七十一話 背後にあるもの
吹きすさぶ風に紛れて、石畳を駆ける乾いた足音と爪音が徐々に近付いてきていた。
その忙しない音に、ネーレウスとメイヴィスが振り返ると、真っ黒な体表のゴブリンを抱えたエルザと、それを追う犬の魔物が墓地に現れた。
「おっと、すげえ棺桶だな…中身なんだこれ?小石か?」
「まあいい。連れて来たぜ、犬っころもセットでな。色々、坑道の管理を任されてたらしいが…」
エルザは掘り起こされた墓を見物しながらそう言った後、目をぱちくりさせたまま、腕の中で大人しくしていたゴブリンを降ろした。
「…空だ……」
小さく呟かれた声は消え入りそうだった。
一鳴きしてすり寄ってくる犬の魔物すら、視界に入れず、地面に立ち尽くしたゴブリンは呆然とした面持ちで薄暗い曇り空を仰いだ。
辺りの様子にも気付かず、外の空気を味わうかのように深呼吸をして、雲の流れを追う姿はこの場にそぐわず浮いて見えた。
「なるほど。君が…坑道で見張りもしていたのかい?」
ネーレウスはこの奇妙な小男にそっと訊ねた。
暫く沈黙が続いた後、周囲を見渡しようやく状況を把握したのか、ゴブリンは我に返ったかのようにごろつきの顔色を窺い、ようやく話し始めた。
「…あぁ、そうだ。そこの連中に言われてやった。…侵入者の監視と、薬物の…例の煙草の管理がおれの仕事ってわけだ」
そう言いながら、ごろつきの方を指差し、なおも言葉を続けた。
「普段は魔物に気を取られた冒険者に毒を撒いてその内に捕縛するって寸法だったんでさぁ。けど、おたくらは隠し通路をすぐに見つけて…」
と、そこまで口にして、バツが悪そうに言葉に詰まらせて俯いた。
「…証拠隠滅の為に始末しようとしたと?」
冷静さを崩さず、ネーレウスが訊ねると、ゴブリンは、威嚇して炎を吹こうとする魔物を宥めながら、息を呑んだ。
「…あぁ、そうだ。悪いとは思ってる…。妙な話だが…生きていて安心した」
「おれなんてどうせ、ただの奴隷だ。こんな見てくれでろくな職につけやしねぇ…食っていけりゃなんでもよかった」
それから、声を落とすと、ちらりとごろつきを見やり、更に一言述べた。
「察するにもうお縄って事だろう?……構いませんぜ。檻の方がまだ飯は出るだろうよ、結構なこった」
そのゴブリンの飄々とした態度に、ごろつきが殴り掛かろうとしたものの、エルザによってすかさず取り押さえられた。
「おい、何だ?乱闘か?」という皮肉めいた勇者の煽りと、醜い悪態が混ざり、墓地の一角は荒れ始めていった。
「君もだよ…全く。乱暴な事はやめてね?…なるほど。詳しい事情は私ではなく…他の聴取で伝えるべきだ」
背後の喧しさに苦笑いするも、咳払いをして淡々とネーレウスは告げた。
「…そうね。騎士団がじきに来るかと思うのだわ。貴方達に会う前に、よくない輩が逃走したと聞いて…もう通報済みでしてよ。そろそろ見つけるんじゃないかしら?」
事もなげにそう言った後、メイヴィスは相変わらずの調子のエルザに目を細めた。
「仕事が随分早いね。だからあの時、冒険者ギルドに居たのか…」
ネーレウスが頷いたのも束の間、この話を耳にしたごろつきは、エルザの腕を振り払って脱走しようとしたが、既に遅かった。
石畳を駆ける無数の蹄音が小さく聞こえてきていた。
墓地から見える裏道から、次第に現れた隊列にメイヴィスは手を振った。
その様子に気付いた騎士団の兵士達が馬を停めてわらわらと敷地に集まってきたかと思えば、エルザが見張っていた輩共やゴブリンの身柄を抑え始めていった。
ひっそりと隅で事の顛末を見守り、目を丸くしていた墓守は慌てて背筋を伸ばし、この集団を恐々と見つめた。
「お嬢!ご無事でしたか!潜入お疲れ様です」
「それから、推薦魔術師殿と勇者殿のご協力に、我々一同も感謝しております」
列の先頭に居た男はメイヴィスに敬礼をすると、隣にいたネーレウスと近寄ってきたエルザに一礼した。
「…お嬢、あのごろつきが…通報にあった“脱走した輩”で間違いないですか?それから、あの掘り起こされた墓は…?」
男は取り押さえられた輩とゴブリンを横目に、話を続けた。
「そうだけど、それだけじゃないわ。…あの墓を見てごらんなさい…空っぽよ」
メイヴィスはそう答えて、掘り返された墓を見やった。
「…死者の偽装だね。墓には遺体の代わりに石が入った麻袋、人身売買の証拠だ。それに…坑道には隠し通路、薬物流通の痕跡も確認済み」
ネーレウスは横から畳みかけるように告げた。
「それは…?あの輩と人口減少の関連が視野に入ると…?」
男が困惑した面持ちで墓の方を向いていると、ごろつき達を捕縛していた騎士団員達の中からギルバートがやってきた。
その表情はいつにも増して皺と影が増えたように見え、重々しかった。
男はネーレウスから視線を逸らすと、背筋を伸ばして敬礼した。
「ここからは私が対応する。下がってよい」
ギルバートはそれだけ伝えて、この男に墓を確認するように促し、今度は勇者一行の方を向いて礼をすると、事実の確認を始めた。
「推薦魔術師殿、勇者殿、ご苦労だった。改めて迅速な対応と協力に感謝する。どうも聴取の限りでは…あの輩が悪さをしているようだったが、間違いはないか?」
投げかけられた問いにネーレウスは頷いた。
「えぇ、間違いないでしょう。裏通りにあるカフェもとい、娼館を調査すれば詳しいことが分かるかと」
「あと…坑道にて、こちらを拾得したので成分の解析を。きっと興味深いものが見つかりますよ」
そう淡々と答えた後、慎重に懐から取り出した紙を広げて“件の吸い殻”を見せた。
「ふむ、これは…分かった。預かろう」
ギルバートは眉間に皺を寄せながら、奇妙な吸い殻を観察し、紙ごと丁寧に小さな袋に入れて懐に仕舞い込んだ。
「何よりも、その建物にて、同じ臭いのものを確認済みです」
そこまで言うと、ネーレウスは口角を上げて、そう続けた。
「…恐らく現地の人間だけでは…ここまで流通させるのは難しいとは思いませんか?」
金色の瞳が、その皺と影の目立つ顔貌を食い入るように見つめた。
その刺すような視線は、言外の意図を示しているようだった。
「…外部に協力者か、もしくは内通者が居ると?」
ギルバートはどこか含みのある発言に眉を顰めながらも問いを返した。
「えぇ、その通り。“パメド国”…あの連中がそう言っていた」
「若者や子供の人身売買、薬物の流通…全ては繋がっていて、どこかに年単位の計画を企てた人間が居る。そして…死食鬼の件も“何者”かが、一枚噛んでいるように思える」
全て言い切ると、ネーレウスは、「ほら、顔が凄い汚れてるわよ。もう…」等と文句を言いながら、気まずそうなエルザの顔をハンカチで拭うメイヴィスを眺めた。
目は二人のやり取りを見ていたものの、細い横顔はまるで、この少佐の出方を窺っているようだった。
「それは…詭弁ではないか?」
半信半疑のまま、ギルバートは腕を組んで反論した。
「そうかもしれませんね。なので…これは戯言として処理して頂ければ。さて、書面は…」
話題を逸らし、ネーレウスはもう一度、ごそごそと懐を漁り始めた。
その様子を見て、髭の生えた口元に苦笑が浮かんだ。
「…相変わらず食えない奴め。まあいい、書面はいらぬ。状況は口頭だけで十分把握した。充分な調査結果に感謝する」
ギルバートはそう言って、踵を返そうとしたものの、ネーレウスが引き止めるように、口を開いた。
「そうですか。では、つかぬ質問ですが、アクセスポイントについてどうしたいですか?…材料さえ用意して頂ければ、無償で修繕しても構いませんよ。あれはそんなに難しくはないので」
この発言は善意のようにも、裏があるようにも聞こえた。
どこか引っ掛かりのある言い回しに、ギルバートの眉間の皺は余計に深くなった。
「あぁ。それについてだが…申し出はありがたいが…こちらで処理する問題だ。そちらが気にすることではない」
苦々しげに伝えられた答えは歯切れが悪く、何かを隠しているようにネーレウスには思えた。
「…少々出過ぎましたね、分かりました。…では最後にこちらを、あのゴブリンの元に返してもらえますか。坑道で拾ったものです」
ネーレウスは薄汚れたエサ皿をどこからともなく取り出して手渡した。
そして、隠された意図について不可解そうな顔で、この物品を受け取る少佐を真正面から見据えると、更に小声で囁いた。
「…あとそれから、アーミョク町付近の山間で暫く…”おかしな生物”を見かけるかもしれませんが、敵意はないので…一旦無視してもらえると。“私の仕事”が終わり次第、退くと思うので」
それはあまりにも奇妙な申し出だった。
「…それは推薦魔術師殿の仕向けか?」
ギルバートはそう訊ねたものの、返ってきたのは得体の知れない微笑みだけだった。
続けて「騎士団としては…」と、告げようとしたが――もう既にネーレウスの視線は、メイヴィスに身だしなみを整えられるエルザの方を向いていた。
この自由過ぎる振る舞いに、ギルバートの疲弊の滲む溜息が漏れたのは言うまでもなかった。




