七十三話 見ないふり
二人が立ち寄った食堂には、席を定位置のように陣取って晩酌を始めるくたびれた鉱夫達の姿があった。
油の跳ねる音と美味しそうな匂いに包まれた空間で、客達は戦々恐々とこの見慣れぬ冒険者二人を観察し、それぞれ言葉を交わした。
この数日で、エルザとネーレウスは、今やすっかり鉱夫達の噂の的になっていたのである。
「ここ数日見かけるあの冒険者…神託の勇者一行だってな。この町の調査に来てたらしいが…」
「…すげぇよなあ。さっきなんか、いつもの坑道に騎士団の連中が来たかと思ったら、撤収しろって煩かったもんな。あの勇者の手引きか?」
この鉱夫達の視線を意に介さず、エルザは湯気の立つ揚げ物や薄切りの黒いパンにご満悦だった。
また、食い意地の張った勇者の隣には、揺れる銀髪やリボンの端を眺めて食事もままならない様子のネーレウスが座っていた。
「食べないのか?冷めるぞ」
エルザは、浮かないその表情を気に掛けながらも、ほくほくした顔でコロッケを頬張り、ビールを流し込んだ。
上唇に泡を付いており、空になったジョッキが机の端には並んでいた。
「……その、髪型は…気に入っているのかい?」
それはようやく捻り出したかのような返事だった。
「まあ…いや、その。…ネーレウスは…どう思う?」
エルザはコロッケをつついていたフォークを止めて、結われた髪の毛先をもじもじと見つめた。
二人の間には、この纏められた髪についてすれ違いが生じ、気まずい空気が流れていた。
「嫌というわけではないけど…」
ネーレウスは胸中を隠すように、大皿から黒いパンを一切れ取った。
「はっきりしない奴だな。まあいいけど…」
「そういや、アクセスポイントってどうなったんだ?あれは関係なかったのか?」
この纏わりつくような雰囲気から逃げるように、エルザは話題を変えた。
「…恐らくだけど、あれは…悪党達がやったわけではないのかもしれないよ」
「あのアクセスポイントが生きている方が、件の連中にとって都合がいいとは思わないかい?」
パンを齧って飲み込むと、ネーレウスはそう答えた。
「…?どういう事だ?」
エルザは小首を傾げ、ビールを飲み干した。
「…この件を秘匿したかった人達は誰だと思う?」
ネーレウスは、意図を掴めていないエルザをひっそりと裏の事情に誘導した。
二人の間にまたしても沈黙は続いていき、辺りからはジョッキのぶつかる音と噂話が静かに響いていく。
「…騎士団か。なるほどなあ」
ようやくエルザは納得した面持ちで答えると、黒いパンにコロッケを挟んで食べた。
「…タレがもう少し濃い方がいいな…」
食事について、もごもごと呟くエルザにネーレウスは更に話を続け始めた。
「興味深いのは…この壊れたアクセスポイントに関しては、騎士団内で意見が纏まっているかもしれないという事だ。これを秘匿した事によって儲けが出る人達と…流通を避けたい人達が居る」
ネーレウスは皿の上に鎮座する一口だけ齧られたパンに手を付けず、苦々しげにそう零すと溜息を吐いた。
それはクテトウ町の背後にあるものについて、どこか引っ掛かりを感じているような素振だった。
「あー…利害がここだけ一致してるって訳か。まあ、政治なんてそんなもんだろ」
エルザは告げられた考えに苦笑すると、ビールのお代わりと魚のフライを注文した。
皿の上にあったコロッケは全て今や勇者の腹の中である。
「問題はギルバート少佐とは別の派閥。誰が例の流通について黙認していたのか…裏にある背景をどれほど把握しているのか、だ」
「国外…パメドに通じる坑道では、荷車を使って“例の煙草の葉”を搬入していた。では魔物退治を隠れ蓑にしていた人身売買は…どういった経路で行われていたのか」
健啖さに半ば呆れつつも、ネーレウスは憶測を止めなかった。
「一体どういう事だ?」
その言葉にエルザは訝しんだ。
「…最初から奇妙なんだよね。普通、誰も自分達の国におかしな薬物を流行らせようなんて思わないだろう?」
「誰かが口止めしたか、もしくは裏から手を引いてまでわざわざこの国を狙った理由…目的がある。そして…狙いはこの町の鉄だけじゃないかもしれない。アーミョク町で出た死食鬼は覚えてる?」
伝えられた話はあまりにも陰謀論めいていた。
「それは覚えているが…。詳しい事情は知らないけど…お前がそこまで考える必要があるのか?…あの辺りからきな臭くなっていた…とでも言いたげだが、魔王討伐には関係ないんだろう?」
ネーレウスの意図が掴めず、エルザは手持無沙汰そうにパンを飲み込んだ。
その記憶の中で、随分と前に起こった、あの宿場町での血生臭い再会――かつて自分自身が所属していた盗賊団の連中が異形めいた死食鬼に取り込まれ、この手で全て倒した事を思い起こした。
「……あの石を、守らなければならない」
ネーレウスは苦渋の表情で呟いた。
「…あの石?私が前に一欠片だけ失敬したあの例のヤバそうな鉱石の事か?」
空のグラスに付いた泡を舐めながらエルザは訊ねた。
「そうだね。”誰か”の本当の狙いはアーミョク町周辺、前に君と行った…あの“過去の置き土産”がある洞窟と地底湖。…普段、誰も辿り着けないようになっているけど…放置は…」
そこまで言って、ネーレウスの声は途切れた。
そして咳払いをして、何かを誤魔化すようにパンをもう一口齧った。
「ん?前に行ったときは普通に入れたような…?」
話に矛盾を感じて、エルザは眉間に皺を寄せた。
食堂に入る前に聞いた「…魔王はそんな事をしている暇はないと思うよ」という言葉が奇妙なほどに胸の奥で燻った。
――何故、魔王についてそう思ったのか。真の意図に触れようとする度に、形にならない考えが浮かび、心臓が高鳴った。
「あぁ、それは、君が…勇者だからだよ」
その曖昧な答えはお茶を濁そうとしているように聞こえた。
エルザは「勇者でなければ入れないとでも言いたそうだが…どうして、そんな事を知っている?」と、出かかった言葉を飲み込み、抱いていた違和感に触れる。
――疑いたい訳ではない。でも…最初からこの旅は何かがおかしかったのではないか?
奇妙な魔法の数々。バネッサ司教の剣幕と、王都で訊ねられたネーレウスについての質問。魔王による洪水伝説。
もし、”ネーレウス単独での死食鬼戦で降っていた大雨が人為的なもの”だとしたら?――なら“この旅”の目的は一体なんだ?
「…ネーレウス。何か…隠し事があるのは知っている。ただ、私はそれでも…」
エルザは首を横に振ると気を紛らわすように、束ねられた銀髪を撫でた。
パンを一枚食べ終えたネーレウスと、腑に落ちない様子のエルザが目を合わせたまま、沈黙の時間を過ごしていると、ドアベルが鳴った。
流れ込んだ冷たい外気に続くように、楽し気な声と疲れ切った男の声が耳に入った。
二人が扉の方を見やると、誰かを探している様子のメイヴィスと、疲弊した面持ちのギルバートが現れた。




