらかといえばさくらんぼに似ている。
ちょうど背伸びをすれは手が届きそうな位置にいくつか実っており、エルザは右肩の痛みに呻きながらもピンク色の実をもぎ取った。
呪いが傷の範囲を広げていてもなお、その盗人魂は衰える事を知らない。
「しめしめ…いただきます……うまいうまい…」
思いっきり皮ごとかぶりつき、溢れる果汁に顔をほころばせ、彼女は年相応な姿を見せた。
少なくとも、思わず独り言を零す程度には美味な様だ。
もぎたてのモモカズラに舌鼓を打ち、機嫌を直したエルザは修道院に戻った。
そこで目の当たりにしたのは、完全に修道院の人々に溶け込むネーレウスの姿である。
「あっ!いたいた。どこに行ってたんだい?探したよ。朝食の時間になっても戻ってこないし。パンだけハンカチに包んでもらったから後で食べよう」
ネーレウスはエルザに歩み寄って、唐草模様の包みを渡す。
「そりゃどうも。ちょっと外を散歩していた」
「他にも色々伝えたい事がある、部屋に戻ろうか」
部屋に戻り、二人はベッドに座り込んで話していた。
ベッド脇の机には赤い背表紙の本以外に新しく黒い本が数冊と新しい地図、グラスが二つ置かれ、彼がこの環境を気に入っている事が伺える。
エルザはパンに夢中で、パン屑の一欠片も残す様子は無い。
盗み食いしたモモカズラの実だけでは足りなかったらしい。
「本題に入るね。まず、君の右肩の怪我についてだけど、朧陽草という薬草で作った湿布が対症療法に良いと思う。この薬草の成分に抗魔作用と消炎作用がある」
「で、そのロウヨウソウ?とかいうのはどこに生えてるんだ?」
「朧陽草自体はそこまで珍しい物じゃないよ。修道院から歩いて行ける距離に薬草農園があってそこに確実に置いていると思う」
「…二つ目の本題に入るね。この村は水害に悩まされた時期が過去にあって、その時にエルフの魔術師が水害を収めた…恐らく、これがきっかけで、エルフ信仰が盛んなんだと思う。実際にその魔術師はエルフでは無いと思うけど、見た目の所為で誤解したままなんじゃないかな……それに今はもう殆どのエルフが居ないから神格化されるのも無理は無い…ってエルザ?聞いてる?」
話に飽きてきたらしく、ネーレウスの熱弁も虚しく、エルザはパンに視線を向けていた。
残りはもう小指の先程しか無い。
「お前って凄い一族の末裔なんだな。あと無神論者で宗教の話は分からん、居やしない神に祈る事なんて馬鹿げてる」
エルザのその言葉を聞き、ネーレウスは酷くショックを受けて言葉にしばらく詰まった。
「…君は随分酷い事を言うんだね。とにかく、怪我がこれ以上重篤化しない内に薬草農園に向かおう。それとも待っているかい?」
「着いていこう。ここは居心地が良くない」




